当ブログは稚拙なので、中二病から抜けれていない。
そこでむしろ、それを楽しむ様心がけている。
具体的には、日々の動作をするときに当ブログ御用達の映画の登場人物になりきってみるのだ。
案外楽しいし、日常動作でワクワクが出てきて、当ブログ同様稚拙な者にはオススメだ。
ただ悲しいかな、当ブログは観る映画の偏りがひどいので、結構ニッチなシーンでの登場人物になりきってしまう。
たとえば、手袋のボタンをとめる際、「ヒトラー ~最期の12日間~」のゲッベルス自殺直前の身だしなみを整えるシーンになりきってみたり、
廊下を歩く際は、ソクーロフの「太陽」の藤田侍従長その他のような静かな歩き方をしてみたり。
まあ、ニッチ過ぎて中二病がばれない利点もあるし、廊下を静かに歩く事は一般社会的には問題がないらしいので、それで楽しめるならお得と言えばお得である。
時々なりきりという妄想が暴走して、そのまま脳内で映画が続行再生されつつ仕事などを行うこともあるが、例えばそれが苦手な仕事だった場合は現実逃避ではないが、「私」が抜けている状態になるので楽しいストレス軽減策となるおまけもついている。
なお、そのような状況で仕事に集中できるのか、という問いに対しては不思議なことに完全になりきったほうがむしろ、ある意味模倣先が集中している状況だったりするので現実でも集中力が高まったり、心が現実に乱されることが少ないのでミスが減少するので、面白い。
まあ、なりきる対象はあまり逸脱しすぎないようにしたほうがいいのかもしれない。当ブログが言うのもなんだが。
そこでむしろ、それを楽しむ様心がけている。
具体的には、日々の動作をするときに当ブログ御用達の映画の登場人物になりきってみるのだ。
案外楽しいし、日常動作でワクワクが出てきて、当ブログ同様稚拙な者にはオススメだ。
ただ悲しいかな、当ブログは観る映画の偏りがひどいので、結構ニッチなシーンでの登場人物になりきってしまう。
たとえば、手袋のボタンをとめる際、「ヒトラー ~最期の12日間~」のゲッベルス自殺直前の身だしなみを整えるシーンになりきってみたり、
廊下を歩く際は、ソクーロフの「太陽」の藤田侍従長その他のような静かな歩き方をしてみたり。
まあ、ニッチ過ぎて中二病がばれない利点もあるし、廊下を静かに歩く事は一般社会的には問題がないらしいので、それで楽しめるならお得と言えばお得である。
時々なりきりという妄想が暴走して、そのまま脳内で映画が続行再生されつつ仕事などを行うこともあるが、例えばそれが苦手な仕事だった場合は現実逃避ではないが、「私」が抜けている状態になるので楽しいストレス軽減策となるおまけもついている。
なお、そのような状況で仕事に集中できるのか、という問いに対しては不思議なことに完全になりきったほうがむしろ、ある意味模倣先が集中している状況だったりするので現実でも集中力が高まったり、心が現実に乱されることが少ないのでミスが減少するので、面白い。
まあ、なりきる対象はあまり逸脱しすぎないようにしたほうがいいのかもしれない。当ブログが言うのもなんだが。