できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

やっと2月23日放送分のプリキュアを見ることができました。

2020-02-29 08:21:20 | プリキュア話

おはようございます。

例の臨時休校問題等々で、いまはなにかと世の中が殺伐とした雰囲気。

(この臨時休校問題と、昨日、加害教員らへの懲戒処分が出された例の神戸の教員間いじめ問題へのコメントは、今後、少しずつ、ブログ記事に書いていきます。)

なので、少し気分を変える意味でも、2月23日放送分のプリキュアの話を書いておきますね。やっとさっき録画を見ることができましたので。要点を5点にまとめておきます。

(1)この2月23日放送分のプリキュアから、いよいよ3人目のプリキュア・キュアスパークルが登場します。初回からずっと見ていた人はもうおわかりのとおり、平光ひなた=キュアスパークルです。
ひなたは動物病院を営む兄・ようた、動物病院の隣でカフェを営む姉・めいとともに暮らしています(ここで「父母はどうなったの?」と少し疑問がわくのですが)。

ひなたは動物好きのやさしい子ですが、他方でかなりそそっかしい性格で、何かに夢中になると他のことを忘れる感じです。また、かわいい服とかメイクなんかに関心のある「いまどき」の女の子って感じです。

このへんは、物静かでかしこそうな旅館の若女将の娘・ちゆ=キュアフォンテーヌと何かとぶつかりそうですね。実際、3月1日放送予定の次回予告では、ちゆとひなたの関係でいろいろありそうなことを言ってました。

(2)そのひなたですが、大急ぎで友達のところに向かう途中で、自分のパートナー探しをしている妖精のニャトランに出会います。ニャトランはひなたが落としたリップクリームを届けたのですが…。ひなたは「しゃべるネコ発見!」と喜び、動物病院に居る兄のところへ。

その兄のところにはたまたま、のどか=キュアグレースがちゆとともに、子犬のラテ(=ヒーリングアニマル)の具合がわるいので、診察してもらうために来てました。そこへニャトランを連れてひなたが来たので、プリキュアの正体がばれたらまずいと思い、3人で隣のカフェへ。

ひなたはそこでのどか、ちゆに「ニャトランが見世物にされたらかわいそうだから、保護したい」と伝えます。でもそのとき、友達と「ゆめポート」(ショッピングモール)に行く約束をしていたことを忘れていたことに気付きます。

(3)大慌てで「ゆめポート」に行き、2人の友達と合流したひなた。そこには、遅れた理由を代わりに説明してあげるために、のどか、ちゆもついてきます。もちろんニャトランたち妖精やラテもいっしょです。
そこへ、ビョーゲンズのひとり・グアイワルが登場。服のお店にあった鏡をメガビョーゲンにして、「ゆめポート」を攻撃しはじめます。その攻撃から逃げる途中で、ひなたは2人の友達に合流します。

(4)ただ・・・。その2人の友達がのどか、ちゆが怪物の方に向かったというので、ひなたはニャトランとともに怪物の方へ。そこではグアイワル、メガビョーゲンと、変身後のキュアグレース、キュアフォンテーヌがたたかっているところでした。その様子を見て…。ちゆがひとこと「かわいい~!!!」。敵も味方も思わず、脱力です。

でも、再び攻撃をはじめたメガビョーゲンに、キュアグレース・キュアフォンテーヌが苦戦、とうとうつかまってしまいます。そこで「二人を放しなさい!」とひなたが叫び、メガビョーゲンに突進。
そのメガビョーゲンに向かっていくひなたの姿を見て…。ニャトランの肉球が反応。「ひなたが気にいった。いっしょにプリキュアに。ビョーゲンズから地球を守る、大切なものをいっしょに守る」等々といって、ニャトランがひなたをプリキュアに誘います。

それを受入れて、ひなたがキュアスパークルに変身。そして「たおすのではなく、浄化する」とニャトランに言われて、メガビョーゲンのからだのなかにあるエレメントを見付けて、それを救い出し、無事に浄化します。

(5)ラストの場面では、「たたかうお医者さん。3人でお手当」といって、のどか・ひなた・ちゆの3人で、これから妖精さんたちをパートナーとして、プリキュアとしてがんばっていこうと確認します。
また、「ゆめポート」で離ればなれになってしまった友だちに再会。「ひなたが予定どおりいかないのは、いつも想定内」と言われてしまいます。

そして、ひなたと2人の友だちとでお姉さんのカフェに行こうという話になって・・・。ひなたに「プリキュアの話はないしょ」と言い忘れたことに気付いたのどか・ちゆが後を追いかける。そんな場面で今回は終わりました。


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新聞記事等から調査報告書の要点と課題を読み解く【2】(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-02-26 21:41:12 | 受験・学校

新聞記事等から調査報告書の要点と課題を読み解く【1】(神戸・教員間いじめ問題関連)

先日は上記のとおり、神戸新聞の2月21日~22日あたりの記事を中心に、【1】を書きました。

今回は別の新聞社の記事で、気になったものをとりあげて論評しておきます。

ただ、その前に、朝日新聞の配信した次の記事が気になったので、先にコメントをします。

加害側30代教諭、懲戒免職処分へ 教員間暴力 神戸市教委(朝日新聞(有料)配信記事、2020年2月23日)

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14376529.html?iref=mor_articlelink02

有料記事なので詳細が読めない方もおられるかと思いますが・・・。一応、概要を説明しますと、この記事は教員間いじめ問題の調査報告書提出を受けて、神戸市教委の加害教員4人と当時の管理職への懲戒処分の見通しについて書いてあるものです。

しかも、加害の事実認定について、程度の重い方から順に1名は懲戒免職、1名は免職か停職、1名(女性)は停職か減給、1名は減給か戒告、当時の管理職(校長)は停職か減給、現校長は戒告以上と、かなりこの記事では具体的に処分内容の見通しが綴られています。

一応、この記事では「市教委は今後、処分対象者の弁明を聴き、外部の弁護士らでつくる分限懲戒審査会の意見もふまえ、処分を最終決定する市教委会議に処分案を提出する」とのことですが・・・。

でも、この記事、「2月中にも、加害側の教諭4人のうち、最も多くの加害行為があったとされる30代の男性教諭を懲戒免職処分とする方向で調整していることが、関係者への取材でわかった」という書き出しなんですよね。

では、この取材対象となった「関係者」っていったい、誰なのか? なんの意図があって、マスコミにたいしてこのような重大な情報を語っているのか? 神戸市教委のこの「関係者」って、分限懲戒審査会や市教委の会議を待たずに、まるで「世論操作」でもするかのように情報を流すのか?? なんなのだ、この不可解な動き? そして、そこにまったくの疑問もさしはさまない取材陣・・・。 

と、このように私、思った次第です。いいのでしょうか、こんな重要情報をマスコミに先に軽くしゃべってしまう神戸市教委「関係者」って・・・?? 取材陣も、「この情報、なにかの意図があって流しているのか?」と思わないのでしょうか・・・??

私などはこういう記事を見てしまいますと・・・。例の「評判リスク管理」の観点から、市教委は「加害教員の懲戒免職処分やむなし」という世論を煽りたいのか、それとも逆に「加害教員4人全員を懲戒免職にするのは無理ですよ。このあたりが懲戒処分の妥当なラインですよ(だから、あんまりむちゃくちゃ騒がないでください)」というかたちで、世論の「沈静化」をかけようとしているのか。どういう意図があるんだろう・・・? そんな風に読み解いてしまいますね。私は後者のように読み解いたのですけどね・・・。

では、ここからは本題の調査報告書に関する記事へのコメントです。今回は上記の続きで、朝日新聞の記事で見ておきましょう。

(1)神戸の教員間暴力、125件 ハラスメント含め、調査委が認定 「管理職が空気、助長」(朝日新聞(有料)配信記事、2020年2月22日)

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14375222.html?iref=pc_ss_date

(2)校長はプチヒトラー 教諭、被害を相談できる空気なく (朝日新聞(有料)配信記事、2020年2月21日)

https://digital.asahi.com/articles/ASN2P6Q4FN2PPTIL01J.html?iref=pc_ss_date

(3)教員間暴力「ハラスメント容認の空気」 調査委が指摘 (朝日新聞(有料)配信記事、2020年2月21日)

https://digital.asahi.com/articles/ASN2P535ZN2LPIHB027.html?iref=pc_ss_date

(4)「一日も早く教壇に」 被害教諭から子どもへメッセージ (朝日新聞(有料)配信記事、2020年2月21日)

https://digital.asahi.com/articles/ASN2P54CGN2PPIHB00N.html?iref=pc_extlink

この4本のネット配信記事からわかるのは、「朝日新聞は比較的、冷静なトーンで調査報告書の概要を紹介している」ということです。神戸新聞よりは「扱いが小さいのかな?」と思ったりもします。

また、この4本の記事のうち(1)~(3)に対して思うことは、すでに前回【1】で、神戸新聞の記事へのコメントをブログ記事にまとめた際にも書いたようなことばかりです。

つまり、「具体的な事実経過の検証に力点を置いた弁護士らの調査報告書に即して記事を書くので、どうしても加害教員や管理職らの行為のひどさに焦点があたってしまって、その背景要因や構造にまで踏み込んで記事を書いてはいない。調査報告書そのものの弱点が、記事にまで出てしまっている」ということです。

それこそ、(2)の記事には「校内で横行していた加害行為の実態を詳しく伝え、「どこでも起こりうること」として、学校現場や市教委の改革を求めた」とあります。「どこにでも起こりうること」とは確かに私は思います。でも、実際にはここまでひどいか、その手前の段階のことが「起きている」学校と、そうでない学校があります。そのちがいはなぜ生まれてくるのでしょうか?

片方に世間で評判を呼ぶような学校改革を行い、著書が売れてベストセラーになったり、ドキュメンタリー映画がつくられたりするくらいの有名な校長がいて、他方で暴言などの絶えないような校長もいる。あるいは「教員間いじめ(加害行為、ハラスメント・・・といろいろいいうるわけですが)を横行させるのも、させないのも校長次第」になる。そのくらい、「校長に大きな裁量、権限が与えられている」という構造や背景要因自体を問わないと、今後、かなり「危うい」のではないかと思うのですが・・・。

あるいは前校長について、(2)の記事では「統率力を評価されていた一方、威圧的・高圧的な言動が多かった」とのことですが、その「統率力」を評価してきたのはいったい、誰なのでしょうか? 現場の教職員でしょうか? 同じ管理職仲間でしょうか? それとも神戸市教委でしょうか? 地域の人々や保護者でしょうか? 「文句言わずに黙って私に従え」という前校長の「統率力」を容認してきたものがなんだったのか。それこそ「上意下達」の学校、そして神戸の教育界をつくることを「よし」をしてきた人々が、どこかにいたのではなかったのか。そういうことも問われる必要があると思います。

それこそ、管理職たる校長が横暴なことをしていても、職員会議が校長にブレーキをかけうるような位置付けで学校管理規則がつくられていたら、また状況はちがったかもしれませんが・・・。今の神戸市教委の学校管理規則では、校長はどのような権限を持っているのでしょうか? (もっというと、今の教育法令上の校長の権限との関係はどうだったのでしょうか?)

・・・なんか、こういう「背景要因や構造」をつくってきたものについて(=そのなかには、当該の学校をとりまく環境的な諸要因に加えて、市教委の諸規則や今の教育法令上の問題もあると思います)は、あまり考察がなされていないような印象なんですよね。それよりは、歴代の管理職たちの行為を、加害教員らの行為と同じく「現象」的にとらえて、その段階で調査・検証が終わり、掘り下げた考察へと至っていないような、そんな印象を受けてしまいました。

あと、もう一つ気になるのは、被害教員からの「復職」を願うメッセージを代理人弁護士が公表している件です。ご本人の了解を得て公表しているのであろう、ということを大前提にして書きますが・・・。

「復職に向けての話し合いを、ご本人と代理人弁護士、主治医、市教委との間で、今後、どのようにすすめていくのか? そこで上手に合意を形成して、ご本人の心身の回復ペースにあわせて勤務できるような環境を整えていく必要があるのだけど、そういう準備、はじめているのだろうか? また、そういうご本人の回復ペースをよく理解して、適切にサポートができるような管理職・教職員集団を準備していかなければならないのだけど、そこ、市教委は分かっているのだろうか? それこそ、当該の学校に復職させるのか? それとも別の学校から職場復帰させるのか? どういうつもりなのだろう?」

ということについて、どうしても私、気になってしまいました。

無理に復職を急いでかえってこじらせてしまったり、復職後の職場環境になじめないで再度休まなければいけなくなってしまう・・・なんてことだけは、とにかく回避してほしい。ゆっくりと、ご本人の回復のペースにあわせて働き方を柔軟に変えられるように。そういう職場環境を整えてほしい。そのことを、市教委に対しては強く、願いました。


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学校や教育行政の「小さな変化の兆し」を見逃さない感性を持つこと

2020-02-26 16:25:51 | 受験・学校

このブログを見ている人は、たとえば神戸の教員間いじめ問題に関するブログ記事などを読んで、私が学校や教育行政のあり方に対して、なにかと厳しい態度で臨んでいると思われていることかと思います。また、このブログを読んで、たとえば神戸市教委の上層部、さらには市長などに対して、厳しい批判的な意見を述べていることに対して、「よく言ってくれた」と思っている読者もいるのではないかと思います。

ただ、私は一方で学校や教育行政に対して厳しい意見も言いますが・・・。同時に、学校や教育行政がなにか変わろうとしている「小さな兆し」も見過ごしてはいけないと思っています。それは、神戸の教育界についても同じです。

たとえば、次の記事です。この記事は毎日新聞のもので、神戸市垂水区の中学校でおきたいじめの重大事態再調査の「その後」に関する記事です。私の印象ではこの間、毎日新聞は他の新聞と比べて、神戸の教育界で起きた諸問題を冷静に伝えようとしている感じがしています。この記事でもそうですね。

神戸いじめ和解・遺族の思い 防止策実践、切に願う /兵庫 (2020年2月26日、毎日新聞神戸版)

https://mainichi.jp/articles/20200226/ddl/k28/040/246000c

中3いじめ自殺、和解へ 神戸市が解決金2000万円 (2020年2月26日、毎日新聞東京朝刊)

https://mainichi.jp/articles/20200226/ddm/012/040/095000c

この2つの記事からわかること、いじめの重大事態対応を見守りつづけてきた私にとっては、きわめて重要です。と申しますのも、「現行のいじめ防止対策推進法のもとでも、調査―再調査というプロセスをきちんとふんで、遺族と行政との対話がすすめば、少なくとも行政を相手とした訴訟には至らない」ということ。「その先例がひとつ、あの神戸市でできた」ということなんですよね。

もちろん、再調査委員会の報告書に盛り込まれた数々の提言を、今後、どういうプロセスで神戸市及び神戸市教委が実施していくのか。そこは当然、問われることになります。

でも、これについても、加古川市教委が現在行っているようなプロセス(教育行政が再発防止のプランをつくって実施し、外部の評価委員会が点検・検証する)を使うということ。そのことも、私の耳には入ってきています。

この「再発防止策の実施」という点についても、少なくとも「調査(再調査)委員会の報告書が出たあと、それはどこか宙に浮いたものになってしまって、あとはなにもしない」というような他の自治体のケースとは、やはり「あの神戸市、一線を画している」ということになります。

ここで少し「いじめ防止対策推進法」の改正問題に関連して言えば・・・。私は前々から「法改正論議の前に、現行法の解釈と運用のあり方や、現行法にもとづいて学校現場や教委レベルで具体的に誰が、何をすべきなのか、具体的な事例を積み上げて議論をするべきではないか?」と思ってきました(もともとこの法律の制定自体にも疑問はありましたが、その点はいったん脇に置くとして)。

神戸市垂水区の中学校でのいじめの重大事態についても、確かに再調査を必要とするようなメモ隠蔽問題等々、事態発生後からの神戸市教委や当該の学校、そして最初の調査委員会の対応には、少なくとも遺族側から見て問題が多々ありました。

ですが、その後、再調査が行われ、報告書が去年の春に提出されました。そして今は再発防止策の実施に向けて着々と取り組みがすすむとともに、上記の新聞記事によりますと、遺族と学校関係者、他の子どもの保護者との間で、このような取組みもおこなわれていたようです。

「再調査委の報告後、当時の娘の担任や校長などと面談をし、話をする機会を与えてもらった。加害生徒とされた生徒の保護者の一部とも面談し、一部の方からは謝罪の言葉もいただいた。それぞれの立場で教訓を今後に生かしていただければと願う。」

いかがでしょうか? 「教員間いじめ」の起きた学校とは当然、ちがいますが、このような遺族と当時の教職員・管理職や、いじめていた生徒とその保護者との「対話」を促し、謝罪の機会をつくるところまでもっていったのも、神戸市内の公立学校の取り組みですよ。

一方に問題の多い学校もありますが、他方で「神戸の学校には、ここまでのことをやっていける可能性もある」ということです。

そして、「いじめ防止対策推進法」もいまの法律の枠組みのなかで、その解釈と運用次第では「ここまでのことができる」余地があるわけです。

いま、各地でいじめの重大事態をめぐって、遺族や被害にあった子ども・保護者と学校・教育行政が対立したり、場合によれば訴訟にまで発展する事態があって・・・。それゆえ「法改正」で「学校や教委の対応に枠をはめ、できなければ厳罰を」「加害におよんだ子どもにも厳罰を」という流れがあるようですが。でも、その前に、いまの法律の枠内で「対話」や「関係修復」を行うことを前提にして、もっとそのノウハウを積み重ねて、理論と実践を豊かにしていくような道筋もあるように思うのですが。

ちなみに、前にも書きましたが、私はこの神戸市垂水区のいじめの重大事態再調査について、再調査委員会運営のあり方についてのアドバイス(レクチャー)というかたちでかかわりました。このとき、私は「亡くなった子どもの記憶」を核にして「学校コミュニティを再生する」ことを目指した調査をしてほしい、という話をしました。また、そのときの話の趣旨に近いことを、最近出版した『「いじめ防止対策」と子どもの権利』(かもがわ出版、2020年)に書きました(いつも調査(再調査)委員会レクチャーで話をしていることなので、当然ですが)。

再調査委員会の報告書提出後も、たとえば2019年度の神戸市教委の指導主事対象のいじめ防止研修や、管理職(教頭職)対象の危機対応研修などにも「講師」のかたちでかかわりました。

なので、神戸市教委のなかにも、神戸の学校現場にも、少しずつ「このままではいけない。なにか変えたい」と思う人たちがいることを知っています。

また、学校現場の教職員のあいだからも、たとえば地元教組のみなさんを中心に、いま「なにか変えたい」と動きはじめている人が出始めていることも知っています。

そして、一部の保護者や地元の住民のあいだからも「なにか、できることはないか?」と動きはじめている人が出始めていることも知っています。

市議さんたちのなかにも、「なにか、いま、学校や教委を変えるために動きたい」と思っている人がいることも知っています。

こういう「いま、神戸の学校や教委を変えたい」と思う人々の動きは、たとえば新聞やテレビの報道内容、あるいはSNSの動きを追っているだけでは、なかなか目につきません。地元・神戸を歩き、いろんな人に出会ったり、逆にいろんな人たちに声をかけてもらったり、メールをいただいたり・・・ということがあって、はじめてわかることです。

私としては、神戸の教育界はもちろん、大阪・京都・阪神間ほかの兵庫県内、そして主に近畿圏を中心に、こういう「小さな変化の兆し」を見逃さず、その変化の兆しを大事に、大事に育てていく活動に取り組みたいなと思います。

そして、このような「小さな変化の兆し」を見逃さないためにも、実は「世間が大きく騒いでいること」や、その大騒ぎのなかで生じた「マイナスの感情の渦」から、適切に距離をとること。「あの人たちはけしからん!」とボルテージをあげている人々の流れに時には背を向けて、できるだけクールに、クールに状況を読み解くこと。そのことを今後も大事にしていきたいな、と思います。


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学校や子どもの問題を「ネタ」的に消費せず、「私たちの問題」として受け止めること

2020-02-25 10:06:28 | 受験・学校

先ほどは今朝のテレビの情報番組における神戸の教員間いじめ問題の扱いについて、ひとつ、ブログ記事を書きました。そこで最後のほうに書いた内容をふまえながら、あらためて気付いたことを書いておきます。

私は神戸の教員間いじめの問題に限らず、いじめの重大事態(自死や長期不登校のケース)、「指導死」と呼ばれる子どもの自死、そして学校で子どもが亡くなったり、重い後遺症を負うような重大事故・事件・災害などの問題に研究者として、未然防止に関する教職員・教育行政職員研修の場などで、あるいは調査委員会運営や再発防止策づくり、遺族や被害者家族へのサポートなどの場面で、多々、かかわってきました。(なお、実は保育事故の防止等の作業にも私、かかわっているのですが、趣旨は学校事故・事件や災害とも同じなので、以下の内容は保育の話も含めて考えてください。)

マスコミ報道やSNSなどを通じてのみ、こうした学校での事故・事件・災害に触れる方にしてみると、たしかにひとつひとつのケースに報道等を通じて触れるたびに、「加害者はけしからん!」等の気分が高まってきたり、あるいは「学校や教育行政はなにをしていたのか!」とお怒りの口調になったりするのでしょう。また、そういう「気分・口調」を高める方向で報道等がなされる場合もあります。

そして、そういうマスコミ報道やSNSを通じた論調と、人々の「気分・口調」の相互作用のなかで、「勧善懲悪の劇場」ができあがってくるのではないかと。また、その「勧善懲悪の劇場」のなかで、「悪者」を誰かが「成敗」してくれて、カタルシスをえる。そういう人々も多いのかもしれません。また、そのカタルシスをえられるような、そんな報道を求めている人々も多いのかもしれません。

ついでにいうと、教育行政からの取り組み(処分や再発防止策づくり等々)も、その「カタルシスをえたい人々」に向けられていて、「実際にその取り組み、再発防止等に効果はあるのか?」と思うようなものも含まれているかもしれませんね。

なにしろ、私のように現実にこれら学校事故・事件・災害の「事後対応」や「未然防止」の諸場面に、それこそ「実務的」な場面でかかわっておりますと…。

上記のような「勧善懲悪の劇場」がつくられて、「悪者」を誰かが「成敗」してカタルシスをえるような流れって、「それって、事故・事件・災害にまつわる人々の嘆き、哀しみ、苦しみを『ネタ』的に消費する行為ではないのか?」と思えてならないのです。

私が日常的にかかわっている学校事故・事件・災害の「現場」で生きている人々は、どの人々も「生身」の人間です。喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも、いいところも悪いところも、それ相応に抱えながら、日々を精一杯生きてきた人たちです。また、これから先も、大きな苦しみや悲しみを抱えながら、それでもなお、精一杯、ここから先の人生を生きていかなければいけない人たちばかりです。それは「被害」にあった人々だけでなく、周囲に居合わせた人々も、そして「加害」に及んだ人々も、事後対応にかかわる人々も、みな同様です。どの立場の人々も、私と同じ「人間」です。

もっというと…。私の勤務する大学(非常勤講師先を含む)で学んだ人たちや、私の受けた研修に出ていた人たちが、あるときは「加害」教員になり、あるときは「被害」教員になったり、周囲に居合わせたり、事後対応にかかわる人々になるかもしれません。そういう私のかかわってきた人々が、学校現場や教育行政の現場で働き、何かを問われる立場にたたされているわけです。

また、すでに調査委員会運営にかかわったり、重大事故・事件や災害の未然防止・再発防止策づくりにも動いていたりする以上、私もまた、教育行政の行う施策づくりにかかわっています。そうすると、なにかあったときに私もまた、誰かからなにか問われるべきものがあるわけです。

あるいは私自身だって娘が学校に通っている以上、どこかの事故・事件・災害などで「被害にあった子ども」や、「周囲に居合わせた子ども」の保護者になるかもしれないし、場合によれば「加害に及んだ子ども」の保護者になるかもしれません。被害者家族や遺族の直面する諸課題もまた、私には無縁の課題ではありません。

さらに、私自身も大学教員のはしくれです。大学で私自身が学生を深く傷つけるかもしれないし、死なせてしまうかもしれない。同時に、大学でなにかの事故・事件・災害にまきこまれて私も亡くなったり、深く傷つくかもしれない。そして、起きてほしくはないですが、大学でなにか事故・事件・災害が発生した場合、私が事後対応の責任者として対応にあたるかもしれません。

このように考えると、私にとって、重大事故・事件や災害発生後に人々から学校や教育行政に向けられた批判・非難のことばは、そのまま、自分(と自分のまわりにいる身近な人々)に対する批判・非難のことばとしても、どこかで突き刺さるわけです。けっして「自分自身のこと」(加えて、自分のまわりにいる身近な人々)を素通りにしたまま、誰かを「悪者」にして「成敗」すればそれでいい、なんて話にはできないんです。「頼むから、『ネタ』的に消費するような話にはしないでくれ」と、率直に思います。

ほんとうに、この学校での重大事故・事件や災害に関する話は、さまざまな立場の人々の生活の再建に向けての七転八倒の苦しみ、哀しみ、葛藤、悩み、嘆き、怒り等々、いろんな思いのつまった話でもあるわけです。「ネタ」的な消費を通じて、粗末に扱われてはならない話のはずです。

「ひとりひとりの暮らしの『再建』をどうみんなで支えていくのか?」とか、「この人たちの苦しみや悲しみをわかちあいながら、共にどのようにこの社会のなかで生きていくのか?」とか。そういう切り口から、今後は学校での重大事故・事件や災害にかかわる話を、マスコミ報道を通じてしていただきたい。また、SNS上で議論をする人々も、どうか、そういう切り口から情報発信をしてほしい。そのことを、私としては切に願います。

最後に一言。この問題を「ネタ」的に消費するのではなく、「これはもしかしたら、私だってそうなっていたかもしれない」問題として、あるいは「これは私がなにか、責任を引き受けて考えていかなければならない」と受け止める人々が増えれば増えるほど、学校(保育)事故・事件や災害にまつわる諸問題については、少しずつでもいい方向を向いていくと思います。そのためにもどうか、「ネタ」的な消費で話をするのは、もうそろそろ、終わっていただきたい。それを、あらゆる方面に向けて発信していきたいと思います。

 

 

 


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今後必要なのは冷静な検証を通した「遅い」情報発信です(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-02-25 09:27:03 | 受験・学校

前にもお伝えしましたが、神戸の教員間いじめ問題については、2020年2月21日付けで、弁護士主体の調査チーム(市教委のいう「調査委員会」)の報告書概要版も公表されていますが、それはそれで後日、読み込みます。

その前に、調査報告書提出後の新聞報道にコメントする作業の続きを…。そういう風に思っていたのですが、先に今日はテレビ(特に東京キー局発)の情報番組のあり方について、ひとこと、言いたいことを書いておきます。

今朝は不愉快な気分です。私は娘を学校に送り出したあと、いつも朝食・朝風呂、そしてNHKの朝のドラマを見ています。

その朝のドラマが終わってチャンネル切り替えたら、某民放東京キー局の情報番組が教員間いじめ問題のことを取り上げていました。そこまではいいとして、今回は激辛カレー動画ではなく、車の屋根の上に載ってる静止画が流れていました。それを見て率直に思ったのは、「いま流すのは調査報告書提出時の会見の様子だけでいいだろう」ということです。

教員間いじめ問題の調査報告書の提出を受けて「教職員の人権感覚が~」という論調をマスコミ関係者は記事や番組で言うわけですが、私にすると、今朝のこういう情報番組見てしまいますと、「その前に、おたくらマスコミ関係者の番組のつくり方の人権感覚も問うべし」と言いたくなります。

賛否はありますが、とにかく神戸市教委が「評判リスク管理」を徹底して、地元の報道を冷静に冷静にもっていこうとしているさなか…。東京キー局はこれですか。地元の人々(子どもを含む)の風評被害とか、被害教員の復職可能性を左右するとか、全く考えてないよなぁ、こういう伝え方。そう思いました。

事実は隠しちゃいけない、オープンにしたほうがいい。そう私も思います。でも、事実の公表を通じて今後、どんな社会的・文化的な環境を整えて、その後の人びとの暮らしの再生をつくっていくのか。そこまで見通した伝え方をしてほしいです。「今が旬や、ええからいてまえ!」的報道は慎んでほしいです。

もうひとつ言うと、「今が旬や、ええからいてまえ!」的な報道が人びとの学校や教委バッシングを煽ることと、それを回避するために学校や教委が「事実を隠す」こととは、セットで常に考えるほうがいいように思います。なので、本当に当事者たちのその後の暮らしの再生につながるような報道を願います。

この教員間いじめ問題について、もう「速報性」はあまり必要ないと思います。それよりは神戸だけでなく日本の教育界全体でこういう問題が「起きる」と考えて、その未然防止と発生時の対応、また、それが起きる背景要因・構造等々について、じっくりと考えるような「遅い」情報発信が必要だと思います。

<追記>

「今が旬や、ええからいてまえ!」的に、誰かに対する加害行為の動画や画像を、マスコミが配信すること。また、動画や画像だけでなく、新聞等の文字媒体で伝えても同様のことが起こる危険性がありますが…。

それって私から見ていると、「誰かをいじめている行為」をみんながそれを見て、何かの「ネタ」として消費しているいう意味では、「第二、第三のいじめ、加害行為」のように思えてしかたがない場合があります。

そもそも「いじめ」という行為のなかには、誰かに対する加害行為を「ネタ」的に消費している側面(おもしろがっているとか、ふざけているとか)があるわけですよね?

報道関係者に、そういう自覚、あるのでしょうか?

もちろん配信している側は、「事実を隠してはならない」という思いで、「とにかく公にこのことを伝えたい」と思って配信しているのかもしれませんが。

でも、もうそろそろ、誰かの加害―被害関係にかかわる事実に対して、そういう「ネタ」的消費を喚起してしまうような伝え方、やめてほしいなぁ。

もっとも、そういう「ネタ」的消費をしてしまう視聴者・読者側に大きな問題もあるわけですけどね。

 


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2月29日(土)「子どもをテストで追いつめるな!大阪集会」の開催について(現時点では実施の見通しです)

2020-02-24 10:35:05 | 受験・学校

前からお伝えしている2月29日(土)の「子どもをテストで追いつめるな!大阪集会」ですが、下記のとおり、主催者側から連絡がありました。今のところは、新型コロナウィルス性肺炎の感染防止に努めつつ、開催する方向とのことです。ただし、下記の連絡にもあるとおり、状況が変化したら「中止」もありえます。参加予定の方は、今後の主催者側からの諸連絡に注意をしてください。

○以下、主催者側からの連絡事項です。

■2月29日の子どもをテストで追いつめるな!大阪集会は予定通り開催します。

集会当日は、主催者側でアルコール手指消毒液を用意します。ぜひ、ご使用ください。また、咳が出る場合はマスクの着用のご協力をお願いいたします。

■発熱や体調不良の場合の出席は見合わせてください。その際は、連絡を頂ければ、後日、集会資料を送らせていただきます。

■今後の国内での感染の拡大は広がる可能性があります。今後の状況によっては急遽の中止の判断もあり得ます。その際は、ブログ、ML、関係者Twitter、FBなどで連絡したいと思います。

なお、この集会の案内そのものは、下記の画像でご確認ください。

私も登壇しますし、当日は拙著『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年)に加えて、新著『「いじめ防止対策」と子どもの権利』(鈴木庸裕・住友剛・桝屋二郎編著、かもがわ出版、2020年)も、会場にて販売させていただく予定です。


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新聞記事等から調査報告書の要点と課題を読み解く【1】(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-02-22 11:29:47 | 受験・学校

昨日も告知したとおり、去年10月から何かと問題になってきた「教員間いじめ」(=「教員間暴力」「ハラスメント」という呼称も使われてきましたが、私は「教員間いじめ」に統一しています)について、神戸市教委の弁護士主体の調査チーム(=これも市教委は「調査委員会」と呼んでいますが、私は「調査チーム」と最初から言って来たので、それに統一します)の調査報告書がでました。

ただ、こちらの方にはまだその調査報告書本体も、概要版も届いていません。今後どこかで公開されるのかもしれませんが…。でも、今の時点で私が入手可能のは、たとえば神戸新聞ほか新聞各紙が配信した記事だけです。そこで、あくまでもこの「新聞各紙が配信した記事からわかる範囲内で」という限定つきで、「教員間いじめ」問題に関する弁護士主体の調査チームの報告書の要点と課題を読み解いてみようと思います。

なお、新聞各紙がこの件を伝えているわけですが、この「教員間いじめ」問題については、たとえば地元紙・神戸新聞と他の新聞(全国紙)との間で、あるいは、他の新聞(全国紙)でも論調がちがっている可能性がかなりあります。なので、その論調の違いにも目を向けながら、議論をすすめたいと思います。

また、一度でブログ記事がおわるとは思えないので、二度、三度…と続いてもいいように、【1】【2】…と表題をつけておこうと思います。

さて、まずは今回は【1】ということで、神戸新聞がさっそく昨日から配信している下記の記事(5件)を参照して、そこからわかる弁護士主体の調査チーム報告書の要点と課題を読み解きます。

(1)東須磨小調査報告 ハラスメントは4教員への行為 (神戸新聞NEXT 2020年2月21日)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202002/0013135484.shtml

まずこの記事からわかるのは、調査チームはやはり「弁護士らしく」ひとつひとつの加害教員らの行為についての事実認定を積み上げていく作業を行った、ということですね。ただ、この記事からはわからないのは、具体的な加害行為がいつ頃からはじまり、どのあたりから繰り返されるようになり…という時系列的な変化です。それこそある時期以後に加害行為が集中的に行われていくようになったとしたら、そこになにか、「教職員集団の雰囲気や人間関係の構造的な変化が現れた」と考えることもできるのですが。

そういう点は調べなかったんでしょうか? 実は今後、同様のケースの再発防止策を考えるために…。たとえば被害にあった教員を早期に「助ける」ことや、加害教員の行為のエスカレートを食い止めるような対応策を考える」上で、こういう「教職員集団の雰囲気や人間関係の構造的な変化」がどこからはじまったのか、その変化のきっかけはなんだったのか等を知ることって、とても重要なことなのですが。

それから、やはり4人名指しされている加害教員のなかにも、予想されたとおり、行為の事実・程度の重い・軽いはあるようですね。だとすると、おそらく懲戒処分を課す場合にも、そのあたりは考慮されるかたちになるように思います。また、前々から言っているとおり、市教委が去年10月末に行った加害教員4人まとめての分限休職処分・給与差し止めという措置の妥当性が、あらためて問われてくることにもなると思います。

なお、調査チームが指摘している次の部分(上記記事からわかる範囲ですが)は、とても重要です。

「動機について、加害教員4人それぞれに異なるとしながらも、「人権感覚の欠如」を指摘。さらに「管理職が主としてつくり上げた職員室全体の雰囲気が、ハラスメントを防止できず、一人の教員を精神的に追い詰めた」と前校長、現校長の責任に言及した。

 背景には、同校にベテランが少なく、6年生を長く担任した加害教員が力を持った▽多忙を理由に他のことに干渉したがらない教員が多い▽市教委でハラスメントに特化した研修がない-などの点を挙げた。」

弁護士さんたちはあまり意識されていないのかもしれませんが・・・。

実は「上記の引用部分って、まさに、神戸市の教育施策の問題ばかり」だし、「国の教育施策の問題でもあるもの」なのですよ。「教員の採用人事の矛盾で特定の年齢層に偏りができた」「教職員(管理職層を含む)への人権研修、ハラスメント研修がないか、あっても弱い」「校務が多忙になることで、誰もが他の教員のことに干渉したがらない」等々。いずれも、神戸市教委が長年やってきた教職員人事の問題ではありませんか(「神戸方式」の問題ではないにせよ)。また、「教職員が多忙化で余裕がない」ような状態に追い込んでいるのは、神戸市の教育施策だけでなく、国の教育施策も背景要因として絡んでいるのではありませんか? だからこそ、この教員間いじめの問題は、「他の自治体でも起こりうる」と言えるわけです。

弁護士さんたちは誠実に事実認定をされたのだろうと思いますが…。その事実から読み取れる背景要因、構造的な課題の検討については、やはり「今一つ、足りない」ものを感じてしまいます。

(2)加害教員免職も視野 市教委、来週にも処分、神戸・教員間暴力 (神戸新聞2020年2月22日)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202002/0013136309.shtml

こちらの記事によると、神戸市教委はすぐに別の会議体を立ち上げて、今回出された報告書の内容をふまえて、加害教員と当時の校長らへの懲戒処分を検討するようですね。また、記事によると、セクハラの疑いのある人を含む2人くらいは「免職」の可能性ありで、あとの人たちは「停職」あたりかも…という推測がなりたちます。

ただ、この記事によりますと、こちらの「処分」は懲戒だから別物という考え方がでていますが…。しかし去年10月末の加害教員4人への分限休職処分・給与差し止め措置の問題で「異議申し立て」がでている現状ですから、はたして本当に「別物」とわけて対応できるのでしょうか?

それこそ、同じ行為事実について、分限処分の不服申立て申請が認められて、市教委の対応がおかしいということになり…。他方で「懲戒処分」はOK」ということになった場合、実際に分限休職処分になった人たち、おさまりがつかないでしょうね。なので、場合によれば、分限休職処分に加えて、懲戒処分に対しても異議申し立てがでてきたり、さらには訴訟が起こりうる恐れもありますね。

この点についても、今後注目をしていく必要があります。市教委側はこの懲戒処分で早く決着をつけたいのかもしれませんが、まだまだ、処分問題は尾を引くように思われます。

(3)職員室で飛び交う「死ね」「カス」 調査委が感じた闇 (神戸新聞2020年2月21日)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202002/0013135977.shtml

こちらの記事には、調査チームの弁護士さんたちの会見時の様子がでていますね。大筋では(1)の内容をなぞった感じになっていますが。

ただ、私が違和感を抱いたのは、記事中にある弁護士さんの次のコメント部分です(新聞記者さんの整理・要約が入っているとは思いますが・・・)

「「全貌を解明できたかは分からない」とし、「それなりに闇があるなと感じた」とも話した。」

まず、この点について。「それなりに闇がある」と思われたうえで、なおかつ「全貌を解明できたかは分からない」とおっしゃるのであれば、その状態で調査・検証作業をやめてしまっていいんでしょうか…??? なぜかこういうところから「とにかく年度内に「懲戒処分」を急ぎたい」という、その市教委の意向に沿って調査チームが動いたようにも思えてなりません。

一方、同じ記事の次のコメント部分についても、私はひっかかりを覚えました。

「ただ、パワハラ行為について本人は具体的な心当たりがなく、「職場の雰囲気が悪いことすら気付いていなかった」と説明。渡辺委員長は「威圧的な言動について『訴えている方がおかしい』という感じで否定され、強い違和感を持っている」とした。」

以前、このブログで、精神科医・中井久夫の「いじめの政治学」などの議論を紹介しましたが、まさにこれって、中井久夫のいう「いじめの透明化」が起きていたっていうことではありませんか? 私はだからこそ、この問題を「教員間暴力」や「ハラスメント」の問題としてではなく、「いじめ」の問題として論じていく必要があると思って、ずっと「教員間いじめ」と呼び続けてきたわけです。

あるいは、いじめの重大事態においても、たとえば加害に及んだ子どものなかには、自分のやったことを「いじめ」だとは思わず、別の理由によるものと説明するケースがかなりあります。似たようなことが、教職員集団のなかの「いじめ」でも起きていたとするならば、弁護士さんたちの「違和感」にとどめずに、それを教育学・心理学・精神医学など他の観点から分析すべきではなかったのかと思うのですが。

(4)東須磨小調査報告書公表 保護者、識者の受け止め (2020年2月22日、神戸新聞)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202002/0013135604.shtml

この保護者や識者のコメントを読むと、やはり「弁護士主体の調査チーム」というかたちでの調査・検証作業の「限界」を感じますね。

誠実に弁護士さんたちがこの件の調査・検証作業に動かれたのであろうこと。そのことは記事からもよくわかるのですが、やはり昨日も書いたとおり、そもそも去年10月時点で神戸市総合教育会議が描いた事態収拾の枠組みが「評判リスク管理」を前提としていて、教育学・心理学・精神医学的な観点からの極力、議論を排除してきたことが、ここまでなにかと尾を引いている感じがします。

それこそ、たとえば保護者のコメントのなかには、加害教員のひとりに「指導力の高さ」を感じていたとあります。こういう点に注目すると、神戸の教育界はいま<「授業の指導力」が高ければ、同僚間の折り合いが少々悪くても、同僚に対して乱暴な態度をとってもかまわないという雰囲気になっているのではないか?>という疑問すら湧いてきます。もしもそういう雰囲気ができているとしたら、その雰囲気は<神戸市の教育施策のうち、たとえば「学力向上」路線とどういう関係のあったのか?>といったことへの考察、検証が必要になったはずです。

あるいは、この記事のなかでは心理学研究者から、職場環境とストレスの発生、他者への攻撃性の関係を指摘する意見が出されていますよね。この心理学研究者からはそのものずばり、「心理面を踏まえた再発防止策を重点的に考えるべき」なんて意見もあります。

だとしたらやはり、この調査報告書、弁護士さん的には「よくやった」かもしれないのですが、他の領域から見たら「まだまだ、ものたりない」部分があるんじゃないですかね? なぜ最初から教育学や心理学・精神医学系の研究者、専門職を交えた本格的な調査・検証作業をしなかったのか? そこに私、ずっとこだわり続けています。

(5)東須磨小教員間暴行 調査委「闇が深い」 一問一答 (神戸新聞2020年2月21日)

https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/eastsuma-kyoin/202002/0013135990.shtml

この「一問一答」のやりとりを見ると、あらためて「教育学や心理学・精神医学系の研究者、専門職を交えた本格的な調査・検証作業をしなかった」ことの問題点を感じます。

記者さんたちがかなり意識して、弁護士さんにいいところツッコんでいるんですが…。その「ツッコミ」の「先」に、実はこの調査チームの「限界」が見えてくるんですよね。たとえば、次のやりとりの部分です。

-報告書ではあまり教育委員会の責任には言及していない印象がある。

 「その点もいろいろ議論した。結果として市教委がもっと調べていればとは思うが、特に具体的な問責認定には至らなかった」

この点、この弁護士主体の調査チームがどういう根拠で市教委の責任を問わないことにしたのか? そこ、記者さんたちにはぜひ、ツッコんでほしかったところです。

なにしろ、「法的責任は問えない」かもしれないのですが、「教育行政のあり方として、そんな学校現場への対応でいいの? そんな条件整備でいいの?」と思われることが多々あるなら、やっぱり、こういう調査では指摘しないといけないのではないですかね? 読みようによっては、市教委に矢がささらないような調査をした…とも読めますからね、この一問一答。

それから、次のやりとり部分。

-これだけのハラスメント行為を、なぜ管理職は気付けなかったのか。

 「われわれにとっても最大の疑問点。意識が低かったのかもしれないし、職員室と離れているからかもしれない」

あの…。弁護士さんたち、調査したんですよね、時間かけて? 直接、管理職にも面談をしたわけですし…。そこでなぜ、こんなあいまいな返答になるんでしょうか? ツッコミが足りないんじゃないですか、記者さんたちも?

そして、ここのやりとりの部分。ここも弁護士主体の調査チームの「限界」を感じます。 

 -歴代3校長の聞き取りで違和感はあったか。

 「感じる人と感じない人がいた。前校長には強い違和感を持った。評価は非常に高く、学校経営が大変だった時期で同情的な面もあるが、威圧的な言動について多くの教員から声が出ているのに、全て否認されるとどうなのかと思う」

 -前校長も加害教員も評価が高い。

 「むしろそういう人だから周りが我慢したり長く見抜けなかったり、一つの要因なのではないかと思う」

いやいや、だから、その「評価が高い」というときの「評価」は、誰の、なんに対する評価なの? たとえば、常日頃は「学力向上に定評がある」校長やベテラン教員だけど、「同僚や部下に対しては冷淡」という評価だってありうるわけで…。その前校長や加害教員らが今まで得てきた「高い評価」の内実を問うことこそ、この件の本質的な課題を掘り起こし、再発防止策などを考える上で重要なヒントになるわけで…。

「ああ、もう、本当にじれったい!」「ツッコミが足りない、記者さんも、弁護士さんたちも」と、この一問一答を読んで思いました。

やはり、弁護士主体の調査チームの「限界」や「弊害」を感じましたね、この「一問一答」を読んで。

※なお、昨日の神戸新聞の記事には他にも被害にあった教員に関するものもありましたが、それについては別途、どこかでまとめて書こうと思います。被害にあった教員の「職場復帰」のあり方を考える上で、やはり心理学や精神医学、教育学的な議論が大事になってくると思うもので。

 


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今日提出予定の調査報告書を読む前に言っておきたいこと(神戸の教員間いじめ問題関連)

2020-02-21 09:20:56 | 受験・学校

神戸市総合教育会議が10月17日付けで出した「今後の方向性」に「対案」を出してみる

上記は自分が去年(2019年)10月18日に書いたブログ記事です。今日(2020年2月21日)午後に、神戸市教委の弁護士主体の調査チーム(市教委はこれを「調査委員会」と呼んでいますが)の報告書が出るようなので、あらためて去年の10月時点で自分が書いたことに照らして、この「教員間いじめ」の弁護士主体の調査チーム報告書を「読む」ポイントについて述べておきます。

<1>「評判リスク管理」主体の対応はいまもなお続いている。でも、それでいいの?

私は当初から、去年10月時点での神戸市総合教育会議の出した対応方針は、「『とにかく、加害教員の処分を一日も早くやってしまって、世論を鎮めてしまおう』という思いばかりが先行している」と見てきました。そのことは、上記のブログ記事にも書いています。また、別のブログ記事で、学校や教委へのバッシングを鎮めるような対応(事態の沈静化)について、「評判リスク管理」という言葉をつかったこともあります。この「評判リスク管理」型の対応が、今もなお神戸市教委の対応の基本にあることは、この調査報告書が出る時期を考えていただければ、とてもよくわかります。

たとえば今日の午後に記者会見をして、調査報告書の概要等を公表したとします。あしたから三連休ですから、新聞やテレビなどのマスコミが記事にしたり、番組で伝えたりするのは、平日とは異なるトーンで行われることになります。その分、SNS上での混乱を含めて、去年10月の激辛カレー映像をマスコミが配信したときのような「騒ぎ」は静まります。また、この時期に調査報告書を出して、3月の予算議会が行われている間に懲戒処分を行い、市議会に報告すれば、「この問題は年度内に解決した」という説明をする余地が生まれます。

要するに、どうしても社会的反響を呼んだ事件である以上、マスコミ等の注目をある程度まで集めるのは避けられない。でも、そのマスコミ等の注目ができるだけ小さくなる時期を選びつつ、なおかつ「年度内に解決した」とも言いうる時期を選ぶ。そうすると、この2月後半の三連休というタイミングがベターだという話になる。そういう推測がなりたつわけですね。

ついでにいうと、当初、この調査報告書は年末に出す予定だったのが、市教委からの資料提出漏れがあって、調査が年明けにずれこんだことになっています。「年末に出す」というのもおそらく、「年末年始の休み」前に報告書を出して、マスコミ等の注目が一定集まるとしても、正月休みのあいだにその注目は「沈静化される」という見通しがあったのではないか…と思われます。

「そういう『評判リスク管理』的な対応ばかり続けていても、本質的な課題の解決にはつながらない」

少なくとも、私はそのように思っています。それが、次の<2>で書くことにつながります。

<2>本当に神戸の教育界の再生や傷ついた教職員、子ども、保護者、地域住民への支援という視点に貫かれた報告書になっているのか?

以下の文章は、上記の去年10月18日付けのブログに書いたことです。そのまま引用します。

「その一方で、被害にあった教員へのサポートや当該の学校に通う子ども・保護者への目配りは不十分です。これでは、地元の保護者や住民は動揺するでしょうし、そういう動揺するおとなたちに接して子どもも不安定になってしまうでしょう。被害にあった教員の方も、神戸市側がいう「ケア、ケア…」に対して、さまざまな思い(不信感や憤りを含む)を抱くかもしれません。

これに加えて、神戸市として当該の学校の教育活動の再建をどのように考えているのでしょうか? そこについても、具体的なプラン作りの芽すら今は見えていないような状況ですね。それでいいのでしょうか…。」

このように、私は当初から「加害教員バッシング」という「事態の沈静化」のための対応優先で、実際に被害にあった教員への支援や、当該の学校に通う子ども・保護者への支援、そして当該の学校の教育活動の再建などに対する目配りの弱さということを、この間の一連の対応には感じておりました。

もちろん神戸市教委あたりは「当該の学校には臨床心理士を派遣して、心のケアに努めている」とかいうのでしょう。でも、ほんとうに当該の学校の子どもや保護者が求めているのは、「心のケア」なのでしょうか? 

たとえば、先日放送されたNHKのドラマ「心の傷を癒すということ」の安医師といいますか…。このドラマのモデルになった亡き安克昌さん(精神科医)は、阪神淡路大震災発生後の「心のケア」について、次のようなことを述べています。

「回復に向けて生きる人々を、敬意をもって受け入れる社会をつくること」

「世界は心的外傷に満ちている。“心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである」

「専門家の心のケアを超えて、政策の立案という次元から隣人への気遣いという次元まで、さまざまなレベルでの『ケア』を考え、実現することが必要なのだ」

(以上は、安克昌『心の傷を癒すということ(新増補版)』作品社、2020年から引用)

あえて率直な言い方をしますが、現在、神戸市教委が当該の学校の子どもや保護者、そして地域住民に対して行っている対応のなかに、このような「政策の立案という次元から隣人への気遣いという次元」に至るまでのケアや、「回復に向けて生きる人々を、敬意をもって受け入れる社会をつくる」という思想・理念はあるのでしょうか? むしろ「心のケア」を派遣された臨床心理士任せにしすぎてはいないか、そのような危惧を私は抱いてしまうのです。

同様に、今後の神戸の教育界の再建にむけて、市教委なりにいろんな取り組みをしようとしていることはわかりますが…。でも、先日、次年度予算案の提案で語られていたような「監察課」や「地区統括官」のような部署・役職の設置は、上記のような「政策の立案という次元から隣人への気遣いという次元」に至るまでの「ケア」という発想にもとづいているのでしょうか? それとも、あいかわらず「事態の沈静化」路線を前提とした「予防策」のような発想で位置づいているのでしょうか?

私としては、当初から弁護士主体の調査チームがつくられて、「教員間いじめ」の調査・検証作業が行沸得ると聴いたその時点で、「これは神戸の教育界の再生や、傷ついた教職員、子ども、保護者、地域住民のケアにつながるものには程遠い報告になるだろうなあ」と思っていました。なので、実際に報告書を手にしてみないとわからないものの、この点については今の時点では「期待できない」と思っています。

ただ、それでもなお、弁護士主体の調査チームが自分たちに足りない議論を自覚して、たとえば独自に教育学の研究者や精神科医、臨床心理の専門家などの意見を聴いて、この点についての検討や提案をまとめていてほしい。そういう願いは持っています。

いま、本当に神戸の教育界の再生に必要なことは、なんですか? 私は、傷ついた教職員や子ども、保護者、地域住民が、「ここからなら、もう一度、学校を再生するためにがんばれそうだ」と思えるなにか展望を示すことだと思っています。弁護士主体の調査チームであったとしても、自分たちには足りない部分を自覚して、そういう「展望」につながりうる知見を他の領域から補足して、できるだけいい内容で提案をまとめる。そういう調査報告書がでてくることを期待しています。

<3>法学的なリスク管理(訴訟リスク管理)の論理がどこまでオモテに出てくるか?

ところで、今日の午後に出される報告書も、上記<1>のように「加害教員バッシング」をとにかく「沈静化」させ、「終わらせる」ということを前提にすると…。

おそらく弁護士主体のチームは、教員間いじめで被害にあった教員から申し立てられた出来事を前提に、「加害教員」と名指しされた人々や周囲の教職員(管理職含む)らに事情を聴く。その上で、ひとつひとつ確認できた「加害」の事実に対して、それが懲戒処分に相当するものなのか、相当するとしたらどの程度(免職・停職・減給・戒告)の処分が妥当なのか。そういう判断を示していくことになると思います。

また、その事実確認や判断を示すにあたっては、たとえば「加害教員」と名指しされた4人の側から2人、現在、分限休職処分・給与差し止めという市教委の対応に異議が出されていることを前提にして、弁護士主体の調査チームはさまざまな作業を行うことになるでしょう。この報告書の内容は当然ながら、その異議申立てに関する別の会議体での議論にも影響を及ぼすことになるので。

ちなみに、事実確認の結果、当然、4人のうちにも「加害」行為の程度や頻度などに差があったということになれば、はたして上記の分限休職処分や給与差し止めという市教委の対応に妥当性があったのかどうか。また、市長がこのような対応を総合教育会議を通じて積極的にリードしてきたことにも、妥当性があったのかどうか。そこも大きく問われることになるでしょう。そして、「不利益処分を行った」ということになると、今度は「加害教員」と名指しされた教員の側から、市教委を相手に訴訟が行われることにもなりかねません。そうなると、「評判リスク管理」に加えて、「訴訟リスク対応」も含めた方向性を示すことが、この調査報告書の主たる内容になると思います。この「訴訟リスク対応」を念頭においた記述などが、この報告書でどこまで出てくるか。そのことも、私としてはとても気になるところです。

なお、ここであらためて言っておきます。どれだけ<1>の評判リスク対応や、<3>の訴訟リスク対応を念頭において調査報告書がまとめられても、神戸の教育界にとって、あるいは傷ついた教職員や子ども、保護者、地域住民にとっての本質的な課題は、<2>のところにあります。

したがって、この<2>のところで私から見て妥当性のある報告書でない限り、やはり今回出される調査報告書については「ものたりないな~」とか「不十分だなあ~」とか、「検討が浅いなあ~」等々、いろんな批判をすることになります。

なぜそうなるのか? それは、「教員間いじめ」問題について「なにが本来、解決すべき課題なのか?」という「課題意識がちがうから」です。教育行政、さらには市長に批判の矢が飛んでこないようにする(=評判リスク管理)や、あるいは訴訟で責任を問われないようにする(訴訟リスク管理)ことが「課題」なのではなくて、私は被害にあった教員も含めた「傷ついた教職員、子ども、保護者、地域住民のケア」そして「神戸の教育界の再生」ということを「課題だ」と考えているからです。

そしてもう一つつけくわえるならば…。「加害教員」と名指しされた4人の教員の「その後」の対応(たとえば「立ち直り」(更生)への支援)も重要な課題です。ここもいま、まったくといっていいほど議論がなされていないのが、たいへん気になります。「処分したら、はいおわり」というのは、教育行政や市長の側、そして、そういう教育行政や市長の対応を積極的に後押ししてきた「世論」の御都合でしかありませんので。その人たちが今後の人生設計をどうつくりなおして、どのように「やりなおし」をはたしていくのか。これも大きな課題なんですが、でも、その課題、誰が拾うんですかね?

また、忘れてはなりませんが、先日亡くなった市教委の係長さんの死に至る事実経過の確認や背景要因の調査も、神戸市教委としてはぜひともすすめてほしいところです。もしもこの「教員間いじめ」の事後対応の過程で特定の市教委職員に重圧がかかったり、あるいは上層部からのパワハラなどが行われたのであれば、それもそろそろきっちり調査・検証を行って、事実と背景要因を確かめ、是正を図らなければなりません。いわば市教委幹部や市長らによる「評判リスク管理」や「訴訟リスク管理」的な「危機管理」が行われるなかで、市教委事務局内に別の「危機」が生まれて、そこで亡くなった方が出たとも考えられるわけです。だとすれば、市教委幹部や市長らによる「危機管理」の内実を問わなければいけません。市長や市教委幹部には、あなたたちも問われるべき「組織風土」の一部だ、とあらためて言っておきたいです。この点も、そろそろ、誰かが注目して議論をすべきことのように思います。

 

 

 


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大阪市の公立学校統廃合・校区再編、ちょっと立ち止まって議論しなおしたほうがいい。

2020-02-18 18:49:36 | 受験・学校

今日はこちらの毎日新聞の記事について、です。

大阪市立小学校再編案、市議会委可決 生野区「力ずく」に反発(毎日新聞配信、2020年2月18日)

住民のあいだでまじめに学校統廃合、校区再編についてきちんと議論を積み重ねてきた区(たとえば生野区)ほど、こういう大阪市教委や市議会、さらには市長たちの動きについては「納得がいかない」という思いを抱かれるのではないですかね。記事にあるとおり、生野区民のみなさんからの「学校再編を強引に進めないように」という陳情は当然かと思います。

ましてや、この記事を見ていると、地元のPTA会長が発言していないことまで市教委が資料に書いたうえで、この生野区の学校再編に関する議論を議会でしているなら、それ自体、大問題ですよ。いったい市教委も、市議会も「なにやってるんだ?」ですよ。自民党の市議さんが怒っているのも、当然かと思います。

ただ、こういう学校統廃合、校区再編という提案は、一部の保護者にとってはものすごく「評判いい」ものだったり、「しかたがないよね」と思わせるものだったりするんですよね。

きっと今後、この学校再編の条例案が可決されたら、たとえば「学年1クラスは嫌や。クラス替えができる学年2学級のサイズで学校を維持してほしい」というような、そういう保護者の声を集める方向で、大阪市内の公立小中学校の統廃合、再編をすすめていくんでしょうね。

でも、この時期に学校統廃合、再編をすすめるのは、私から見ると明らかに「大阪市解体・特別区設置」を実施した際に、特別区が最初に公費で維持する学校を減らしておきたいから。そうしないと、財政削減効果はなかなかでませんからね。

そして、今のうちに子どもの教育という住民サービスのレベルを低下させておけば、その部分では「特別区設置後もいままで大阪市だったときと同レベルですよ」という言い方もできるわけです。

学校選択制導入もそうなのですが・・・。

「ひとりひとりの子どもや保護者のニーズや個性に応じる」とか、「利用者が選べる」とかいうきれいなタテマエのもとで、実はどんどん自分たちの首をしめていくような施策が実施されている。

もうそろそろ、その「からくり」に気付いて、批判すべきものは批判して、撤回させていかないといけない時期に来ていると思います。少なくとも上述のとおり、議論のすすめ方自体に疑問が出されていたり、あるいは事実にもとづかない資料などが出されたかたちで市議会で議論をすすめるのは、やはりおかしいでしょう。いったん立ち止まって、議論しなおしたほうがいいと思います。安直に市教委から提案された学校再編の条例案や、生野区の学校再編プラン等々に賛成してしまう会派は、「どうにかしている」というしかありません。

なお、大阪市の学校統廃合促進に関しては、かなりあやふやな記憶にもとづいているので不正確な部分がありますが、およそ、以下のような経過があるように思います。

・平松市政の頃に、小規模校の再編を中心に、大阪市内の公立小中学校の再編問題が検討され始める。

・橋下市政の頃に、「地元の理解を得ながら統廃合をすすめるのでは時間がかかる」という意図も関連させながら、まずは、公立小中学校の選択制を導入しはじめる。⇒その方向をアシストするかのように、教育行政基本条例、学校活性化条例、職員基本条例などが制定される。大阪市解体・特別区設置構想や、それを前提とした市政改革プランもこの頃、つくられて、着々と実施される。ただ、「一度目」の大阪市解体・特別区設置の住民投票は、否決される。

・吉村市政の頃に、その公立小中学校の選択制が本格化。中学校の卒業後の進路(高校進学の動向など)に関する情報公開や、チャレンジテストの導入も行われる。⇒小中一貫校、公設民営学校などの設置も検討、実施へ。

・松井市政になって、さらに公立小中学校の統廃合を加速化させるために、学校活性化条例の改正が議論される。⇒「二度目」の大阪市解体・特別区設置の住民投票実施に向けての動きが強まる。

ざっと、こういう経過があるかと思います。

ちなみに、この学校統廃合、校区再編の問題については、たとえば子どもの育つ場として、今後の公立学校をどういう風につくっていくか、という問題もありますが…。

あわせて、地域住民の自治的な諸活動(防災、福祉等々)をささえる「校区」の設定の問題とか、その自治的な諸活動のための「学校施設の利用」の問題等々。このような課題もあるかと思います。

でも、そういう学校の持っている多面的な機能については一切「おかまいなし」に、「とにかく、学校を整理して少なくしたいんだ」「一部の保護者の思いを動員すれば、それで学校は減らせるんだ」という思いで、大阪市の「維新系」の教育施策が動いてきたことだけは、この経過からおわかりいただけるかな、と思います。

なお、最後になりますが、この大阪市内の学校統廃合・校区再編については、こちらの幸田泉さんが書いた記事も併せて読んでください。

大阪市の「市立学校活性化条例」が「学校減らし条例」に!? (幸田泉さん執筆、Yahoo!ニュース 2020年2月17日)

 

 

 


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3月17日(火)午後、子ども情報研究センター・子ども人権部会のご案内(定員充足、受付終了)

2020-02-17 20:14:58 | 学問

※3月5日(木)追記

下記の子ども情報研究センター・子ども人権部会のご案内ですが、おかげさまで定員を充足しました。

また、新型コロナウィルス性肺炎の感染拡大防止の観点から、これ以上の参加申込の受け付けはしないでおこうと考えております。

なので、大変申し訳ありませんが、今後の申し込みはお断りさせていただきます。

なお、同じ内容での学習会の企画をご希望の方は、別途、私の方までご連絡ください。

<子ども情報研究センター 子ども人権部会のお知らせ>


○テーマ
編者といっしょに『「いじめ防止対策」と子どもの権利』を読む

○今回取り上げる本
鈴木庸裕・住友剛・桝屋二郎編著
『「いじめ防止対策」と子どもの権利』(かもがわ出版、2020年2月)

○報告者:住友 剛(京都精華大学)

○日時:2020年3月17日(火) 13時~15時

○場所:子ども情報研究センター事務所
 〒552-0001 大阪府大阪市港区波除4丁目1−37
 HRCビル5階 
 地下鉄中央線「弁天町」駅4番出口より 700m(徒歩10分)

○定員:10名(先着順)
※場所の関係で参加可能な人数に上限があります。
 参加予定の方は下記までご連絡ください。
 子ども情報研究センター事務所 
 FAX:06-4394-8501 電子メール:info(アット)kojoken.jp (「アット」の部分は@を入れてください)

○座長からひとこと
みなさま、おひさしぶりです。この何年か、子ども人権部会は子育ち連携部会と合同で公開学習会を行ってきました。今回は久しぶりに子ども人権部会単独での開催になります。
さて、このたび『「いじめ防止対策」と子どもの権利』という本を、私が編者のひとりになるかたちで、研究者・医師・弁護士・スクールソーシャルワーカー・養護教諭、そして遺族の方との共著でまとめました。この本は、いじめの重大事態が起きた時の対応、特に調査委員会運営のあり方や、未然防止・再発防止策の実施のあり方などについて、「子どもの権利擁護」の視点から考えてみたものです。なお、この本は2月末には書店に並ぶと思いますし、Amazonなどでは予約注文が可能です(当日も会場で販売します)。
今回の子ども人権部会では、編著者のひとりである私の方から、どのような思い・内容でこの本をまとめたのかについて概説した上で、あらためて今後のいじめの重大事態対応のあり方などについて議論をしてみたいと思います。
場所の関係で参加者の上限が設定されていますが、どうぞご参加ください。(文責:子ども人権部会座長 住友 剛)

※追記:同様の学習会の開催を希望される方は、私のところまでご一報ください。この日も参加できる方の数に限りがあります。ご希望の方が多いようでしたら、二度目、三度目の学習会の開催を考えます。


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去年秋の「大騒ぎ」の内実を今こそ問う報道を(神戸・教員間いじめ関連)

2020-02-17 19:22:27 | 受験・学校

兵庫)東須磨小教員間暴力問題 調査急ぐ外部委、焦点は(朝日新聞デジタル、2020年2月17日配信)

こちらは今朝の朝日新聞の記事(有料記事)ですが。

一時期に比べて、かなり論調が落ち着いてきた感じです。

少なくともこの記事からは、次のことがわかります。

(1)兵庫県警は市教委の処分、その前提としての弁護士主体の調査チームの出した結論をみて、加害教員の刑事事件としての捜査の動きを決める見通しだということ。だとすると、この件、警察側の判断として、刑事事件として書類送検等を行い、立件できるかどうか自体が「あやしい」レベルの事案だった、ということかもしれない。(ついでにいうと、「いじめは犯罪だ」的な論調があちこちでよく言われますが、肝心のその犯罪の捜査をする警察の側は、たとえば調査チームの報告や市教委の処分等々、実は「世論」の動きを見て「落としどころ」を考えて動いている、ということですね)

(2)その加害教員の行為についても、4人の行為の内容や関与の度合いには軽重があったり、互いに示し合わせて加害に及んだかどうか怪しかったりする。したがって、ほんとうに去年10月末の加害教員4人まとめての分限休職・給与差し止め等の措置が必要だったのかどうか。あらためてその是非が問われることになる。当然ながら、この分限休職・給与差し止め等の措置を行うため、条例改正を積極的に推進した市長や一部市議らの対応も、今後、問われることになる。

(3)一方、加害教員の行為を止められなかった管理職の動きについても、前任の校長と今の校長、そして市教委の関係を問う方向に動いている様子。また、この記事には、「神戸方式」なる人事の話が今は出ていないことに注目すべきかと。なにしろ他の都道府県・政令市でも同様の教員間いじめ問題が起きているという実情が生じているのだから、議論の方向性がちがってきて当然かと。そうすると、やはり去年の10月頃、さかんに「神戸方式、神戸方式」と連呼していた市教委幹部や市長、一部市議、そしてマスコミのあり方が問われることになる。

(4)さらに、激辛カレーの動画を配信して以来の学校や市教委バッシングの経過、さらには市教委の係長の自死の件にも、この記事では触れている。「インターネット上では臆測に基づくうわさや根拠の乏しい情報も出回った」ことや、「対応する職員は疲弊」ということにも触れられている。だとすると、やはり「憶測に基づくうわさや根拠の乏しい情報」を流した人々や、それにもとづいて市教委や学校に苦情電話をかけたりしてきた人々、さらにそれを煽った人々のあり方が当然、問われてしかるべきだということになる。

(5)そして、この記事では最後のところで、市教委係長の自死に対して、教育長のメンタルヘルスに配慮できなかったことを申し訳なく思う気持ちが表明されている。そのことはまずは大事にすべきとして、「では、神戸市長はこの件、どう思っているの?」という疑問がどうしても生じる。なにしろマスコミやSNSを通じて、市教委や当該の学校、さらには加害教員らへの怒り等々をくり返し表明して、世論を煽ってきた側に、神戸市長自身も居たのではないかと思われるから。また、そのことが市教委職員や市立学校教職員のメンタルヘルスを悪化させるところにまで、さまざまな問題を生じさせたのではないかと思われるから。

(6)あと、もうひとつ思うのは、この記事でもまだそうなのですが…。当該の小学校の子どもや保護者、地域住民への配慮や、その当該の小学校の教育再建にいま、しんどい思いをしながら取り組んでいる教職員への気配りが、まだまだ感じられないということ。あくまでもこの記事もこれまでの「事件報道」の「中間総括」的なもので、「今後、神戸の教育界の再生をどうすすめるか?」「当該の学校の再建にどうとりくむか?」のような議論には、まだまだほど遠いということ。そのことも感じました。

(7)こんな風に考えますと…。やはり「あの去年の10月の大騒ぎはいったい、なんだったのか?」を、今の時点できっちりとふりかえり、総括しておかないといけないのではないかと思います。それこそ、あの頃、文科省の副大臣なども神戸にやってきて、市教委の教育長がアタマ下げた映像をマスコミに撮らせたりしていたわけですが…。「あんなことにいったい、何の意味があったのか?」「いったい文科省の副大臣や役人は、なにをしに神戸までわざわざでてきたのか?」ですね。

<追記>

ついでにいうと、これから先のマスコミでの識者コメントは、最低でもこの朝日新聞の「中間総括」的な記事を読んだことを前提にして行うべし、でしょうね。去年10月頃の情報をもとにして識者コメントしていると、とんでもないことになります。


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教育行政の「組織いじり」の前に「子ども・教職員の権利保障」という基本原則を明らかにすべき(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-02-16 20:02:29 | 受験・学校

神戸市教委、大幅再編へ いじめ対応などの「監理室」新設 来年度案(2020年2月16日、毎日新聞配信記事)

この毎日新聞の記事は短いもので、詳細がわからないのですが・・・。

しかし、これを読んだだけで、以下のことが指摘できます。

(1)教育次長のうちのひとり、行政職を「事務局長」にしたからといって、「だから、なんなの?」ですね。それが教員間いじめを防いだり、あるいは、子どものいじめの重大事態への対応を改善したりすることにどうつながるのでしょうか? 行政職幹部が教育職あがりの市教委幹部よりも「上だ」というマウンティングをしたところで、神戸市の教育界の実情の何がよくなるんですかね?

(2)あるいは、たとえば、いままでだって行政職あがりの教育次長が居られたわけで、その方、神戸市教委のなかではなにをされていたのでしょうか? それこそ、先日亡くなられた市教委係長さんの問題について、市教委の行政職幹部はどのような反省をされたのですかね? そうそう、市教委の行政職幹部のおこなった不適切な対応は、いったい、誰が「監察」して「是正」を求めるのでしょうか? 私としては市教委の行政職幹部へのチェック機能もかなり今後、重要になると思うんですがねえ…。

(3)前々から伝えているとおり、たとえば「監理課」みたいなものをつくって臨床心理士や弁護士らの外部専門職を呼んできても、あるいは、元・校長職の「地区統括官」みたいなものを置いても、この人たちが学校の対応に関する指導・助言の内容が根本的に「的外れ」だったときには、いったい、どうするんですかね? それこそ、たとえば学校のいじめ対応の改善を求めてきた保護者に対して、「理不尽クレーム」のようなレッテルをはって、いかに「排除」するのかというアドバイスを地区統括官や外部専門職が行った場合、「目も当てられない惨状」がそこに広がると思うのですが。(なお、これは他市の首長部局の「監理課」的な部署にも言えますし、これから各地で導入される「スクールロイヤー」などについてもいえることです)

(3)(2)(3)のことを思うと、やはり、たとえば学校での子どものいじめ・不登校や教職員からの暴力・暴言、パワハラ等に関する相談等については、首長部局からも、市教委からも一定の独立性を保つように「子どもの権利条例」の制定を行ったうえで、公的第三者機関としての「子どもの人権オンブズパーソン」(子どもオンブズ)を設置して対応を行うようにしたほうが、より適切な対応ができるのではないかと思うのですが。これも去年秋から一貫して言い続けていることなんですけど・・・(同様に、教職員間や市教委職員間のパワハラ等についても、一定の独立性を保った外部相談・救済機関を設置したほうがいいように思うのですが)。

(4)去年の秋からずっと、市長サイドから市教委社会教育部門の首長部局への移管が提案されてきましたが・・・。引き続き、「それがいったい、今回の教員間いじめ問題や、子どものいじめの重大事態への対応の改善と、どうつながるのか?」です。また、先行的に社会教育部門の首長部局への移管が行われた政令市がありますが(たとえば大阪市など)、そこははたして、たとえば市民のまちづくりへの参加や住民の生涯学習の活性化などがうまくいってるのでしょうか? そういう他市の事例の良し悪しについて、きっちり検討したんでしょうかね?

(5)今回はあくまでも、市教委の組織再編の提案だけがマスコミにむけてでてきたのだと思うのですが…。でも、たとえば子どもと子ども、子どもと教職員、教職員と教職員の関係が歪んでしまうような、そういう教育施策を緩和していくこと。また、子どもと教職員が時間をかけてじっくりと、いい関係をはぐくむような教育条件を整えていくこと。このことこそ、本来、教員間いじめや子どものいじめの重大事態の防止に必要な施策のはずです。そのためにも「子どもの権利条例」の制定などを通じて、組織いじりよりも前に、これからの神戸の教育界が目指すべき基本的な方向性、教育行政運営の基本原則を明確にすべきだと思うのですが。

(6)このように考えますと、この提案、やはり教育行政の「組織いじり」でしかなくて、「なにか、対応しました」というだけの結果に終わりそうに思います。前々から言ってる「評判リスク管理」と「訴訟リスク管理」という、行政職好みの「危機管理」の取り組みだなぁというしかありません。

(7)(5)でも述べましたが、いま、神戸市の教育界の再生に必要なことは、そういう教育行政の「組織いじり」ではなくて、「我々教育行政の仕事は、徹底した子どもの権利保障の視点に立つ」という「基本原則」を明確にすることです。また、その「徹底した子どもの権利保障」の視点を前提にして、「それを充実させるための教職員の諸権利も保障していく」ということ。ここを重視すべきかと思います。そういう教育行政としてのあるべき「基本原則」を明確に打ち出すことなく、ただ「組織いじり」をしただけで、はたして「組織風土」は変わるんですかね? こういうプランしか考えられない人々の発想を切り替えることこそ、真っ先に手をつけるべき「組織風土」改革のように思います。


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今日(2月16日)のプリキュアの話です。

2020-02-16 09:35:15 | プリキュア話

おはようございます。今日も日曜日。2月からの新シリーズ「ヒーリングっどプリキュア」も今日で3回目。さっそく今日の放送分の内容を確認しておきたいと思います。

(1)まずは、今回から2人目のプリキュアが登場します。前回予告などでもおわかりのとおり、2人目のプリキュアはキュアフォンテーヌ、水色(青)のプリキュアです。ペアになる「お手当」の妖精さんはペギタン、ペンギンみたいな姿ですね。このキュアフォンテーヌですが、これもまた初回から見ている人には予想通り、沢泉ちゆです。初回では、のどか=キュアグレースと、浜辺をランニングしているときに出会った子です。このちゆ=キュアフォンテーヌは、温泉旅館の若女将の娘です。その旅館には大浴場とペットの入れる個室の温泉がありますね。また、ちゆ=キュアフォンテーヌは、この温泉旅館のある我が家が大好きだといいます。

(2)さて、いま、のどかやちゆの通う中学校(すこやか中学校)では、温泉街に出てきた怪物の話でもりあがっています。ひなた(=これがたぶん来週、3人目のプリキュアになる子だと思いますが)がのどかに「あなたも見た?」と聴きますが、のどかは「私は見ていない」と答えます。でも、ちゆは「どうしてのどかは知らないふりをするの?」と思ってしまいます。なぜなら前回のラスト、怪物が学校に出現したときに、ちゆは、のどかが動物たち(=「お手当」の妖精さんたちですが)と話をしている様子を見てしまったからです。

(3)一方、そんなのどかたちのいる学校に、ヒーリングアニマルのラテ(=見た目は子犬)がやってきます。そのラテのお世話係をしているペギタンも、あわてて学校へかけつけます。そのラテをちゆが見つけて、「これはのどかの飼っていた子犬」だと気付き、のどかに手渡します。そのときにのどかは「私は家でペンギンとか、いろんな動物を飼っている」という話をします。

(4)そんなのどかに対して、ちゆは「家に来て」と声をかけます。(1)でも書いたとおり、温泉旅館でペットの入れるお風呂もあるから、というのが理由。そのペットの入れる温泉に妖精さんのペギタンやラビリンが入っていて、会話している様子を、またまたちゆは聴いてしまいます。その会話というのは、ペギタンが「ぼくは何もできない。早くお手当ができるようになりたい」というもの。ペギタンはパートナーになるプリキュアを見付けなければいけないんですが、人見知りがひどくて、外に出るのが苦手だとも言います。

(5)そんな温泉旅館に、プリキュアたちの敵・シンドイーネと怪物メガビョーゲンが出現。温泉の水の質を変えてしまいます。そのメガビョーゲンを追い払うために、のどかがキュアグレースに変身して、ラビリンといっしょにたたかいます。その姿を、ちゆは見てしまいます。

(6)さて、メガビョーゲンの攻撃で倒れた木がちゆにあたりそうになったとき、キュアグレースがちゆをかばいます。そのおかげでちゆはケガをしなくてすんだのですが、でも、キュアグレースはここから苦戦しはじめます。「なんとかしたい、わたしにできることはないの?」と思うちゆと、「どうしたらいい?」と思うペギタンの気持ちが、ここでつながります。「こわくて、自分にはたたかう自信がない」というペギタンに対して、「わたしもこわい。でも、大切なものをまもりたい。勇気が足りないならわけてあげる。大丈夫、私がいる」とちゆがつたえます。そのとき、ペギタンのこころの肉球が反応。ここから、ペギタンをパートナーにして、ちゆがキュアフォンテーヌに変身します。まぁ、そこから先は、キュアフォンテーヌの攻撃をキュアグレースがアシストするかたちで、メガビョーゲンを追い払うわけですね。

(7)ラストの場面ですが、温泉のお湯も無事にもとどおり。ペギタンやラビリン、ニャトラン、ラテたちの存在も、ちゆにはすっかり了解済み。これでのどかは自分がプリキュアだということを、ちゆには隠さずに済むようになりました。また、「ひとりですべて隠すのはたいへん」ということで、ちゆの家にペギタンが住むことになりました。

(8)ということで、「温泉旅館の若女将の娘」という、またまた新たな設定のプリキュアが登場しました。来週は3人目のプリキュア、キュアスパークルが登場するようですね。どうやらひなたがキュアスパークルになりそうですが、予告編を見る限り、今度は動物病院の獣医の娘のようですね…。


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あらためて「スクールロイヤー」制度導入について思うこと

2020-02-15 23:08:52 | 受験・学校

今日は「スクールロイヤー」制度導入について、いま、私の思うことを書いておきます。この件はもしかしたら前にもこのブログで書いたことかもしれませんが、あらためて書いておこうと思いまして。

というのも今朝、ツイッターを見ていたら、ある著名な若手教育社会学研究者がスクールロイヤーの書いたものをおすすめするようなつぶやきをしておりまして…。でも、彼のネット上で発信する情報にいつも「あやうさ」を感じてきた私としては、またまたこの件にも「あやうさ」を感じてしまいました。そこで今朝、いろいろとツイッター上でつぶやいたことを整理して、ブログにまとめるだけでも意味あるかなと思ったので、あらためて書くことにした次第です。

まず、スクールロイヤーに民事介入暴力対策やっていた人が来るのか、子どもの権利擁護活動やっていた人が来るのか。私としては、それによって学校生活に関する困り事を訴える子どもや保護者への対応が大きく変わりそうだと思っています。でも、このことに対して、あまり危惧や懸念が示されていないような気がします。

ちなみに、私のまわりでかなり良心的な活動しているスクールロイヤーは子どもの権利擁護活動系の方。しかし文科省が期待しているのは、学校や行政への理不尽クレーム対策をやってくれるスクールロイヤーのように見受けられます。

なので、この理不尽クレーム対策系、子どもの権利擁護活動系の少なくとも2系統あること、文科省が前者推しであることを知らずに、安直に自分の好きなスクールロイヤー本をつまみ食い的に読んでいると、うるわしき誤解が生じます。制度や政策の初学者がやりそうな失敗だと思うのですが。

これに加えて、学校という場を異質なものの共生、共存空間にする「包摂型」か、逆に向かう「排除型」か。教育施策がそのどちらに向かうか、その施策のどこに位置づくかで、「ロイヤーもカウンセラーもソーシャルワーカーも、およそ学校にかかわる外部専門職の動き方が変わるのでは?」とも思ったりもします。

※なお、教員間いじめ問題以後の神戸市の動きからすると…。神戸市長や市教委が導入したがっているスクールロイヤーほかの外部専門職は、どちらを向いて仕事をすることになりそうか。そこをよく考えて、こちらからあれこれ、余計なことをさせないように、枠をはめないといけません。


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亡くなられた市教委職員の方のご冥福をお祈りします(神戸の教員間いじめ問題関連)

2020-02-09 15:57:45 | 受験・学校

神戸市教委の係長、自殺か 教諭いじめ問題に関わる (共同通信、2020年2月9日配信)

たいへん悲しいことです。亡くなられた神戸市教委職員の方のご冥福をお祈りします。

その上で、今の時点で私が考えることを書いておきます。主に神戸市・市教委当局が当面、何を行うべきか、どういうことを考えていくべきかについて、学校で子どもの自死が起きたときの対応をヒントにして書いてみます。

1:まずはまわりに居る人々すべてに対して、亡くなられた市教委職員のご遺族の方への最大限の配慮をお願いしたいです。ご遺族が亡くなった方とのお別れを行い、悲しみの気持ちを十分に表明できるように、まずは静かな環境を整えてほしいです。また、お通夜・ご葬儀をはじめ、ご遺族がさまざまな告別の儀式、喪に服するための儀式などの実施に際して、神戸市・市教委当局は最大限の配慮・支援をしていただきたいと思います。

2:ご遺族の方が「亡くなった本人にいったい、職場でなにがあったのか、事実を知りたい」と願う思いに十分に応じられるように、神戸市・市教委当局は、周囲に居た職員らからのていねいな聴き取り等を行ってほしいです。また、その聴き取った内容について、当局が責任をもって、しかるべき機会にご遺族に伝えてください。その上で、ご遺族がその説明に納得がいかず、詳しい調査を望まれた場合などは、外部有識者などをまじえて適切な調査・検証作業を行ってください。その際に、たとえ当局の責任が問われることになったとしても、できるだけ事実経過等で伝えられることは正確に、隠さずに伝えるようにしてください。

3:この件を知って、多くの市教委職員は動揺をしたり、悲しみを抱えたりしていると思います。市教委職員のひとりひとりが安心して悲しみ、苦しみを表現できるような環境を整えてほしいです。また、心身ともに疲弊して追いつめられている市教委職員が他にいないか、早急に神戸市・市教委当局として面談などを行い、把握してほしいです。特に疲弊の度合いが強い市教委職員に対しては、当局が責任をもって、適切な心身のケア・サポートを行っていただきたいと思います。

4:亡くなられた市教委職員の方の担当業務を引き継ぐ方が、当然、今後出てこられるかと思います。その方に対しても、神戸市・市教委当局が最大限の支援を行ってください。特に市長・教育長以下の管理職は、新たに業務を引き継がれた方が困難な状況に陥ることのないよう、最大限の職場環境の整備に努めてください。また、市長・教育長以下の管理職が、この新たに業務を引き継がれた方はもちろんのこと、他の市教委職員に対してもパワハラ等の行為がないように、最大限の注意を払ってほしいです。

5:以上のようなことにできる限りの対応を行う準備をすすめつつ、同時に、神戸市・市教委当局として、市長・教育長ら責任ある立場の方が、亡くなられた方への弔意を公の場で示すことが大事です。また、亡くなられた方が苦しまれていたこと、追いつめられていたことの背景に、去年秋以来の教員間いじめ問題への事後対応のあり方が深くかかわっていると考えるのであれば、神戸市・市教委当局として、十分に対応にあたる市教委職員への配慮、心身のケア等ができなかったことについても、ひとこと、おわびのことば等があってしかるべきかと思います。

6:その上で、これも上記2の対応ともかかわりますが、去年秋以来の一連の経過のなかで、市教委職員、特に亡くなった方にどれだけの心身の負担がかかっていたのか。その心身の負担が生じた背景には、神戸市・市教委当局としてのどのような対応上の問題が関連しているのか。そのことについても、きちんと外部有識者などをまじえて、調査・検証をしておく必要があると思います。そして、その調査・検証作業の結果をふまえて、同じような悲しい出来事の発生を防ぐための手立てを考えて、実施してほしいです。

7:最後に。教員間いじめという悲しい出来事の事後対応の過程で、その対応にあたっていた市教委職員が亡くなるという悲しい出来事が起きてしまいました。このような悲しい出来事が続くことを防ぐためにも、やはり、神戸市の教育界をもう一度、あらためて「子どもと教職員・市職員のいのちを守る」という観点からつくりなおす必要性を感じます。また、去年秋から今に至るまでの経過のなかで、はたしてどこまで「子どもと教職員・市職員のいのちを守る」とりくみができていたのかも、神戸市・市教委当局に問われるところです。それこそ、たとえば教員間いじめ問題がマスコミで報道され、「こんなこと、あってはならない!」という人々の感情のもとに世論が煽られ、「これが諸悪の根源だ」とばかりに、なにかをやり玉にあげて攻撃するかのような解決策を神戸市・市教委当局としてとってきた。そのことがもしも新たな矛盾を学校現場や市教委事務局内部に引き起こし、別のかたちで誰かを亡くなるところまで追いつめたのだとしたら…。そのような解決策のあり方、さらにはそのような解決策を導き出した世論のあり方もまた、これから問われてしかるべきかと思います。そのことを私は今、強く感じています。

以上が、今の時点でお伝えしたかったことです。

 


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