1945年8月、ポツダム宣言を受諾して終戦を宣言する天皇の玉音放送までの、
政府や軍指導部の人たちの葛藤や決断と、
あくまでも本土決戦を主張しクーデターを起こそうとする若い将校たちのお話。
まともな武器も食料もなくなってきている中、
東京大空襲、広島、長崎への原爆投下と、どんどん悪くなる戦況の下で、
戦争終結へ向けてどう動くかそれぞれの思惑が交差するのですが、
なんか・・・
偉くて立派な政治家や軍人たちの苦悩がどんなに深く重くても、
「野火」で見たような南方の名もない兵士たちの苦しさに比べると
気楽なもんやなぁと、どうしても思ってしまいました。
老獪な政治家たちも純粋な将校たちも、それぞれ命をかけているのですが
(実際、責任を取って自決する人もありました)
それでも、「野火」で見たような、一瞬の安らぎもない地獄の日々には
遠く遠く及ばないなぁと思う。
死んだほうがマシ、狂ってしまった方がマシ、というほどの地獄を
きっとこの人たちには想像できなかったことだろうと思う。
終戦を受け入れることができない陸軍将校は、
2000万国民が特攻すれば必ず神風が吹いて勝てると主張しますが、
自分がどんなにおかしいこと言ってるかわからなくなってるんですねぇ。
国民がいなくなって一体誰が勝ったことになるんでしょうか?
国民がいなくなってどこに国が残るんでしょうか?
そのくせ、お国のためにとか、国民を守るために戦ってるとか、
もう、どの口で言うのかと思うし、
クーデターを企てた純粋な若き将校たちに同情する気持ちは持てないですね。
命をかけて決起し、潔く散る姿に、
美学のようなものを感じる人もいるのかもしれないけど、
この時点で戦争を続けたいなんて、独りよがりな暴走でしかないのに・・・。
などと、映画自体とは関係なく、戦争というものについて考えてしまうので
映画の感想っぽいことはいつも以上に書けませんね。
首相役の山崎努の顔がすごかったです。
こういう顔になったら、もう演技しなくても大丈夫、というくらい
味のある老人顔で、見ごたえあります。
難しい顔をしていることが多い軍人や政治家と違って、
天皇に仕える侍従たちは、おっとりしていて今の言葉で言うなら草食的。
クーデター未遂が起こって、右往左往する侍従たちの様子はコミカルで
なんだかかわいかったです。
でも、戦うことをどこにもプログラムされていない、武器を持たない人たちの
柔軟さと芯の強さを感じる気がしました。
そしてこの映画、ロケ現場がとても興味深いのです。→公式サイト
古い洋館が舞台になっていますが、この中で首相官邸と
天皇の居室などの撮影に使われた旧乾邸と甲子園会館(旧甲子園ホテル)は
写真の友達と撮影に行ったことのある場所で
撮影の時って普通の見学の何倍もよく見るものなので
すごく記憶に残ってて、それが舞台になってるのが楽しかったです。
→乾邸の写真のブログ
あと、雑草好きなわたしの記憶に残ったシーンがあります。
生物学者であった天皇陛下が、歩きながらあちらこちらを指差して立ち止まり
「ヒメジョオンは見つけたらすぐ抜かなければ。」というようなことを言います。
侍従みたいな人が「外来種はすぐ増えますね、
日本古来のドクダミなどは奥ゆかしくて」とか答えながら、
天皇と一緒にヒメジョオンを抜きます。
この何気ないシーンは、外来種植物を非難することで、
戦争においても敵を非難し、日本の主権を守りたいという気持ちを
もしかしたら暗喩させているのかもしれませんが
「雑草という植物はない」と言ったのは確か、この昭和天皇でした。
本木雅弘演じる天皇陛下は、あまりに美男子でかっこよすぎるかな。
ちなみに、ヒメジョオンは北アメリカ原産。
江戸時代に観賞用として入れられたものが日本全土に帰化したもので、
ちょうど今頃まだ、あちこちで咲いていますね。
そしてドクダミは、日本だけでなく、ヒマラヤ、中国、東南アジアにも
広く分布してる植物で、結構強い植物です。
臭いけど、薬になったりお茶になったりとても役に立つものだし、
花はとても清楚できれいです。
ドクダミの花の色、あの白と黄色のバランスや色の具合、大好き。
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