できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学人文学部・住友剛のブログ。
関西圏に関することを中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

おかげさまで無事、報告書を提出することができました。

2010-07-31 19:35:01 | 学問

2007年3月の大阪市の青少年会館条例廃止以後、各地区の子どもや若者、保護者、地元住民の状況がどうなっていくのか。それを3年間という期間を区切って把握してみようという調査研究プロジェクト。名づけて「青少年拠点施設検討プロジェクト」の報告書を、昨日、無事に部落解放・人権研究所に提出することができました。

このプロジェクトの座長をつとめさせていただいた私としては、この間の各地区で活動中のみなさんや、地元支部のみなさん、現場教員や元青少年会館指導員のみなさん、そして研究者サイドからプロジェクトにかかわっていただいたみなさんのご協力には、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。また、私にとっては、このプロジェクトで得た経験は、一生忘れられないものになりそうです。あらためて、この場をお借りして、関係者のみなさんにお礼を申し上げたいと思います。

今後、報告書については、研究所のほうで印刷・製本して、関係各方面に配布されることと思います。また、1部いくらか(たしか千円くらい?)で、研究所のほうでも入手可能だったかと思います。おそらく8月の後半以降に配付されることになるかと思いますので、印刷・製本が終了して配付可能になりましたら、別途、お知らせしたいと思います。

最後に、プロジェクトは3年間の期間を過ぎて終了ということになりますが、これからいよいよ、各地区の子育ち・子育て運動「再建」という課題は、正念場を迎えます。引き続き私としては、自分も含めて「できることを、できる人が、できるかたちで」という言葉をキーワードにして、各地区での取り組みのお手伝いをさせていただきたいと思います。また何か、ありましたら、どうぞ遠慮なくご相談・ご連絡ください。

それでは、ひとまず報告書提出のご報告と、関係者のみなさまへのお礼でした。

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「地のもの」ってだれ?

2010-07-22 11:37:31 | いま・むかし

これは大阪市内や府内の話ではなく、兵庫県内のある市のある地区(ここではA地区とします)で起きた話です。また、いわゆる被差別部落(同和地区)の話ではありません。

実はそのA地区では、長年、自治会長を続けてきた年配の男性が、急遽、ご家庭の事情で転居することになったとのこと。そこで当然、自治会の今の役員たちが集まって、次の自治会長を決める話し合いがもたれました。

で、問題はその話し合いの中身。そこで問題になったのが、「地のもの」から自治会長を出すかどうかということなんですよね。

たとえば、この何年か熱心に自治会の活動にかかわってくれたBさんという人がいるのですが、「その人はどうか?」という話が出たときに、「いやいや、あの人は引越ししてきた人で、地のものではないから」という理由で「ダメだ」となったとか。ちなみにこのBさん、「引越ししてきた人」とはいうものの、もうこの町内に住んで20年近くになるんですが・・・・。

あるいは、「Cさんはどう?」「Cさん、最近、どうも体の具合がよくないみたいだ」「元気だったら絶対、Cさんなんだけどなぁ」という話になったときに、「じゃあ、Cさんところの婿さん、Dさんはどう? いつも子ども会の行事とか手伝ってくれるし、頼んだらやってくれるんとちがうか、しっかりしてはるし・・・・」という話が出たとか。で、あわててCさんの妻が、「いやいや、うちの婿(Dさん)は、最近仕事がめちゃくちゃ忙しいから無理」と断ったとか。

実はこのDさん、地元出身ではなく、Cさんの娘と結婚して「妻の両親と同居する」ということで、7年前に転居してきた人。だから、7年ほどしか住んでないDさんでも、もともと長年この町内で住み続けてきたCさんの「娘婿」ということであれば、Cさんという後ろ盾があって「地のもの」と認められるんですかね?

結局、この自治会ではうだうだとこういう議論を役員間で重ねた結果、今まで副会長だったEさんが後任の自治会長になるという話で落ち着いたようです。

で、この話を聴いて私が率直に思ったのは、<「地のもの」っていったい、だれなのか?>ということ。このA地区でのケースを見る限り、たとえば「○○年くらい住んでる人」という感じで、単純にその地区での居住年数だけでは決まらないみたいですよね。A地区のケースを見る限りでは、親戚関係とその地区での居住年数、この両方で「地のもの」かどうかが決まる面もあるようです。

そういえば、他の地区では、「地のもの」がだれかを、どのような基準で判断しているんでしょうか・・・・? だれか、「地のもの」の基準に関する研究をやっているんでしょうか? いろいろと興味がわく話ではあります。

ただ、はっきりといいます。「日ごろからゴミの分別のチェックとか、町内の清掃とか、実際に自分たちの暮らす地区のために積極的に動ける人」を自治会役員に選ばず、「あの人は地のものだから」という理由で、「自治会の役員で集まって宴会やるような場だけには来るけど、他はまったく、なんの活動もしないような人」を役員に選んでいるようでは、その自治会の活動、先細りです。というか、そんな人を役員に選んでいるような自治会には、「未来がない」といってもいいでしょうね。

たとえ居住年数が短くても、古くから住んでいる人たちとの親戚関係がなくても、自治会はあくまでも「同じ町内に暮らす人々の共助のための自治組織」なのですから、その観点に沿って、役員には「ほんとうに自分たちの暮らしをよくするために動いてくれる人」を選ぶべきですよね。あらためてそのことを、このA地区の話で感じました。

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本気で「多世代交流」やりたいなら、まずはここから。

2010-07-15 20:55:03 | 受験・学校

今日は大阪市内のある地区で子ども会活動に取り組んでいる方から、「ブログ読んでます」とか「いつも参考にしています」という形で、感想というか励ましというか、そんな形でのメールをいただきました。

別件でのご連絡の最後に、そういうことがちらっと書かれていたわけですが、あらためて「このブログ、やっていてよかった」と思った次第です。この場をお借りして、ひとことお礼申し上げます。

他にも、最近出たばかりの『部落解放研究』で、大阪市内の青少年会館事業のあゆみについて共著で書いた論文が紹介されていたり、あるいは今はやりの「ツイッター」のほうで、青少年会館事業廃止後に行ってきた私たちの調査プロジェクトのことを紹介してくださった方がいたりと、地道な情報発信がいろんなところに「つながり」を作っているように思えてきました。今後も引き続き、いろんな形で、大阪市内・府内の各地区で子ども会活動等に取り組んでいる人たちや、部落解放教育論・人権教育論や子どもの人権論の今後に関心を寄せる人々などへの情報発信を続けていきたいと思います。

さて、今日は仕事の都合で、ある近隣の児童館に出かけてきました。あとに授業が控えていたので、タクシーで行って、館長さんにご挨拶してさっと帰ったため、それほど長時間居ることはできませんでした。ですが、放課後の小学生たちを中心に、地域のおとな(女性と高齢者が中心ですが)が積極的に出入りして、児童館職員とともに「夏祭り」をしている様子は、なかなか「いいものだなぁ・・・・」と思いました。また、ヨーヨーつりや輪投げなどのコーナーで、その児童館に出入りしている私のゼミ所属の4回生たちが、積極的に子どもたちとかかわって楽しく過ごしているのも、なかなか「いいものだなぁ・・・・」と思ってみていました。ちなみに、この児童館で学童保育クラブを担当している職員が、私のゼミの卒業生でもあります。また、この児童館は地元の集会施設な役割も担っているようで、子どもたちの「夏祭り」で使っていない部屋では、高齢者の方のサークル活動も行われていました。

あらためてよく考えてみれば、今、大阪市がすすめようとしている「市民交流センター」での「多世代交流」とは、いったい、なんなのでしょうか?

今日、見てきた近隣の児童館のように、日ごろから地元のおとなたちや近隣の大学の学生たちが出入りして、そこにいるスタッフとともに、子どもたちとかかわるような活動を組織していく。これこそまさに「多世代交流」の形ではないのでしょうか。

それにおそらく、3年前に廃止された大阪市内の各青少年会館では、この時期、上記の近隣児童館のような活動に取り組んでいたのではないでしょうか。あるいは、同時期に廃止された大阪市内の児童館やトモノス(旧・勤労青少年ホーム)でも、似たような活動が行われていたところもあるのではないでしょうか。

そして、もと青少年会館施設を使って、こうした子どもたちを中心としたイベントづくりを手掛けようとした地元のおとなたちのサークルもあるわけですよね。これは私たちの調査プロジェクトが、3年間にわたって追いかけつづけてきた活動でもあるわけですが。

だから私などは、「すでにこうした下地がある地区だってあるのだから、その下地を作ってきた人たちに建物や活動場所などをきちんと用意すること等、条件整備をしてますます動きやすくすることこそ、行政の責任ではないのか?」と、大阪市が「市民交流センター」で進めようとする「多世代交流」については思ってしまいます。また、「そんなに多世代交流が大事なら、なぜ大阪市は青少年会館や児童館をなくしたの?」と、あらためて思ってしまいますね。なにしろ、他市では今日見てきた近隣児童館のように、「公設」の形で運営されている子どもの施設で「多世代交流」をやっているところもあるわけですからね。

そんなわけで、今日、卒業生やゼミ生が出入りする近隣の「公設」児童館での人々の様子を見るにつれて、<本気で「多世代交流」をしたければ、「子どもの施設」から手始めにやるべきでしょう?>と思ったのでした。

ちなみに、「教育コミュニティ」論者にもひとこと、この際だから言っておきたい。今日、見てきた近隣の「公設」児童館のような取り組みもまた「教育コミュニティ」というのであれば、「学校」を軸に「教育コミュニティ」を考えなければならない理由は、なにもなくなるのではないでしょうか。

しかし、今の「教育コミュニティ」論において、たとえば児童館や青少年会館のような学校外の子どもの施設、学童保育や子ども会のような学校外の子どもの居場所は、どんな位置づけになるのでしょうか? 学校外の施設や居場所は「いらない」ということでしょうか? それとも視界に入っていないのでしょうか?

少なくとも私の立場からすると、今の議論の流れからは、こうした学校外の子どもの居場所、子どもの施設が「教育コミュニティ」においてどんな役割を果たすのかが、具体的に見えてこない感じがしています。

もしも「教育コミュニティ」論者にとって、「地域社会の中心は学校だ」というこだわりがあって、学校外の施設や居場所が「いらない」というのであれば、そうはっきりと言ってくれたらいいんです(そのかわり、私は「それって学校中心主義だ」と批判するし、「あなたたちはこうした施設や活動が無くなってもいいって思っているんですね?」と追及しますが)。

しかし、実際に各地区に学校外の子どもの施設や活動が存在するのに、そこを「見ない」形で議論をすすめるのは、「それってほんとうに教育を軸に各地区の『コミュニティ』を見ているの? 学校を軸に見ているだけでは?」と思ってしまいます。

少なくとも不登校の子どもたちとかかわる活動や、これに関する研究を続けてきた私としては、何かと「学校中心」に子どもの生活を考えられると、「ちょっと待て、そこからそれてしまった子はどうなるのか?」と言いたくなってしまいます。

そんなことも、今日、近隣の「公設」児童館を見に行って、あらためて実感しました。

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困ったらまず、子どもと若者、保護者のところへ

2010-07-08 20:05:25 | 国際・政治

最近読んだ本、久繁哲之介『地域再生の罠ーなぜ市民と地方は豊かになれないのか?』(ちくま新書、2010年)には、次のような文章が書いてあった。(以下、青字部分は同書からの引用、p.00は引用ページ)

イベントにおいて大切なのは、主催者も遊ぶことである。つまり、当事者である商店街の人たちみずからが楽しむことで、訪れた市民とのあいだに交流がうまれ、あらたなコミュニティが気づかれていく。それが次のビジネスに繋がるのである。(p.56)

これはもともと、商店街活性化の取り組みで行うイベントについて書いたことだが、今の「人権のまちづくり」を目指す大阪市内や大阪府内の各地区の取り組みにもあてはまることではないのだろうか。

あるいは、これまでの「人権のまちづくり」の取り組みのなかでも、以下のような「地域再生の罠」にはまっているようなケースは起きていないのだろうか?

地域再生関係者

①大型商業施設に依存し、大都市への憧れが高い。すなわち、地域に「ないもの」をねだり、経済的な豊かさばかり求める。その結果、地域資源や心の豊かさを見失う。

②経済的欲望の高さからか、成功事例などハウツー論に飛びつく。

土建工学者

③地域再生関係者に成功事例の模倣を推奨する。だが、その多くが「実は成功していない」し、稀にある成功事例は、市民のニーズや価値観とは違う「遠い過去か異国」のものである。

④自らの理想とする都市政策や器を先に造り、市民がそれに合わせることを強要する。

自治体

⑤専門家の上から目線による「成功事例」に価値を置き、市民目線と顧客志向に欠ける。

⑥前例主義で、「実は成功していない」前例を踏襲して、地域を衰退させる。

⑦縦割り主義で、各組織は連携せず、各組織の目的だけを叶える。効果の出ない施策をつくる。しかも他組織との整合性に欠けて弊害を生む。その結果、地域は疲弊する。 (以上、p.162~163)

ちなみに、著者はこの①~⑦をあらためて次の2つの論点に整理している。

ア 「目に見える」「誰でもわかる」ものを偏重し、とりわけ「数値や力の大きい」ものや権威に依存する。

イ 「目に見えにくい」「気がつきにくい」ものを軽視する。

ここを読んで、「これって、この何年かの大阪市の行財政改革で行われてきたことではないのか?」とか、「橋下知事の府政改革もこれではないのか?」とか、いろいろ、突っ込んで考えてみたくなった。と同時に、今の人権教育関係の議論での「学力」テストの結果へのこだわりもそうかもしれない、とも思ったりもする。

それから、こんな指摘もある。これは農産物の「加工品」直売所を街中につくり、市民、特に「未成年者」が好むような「地域産品を加工したおやつ」をそろえ、安心して交流できる場をつくる、という提案に関して書かれた部分である。

既存の「野菜直売所」のビジネスモデルは、主に「郊外」で「車で遠方から来る大人の観光客」を相手に「とれたての地域産品を加工せず、そのまま並べて売る」ものだ。私の提案は、「地元未成年」を相手に「加工したおやつ」を揃えて、「街中」に安心して交流できる拠点をつくり、地域愛を育むことに繋げるようなビジネスモデルに変更するのである。

いまの学生たちにとっては、放課後に友人と軽い飲食をしながら語らう「たまり場」は、主にコンビニエンスストアやファストフード店など大資本チェーンの「需要吸収型商業施設」である。

大資本チェーン店を愛用して育った若者に、はたして地域再生に欠かせない「地域愛」が育つだろうか。(p.211)

これは、大阪市内や大阪府内の各地区で、青少年の拠点施設がなくなったあとに、ひとつ、子ども会・若者のサークル等の復活をめざすのであれば、ひとつ、取り組んでみてもいい活動ではないだろうか。地元の商店街の空き店舗をひとつ借りて、何人かのおとなが交代で詰めて、子どもや若者のこづかいで買えそうな「手作りおやつ」と飲み物を提供するような、そんな駄菓子屋感覚の「たまり場」が運営できれば・・・・と思ってしまう。

あるいは、次のような指摘もある。

たとえ不況であろうと、「健康、食、交流」という人の普遍的ニーズに対して市民は持続的かつ積極的に消費する。持続可能な賑わいは、人の普遍的ニーズを満たすことで生まれる。(p.230)

たとえば先日、大阪府内のある地区で取り組んでいる「あったかサークル」の活動の様子を見てきたが、そこでは毎週、地元の高齢者などを集めての昼食会に取り組んでいる。また、そのサークルがかかわる形で夏祭りなどを行い、子どもたちを集めて模擬店を出している(当然、そこには食べ物が出る)。そして、昼食会には毎回数十人単位で、夏祭りには百人以上の規模で、それなりの参加者が得られている。やはり「健康、食、交流」をテーマにした活動というのは、地域社会における人々のつながりの活性化につながるのではないだろうか。

そして、この本は終わりの章(第9章)で、次のようにもいう。

現在の地域再生に関する施策形成の問題点は、市民のニーズを知らない自治体と専門家が、市民の声を聞かずに机上で決めることにある。こうした施策が地方都市を疲弊させていることは、これまでに考察したとおりである。

したがって、地域再生はまず、市民が主役として関与する仕組みが求められる。その仕組みは机上で考えるのではなく、現場での交流・体感を通してつくられることが望ましい。(p.247)

これを大阪市内や大阪府内各地区での子ども・若者に関する取り組みにあてはめるならば、「なにをしていいかわからずに困ったのならば、まっさきに子ども・若者やその保護者の話を聞くべし」ということであろう。逆に言えば「当事者のところにきて、話を聞こうともしないような専門家の理論や、そんな専門家と行政がいっしょにつくったプランなどは、まっさきに疑ってかかるべし」ということでもある。

だから、もしもどこかの市の行政施策のプラン作りが民間のコンサルタント会社に「丸投げ」されてつくられているのだとしたら、そんなプランは疑ったほうがいいだろう。

また、各地区で地元の人たちが「まちづくり」に限らず、子育てに関することや文化に関することなども含めて、何らかの形で運動の再構築に取り組むのであれば、「自分たちの話をよく聴いて、いっしょに考えてくれる」とか、「自分たちの暮らす場に入ってきて、いっしょに動いてくれる」ような専門家との協働・連携を考える必要があると思う。

そんなことを考えたのが、今回読んだこの1冊だった。

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その道の遠さを語るより今・・・・。

2010-07-04 21:26:06 | 学問

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YouTube: ステップ・バイ・ステップ 島田歌穂

今日に限って「なぜ、ユーチューブの動画なの?」と思う人もいるかもしれませんが、私なりの思いあってのことです。

いよいよ、私たちが大阪市内の青少年会館条例廃止後、3年間続けてきた調査研究プロジェクトを終了する時期がきました。今、報告書のとりまとめ作業を行っていて、特に大きな問題などが起こらない限り、今月中にはなんとか仕上がると思います。

それで、いつもながらこの報告書のなかでも、私は「できることを、できる人が、できる形で」ということを強調して書きました。このことは、今、子どもの人権に関するあらゆる活動の場面で求められていることのように思うし、もちろん、青館条例廃止後の大阪市内各地区で、子どもに関する諸活動に取り組んでいる人たちにも言えることのように思います。

なぜ今、ここを強調するのか。そのことの意味が、今日、ユーチューブの動画で紹介する曲の歌詞ともかかわるので、以下のとおり書いておきます。

正直なところ、私はこの何年か、身近なところで行われてきた教育関連の研究には、いろんな意味で違和感を抱くようになってきました。学校や教育をある観点から批判すればそれで終わりのような議論や、既存の教育のあり方を相対化することそれ自体が目的と化したような議論に接するたびに、「だから、その先はどうするんだ?」と思って、イライラすることばかり。教育について、理論的な研究を学界でやっているだけでいい人たちは、そのような議論の枠内にとどまっていれば済むのかもしれない。でも、「あなたたちの議論のその先には、何があるの?」といいたくてしょうがなかったんですよね。

似たようなことは、部落解放教育や人権教育に関する議論についても言えること。今までの教育のあり方をゆさぶり、相対化する・・・・。あるいは、「今までのつながり方を捉えなおす」とか・・・・。それが「いらない」とまでは思わないのだけど、「で、その先はどうなるの?」といいたくなってしまうんですよね。

そして、そういう今ある教育の相対化や、そこでの人々の関係に対する批判的な検討作業が緻密になればなるほど、だんだん、その緻密な作業でがんじがらめになってしまって、身動きがとれなくなる・・・・。何が今、必要なことで、何が優先的に取り組むべきことなのか、だんだん、わけがわからなくなってくる。

そういう現状に対して、私はだんだん、いらだってくるんですよ。「今、まさに目の前に、何かをやろうとしている人たちがここにいる。その人たちを前に、自分にどんな支援ができるのか、それを考えたいんだ! そんなことを聞いているんじゃないんだ! そんなものを読みたいんじゃないんだ!」って、言いたくなるんですよね。

そんなときに、ふと、今回、ユーチューブからアップした島田歌穂の曲を聴くと、「そうそう!」って思ってしまうわけです。「その道の遠さを語るより、今、歩き出そう」です。

「やってみなきゃ、何かはじめてみなきゃ、わからないってこともあるじゃない?」

たぶん、学校や社会教育・生涯学習の現場の実践者だとか、教育・子育て運動の担い手に求められるのは、研究者が部屋にこもって行うような緻密な理論的詰めの作業よりも、理論化の度合いは少々甘くても、自分たちの生活実感に即しながら、あえて何か子どもたちにとって必要なことにチャレンジしようという、そんな心意気ではないのでしょうか。

だから今、私は子どもの人権に関する活動や、教育運動などにかかわる人には、「その道の遠さを語るより今・・・・」という心意気、それを求めたいと思います。

そして、何かを始めてみて、ほんの少しだけでもいいから前に進んでみてわかること。何かをはじめてからだで感じ取ったこと。それを、自分としては理論的に緻密な作業をしてるつもりが、結果的に思考が同じところでグルグル回っているかのような人たちに、ぜひとも突きつけてほしいと思っています。なにしろ、私たちは「運動」や「活動」に関わっているわけですから。

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