
カフェを始めてからスポーツクラブを辞めてしまったし、
大勢のいる大きなお風呂に入るのは久しぶりだった。
そして、たくさんの女の人の裸を見るのは、面白いですねぇ。
年配の人のは、参考になるし(笑)
きれいな裸は見てて楽しいし。
女でよかった。
ローリー・トビー・エディスンの「women in large」 という
太った女の人ばかりの写真集や、
ダイアン・アーバスの撮ったヌーディスト達の写真や、
他にも70年代頃からのウーマンリブの時代の女性写真家の写真などを見て
女の人の裸について、お昼からつらつらと考えているのです。
伊集院静だっけかが、かなり昔、何かで、
僕はどこか崩れた体形の女性もかわいいと思う、というようなことを書いていて
すごく印象に残ったのを覚えているのです。
(うろ覚えなので別の人だったらごめん)
だらしなさも、いいじゃないか、と。
つい食べちゃう、運動しようと思っても三日坊主、
なんていうような女の人のちょっとしただらしなさも、
いいなと思うようになって来たんです、と
インタビューか何かで語ってたのが、
そんなこという有名人あるいは文化人、或いはインテリを、
見たことなかったのでビックリしたのでした。
バブルの頃かな。
そういうだらしなさは、人間だから仕方ないとあきらめて
受け入れられることはあっても、そんな風に優しく、
かわいいじゃないか、と言われることなんてない種類のものだったから。
それは今でもそうだよねきっと。
なんて余裕のある大人の男なんだ、と思った。
こういうのを包容力があると言うのね。
(そのくせ妻や恋人はすごいいい女ばっかりだけど(笑)。
その言葉が本心だろうということにビックリして、
すごいなぁと思いつつも、
わたし自身は非常にストイックなたちで、
自分にもあるそういうだらしなさを糾弾せずにはいられなかった。
そして何より結構こだわりの強かった美意識が、
そう言う崩れた女性の体というものを嫌悪させていました。
ほんの数年前までそうでした。
スポーツクラブのお風呂などで、ぼんやり女性達の体を見ながら、
だらしなく崩れた体は美しくないとしか思えなかったし、
細く均整のとれた体は美しいと思ってた。
それが、昨日温泉で、やっぱりぼんやりとたくさんの裸を眺めている時に
自分の目が、気持ちが全然違ってることに気付いて驚いたのでした。
(えと、自分のことは完全に棚に上げて話しておりますよ(笑)
お風呂で見るほとんどの中年以上の女性は崩れた体をしています。
太り過ぎたりあちこち垂れてたりざらついた肌だったり。
それに嫌悪感どころか、何かしみじみと、みんな生きてるなぁと感じ入って
うっすら感動していたのです。
この年で初めて、伊集院静の気持ちがわかってきた。
だらしなさ自体を受け入れるわけではないのですが、
そういうだらしなさに負けてしてしまう女性の弱さも、愛おしい、
かわいいと思う大人の男の気持ちが、
なんかふとわかるようになった気がした。
薄青い空とかすれそうな雲と黄土色の湯の温泉の間で、
そういうことを思ってました。
そして翌日は有名写真家の、巨大な白人女性ヌード写真集などを見ながら、
やっぱりイヤじゃない、と思いました。
相撲取りほどの迫力の大きな白人女性達のヌードが美しく思えて、
じっと気持ちよく見てしまうのです。
わたしも大人になったなぁ、と思った。(笑)
だからといって、自分が太っていいというワケではなく、
夏までにマイナス3キロ!とか言っているのは相変わらずですが。
女性の裸について、ぶつぶつ書きましたが、
じゃ男性の裸は、というと、これはまた別の話かもなぁ。
わたしは男性差別しますから。
それに女性の裸ほどたくさんの男性の裸を見たことないし(笑)。
大勢のいる大きなお風呂に入るのは久しぶりだった。
そして、たくさんの女の人の裸を見るのは、面白いですねぇ。
年配の人のは、参考になるし(笑)
きれいな裸は見てて楽しいし。
女でよかった。
ローリー・トビー・エディスンの「women in large」 という
太った女の人ばかりの写真集や、
ダイアン・アーバスの撮ったヌーディスト達の写真や、
他にも70年代頃からのウーマンリブの時代の女性写真家の写真などを見て
女の人の裸について、お昼からつらつらと考えているのです。
伊集院静だっけかが、かなり昔、何かで、
僕はどこか崩れた体形の女性もかわいいと思う、というようなことを書いていて
すごく印象に残ったのを覚えているのです。
(うろ覚えなので別の人だったらごめん)
だらしなさも、いいじゃないか、と。
つい食べちゃう、運動しようと思っても三日坊主、
なんていうような女の人のちょっとしただらしなさも、
いいなと思うようになって来たんです、と
インタビューか何かで語ってたのが、
そんなこという有名人あるいは文化人、或いはインテリを、
見たことなかったのでビックリしたのでした。
バブルの頃かな。
そういうだらしなさは、人間だから仕方ないとあきらめて
受け入れられることはあっても、そんな風に優しく、
かわいいじゃないか、と言われることなんてない種類のものだったから。
それは今でもそうだよねきっと。
なんて余裕のある大人の男なんだ、と思った。
こういうのを包容力があると言うのね。
(そのくせ妻や恋人はすごいいい女ばっかりだけど(笑)。
その言葉が本心だろうということにビックリして、
すごいなぁと思いつつも、
わたし自身は非常にストイックなたちで、
自分にもあるそういうだらしなさを糾弾せずにはいられなかった。
そして何より結構こだわりの強かった美意識が、
そう言う崩れた女性の体というものを嫌悪させていました。
ほんの数年前までそうでした。
スポーツクラブのお風呂などで、ぼんやり女性達の体を見ながら、
だらしなく崩れた体は美しくないとしか思えなかったし、
細く均整のとれた体は美しいと思ってた。
それが、昨日温泉で、やっぱりぼんやりとたくさんの裸を眺めている時に
自分の目が、気持ちが全然違ってることに気付いて驚いたのでした。
(えと、自分のことは完全に棚に上げて話しておりますよ(笑)
お風呂で見るほとんどの中年以上の女性は崩れた体をしています。
太り過ぎたりあちこち垂れてたりざらついた肌だったり。
それに嫌悪感どころか、何かしみじみと、みんな生きてるなぁと感じ入って
うっすら感動していたのです。
この年で初めて、伊集院静の気持ちがわかってきた。
だらしなさ自体を受け入れるわけではないのですが、
そういうだらしなさに負けてしてしまう女性の弱さも、愛おしい、
かわいいと思う大人の男の気持ちが、
なんかふとわかるようになった気がした。
薄青い空とかすれそうな雲と黄土色の湯の温泉の間で、
そういうことを思ってました。
そして翌日は有名写真家の、巨大な白人女性ヌード写真集などを見ながら、
やっぱりイヤじゃない、と思いました。
相撲取りほどの迫力の大きな白人女性達のヌードが美しく思えて、
じっと気持ちよく見てしまうのです。
わたしも大人になったなぁ、と思った。(笑)
だからといって、自分が太っていいというワケではなく、
夏までにマイナス3キロ!とか言っているのは相変わらずですが。
女性の裸について、ぶつぶつ書きましたが、
じゃ男性の裸は、というと、これはまた別の話かもなぁ。
わたしは男性差別しますから。
それに女性の裸ほどたくさんの男性の裸を見たことないし(笑)。
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