sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

須賀敦子と「この世界の片隅に」

2017-02-05 | 本とか
今お風呂で読んでる須賀敦子さんの「塩一トンの読書」
(この頃お風呂でしか本読んでない・・・)の中に、
早坂暁「夏少女・きけ、わだつみのこえ」の書評があって、そこにこう書かれていた。
”侵略戦争の記憶を、淡淡しい悔恨や、やさしいだけの鎮魂歌におわらせてはならない。どうすればその先を開くことができるか。現在の私たちの周囲に、内面に、あのときとは異なったふうにであっても、なお生きつづける全体主義や排他主義と、私たちは日々闘っているだろうか。そういった根本的な問いかけを、これらの脚本は思い出させてくれる。”

「塩一トンの読書」は2003年に出た本で、
その中のこの部分はごくありきたりな言葉に見えて読み飛ばしそうだったんだけど
ふと今上映してる映画「この世界の片隅に」のことを思い出したのよね。
この映画に苦言を呈さずにいられなかった人は、
映画から読み取れる戦争への悔恨や鎮魂歌的なものは認めながらも、
それがあまりにあわあわとやさしく、
根本的な問いかけに欠けていることに警笛を鳴らしていたのだろうなぁ。
加害責任の問題とかね、厳しいことや難しいことはそっと忘れたふりをして。
とてもやさしい、いい映画でしたけどね。