sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

「断片的なものの社会学」2:「あなたを選んでくれたもの」と読む、消費しない誠実さ

2015-10-17 | 本とか
昨日の→「断片的なものの社会学」1:浮かび上がるものの続き。
ミランダ・ジュライの書いた本はこれまで読んだことがなかったけど、
彼女の原作を自分で監督した映画を見たことはある。(「ザ・フューチャー」)
現代人的な自意識というものの生々しさに辟易し(そこではしっかり自覚され、
咀嚼されてはいるものの)もういいわ~と思ってたけど、
このインタビュー集はすごく面白いです。写真も素敵。好き。
わたしの見た彼女の映画の脚本に行き詰っているときのインタビュー集で、
それぞれのインタビューを通して、この映画ができる過程も理解できます。
彼女の映画ももう一度見直してみようかと思った。

この2冊の本の大きな違いは
彼女は小説家なので人の人生を料理し消費し自分の物語に組み込んでしまうけど、
彼は小説家ではないので、人の人生は人の人生のままにしておくところかな。
ミランダは人のリアルな人生の断片を小説や映画にして自分の物語にしてしまう。
それは悪いこととばかりは言えません、
創作作品というものはそうやってより多くの人の心を動かすのだし
そうするのが作家の仕事だし。
でも、結局は他人の人生を消費してしまうミランダの作家という性と、
消費しなかった断片をただつぶやく岸さんの本についても考えると、
後者の、なんの結論も出さず、判断もせず、方向も示さず、
ただ眺めていることの誠実さに、なんだか不器用で静かで寛容な優しさに、
気持ちを揺さぶられてしまうのです。
いえ、もちろんこの本に書かれたこと以外では
きちんと消費されたまとまった断片がたくさんあったのでしょうし
この本の中でも、そこからいろんなことを考えて書かれてる部分も多いのですが。
(それが社会学者の仕事でしょうし)
読んでいる途中で、思わずTwitterに、
>岸政彦先生の「断片的なものの社会学」まだ読んでるの半分くらいだけど
>とても好きで、
>社会学者なんてやめて小説家になるといいのにと思いながら読んでいます
>社会学者のみなさんすみません。
とつぶやいてしまったらご本人に読まれてRTされてしまいましたが(笑)、
本を読み終わったら、いや、やっぱりずっとそのままで
社会学者でいてください、と思いました。

また、以前に、誠実な沈黙と似たことについて考えたことも思い出しました。
誠実な絶句のこと

小説家は人の人生も自分の経験も糧にして、自分の新しいものを作り出すけど、
それによって心を動かされる人が大勢いるわけなので、
それはそれでありだと思うし
実際わたし自身、毎日小説や映画を楽しんだり学んだりしているわけなのですが、
本当は人として、誠実な沈黙を知っていて、それを守る静かな人が好きだし
そういう人に、いつかなりたいと思ってる。
でもわたし自身はまだまだ、厖大な人々の営みの断片に感動しながら、
それを自分の小さく狭い世界の中に組み込んで、
つまらない自分の物語にしてしまうことから離れられません。

追記:続きのリンクも貼っときます
→「断片的なものの社会学」3:「あなたを選んでくれたもの」と読む、
  瞬間や断片それぞれの奇跡

→「断片的なものの社会学」4:自分の境界線


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