究極の薬



ある所に素晴らしいお医者さんがいました。
ある日のこと、彼はふと思いました。
「最近お年寄りが増えてきた。長寿になっても、お年寄りの健康が悪いのはあまり変わらない。だから、みんな、病気で苦しんでいる。
月曜日には内科、火曜日には眼科、水曜日には歯科、木曜日には耳鼻科、金曜日には整形。診断を受け、検査を受け、薬を貰い、、、、それだけが日課で苦しい日々を送っている。
保険や社会サービスも大変、老人が増えた分だけ、出費が増えて破綻しそう。
なんとかしなければ、、、」

そうして彼は一大発明をしました。
それを飲めば、苦しむこともなく、楽に死ねる薬。

終り。




えっ、話の途中じゃないかっていわれるのですか?
だって、仕方がないじゃないですか、その医者はテストにそれを飲んじゃったので。
苦しまなかったかって?
それも、お医者さんがこっちに戻れないので分かりませんよ。
残っているからこれ飲んで、あっちに行って、お医者さんを探して聞いてみてよ。



ほんと、厚生省の役人には、この薬はバラ色の薬に思えるみたいですね。
いろんな問題が一挙に解決してしまいそうだしね〜
それとも、服用する薬じゃ目立つからって、いろんな制度の中にこの薬を混ぜているのかな〜〜〜


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火中に立ちて問ひし君はも



昔々、大和という国に倭建という猛将がおりました。
彼が相模の国というところへ戦いに出かけたときに、海の神が彼に対抗して大波を起こして、彼の船を飲み込もうとしました。
倭建の后の弟橘(おとたちばな)姫は海神に身を捧げて、夫を救いました。
弟橘の辞世の句として古事記に書かれているのが

さねさし相模の小野に燃ゆる火の
火中に立ちて 問いし君はも

なのですね。(火中=ほなか)

相模の原野で敵の火責めに遭ったときでさえ、貴方は私のことを愛してくれました。
(「さねさし」は相模にかかる枕詞) 

以前の仕事場の大社長夫人が新任のイギリス大使と、オランダの総理(だったかな?)の歓迎ディナーの席でこうのたまわりました。
「日本の女性が虐げられているって常識は大間違い。日本で本当に強いのは女性よ」ってね。

それだけならまだしも、目の前に座っていた私に向かって、
「間違っている?」って聞いてきたんです。
みんなの注目が私に集まりました。
このテーブルに日本人は私一人でしたので、恥ずかしながら本音を告白するしかありませんでした。
「まったく、お説ごもっともで」

これがその後の日本の対英、対蘭関係にどのような影響を及ぼしたのか、政治のほうには疎いので、定かではありませんけど、、、、

 
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朝烏 早くな鳴きそ



昔々、あるところにおじいさんが住んでいました。
もうひどい認知症で、現実にあったことと、自分の夢だったことの区別もつかなくなってしまっています。
幸福な晩年ですね〜


朝烏 早くな鳴きそ 我が背子が
    朝明(あさけ)の姿 見れば悲しも
        万葉集
        詠み人知らず

(烏よ、朝早くなら鳴かないでおくれ。家の人が帰ってしまうから)

おじいさんは、可愛い女性からそんなことを言われたと思っているのでしょうね、、
ほれ、目はでれでれ、口の端からよだれがたれている。

でも、この詩、ずっと昔にご紹介した高杉晋作の

三千世界の烏を殺し
    主と朝寝がしてみたい

と同じですね。こちらは花魁のくどき文句なんですけど。



それにしても、私もずいぶんと律儀ですね。
以前、撮る鳥がなくなって、雀や目白を撮ったときに、今度は烏や鳩なんでしょうねなんて書いていましたけど、男子たるもの、いったん口にしたことは守らねばってことですからね。
まあ、これで烏はすみました。
後は、鳩ですか。

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蝶老いて たましひ菊にあそぶ哉  



昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
おばあさんはエステへ、
おじいさんは川へ写真撮り、

いくらエステに通っても、寄る年波は止められないのに。
かといって、不老不死なんてことにでもなったら、大変。
特に今の日本の年金や、介護では、こりゃ地獄ですね。
男性より長く生きられる女性の方々には心からお悔やみ申し上げます。


それにしても、いや〜 この詩を使うのをなんどもためらいました。
今でも怖いです。
だって、私のブログの読者って女性が多いのですよね。
この詩を読んで、
自分に当てはめて、
悲観して、
はかなくなったら
どうしましょう?



蝶老いて
たましひ菊に
あそぶ哉
   榎本星布

榎本星布は江戸中期の女性俳人。詳細はこちらに
  


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港の葦の末葉を誰れか手折りし



昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
おばあさんはジムに井戸端会議、
おじいさんは薪を背負って川原へ鳥撮りに


昔はよかった、、、 こんなじゃなかった。
おじいさんが船で出かけると、
おばあさんはいつまでも手を振って見送ってくれたものでした。


港の葦の末葉を誰れか手折りし
   我が背子が振る手を見むと我れぞ手折りし
          万葉集
          柿本人麻呂

入り江の葦の葉の先を折ったのは誰?
私の夫に私が手を振っているのを見せようと、私が折りました。

蛇の足ですけど、末葉はうらばと読みます。

まさか、葦の葉を折って自分の見送りに代えさせて、自分はジムに行っちゃったんじゃないでしょうね???

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水鳥の鴨の棲む池の



昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんの年金が始まって、山に芝刈りに行きました。
おばあさんは家で、去り状を書いて出て行きました。

水鳥の鴨の棲む池の下樋(したび)なみ 
     いぶせき君を 今日見つるかも

        万葉集
        読み人知らず

「漢詩を長崎弁で読む」風に書いていけば、

鴨ん棲んじょる池に排水路が無かごと、あんたば想う気持ちを流し去る排水路がなかったけん、忘れることができんやったとたい。
ばってん、今日あんたに逢うことができた、、、、


鴨の池に排水路がなくても、鴨には羽も足もあるさ。


いまや、要らない人、役に立たない物はさっさとリサイクルして、記憶からも消してしまい、次を見つけるのが雄雄しい、あるいはポジティブな生き方ってもてはやされるのでしょうね。
でも、なんで要らない人や役に立たない物を自分のそばに置いたんだろう、その辺のことをよくよく考えておかないと、いつまでたっても同じ失敗をするのじゃないかな。
けっして、一生失敗にこだわり続けるのが美しいとは思わないけど、、、

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