sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

傷ついている人の怒りは

2017-07-17 | Weblog
わかる。わかるけど、もやもやするところがあって考えた。
「冷静に」なんてなりません!|Erin|note(ノート)

差別などの被害者が怒りをあらわにしたり過激な言葉を使うことを、
冷静にならないと感情的すぎてそれでは理解されないよ、と
安全なところにいる人が封じ込めようとするTone policingについて
書かれています。
それはメッセージそのものではなく、それに付随する感情を批判することで
議論を脱線させる戦術であり、
冷静な対話を、中立的なディベートで解決に導くことを要求することだそうです。
しかし、怒りや悲しみの感情は正当なもので、それを
当事者でない特権的に安全なところにいる人から指図されるべきではない、
と、そういう感じのことがこのリンクには書かれています。
(リンク切れの時のためにざっとまとめました)

書かれていることはよくわかるんです。
自分自身は激しい怒りをぶつけるようなことはできるだけしないけど
当事者にとって、そうせずにいられないことは理解できるし
仕方ないと思うし、認めるべきだと思う。
ただ、その一方で、
激しい怒りで相手を支配してしまうことの問題もあるんじゃないかな。
安全で特権的な立場にいるとしても、
弱い人はその怒り自体を恐れて納得できないまま不本意に
折れるしかできなくなることもあるし、
強い感情を発散させている人がこわくて、
きちんと考えたり話したりするのができないわたしのような人も多いと思う。
強い感情に、支配されてしまう弱い人も多いと思うんです。

強い感情の発散のパワーは扱いが難しい。
批判を黙らせたいのでも、議論を脱線させたいのでもなく、
心理操作をしたいのでもなく、むしろ逆に、強い怒りや感情によって
こちらが心理操作をされるも、こわいのです。
本当に傷ついている当事者の怒りは間違ってないとわかってるんだけど。
難しいものだなぁ。