他力本願!(週末は重賞予想・他力本願)

プロレス・中央競馬・与太話のオンパレード
ただいま3年経過。
競馬もプロレスも不滅です…たぶん。

1990年5月14日の東京体育館…っつーか、全日本プロレス。

2019-05-14 21:28:43 | プロレス
某・メガネスーパーが“黒船”扱いをされていた1990年。

1990年の4月19日で終了していた“レボリューション”
某・ターザン山本の言い草を採用すれば

「プロは金で動く」という結末&顛末。
今となっては“当然”と思えるのが不思議。

…朧げな記憶だけで話を進める。

天龍源一郎というドル箱が姿を消し
千駄ヶ谷の片隅で座礁した全日本プロレス。

三沢光晴がマスクを脱いだ5月14日。
自分自身の待遇に疑問符だらけだった谷津嘉章の姿。
期待の星となるには早かった小橋建太。
シューティング的な素養があった北原光騎…いや、当時は北原辰巳。

♪~マッチョドラゴン~♪(←by辰巳違い)


あの日、メインを務めたのはジャイアント馬場。
正確には、ジャンボ鶴田とコンビを組んで、ゴディ・ウイリアムス組とのタッグマッチ。

新装開店っぽかった?1990年5月14日の東京体育館。
天龍が消え、2か月後、カブキまで姿を消した全日本プロレス。
ドル箱が消えた後、それを補うのは…ジャイアント馬場だったらしい。

馬場・鶴田という昭和っぽさ。
このマッチメークになったのも、昭和全日本プロレスっぽさ。

今になって見れば
この日、馬場が泥を被ったが故
後々の全力ファイトに繋がった可能性。

まぁ、その全力ファイトが12日後だったりするんですけど。
なぁ、1990年5月26日の後楽園ホール。

泥を被った馬場のファイトが…落日感満載だったり、ツラかったりするのはナイショです。
(プロレスファン個々の記憶に頼りながら)
コメント
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