八月もそろそろ半分になります。
この時期、うだる暑さと、湿気の中で、もうすぐ来る秋を感じさせてくれるものにヒグラシと赤とんぼがあります。
ヒグラシは、いすみでは6月くらいからうるさいくらいにないていますし、特に秋のものではないのですけど、でも、あの声には夏の終わりを感じさせるものがありますよね。
こちら東京ではヒグラシはあまり鳴いていません。でも赤とんぼはたくさん飛んでいます。
暑さで脳みそが沸騰しそうになって、目の前がかすんでいても、赤とんぼを見ると一抹の、、、、ほんとうに一抹の涼しさ、、、、涼しさの予感を感じるのです。
赤とんぼといえば、あの有名な童謡が思い出されますけど、それはすでにアップしておりますね。
まもなく8月15日。
かって赤とんぼと呼ばれた海軍の練習機がありました。
正式には九三式中間練習機。
終戦間際にはその赤とんぼにすら、爆弾を積ませて、特攻を命じたこともあったのです。赤とんぼは制式戦闘機とは違い、木製のフレームと布の羽を持った機体でした。250キロ爆弾という限界の重さの爆弾を装着し、操縦もままならない状態で。身を守る術すらないこの機体を操り敵艦に体当たりをした兵士達はどんな思いだったのでしょうね。
命の尊さを改めてかみしめたいですね。
あまりにも意味のない闘争なんていうのが多すぎるし、それによってあまりにもたくさんの命が失われてきている。
悲しい現実ですね。
世界の人がもう少し、命を大切にした問題の解決法を探せればいいと思いますけど、
でも、今日も大義名分のために人が死に、傷ついているんです。
でも、もう、日本がアメリカと戦争をして、コッピどく負けて、占領されていたことなんて、知らない人のほうが多くなってきたんですね。
日本とオランダが戦ったことを知っていたのは最終選考に残った学生のうちのたった一人でした。
嘆いていた審査員達に「学校では現代史を教えないから」って言った人がいましたけど、大学生にまでなって新聞や、本を呼んでさえいればそんなことは常識として入ってくるのじゃないかと思いました。
お爺さんの代の国の存亡がかかった大事件がもう忘れ去られているというのは、悲しい現実ですね。
正義っていうのは、それを言う人の立場で無限にあるのですよね、そのことを分かっていて、相手の人の立場を理解して、そのなかでどのような方法が取れるのか、、、、それは国であれば政治家の責任でしょうし、それを選ぶ、その体制を作っていく国民一人一人の責任なのでしょうけど、、、、
技術は別にして芸術(の心)は進化しない、ということは人の心も進化しないのでしょうか。
それにしても零戦の特攻も、後になるとほとんど効果はなかった。
先日の桜花は帰る手段のない爆弾飛行機でしたが、桜花だけでなく、それを抱いて飛ぶ陸攻とそのベテランクルーの損失が大きくて、軍で問題にされました。
でも、赤とんぼの特攻は、機材がたくさんあって、欠乏しているガソリンではなく、アルコールで飛ばして、初心者の操縦士だけが、ほとんど操縦できない機体を抱えて死んでいく、、、このことはほとんど知られていません。
万に一つの僥倖を求めて死にに行く特攻の人たちはどんな思いだったのだろうと思います。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。
その親兄弟が過ごしたあの戦争の日々を伝えていくのは、誰でもないその子どもの親。
“お祖父ちゃん、受験、学校の門まで一緒に行ってくれるかな?”
“だって、お祖父ちゃんは運が強いから。戦争から無事に帰ってきて、脳腫瘍の手術と肺切除の手術から無事に退院しているから。”
戦争を知らないけれど親が行った世代。
遠くの記憶にしてはいけない、そうですよね...
失われてしまった命のために。
ほんとうはその責任を果たすのが楽しいはずなのですね。責任という感じではなくって、やりたいから子供を育てているのだと思うのですけど、
でも、イオレスさんからは赤とんぼがアルコール燃料で飛べたことと、今のバイオガソリンなどのお話が出るかと思いましたけど。
考えてみれば、今のウルトラライトプレーンくらいの機体でしかなかったんですよね。