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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:国際市場で逢いましょう

2015-05-22 | 映画


韓国映画です。
国際市場というのは釜山にある市場。
わたしは何度も行ったことがある場所ですが、そこの一つの店のおじいさんが主人公。
子供の頃からの話と、現在の話が交互に出てきますが、
ちょうど、わたしの父と同じ世代の男性で、
父の田舎と近い訛りのある韓国語がちょっと懐かしかったです。

朝鮮半島が南北分断される過程で、中国軍の侵攻から南へと逃げる船に乗った時に
小さな妹と、それを探しに行った父親とはぐれます。このとき10歳くらいかな。
釜山のおばさんの元にたどり着き、母と弟妹のために必死で働く主人公。
やがて名門ソウル大に受かった頭のいい弟の学費のためドイツの炭鉱で働き
のちに妻になる女性(韓国から来ている看護師)と出会います。
このときのセリフで、少し泣いた。
彼女「なんでわたしのこと、家族はどこにいるとかなにしてるとか聞かないの?」
主人公「聞かなくてもわかってる。きっと家は貧しいだろう。
おなかをすかせたヒナのような弟や妹たちがいるだろう。
そして君は遠くで働いたお金を家族のためにそっくり送ってるだろう・・・。」
夜、デートの帰り道、手も握らずに、でもお互いを思い合う親密な雰囲気の中、
歩きながら、にっこりと、さらりとこういうシーン。
これは彼自身のことで、さらにはこの時代貧しかった自分の国の
多くの働く人たちのことなんですよね。

事故にあいながらも無事に国に帰ったあと、
彼女とも再会、結婚し家も建てたんだけど
おばさんの店の問題や妹の結婚資金のために、今度はベトナム戦争へ。
船長になりたくて働きながら勉強して合格した海洋大学も自分の夢も諦めます。
ベトナムへはエンジニアとして行くんだけど色々危険な目にあい怪我もします。
列強のエゴのために南北分断された貧しい国の人間が
また同様に列強のエゴのために分断されつつある国に出稼ぎに行く、
それもその列強の手先として、という皮肉な構図がやるせないけど
映画はそういうことは描かず、政治とは距離を置いて
本当に家族の物語としてだけ描かれてる。
この時代の社会や政治情勢あっての話ではあるけど、
あくまでも普遍的な人間のドラマになっているので、
誰でも、どこの国の人が見ても多分、感動できる話になっています。
この世代のことがある程度近い、わたしくらいの在日の人や
韓国の人には非常に身にしみる映画だと思います。

映画で描かれる戦後の混乱や町の様子は、日本のそれと変わらない。
どっちも映画でしか知らないんですけど、同じ人間だなぁ。と、しみじみ思う。
しかし、こういう映画を見てもネトウヨの人はまだ、
韓国人は劣った民族で同じ人間ではないとか言うのかしらん。
どこの誰でもありうる、普遍的な人間の話なんだけどねぇ・・・。

後半、出稼ぎらしいインド系の人を馬鹿にして蔑む若者をどなりつける、
もうおじいさんになった主人公のシーンも印象的でした。
自分の若い頃、国も自分も貧しかった頃はついこの前で、その同じ国なのに
今や随分豊かになり過去を学ばない驕った若者は
貧しさを、貧しい国や人を見下し差別するんですね。
こんな若者みたいな人間も、同じようにどこにでもいるんだろうな。
韓国でも日本でもどこでも。

国の貧しさといえばこのシーンも。
戦後の町で、靴磨きをするまだ子供時代の主人公、
あるお客のおじさんが、自分の夢は船を作ることだと言う。
大型の船を。そして国産車を。
そのお客さんは後に現代グループを作り、そこで船も車も作ることになるんだけど、
当時は誰もが本気にしないで笑うような遠い夢だったんですよね。そして
それが遠い話だったのはほんの数十年前、わたしの父が子供だった時代なんだよなぁ。
そういえばマレーシアに住んでた時、現地の人がマレーシアには国産車がある、と
とても誇らしげだったのを思い出します。
自動車を作るということが、すごく遠い夢だった時代も、誇らしいことだった時代も、
ついこの前数十年のことなんですよね。韓国でもマレーシアでも。
ほんの数十年で、その時代のことを知っている人はまだいるというのに、
なんでそういうことを伝えていけないんだろうなぁ。
なんで貧しかったことも惨めだったこともかっこ悪かったことも忘れて、
すました顔で他の国や人を見下したりできるんだろうなぁ。

というようなことは、映画の中には出てきませんが(笑)
まあとにかくとてもよくできた映画だと思います。
日本の人にも見てほしいですね。

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