できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学人文学部・住友剛のブログ。
関西圏に関することを中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

更新が途切れて申し訳ないです。

2011-06-30 18:29:35 | 受験・学校

しばらく更新が途切れていましたが、このブログそのものを中止しているわけではありませんので、まずはその点、ご安心ください。

また、更新がこのところ不定期になりがちであること、率直におわびいたします。

あらためて今、書いてみたいことや訴えておきたいことはいろいろ思いつくものの、ここのところ日々の仕事に追われて、ブログの更新にまでエネルギーがまわらない状況にあります。

ただ、今度の土曜日・日曜日は、日本学校ソーシャルワーク学会の研究集会が仙台市の秋保温泉であるので、そちらに顔を出してこようと思います。

ほんとうはこの土日、福島大学で学校ソーシャルワーク学会の今年度の大会が予定されていたのですが、このたびの東日本大震災や原発事故で延期になったため、そのかわりの研究集会が開催されることになりました。

原発事故後の福島県内での子どもや学校の様子、あるいは宮城県その他の東北各県の大震災発生後の子どもや学校の様子など、現地でスクールソーシャルワーカーとして活動中の方などから、いろんなお話をうかがってこようと思います。

それから、この研究集会の帰り道は、栃木県の宇都宮に立ち寄って、あらためて兵庫県川西市・子どもの人権オンブズパーソン制度について話をしてこようと思っています。

いままで関西圏での講演や学習会に招かれることが多かったのですが、ここへきて北海道や栃木県など、東日本から子どもの人権関連のイベントにお声がかかることが増えてきました。ツイッターで各地の人々と交流している結果、という面もあるのですが。

このような次第で、しばらくあちこち出歩いたりと、忙しい日々が続きます。更新が不定期になるかと思いますが、よろしくお願いします。

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公教育計画学会の声明

2011-06-14 19:50:35 | ニュース

この前の土曜日・日曜日(6月11日・12日)と、私は自分が入会している公教育計画学会の第3回大会に出るため、さいたま市の浦和まで出かけました。

今年の公教育計画学会での大きなテーマ(大会シンポジウムのテーマですが)は「ソーシャルインクルージョンと公教育」。このテーマでのシンポジウムは、ぜひともスクールソーシャルワーク論をやっている人たちにも聴いてほしかったなぁ・・・・と思いました。

それはさておき、以下のとおり、公教育計画学会で2つの声明が出ました。全文、学会ホームページでPDFファイルをアップしてますので、次のとおり読むことができます。

公教育計画学会声明:大阪府「君が代起立条例」の制定に抗議する(2012年6月12日)

http://koukyouiku.la.coocan.jp/oosakahukimigayokiritujyourei20110612.pdf

2011年度第3回公教育計画学会大会声明(2012年6月12日)

http://koukyouiku.la.coocan.jp/dai3kaitaikaiseimei110612.pdf

大阪府の例の「君が代起立条例」の問題は、ほんと「なにを考えているんだか」というしかないような問題なのですが、意外と今の学生たちに聴いても「それがどうして問題なんだかわからない」という返答が帰ってきます。やはりこれまでの歴史的な「日の丸・君が代」問題に関する議論の経過や、憲法や公務員法などの法学的な話について、ある程度の予備知識がないと、この問題について理解ができない学生も多いようです。この学生たちの実情考えても、日本の社会科・公民科教育は何をやってきたのか。あるいは、人権教育は何をしてきたのかが問われるように思うのですが・・・・。だからこそ、私はこのところ、あらゆる科目をつかまえてこの問題を取り上げ、「法」についての理解を学生たちに深めるよう働きかけるようにしています。

その一方で、このたびの公教育計画学会では、学力やカリキュラムの問題にかかわって、「原子力村エリートを育てるのに役立ってしまった学力を問い直す必要がある」とか、「もう一度、科学技術に関する市民的な知識・意識を高める必要がある」という趣旨での発言もありました。そのような議論のなごりのようなものが、第3回大会声明のなかに出ていると思います。これもしっかりと今、読んでほしいなと思います。特に、大阪界隈にいる「学力向上」が好きな人権教育系の人、「格差社会を越える」取り組みをしたいと言ってる人権教育系の方には、この2つの声明文、ぜひとも熟読していただきたいですね。

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いま、どこで、何をしているのでしょうか?

2011-06-10 20:17:11 | いま・むかし

今日はきわめて「雑感」めいたことを、最近決まった大阪府の君が代起立強制条例の問題に関連して、ほんの少しだけ書いておきます。

橋下府知事や大阪維新の会の動き、これに反対する弁護士会などの意見表明に加え、最近の最高裁判所小法廷の判決等々、一連のこの問題での動きがマスメディアで大きく取り上げられたことなどもあって、少なくともうちの大学にいる学生たちが、「国旗国歌(日の丸・君が代)」をめぐる諸問題に少しずつ関心を持ち始めました。また、企業や役所などに勤める人にとって、「職務命令」と「思想信条の自由」との関係はどうあるべきかなどについても、学生たちの関心は少しずつ高まってきたように思います。

私としてみれば、今こそ本格的な「憲法学習」や「人権学習」のチャンスではないか、と思っています。それこそ、学生たちのなかには、「なぜこのことが大きな問題として取り上げられるのか、よくわからない」とか、あるいは「日の丸や君が代に批判的な人がいることが信じられない」とか、そういうことを言う学生もいます。そんな学生たちを相手に、敗戦後日本社会における個人の思想信条の自由の問題と「日の丸・君が代」の問題や、日本国憲法における基本的人権、特に精神的自由権の保障をめぐる諸問題について、大学にいる私たちがどれだけのことを語ることができるのか。そこが今、問われているような気がしています。個人的には、今こそ「人権教育」に関心を寄せてきた研究者は、まずは目の前にいる学生たちを相手に、なにか、語れるところから自分の思いをこの問題について語るべきではないのか、とすら思っています。

と同時に、この問題について橋下府知事や大阪維新の会を支持する人々のなかには、これまでの「日の丸・君が代」をめぐる諸問題についての情報不足や、まとまった学習をする機会がなかったという人も多々いることかと思います。あるいは、「むずかしいこと考えるのはめんどうだから、こんな雰囲気だし、橋下知事や維新の会の言うとおりでいいんじゃない?」というような意見の持ち主もいるのではないか、とも思います。

今、私たち「「人権教育」や「子どもの人権」に関する諸課題にかかわってきた側には、まさに、こんな「むずかしいこと考えるのはめんどう」という層だとか、「まとまった学習をする機会がなかった」という層の人たちに対して、どれだけ情報発信ができるのか。どれだけ伝わるメッセージを持っているのか。そこが問われているようにも思います。結局、ここで何か、私たちなりにメッセージを発して、ひとりでもふたりでも共感や納得を得られるようにしなければ、状況はそう簡単に変わらないような気がするのです。

私がかかわっているある研究会のメーリングリストを見ていると、橋下府知事の発言などがかなり理屈としてはボロボロで、それでは通らないことは多くの人が気づくだろうから、放っておけばいいかのような、そんな考えを述べている人がいます。

しかし、私はそうは思いません。それこそ、かなり問題発言の多いの石原東京都知事でも、この間、何度も再選しているのはなぜか。そこを考えてほしいと、その人には言いたいです。やはり、問題発言の多い人であっても、その人を知事や議員になることを支持する層が、広くこの社会に存在しているから何度も再選するわけですよね。

さらに、今、この情勢下で沈黙を守っている大阪の「人権教育」や「子どもの人権」に関する研究者、実践者。あなたたちはいったい、いつになれば「これはおかしいのでは?」と言葉を発するのでしょうか・・・・? 私の目の前には、そういう人たちの姿があまり視野に入ってこないのですが、いま、どこで何をしているのでしょうか、みなさんは?

ひとまず、今日のところは、このあたりでとどめておきます。またこの問題については、いろんな文献などを読んだり、マスメディアでさまざまな動きをつかんだりしながら、情報発信をしていきたいと思います。

最後に、最近、大学院の講義で紹介した本のなかから、次の文章を紹介しておきます。

民主主義とは、つくられた「多数の意見」に盲目的に従うことではなく、国民ひとりひとりに自立した主体としての重い責任を課すものである。国民ひとりひとりが不断の学習と探求の主体であって、はじめて、国民主権の実質的担い手たりうる。(堀尾輝久・兼子仁『教育と人権』岩波書店、1977年)

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もう一度、ここから「反対」の動きを創り出そう。

2011-06-04 17:00:29 | いま・むかし

とうとう大阪府議会は昨日、大阪維新の会などの賛成多数により、公立学校教職員への君が代(国歌)の起立斉唱を義務付ける条例を可決成立させました。以下のとおり、毎日新聞のネット配信記事を掲載しておきます。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110604k0000m040033000c.html

http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/06/04/20110604ddm001010033000c.html

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110604ddm041010175000c.html

また、たぶん毎日新聞のネット配信記事よりも長くネット上で配信されると思いますので、朝日新聞のこの件についての記事も、下記のとおり掲載しておきます。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201106040017.html

正直なところ、「なにするねん橋下知事!?、こんなんでほんまえにええんか、大阪府議会!?」というところでしょうか。もう一回、これを争点にして府知事選挙と府議会議員選挙のダブル選挙をやって、府政への信を問うくらいのことしてほしいです。

まず、この「君が代」起立斉唱義務付けの条例案、そもそも、先日の統一地方選挙での大阪維新の会の公約に掲げていたものでしょうか? 私の印象では、毎日新聞の上記「解説」の記事のとおり、5月に入って急に案を練って出してきたように思えてなりません。

だいたい、そもそも橋下府知事は、こういうことをやりたくて府知事選挙に出たのでしょうか? 彼は「子どもが笑う大阪」ということを実現するという、そのキャッチフレーズで府知事選挙に出たはずです。こんな「君が代」起立斉唱義務付けの条例で公立学校教職員への締め付けを強めることで、「子どもが笑う大阪」が実現するとは思えません。

また、上記の毎日新聞「解説」の記事によると、大阪維新の会でも5月25日に条例案が出されてから、十分な内容の検討をしていないとか。しかもこの条例案の中身には、その判決の中身がいいか悪いかにはいろんな議論の余地があるにせよ、公務員の思想信条の自由と職務命令の関係など、最高裁の判決が先日出るくらいの憲法上の難問に触れるところが随所にあるわけですよね。あるいは、弁護士会の側からこの条例案に対して「憲法違反の疑い」も指摘されるような、そんな条例案なわけですよね。

なぜ、大阪維新の会は、時間をかけてじっくりと、この条例案の中身について審議しようとしないのでしょうか。それは条例案の中身の審議をじっくりとすれば、自分たちの案のボロがでるからでしょうか。また、府議会で多数派をしめた地域政党・大阪維新の会と、その地域政党と首長たる橋下知事がタッグを組めば、府政はどのように動かしてもかまわないのでしょうか。そして、大阪府の有権者はこんな形で動くことを望んで、今の橋下知事と大阪維新の会に府政を託したのでしょうか。ほんと、次々に疑問がわいてくる条例案可決です。

ただ、昨日の府議会で可決成立してしまった以上、今までのように「条例案成立反対」ではなく、「条例廃止」を求める動きに、今後はさまざまな取り組みを切り替えていかねばなりません。また、今後次の議会に向けて、起立斉唱をしない公立学校教職員への罰則規定の整備など、あらたな動きが起こり始めます。それに対する抗議の動きをつくっていかねばなりません。

そして、これも前々からずっと言っていることですが大阪の人権教育や子どもの人権関連の運動関係者、研究者は、いったい、何をやってるねん、いま?????ここであんたらがもの言わなかったら、いつ言うねん!!!!!!!」ということを、この場を借りてあらためて伝えておきたいです。

大阪維新の会や橋下知事がこういうことができる背景には、大阪府民の有権者が彼ら彼女らに投票し、議会で多数を得たり、知事選挙で当選させたりしたことがあります。ということは、テレビのワイドショーで「橋下劇場」を見てるような感覚で、「なんか、おもしろそう」くらいの気持ちで、ムードにのせられて大阪維新の会や橋下知事を支持している層が、大阪府内のあちこちで多数をしめている、ということの現れです。

あるいは、過去に学校生活のなかで何かつらい体験をしてきた層が、まるで学校への恨みをはらすような感覚でこの手の府政対応を支持するとか。ほかにも長引く経済的な困難や生活状況の苦しさの中で、「あの人ばっかりめぐまれているのはずるい」というような感情を抱いた人々が、そのうさばらし的に公務員バッシング、公立学校教職員たたきのような政策を支持するとか。そういうことも、このたびの大阪維新の会や橋下知事の動きのなかに見えているのかもしれません。

とするならば、これから橋下知事や大阪維新の会の具体的な動きのひとつひとつに反論したり、異議申し立てをしつつも、同時に学校現場や大阪府内のそれぞれの地域社会において、あらためて生活困難な人々(特に子ども)をきっちりと支え、維新の会などの動きにまきこまれないようにするはような、そんな取り組みをしていく必要があるはずです。

だから、今ここで黙っていたり、立ち止まっていたりする余裕も時間も、私たちには「ない」のではないでしょうか。「できることを、できる人が、できるかたちで」という原点に立ち返って、あらためて今日、ここから、ほんとうに生活困難な子どもたちを支えつつ、学校や地域社会のレベルで本当に「人権を大事にする社会」をつくっていく取り組みをする。そのなかで、維新の会や橋下知事の動きに批判的な意識を高めていく。そんなことがいま、求められていると思います。

<追記> この条例案に対して「反対」する人々のなかには、「職務命令でできるじゃないか」という観点から反対理由を述べている人もいます。ただ、「そもそも、ひとりひとりの公立学校教職員の思想信条の自由を制約しうるような職務命令を校長が出しまくったり、あるいは、それを出すように地方教育行政が促しているということ自体、『そんなこと、やっていいのか?』と問う」必要があるのではないか、と思います。もしも「学校現場に思想信条の自由を尊重する風をふかせたい」という観点からこの条例案に反対するのであれば、そもそも、「職務命令で教職員に君が代起立斉唱を求めていく」ということ自体、徹底的に「ほんまにそれでええんか?」と言わなければいけないのではないか・・・・と思ってしまいます。

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