広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

原の町角の解体

2019-12-24 00:36:43 | 秋田の季節・風景
秋田市保戸野、通町から通称菊谷小路を直進すると、県道233号から市道に変わり、右後方と左へ分岐する突き当たりになる。
突き当たり手前に「原の町」バス停。市営バス設置のナール書体
原の町バス停は、この1本西側・秋大附属学校横の広い道にもあり、そちらのほうが神田線・添川線が通るので本数が多い。ここは楢山大回線(片方向のみ平日1本)と御所野~秋田高校入口(平日1往復)のみが通る。突き当りでは両路線とも右折して旭川を渡って秋田北高方面へ行く。

しかし、昔は、神田線・添川線もここを通っていた。すわ町~原の町~保戸野八丁~桜町間のルートが違い、原の町と八丁の位置が現在と異なった。旧八丁バス停は通る路線がなくなって廃止、原の町はほそぼそと残った。
広い道ができたのは1985年で、それからまもなく(1986~1987年頃??)ルートが変わったはず。旧ルートは、突き当りで左折して、センターラインがなくなる狭い道を進み右折し、その途中に保戸野八丁バス停があった。今考えると、よくぞ中型バスが行き交っていたなと感心してしまう。
つまり、かつてはこの道が県道233号であった。
突き当たり。右後方は道幅が広い
その突き当たり正面の左側には調剤薬局がある。その右の月ぎめ駐車場だった土地には、今年、新しく保育園が開園した(裏側にある市長公舎跡の保育園とは別)。
今回取り上げるのは、左への曲がり角の内側の建物。【24日追記】地名としては、この角内側が保戸野原の町、向かいの薬局・保育園は保戸野八丁、右の旭川沿いは保戸野中町と道路が3町の境界。
菊谷小路からまっすぐのこちら側は、敷地が広い家が多い。今は喫茶店、昔は(上の写真手前の赤いひさしの建物)お菓子屋さんなど、店舗も多少ある。
角の建物。左が菊谷小路
角の建物もなかなか大きく、板塀の向こうに松の木がある庭もあるようだ。

この建物、少なくとも30年少し前は、八百屋さんであった。
その店は何年か前(10年くらい?)に、左折してさらに右折した狭い道沿いに移転したため、こちらは空き家になってシャッターが下りていた。
しかし、今月、久しぶりにシャッターが上がっていた。
角のガラス引き戸の向こうに、かつては野菜が並んでいた
内部の解体作業が行われていた。
空き家だし、新しくなさそうだし、解体されるのは仕方ない。
でも、改めて見るとなかなか立派な商家風【25日補足・「町家/町屋」とも言えるのかな】の建物。今まで「元八百屋」という先入観があったことや、外壁の一部に新しいパネルが張られていることから、意識しないでいた。
解体工事の石綿調査の掲示には「木造2階 1975年頃建築」とか書いてあったけど、どう見てももっとずっと古いでしょう。
狭い方から。右に曲がれば菊谷小路
ちょっとのぞかせてもらう。
吹き抜け風で2階がある
その後まもなく解体作業が本格化。庭も片付けられ、建物の解体が進むと、
菊谷小路側の塀越しに。お屋敷らしい造り

そして現在は、
3つ上の写真のアングル
更地になって、角の見通しが良くなってしまった。

東・菊谷小路側には申し訳程度の歩道がある

解体後。できれば柵は敷地内に置いてほしい

昔は店へ来た車が路上駐車していたこともあったはずで、歩くのに困るほど狭く感じた場所だった(八百屋さんの移転先では、敷地内に駐車場スペースを確保してあるので、それも移転の理由かも)。
北・狭い道側

この東面が正面?
今でも、そこそこ車は通るのにこの道幅では、やはり歩きにくいけれど、この風景では寂しくなってしまった。

※その後、2020年が明けると、建設工事が始まった。もともとの所有者名義の家が建つような掲示が出ている。
※2020年3月には形ができてきた。建物は2棟、どうも広い道路寄りがアパート、その裏側が一軒家のようだ。

【2020年11月2日追記】「二〇世紀ひみつ基地(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-20.html)」によれば、ここは明治後期には染物屋だったとのこと。2005年始時点では、すでに八百屋は退出していたようだ。
コメント
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