韓国からベルギー人の養子になったキムのことを前に書いたけど、
(→2/23の日記)
なんか今、アメリカ人のキムのことを呟きたくなった。
太った白人の、今でいうオタクな感じの男の子で
韓国人女性と学生結婚してた子のこと。
キムはアメリカ社会では全然受け入れられなかった。
容姿も頭脳も運動もそこの基準ではダメで、女の子にも全くもてなかっただろう。
むしろ、気味悪がられ、からかわれいじめられてきたのだろう。
それで、アジアに興味を持った。
何かきっかけがあったかもしらないけど、とにかく。
そして、韓国の女の子と知り合い、おそらく初めてちやほやされたのだと思う。
20年以上前の韓国では、多分白人というだけで、
憧れられたりすることがあったかもしれない。
恋愛をしてスピード結婚。
彼女の姓キムで、自分をよんでくれ、と言ってた。
でもスピード結婚のあと、わたしがキムと知り合った頃はもう
離婚話が進んでいるところだった。
彼女はグリーンカードが、ほしかっただけだったようでした。
キムは結局、みんなの笑いものになった。
アメリカ人と、アメリカ人の価値観を持った韓国系アメリカ人ばかりの学部で、
あらゆる学生に嘲笑われるか、バカにされながら同情されるか、してた。
そこでは、英語が下手で変わり者で
数少ない日本からの留学生のわたしもマイノリティだったけど、
なぜかやたら仲良くしてくれる子たちがいて、
遠巻きに嘲笑われるような存在にはならずにすんでいた。
でも、そうなってもおかしくなかったし、
他人事ではない気がするし、
それでそういうキムが少し気になっていたのでした。
だけど、キムと友達になりたいとも思ってなかったし、なろうとも思わなかった。
それはまわりの目に関係なく、
自分にとって特に興味深い相手じゃなかっただけのことだけど、
だから、せめて少しでも彼の状況をよくしよう、ともしなかった。
彼のことをまわりの女の子たちに聞くと、みんなざっとその事情を言ったあと、
でも関わらない方がいいよ、と言うし。
そうして、彼を避ける若くてかわいくて残酷な女の子たちと一緒に、
わたしも彼にはほとんど、関わらなかったし、
口をきいたことも、一度か二度しかない。
でも忘れられない光景があるのです。なんでもない光景なんだけど。
1987〜8年オリンピック前のソウルの大学で
アメリカ人か韓国系アメリカ人がほとんどの、留学生受け入れ学部の
ある授業の終わった時間、学校の廊下を通ると誰も残ってないクラスに
キムがひとりだけ残って座ってた。
何をしてたのかなぁ。
その頃,結局離婚されて、キムはひとりアメリカに帰るという噂があった。
奥さんはもうアメリカに移住?しちゃってて、
ソウルにはキム一人だった。
しゃべったことはほとんどないけど、
あんまりいつも寂しそうで、気にはなってたし
その日はもう学期の最後頃で、
キムに会うのも最後かもと思ったので、声をかけたのでした。
キムに声をかける人は誰もいなかったのに、わたしが声をかけても驚く風もなく、
何?という感じで顔をあげた。
アメリカに帰るって聞いたんだけど、というと、うん、と静かに答えた。
若い頃から人のプライバシーには慎重で、
本当によっぽど向こうから話したそうじゃない限り、
自分からは聞かないタイプのわたしだったけど、思い切って
離婚するの?って聞いた気がする。
キムはやっぱり静かに、うん、と答えた。
彼女がそうしたいって言うんだよ。彼女が言うんだよ、と繰り返した。
彼女は僕を好きじゃないんだ、と続けたと思う。
誰もいない教室で、こんなつらい思いをしてこんなに寂しそうにしてる人を、
ほっとけない気持ちでいっぱいになる。
でも、こういうときわたしは本当に何も言えないのだ。
英語では便利な言葉、I'm sorry(残念だね)があるけど、
そのあとが続かない。
ひとが本当につらい気持ちでいる時に、
すらすらと慰める言葉を言えないのは今も同じです。
誰かを亡くした人とか、どんな慰めも全然届くはずがないと思う。
でも言わないとわかんないよねとも思う。
相手が慰めの言葉を求めているときだってある。
そう思っても、わたしにはできないのです。
ハグしてあげればよかったと今は思う。
でもハグするほど近しくもなかった。
せめて自分は敵ではない、ということだけでも知らせたいのに、
それができなくて、
じっとキムの横に立ってた。
グッドラックとさえ言えなかった。
絶望してる人に,その言葉は無責任すぎ、幸運は遠すぎる気がした。
キムの座ってた教室、キムの着ていたTシャツ、
何も言えないで馬鹿みたいに横に立ってるだけで、
キムにはおそらく何も伝えられなかった自分、という光景を
いつまでも忘れられないのです。
口に出さないと通じないときでさえ、
そこに上っ面のものがあるかもしれないと思うと、
何も言えなくなるのは自分勝手な潔癖です。
相手がほっといてもらうことを必ずしも欲してないこともあるだろうに。
自分の潔癖を優先させてしまうのだと思う。
キムと会ったのは、それが最後だったと思う。
友達でさえなかったし、しゃべったことさえほとんどなかったけど、
アジア好きのキムはわたしのことは怖がってなかったと思う。
他のアメリカ人の女の子たちのことは怖がっていたんじゃないかな。
若い女の子の集団の残酷さって、こわいから。
せめて、彼を笑ったりはしない学生もいたことが
伝わってたらいいなあと思う。
でも伝わってなかった気がするんですよね。
彼も自分のことでいっぱいだったろうし。
こういう状況の人って、自分のことで精一杯だから、
そっと横にいるくらい人のことには気付けないんじゃないかと思うのです。
だからせめてもうひと言何か言えたらよかったなぁと思う。
必死で言葉を探り,いろんな言葉が頭の中をかけめぐるんだけど、
どれも結局言えないんですよね。
まあ、今なら何も言えなくても、
あれこれ考えずにハグできるおばさんになったので、
自分に関しては少しは成長したかもと思います。
・・・・
こういうキムのことを思い出して、ふと思ったんだけど、
なにかできることある?って聞けばよかった。
慰める言葉や同情の言葉、幸運を祈る言葉が薄っぺらくてうまく言えないなら、
なにかできることある?って聞くのがいいよね。
相手が心を閉ざしてたり遠慮したりして
何もないよって言い返されるだけにしても、
何もなくても、ここにいるよという気持ちだけ伝わればいいんだから。
今度からそう言おう。
(→2/23の日記)
なんか今、アメリカ人のキムのことを呟きたくなった。
太った白人の、今でいうオタクな感じの男の子で
韓国人女性と学生結婚してた子のこと。
キムはアメリカ社会では全然受け入れられなかった。
容姿も頭脳も運動もそこの基準ではダメで、女の子にも全くもてなかっただろう。
むしろ、気味悪がられ、からかわれいじめられてきたのだろう。
それで、アジアに興味を持った。
何かきっかけがあったかもしらないけど、とにかく。
そして、韓国の女の子と知り合い、おそらく初めてちやほやされたのだと思う。
20年以上前の韓国では、多分白人というだけで、
憧れられたりすることがあったかもしれない。
恋愛をしてスピード結婚。
彼女の姓キムで、自分をよんでくれ、と言ってた。
でもスピード結婚のあと、わたしがキムと知り合った頃はもう
離婚話が進んでいるところだった。
彼女はグリーンカードが、ほしかっただけだったようでした。
キムは結局、みんなの笑いものになった。
アメリカ人と、アメリカ人の価値観を持った韓国系アメリカ人ばかりの学部で、
あらゆる学生に嘲笑われるか、バカにされながら同情されるか、してた。
そこでは、英語が下手で変わり者で
数少ない日本からの留学生のわたしもマイノリティだったけど、
なぜかやたら仲良くしてくれる子たちがいて、
遠巻きに嘲笑われるような存在にはならずにすんでいた。
でも、そうなってもおかしくなかったし、
他人事ではない気がするし、
それでそういうキムが少し気になっていたのでした。
だけど、キムと友達になりたいとも思ってなかったし、なろうとも思わなかった。
それはまわりの目に関係なく、
自分にとって特に興味深い相手じゃなかっただけのことだけど、
だから、せめて少しでも彼の状況をよくしよう、ともしなかった。
彼のことをまわりの女の子たちに聞くと、みんなざっとその事情を言ったあと、
でも関わらない方がいいよ、と言うし。
そうして、彼を避ける若くてかわいくて残酷な女の子たちと一緒に、
わたしも彼にはほとんど、関わらなかったし、
口をきいたことも、一度か二度しかない。
でも忘れられない光景があるのです。なんでもない光景なんだけど。
1987〜8年オリンピック前のソウルの大学で
アメリカ人か韓国系アメリカ人がほとんどの、留学生受け入れ学部の
ある授業の終わった時間、学校の廊下を通ると誰も残ってないクラスに
キムがひとりだけ残って座ってた。
何をしてたのかなぁ。
その頃,結局離婚されて、キムはひとりアメリカに帰るという噂があった。
奥さんはもうアメリカに移住?しちゃってて、
ソウルにはキム一人だった。
しゃべったことはほとんどないけど、
あんまりいつも寂しそうで、気にはなってたし
その日はもう学期の最後頃で、
キムに会うのも最後かもと思ったので、声をかけたのでした。
キムに声をかける人は誰もいなかったのに、わたしが声をかけても驚く風もなく、
何?という感じで顔をあげた。
アメリカに帰るって聞いたんだけど、というと、うん、と静かに答えた。
若い頃から人のプライバシーには慎重で、
本当によっぽど向こうから話したそうじゃない限り、
自分からは聞かないタイプのわたしだったけど、思い切って
離婚するの?って聞いた気がする。
キムはやっぱり静かに、うん、と答えた。
彼女がそうしたいって言うんだよ。彼女が言うんだよ、と繰り返した。
彼女は僕を好きじゃないんだ、と続けたと思う。
誰もいない教室で、こんなつらい思いをしてこんなに寂しそうにしてる人を、
ほっとけない気持ちでいっぱいになる。
でも、こういうときわたしは本当に何も言えないのだ。
英語では便利な言葉、I'm sorry(残念だね)があるけど、
そのあとが続かない。
ひとが本当につらい気持ちでいる時に、
すらすらと慰める言葉を言えないのは今も同じです。
誰かを亡くした人とか、どんな慰めも全然届くはずがないと思う。
でも言わないとわかんないよねとも思う。
相手が慰めの言葉を求めているときだってある。
そう思っても、わたしにはできないのです。
ハグしてあげればよかったと今は思う。
でもハグするほど近しくもなかった。
せめて自分は敵ではない、ということだけでも知らせたいのに、
それができなくて、
じっとキムの横に立ってた。
グッドラックとさえ言えなかった。
絶望してる人に,その言葉は無責任すぎ、幸運は遠すぎる気がした。
キムの座ってた教室、キムの着ていたTシャツ、
何も言えないで馬鹿みたいに横に立ってるだけで、
キムにはおそらく何も伝えられなかった自分、という光景を
いつまでも忘れられないのです。
口に出さないと通じないときでさえ、
そこに上っ面のものがあるかもしれないと思うと、
何も言えなくなるのは自分勝手な潔癖です。
相手がほっといてもらうことを必ずしも欲してないこともあるだろうに。
自分の潔癖を優先させてしまうのだと思う。
キムと会ったのは、それが最後だったと思う。
友達でさえなかったし、しゃべったことさえほとんどなかったけど、
アジア好きのキムはわたしのことは怖がってなかったと思う。
他のアメリカ人の女の子たちのことは怖がっていたんじゃないかな。
若い女の子の集団の残酷さって、こわいから。
せめて、彼を笑ったりはしない学生もいたことが
伝わってたらいいなあと思う。
でも伝わってなかった気がするんですよね。
彼も自分のことでいっぱいだったろうし。
こういう状況の人って、自分のことで精一杯だから、
そっと横にいるくらい人のことには気付けないんじゃないかと思うのです。
だからせめてもうひと言何か言えたらよかったなぁと思う。
必死で言葉を探り,いろんな言葉が頭の中をかけめぐるんだけど、
どれも結局言えないんですよね。
まあ、今なら何も言えなくても、
あれこれ考えずにハグできるおばさんになったので、
自分に関しては少しは成長したかもと思います。
・・・・
こういうキムのことを思い出して、ふと思ったんだけど、
なにかできることある?って聞けばよかった。
慰める言葉や同情の言葉、幸運を祈る言葉が薄っぺらくてうまく言えないなら、
なにかできることある?って聞くのがいいよね。
相手が心を閉ざしてたり遠慮したりして
何もないよって言い返されるだけにしても、
何もなくても、ここにいるよという気持ちだけ伝わればいいんだから。
今度からそう言おう。
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