魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

学芸貿易

2011年10月10日 | 大転換

TPP議論が急がれている。結論から言えば賛成だ。
企業の都合に味方するのではない。好むと好まざるとに関わらず、旧態は崩壊していく。前に進む方法の一つとしては、現実的だと思う。

反対側の理由は、要するに旧態の保護であり、面白いのは、革新を標榜する人々ほど反対している。
もし日本を、自給自足で農業中心の低生産の国にするという構想で、TPPに反対するのなら、支持するが、TPP反対の人は、福祉レベルを下げることにも、反対のはずだ。

TPPに賛成するのは、中国対策に有効でもあるが、それより、究極的には、近代国家システム解消のステップになると思われるからだ。
昔ながらの、権益を守る国家が成り立たなくなっている。
国家の枠でコントロールするには、物流も情報もマネーも、大きくなり過ぎた。

国家を超越する枠組みが必要であり、一方で、国家に保護されてきた産業は、個々に堅固な自立を図らなければ、遅かれ早かれ、そこに存在する理由が無くなる。ただし、農産品輸出の発想は貿易病だ。

工業の分け前で食いつないできた農業を止め、集約化など、農業そのもので利益を出せる体質にしなければならない。日本人は国産愛好だ。安いからと言って、そう簡単に輸入品を買うわけではない。
もちろん家畜飼料も自給自足すべきであり、それも可能なはずだ。
(丁度、これを書いていたら、野田総理の農業視察のニュース)

TPPもアメリカのグローバリズム手法だが、それに乗りながら、日本は新鎖国主義の実践に乗り出すチャンスだ。
円高に乗じて旧産業の企業は海外移転し、日本は自己完結型の農業国家になり、学芸中心の「人の加工貿易」で文化立国に専念する。

250年先を見据えた国家像とは、近代国家の消滅と、それに代わるグローバル地域の確立だろう。過去250年の、国家による生産競争は、企業、マネーに入れ替わり、やがて、それも姿を変える。

崩壊から生まれる秩序
少し例えは違うかも知れないが、平安時代から鎌倉以後の、武家社会への移行は、それまでの制度を担う地方の部署が、中央統制力の衰退で勝手な行動を取り始め、やがて群雄割拠の戦国時代に移行していったように、国家が崩壊すれば、企業や地方が独立して勝手な秩序を築いていく。この間、約五百年(冥王星250×2)。
第二巡の本格的武家社会では、室町から戦国時代への移行期に、貨幣の価値が大きく変わり、本格的なマネー権力の時代になった。

今後の世界で起こることは、これに似たような紆余曲折を経ながらも、国家と通貨と為替が消滅し、通貨によらない価値の創造のようなことが可能になるのではなかろうか。(共産主義の理想かも知れない)

貨幣が現れたのと、ソクラテス、ブッダ、孔子など、今日につながる哲学が現れたのは、ほぼ同じ頃だから、人類の置かれた環境が新しい哲学を必要とする今、当然、通貨の概念も変わっていくだろう。

大航海、産業革命と続くグローバル化は、いよいよ、第三巡の最終章250年に突入する。宗教、通貨、民俗・・・など、信じてきたことが崩壊を始めている。いずれも、消える前の輝きを増しているが、この半世紀で消えるだろう。

何しろ、2063年には、宇宙人とファーストコンタクトをしなければならないのだから。(スタートレック)