映画としてとても優れていて、素晴らしいなぁ、好きだなぁと思うもの多いけど、
映画としては凡庸かもしれないけど、個人的ツボというか好みのものってあって、
これがそういう映画。
タイトルがアレだし(ああ、ホントいいかげん邦題にケチつけるのやめたいけど、
幸せの、奇跡の、人生の、愛の、ってつくタイトルは絶対覚えられない自信がある。
原題は「Learning To Drive 」で、内容に合ってるし含みもある、いいタイトル。)
アメリカの都会の、白人インテリキャリア女性の人生ドラマ、なぁ・・・と思ったけど
映画で、アメリカの移民の出てくる話は、とりあえず見たくなるし、
そのインド人の役がベン・キングスレーだったので見たけど、主演女優もよかった。
冒頭の数分、夫に捨てられて、怒ったり泣いたりすがったり大騒ぎのシーンで
そういう女性や状況に同情はするけど共感はしないので、
わー、こういう女性の自分探しみたいな話かな、
このままずっとイラッとしながら見るのかなと思ったけど、大丈夫だった。
そのあとは基本的に、たまにグズグズになったりしながらも
やることをやってく気持ちいいヒロインで、好ましい女性でした。
そういえば、映画としては凡庸でも好きな映画って、
ほかにダイアン・レインの「トスカーナの休日」とか、
タイトルが最悪にひどくて気の毒な映画「50歳の恋愛白書」とか
なんか夫が死んだり夫に捨てられたりする系の話が多いかも。笑
わたくしは捨てられたわけではありませんが、
ひとりの人生をなんとかやってくしかないヒロインには
感情移入があるのかもしれないですね。(^_^;)
ニューヨーカー誌の実話エッセイを映画化したものらしく、
この映画のヒロインはキャリアのある成功した書評家で、
言葉に人生を捧げてきた人で、
その辺、もう少し突っ込んで、言葉や文学の力を絡めて描けていれば、
もうちょっと繊細な映画になったかも。でも、好きな映画でした。
お話は、夫に浮気されて捨てられたヒロインが、遠方にいる娘に会いに行くため
車の運転を習うことにする、そのインド人指導教官の役がベン・キングスレー。
ベン・キングスレーはわたしにとってはいつまでも「ガンジー」役の人なんですけど
この映画の同じ監督の映画「エレジー」ではこのヒロインと夫婦役をしてました。
馬のあったファミリーで作られた映画なんだな。
そしてこの映画は「エレジー」の重厚感の代わりに爽やかさがあって、
でも根底には似たものがあるかも。
さて、運転を習ううちにヒロインは自分を取り戻していくんだけど、
この指導教官の人生についても、
迫害されたインテリのシーク教徒でアメリカに亡命してきたこと、
不法滞在の甥っ子や友達、アメリカで日常的にくりかえされる差別、
(「バラク(・フセイン)とからかわれたり、不当に危険視されたりします)
親戚が決めた、会ったこともないインド人女性との結婚の成り行き、
などが描かれて、興味深いです。
ヒロインが、一方的な白人的価値観で彼に関してジャッジしないところがいいです。
会ったことのない女性との結婚に対しては、疑問が強かったみたいだけど
そういう文化を理解できなくても非難はしないし見下しもしない、というのは
かなり柔軟なことだと思った。
そして、ヒロインに対しては常に人生の先にいる落ち着いた先生的存在で、
ヒロインに暖かく静かに染み込むような忠告をいつも与えている教官が、
いざ自分が結婚してみると理想との違いに中々うまく対応できないことや、
思いやりも想像力も足りない感じがするところなどもうまく描けてるなぁと思った。
いくつか、印象的だった都会の現代女性同士の会話っぽいところ。
・夫に捨てられたヒロインに妹が、そろそろ新しい馬に乗らなきゃ、というシーン。
先月、友達と映画「男と女」を見たときに友達が、
レーサーのイケメン男より、軟弱っぽい前夫が忘れられないヒロインを見て、
やっぱり男は車じゃなく馬に乗らなきゃなのよねと名言を吐きましたが(笑)
女も馬なのか~と、思い出し笑いをしてしまいました。
字幕は馬となってたところ、英語ではサドルsaddleと言ってましたけど。
・夫に捨てられた姉を妹がダブルデートの食事に連れ出すシーンの会話。
レストランでダブルデートだと気付き、勝手にこんなこと困るわと囁く姉に
「だって銀行家なのよ。グルメだし、文化度も高くて寄付もしてる。」と妹。
そこで、姉が聞くのが「でも・・・じゃ、政治的信条は?」
「(そんなのどうでもいいじゃない)だって銀行家(お金持ち)なのよ」
いろいろ条件を聞いたときに、政治的指向について聞くんだなぁと。
今も若い女性などが結婚する男性に求める条件のような話はよく見かけるけど
年収や学歴、外見や趣味などの他に、政治的信条について言うのを
聞いたこと一度もないなぁと思ったけど、まあ大事なことですよね・・・。
でも、お金持ちなんだからなんでもいいじゃないという妹、これも普通なのかも。笑
この味のわかるリッチな銀行家(60代くらいか)は、インテリで趣味もよくて
食事の時に結構いい感じになるのですが、
そのあとのシーンも結構コミカルで印象的でした。ここには書きませんが。笑
でも、これもヒロインの回復へのステップなんですね。
余裕が出てきたからできたことでしょう。
・これも妹のセリフ。「妻以外の女と浮気する男は最低。
それはプールでおしっこするようなもので、
本人は気づかないと思ってるし誰も気づかないかもしれないけど、
確実にその場所を汚していってる」
うまいこと言うなぁ。笑
インド人の結婚式のシーンも出てきて、アメリカの都会のインド人の結婚式は
映画ではすでに何度か見てきたけど、やっぱり興味深いです。
そして、現代のアメリカのニューヨークのような都会に住むインテリ男性でも、
(でも仕事はタクシードライバーや運転指導教官になるようですが)
まだこんな風に親戚や親の決めた、一度もあったことのない相手と
結婚したりするんだなぁというのも、興味深い。
ちなみに、ニューヨークには10以上、
クイーンズ地区だけでも7~8つのシーク教寺院があるそうです。
それだけインドの人が多いということでしょうね。
あと、映画に関係ない個人的なことなんだけど(そういうことしか書いてないけど)
見ている途中、なんだかすごく車がほしくなりました。車の自由が、かな。
ヒロインの回想の中で父親が、
車があればどこでも行けるし住むこともできると言います。
シャワー(ワイパー)もある、トイレ(給油タンク?)もある、って。笑
それは冗談だけど、やっぱり車って自由の象徴でもあると思う。
わたしはマレーシアに住んでいた8年ほどの間は
自分の車を持っていて運転していました。
でも日本に戻ってから10年以上運転していないし、多分これからもしないと思う。
まちなかに住んでて、駐車場より駅が近いくらいである上に、
運転も下手だし方向感覚がありえないほど悪くて、危ないからだけど、
運転と方向感覚が人並みだったら、今も車乗ってたかもしれないなぁと思う。
車を運転してた頃は、車の中だけがほっとする時期だったこともあります。
方向音痴でどこへもいけないけど、もし本当にその気になればどこでもいけると、
そう思うだけで気持ちが晴れ晴れとしたものだった。
マレーシアに住んでいる時には、行く場所がなくて、
家を飛び出て、車の中で何時間も音楽を聴いてたことが、何度もありました。
マット・ビアンコと上々颱風をよく聴いてたな。今もよく覚えています。
その頃に比べると、今はひとりで、家中自分のもので、
ラクになったものだなと思う。
家の中で、誰にもびくびくしないでいいのは、夢のようです。
40年以上、結婚前の実家も結婚した後の家でも
家の中はびくびくする場所だったけど、本当にラクになったなぁ。
そのぶん、心細いしよるべないけど。
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