PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



昨日は朝から、流山市内の中学生が職場体験に来てくれました。パチパチ!

掃除などでこき使います。


帰る前に、お互いに質問をし合う時間を作りました。
「将来、何になりたいか?」と聞くのはあまり面白くないので(聞いたけど^^;)、「将来、どんな大人になりたいか?」と聞きました。


「幸せになりたい!」
「ふーん。ちなみに幸せってどういうこと?」
「え、、、」
「橋本環奈になれたら幸せ?宝くじに当たったら幸せ?」

中学生になると、こういう問いかけに真剣に考えて答えてくれるので、私も非常に学ばせてもらえます。できたら1日中、話していたいくらい。

「死んだら天国に行くって言ってたよね。じゃあ天国ってどんなところだと思う?(ホントは浄土だぜ、とは言わない^^)」
「未来の国、、、、みたいな感じ?」

死後の世界がユートピアになるかディストピアになるかは、その人がこれからどうやって生きるかが決める。だとしたら、死後の世界は未来の国って、、、、、いい線いっているかもしれませんね!






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第2回ながフェス『ノスタルジックecoパーク』が12月4日日曜日に開催されます!パチパチ!
イトーヨーカドー流山店の屋上駐車場を利用した、1日限りの屋上遊園地にPRINCOちゃんが出演いたします。ヒューヒューパフパフ~


自家用車で来れちゃう駐車場付きの企画です。ぜひ大勢のご来場をお待ちしております!
私は午前と午後に1回ずつのショーですが、もちろん、全く違う内容にします。どうぞお楽しみを~(^ω^)



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『弘法大師の足跡を辿る』シリーズ、ラストは神泉苑です。パチパチ!

神泉苑(しんせんえん・高野山真言宗)京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町

御所清涼殿の八宗論と並んで、お大師さまの超人伝説として語られる場所です。
天長元年(824年)に西寺の「守敏」と東寺の「空海」が祈雨の法を競い、空海上人が勝ったと言われ、それ以来、池が枯れることが無いのだとか。
他にもかつて、源義経が、雨乞いの舞を舞う白拍子の静御前を見初めたのがここであるとか、醍醐天皇が行幸になったときに、居合わせた鷺に五位の位を賜ったことが「ゴイサギ」の名前の由来であるとか、数多の伝説伝承がある地でもあります。
以前は池をぐるっと散策できたのですが、令和4年10月時点では、4分の1ほどが通行止めになっておりました。


『弘法大師の足跡を辿る』シリーズ、お付き合いありがとうございました~。


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東福寺奥之院にて鰭ヶ崎大仏の開眼法要でした。パチパチ!


わい 「流山大仏でいいんじゃないすか?」
ご住職「いや、流山と言っても広いから…」
わい 「もういっそ千葉大仏で」
ご住職「それ、さらに広くなってるから!」

ということで、東福寺ご住職のご意向は「鰭ヶ崎大仏様」だそうです。
以前にも書いておりますが、仏さまの身長は丈六といって4.8m。それより大きなものを「大仏」と呼びます(坐像の場合2.4m以上)
この10年ほどで流山市には一気に、豊四季霊園の「十一面観音」、円東寺の「流山立木観音」、東福寺奥之院の「鰭ヶ崎大仏」と3つの大仏が出来ました。流山のお寺、盛り上がってますー。

いずれ、この3つの大仏をお参りする歩き巡礼ができたらいいなと思います。
南流山集合、おおたかの森解散で3時間、食事を入れても4時間程度かと。

東武鉄道なんかは積極的にウォークラリーをやっておりますので、首都圏新都市鉄道株式会社(つくばエクスプレス)もぜひご検討いただけたら。
不肖私めが謹んで先達を申し受けます~



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明日の東福寺奥之院での大仏開眼を前に、現場習礼です。パチパチ!





~本日の〇〇食堂(おおたかの森子ども食堂)スタッフミーティング覚え~
・オイル&クイーン(ロイ・ウォルトン)
・アンビシャスカード(ダイ・ヴァーノン)
・デイ・ドリーム
・ハングリーキャット(DPグループ)
・トライアンフ(ダイ・ヴァーノン)
・割りばし
・ジップロック(リー・アッシャー)


、、、だいぶやったな(^^;)

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流山市議会議員選挙および流山市長選挙の日程が令和5年4月16日(日)告示、令和5年4月23日(日)投開票となったそうです。パチパチ!
前回、平成31年のときは、市長選も市議選もハラハラドキドキ感はなく(市議の定数28に対して、候補者は30人のみ)、投票率も5割を切っていました。

「どこそこに〇〇を作れ」とか「あのシステムは変えるべき」とか、いろいろ意見を言いたいのなら、、、、さすがに立候補しろとは言いませんが、せめて自分の「推し議員」を作って、より良い流山市にしないと。ねえ?

私個人はお寺の住職として、変えて欲しい条例がいろいろありますし(何かはナイショ^^)、個人としても、おおたかの森から流山本町への公共交通機関をより便利にして欲しい、どうせ一緒に燃やしているならプラゴミと可燃ごみをひとまとめに収集して欲しい、、、、とかいろいろあります。
ちなみに議員のお給料はもっともっと高くていいと思います。その代わりそれに見合った優秀な人、せめて、魅力ある人になって欲しい。こんだけあちこちの自治体から注目されている流山市なんだから、組織票で大勢が決まるような選挙になって欲しくはないです。


今年は、これまで以上に政治と宗教の話が俎上にのりました。
「そもそも政教分離だからさあ!」なんて言う方がいますが、本来の政教分離とは、「信教の自由(特定の宗教を信仰しろとか強要されないよ)」と「公金を特定の宗教のために使っちゃだめよ」ってことであって、政治家が宗教者や団体と仲良くしてはいけないってことではないですよね?
アメリカでも、大統領就任式で新大統領は聖書に手を置いて大統領として最善を行うことを神に誓い、「So help me God(神よ、ご照覧あれ)」と宣言を締めていますし、政治家が考えのバックボーンに信仰を持つことはいいことだ、と思います。


ただ、、、、特定の宗教団体とのみ仲良し、あるいは他の宗教もしくは宗教自体を否定というのは、どうかと思いませんか?



おまけ~
しばらく寺を空けていて、失礼しました。『竜とそばかすの姫』の聖地巡礼に行っていました(ウソ)

高知市帯屋町の壱番街



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高雄山を下って、京都御所へ。パチパチ!

かつては限られた機会にしか見学ができなかったそうですが、平成28年(2016)秋より通年公開が開始されました。
予約不要ですが、手荷物の検査などがあります。写真は撮ってもいいけどSNSなどに載せないでくださいと言われました。ぐっすん。
ですので、外から撮った塀の写真のみで失礼。



私たち一行は1日4回のガイドツアー(各回先着20名限定)に申し込みました。説明を受けないと、やたらと広くてやたらとでかいだけで「何だか全然分からない」と思いますので、参加をおススメします。
例えば、宮中の建物の蔀戸(しとみど)金具には、それぞれに小さな蝉の細工が取り付けられているんですが、「これは、蝉は飛び立つ時に必ず鳴くことから、『扉を開けると音が鳴るよ』という、盗人除けのまじないなんです」とかいろいろ興味深いお話が伺えます。


ここは何と言っても、弘法大師空海上人の超人伝説『清涼殿八宗論』の舞台です。
「YOU!真言宗がそんなにすげえなら、実際に即身成仏とやらを見せてくれYO!」と言われ、天皇陛下や居並ぶ各宗派の高僧たちの前で、弘法大師が手に印を結び、口に真言を唱えると、みるみるうちに身体が金色に輝きだし、、、、というあれです。
まあ、だいぶ脚色されていると思いますが(^^;)



ガイドツアーは50分間と開始前に説明を受けましたが、毎日時間通りにきっちり案内をされているであろうベテラン職員さんが「15分も超過してしまい失礼しました」というほどのサービスっぷり。
まあ、見た目も質問の内容も、どっから見ても坊さんの団体でしたからねえ(^^;)


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今回は神護寺篇です。パチパチ!

神護寺(じんごじ・高野山真言宗)京都府京都市左京区梅ヶ畑高雄町


石段をえっちらおっちら上ると、ようやく山門が見えてきます。




金堂




手前から五大堂、毘沙門堂。木で隠れて見えませんが右奥に大師堂。




山内でご案内いただいた若い役僧さんのお話によれば、「私の足で、ここ(神護寺)から嵐山の大覚寺まで、一時間少々です」とのことでした。大覚寺の前身は、嵯峨天皇が晩年を過ごされた離宮・嵯峨院であり、大師が神護寺(高雄山寺)から、しばしば嵯峨天皇に会いに行かれたことが納得できます。
我々真言僧侶が冬になると首回りに着ける「帽子(ぼうし)」ですが(僧帽筋の語源)、これは嵯峨天皇が厳寒期に、自ら着用している衣の袖を取り外し、防寒用の襟巻きとして、お大師さまへ下賜されたことを起源とします。実際にどこで、そのような故事があったのかは明らかになっていないのですが、やはりどうもこの大覚寺(当時は嵯峨院)と神護寺(当時は高雄山寺)のあたりなのだろうなと。



地蔵院からの景色。虹に向かって、かわらけ投げをしました。

売店のお姉さんが「かわらけ(お皿)の向きを逆にするのがコツどすえ」と教えてくれました。するとフリスビーのように揚力が起きるのだそうです。

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弘法大師の足跡を辿るツアー、奈良から京都へ移ります。
まずは乙訓寺です。パチパチ!


乙訓寺(おとくにでら・真言宗豊山派)京都府長岡京市今里



推古天皇の勅願を受けた聖徳太子が開いたとされ、京都最古とされる広隆寺(推古十一年[603]創建)と同時期の創建という古刹。弘仁二年[811]にお大師さまが別当となり、ご在住されました。
その翌年には天台宗の開祖である最澄上人がここを訪れ、初めて両雄が相まみえ密教についての法論を交わしたと記録が残ります。
やがて、神護寺での灌頂(既に僧侶として高い地位についていた6歳年上の最澄上人が、お大師さまの弟子になる)、理趣釈経借覧の件へと繋がる一連の交流と断絶のスタートがここだったんですねー。しみじみ。

理趣釈経借覧の件とは、書物を読むことで密教を学ぼうとした最澄上人に対し、お大師さまが「何してんだよ?映画館の暗闇で、そうやって腰かけて待ってたって何にもはじまらないよ。書を捨てよ、町へ出よう!」、、、ではなくて、「あなたは勘違いをしておられる。仏教、とりわけ密教とは机上で学ぶものでは無いよ。」と諫めた、という事件です。しかも、最澄上人が後継者と期待していた愛弟子の泰範(たいはん)が、自分の元を去り、まさかお大師さまの弟子になってしまうという、、、、こうして二人の交流は断絶してしまいます。

断絶といっても、別にケンカしたわけでは無い。それぞれの行くべき道を歩んだだけだと私は思っています。

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急に寒くなりましたねー。パチパチ!
今日は霊園でご法事だったんですが、最近はホントいろんな変わった墓石や彫刻が増えたなあと思います。

浄土真宗の法名が墓誌に刻んであるのに、棹石に「天国」と彫ってあったのにはズッコケました(^^;)
石材業者は、ご商売ですから何でも好きなものを彫ってくれるとは思うのですが、キラキラネームと一緒で、誰にも意見を聞かないで決めると、、、、、危険です。石だけに直せませんから。

ちなみに仏教では「天」という言葉を使っても、天国という言葉は使いません。あくまで「浄土」です。阿弥陀様の浄土の場合、極楽もしくは極楽浄土と言います。
天國だったら、天ぷら屋さんかな?ってなるんだけどなあ(ウソ)

お施主さんからは「細けえこと言うなよ!仏教でも神道でもキリスト教でも、何でもいいんだよ!」と言われそうですけど(^^;)





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