クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

「藍は藍より出でて藍より芳し」の感

2018年05月31日 | ブログ
近くに住む友人の家を訪ねました。用件はフジバカマのことではなかったのですが、帰路につく前にその場所へ視線をやりますとフジバカマはビッシリと生えていました。フジバカマ同士が立錐の余地がなく息苦しくなるほどの密度、ちょうど東京などの通勤時の列車内のようでした。アサギマダラが好む場所となっているのが容易に納得できました。「藍は藍より出でて藍より芳し」の感、そのものです。比較すれば我が家のそれはお粗末そのもので雲泥の差があります。友人宅のようになるには数年かかるのでしょう。元は我が家から分けてあげたものですが・・・。

新表札(手作り)設置
住居新築から約20年、門扉の脇に表札を立てていました。それぞれの長さを違えさせた角材を3本組み合わせてそれに妻が制作した陶器の表札を取り付けていました。しかし、年数が経って支柱としていた角材が腐食しグラグラと揺れるほどになっていました。花壇内に埋め込んでいましたので花へ水やりをすることも当然、腐食を早めたのは間違いありません。このことから、同じ様式でまた、支柱を作り直しました。設置した場所は前回と全く同じ所です。廃材を使用した物とは云え今回は腐食を少しでも遅らせるような対策を講じました。材質が前の支柱と同じあるかどうかは分かりませんが仮に同じだとすれば今後、前回以上に持ちこたえるかも知れません。私が生きている間、大丈夫かも・・・。写真を添えます。

かわいい新芽があちこちに フジバカマ

2018年05月28日 | 植物
移植したフジバカマに、かわいい幼い新芽があちこちで確認できました。この秋までにどれほど育つか私は分かりませんが、移植したものがちゃんと生き続けていることは確かで、安心しています。最終的にはフジバカマが密集した畑を実現させることを目指していますので、晴れた日は1日おきに夕刻、水をやっています。杞憂にすぎないことは充分に分かっていますが、アサギマダラがこの場所を気づいてくれるかが心配です。これまでの彼、もしかすると彼女かも知れませんが、移植前の場所への飛来・飛去の動線は今回の移植先とは真逆の方向のうえ、移植前と移植後の距離は僅かなのですが家屋や樹木が在り見通しが利きませんので気になります。ただ、そう思いながらも我が家との関係では、極めて狭い面積にあるフジバカマを発見してくれたのですから、移植先の場所についてはより広く、より密集した今回の場所を同様に発見してくれるのではないか、との期待も持っています。旧と新との間にフジバカマを1列でも植えて繋げば飛来してくれる確率は高いでしょうが、そういう訳にもいきません。お知らせの看板を立てたらどうかな、とも思っていますが・・・。

PCプリンターと喧嘩

2018年05月27日 | ブログ
100枚の葉書の表裏に印刷する必要がありました。所有する2機のプリンターの内、新しいものを使って作業に入りましたが途中、印刷が停止したり印字されない状態で排紙されたりする不具合が発生しました。何度も何度も。器械ディスプレイに表示される文言は葉書が表裏反対になっていないか、それまでの紙と種類が異なるのではないか、葉書が逆にセットされているのではないか、というものでした。それらのことはちゃんと守っているにも拘わらず、です。あまりの度々のトラブルに私は遂に頭に来てプリンターと喧嘩し始めました。そのうちに改善するだろう、との考えからそのままその器械を作動させ続けましたが遂にはもう一方の古いプリンターへ乗り換えざるを得ませんでした。その間ずっと、喧嘩し続けでした。あまりにも色んな機能を盛り込んであることがその原因だと思います。所謂、「オールインワン」なのです。プリンターと称する以上はちゃんとその最大の目的を果たすことが役割の筈ですが、困ったものです。私はその器械は、繊細で理屈が多くしかもそれが行動に繋がらない口先だけ、頭でっかち、といった感じを抱いています。一方の廃棄しか行き先がない立場となっている器械は頑なに本来の目的を果たす足腰がしっかりした安心して仕事を任せられる存在、と思っています。

ハイビスカスローゼル
ジャム作りへの期待をもって蒔いた種から芽を出したのは僅か、7本のみです。私の種子保存法が間違っていたことは知っていましたのでどれだけ芽を出してくれるか不安がありましたが、やはり想像通りでした。今年のジャム作りは不可で、来年へ向けての種つくりにしようと思っていますが、その量が確保出来ますかどうか。

とんでもない電話
日常、煩わしいほど勧誘の電話が入りますが先日のそれは異常なものでした。中年、と思われる女性の声でしたが極めて高圧的、感情的、理屈も何もあったものではありませんでした。内容は電気料金が安くなる、というものでした。私が、従来どおりでやっていく旨を告げますと「新聞も見ないのですか」「TVも視ないのですか」と声を荒げて非難し、更には「そんなことも知らないで電話口に出ないでください」と。私が相手の会社名やその女性の氏名を尋ねても一切、そのことには話しを持って行かず、非難の言葉を投げ続けるのみでした。私は後では受話器を耳から遠ざけて話しを避け、相手が電話を切るのを待ちました。この前後に電話を受けた全ての方が同様の経験をされたのでしょう。こんな電話は初ですが、私が勤め先から帰宅途中、満員のバスの中でただ1席空いていた所に座り隣席の女性から罵られたことを思い出しました。その女性が降車の折、整理券を床に落としそれを拾おうとしましたが隣に私が座っていたため取れなかったのです。それが私の責任になったのです。全くとんでもないことでした。

認知症検査

2018年05月24日 | ブログ
3年前の自動車運転免許更新時は、重大事故を引き起こす前に免許証は没にしよう、との考えが9割ほどを占めていました。しかし、来客が確定していてその接待で運転が必要になることが決め手となり更新することに決めました。しかし、今回は具体的な予定は存在しておらず、強いて云えば“・・・があるかもしれない”という程度でした。そういう中、皇居勤労奉仕前、公安委員会からの葉書が届き自動車運転免許更新に際して認知症検査を受けるようとのお知らせがありました。希望の自動車学校へ早めに申し込むことが記されていましたが奉仕から帰ってから申し込むことにしていました。帰宅後、我が家から比較的近い自動車学校へ電話を入れますと1か所は満員、更にもう1か所も同様の返事で万事休す、となりました。葉書の「早めに」との記載が納得出来ました。51年間所有し続けた自動車運転免許との縁が切れることにそんなに寂しさはありませんでしたが、自分からすすんで免許を返却したのでなく更新を拒否された、というような感じが生じて何か心の中にスッキリしないものが残りました。数日後、“ダメ元”の気持ちで念のため、熊本市内の自動車学校へ電話を入れてみました。直ちにOKが返答されました。数日後、認知症検査を受けました。結果は問題なし、でした。この後、通常の高齢者講習を受けることになります。

認知症検査受付前に散策したその近くの公園での写真を3回に分けて掲載します。
   

皇居勤労奉仕、再び。私にとっては最後  余談 その2

2018年05月21日 | 写真
    
写真1   2    3     4     5
写真1:知らない人はいないお寺。私は初めて訪れましたが、ずっと念願の場所でしたのでこれで安眠できます。浅野内匠頭、大石内蔵助他46士の墓があります。
写真2:その泉岳寺で墓地の出入り口で購入することが出来る線香。1束100円。
写真3:4連泊した宿の廊下
写真4:東京文化会館
写真5:夜の西郷さん

皇居勤労奉仕、再び。私にとっては最後  余談 その1

2018年05月20日 | ブログ
超奇跡的
「奇跡」という表現はめったに使用すべきではないと思いますし、それに「的」を加えて「奇跡的」といったら少し物足りなさを感じますので敢えて「超」を冠しました。私達の地域で結成された団体が行う勤労奉仕は今回が2回目でしたが、何れの場合にも宿泊に使われた宿があります。前回は2泊、今回は4泊がその宿でしたが、そこで実に、実に超奇跡的事実が判明しました。その宿の若い女性従業員の方が何と、私が住む町の隣町出身でしかも、今回の団員さんの家の直ぐ側、加えてその団員さんの妹さんと同級生だったのです。団員の方もそれらのことは全くご存じありませんでした。彼女が私達の夕食時に挨拶に来られて会話され初めて知られたのです。彼女は宿の予約表か何かで私達の団体名を見られたとのことでした。日常でも奇跡的なことが時には起こることがありますが、今回のこれは超奇跡的です。

首を傾げた光景
私達の団の人達が奉仕後の東京湾ディナークルーズに参加しておられる間、私達夫婦は上野公園を散策した旨を先に書きましたが、その途中、意外な場面に出会いました。芸術関連の施設が建ち並ぶルートの終点くらいの所で大人の男女多数が集まり(スーツ姿も沢山)全員うつむいて懸命にスマホに向かっていました。誰ひとり顔をあげる人はいなく、その人数は段々と増えるばかりでした。確か「上野の森美術館」前だった、と思います。私も妻も何かの催しがありその開場を待っておられるのだろう、と推量しました。しかし、当該美術館の看板を見てもそれらしい表現はなく、書道関係の展示となっていました。誰か有名な書家の作品展示か、などど想像を巡らせたりしましたが謎は深まるばかりでした。遂に妻が、その場にやって来た若い男性に尋ねました。「ポケモンです」との答えが返ってきました。催しとは異なっていたことに疑問は解け結論は出せましたが、私は今でも「ポケモン」が何だか分かりません。大の大人があんなに多数同じ場所に集まり世の中の他の何事も無関係みたいにしてスマホに夢中。私には信じられず首を傾げ続けた光景でした。

中村哲氏(末尾※印)の言葉を引用
中村哲氏が熊本で講演をされた時のことですが、話しを始められて直ぐ、スクリーンに映し出された画像が上下逆になっていました。中村氏は話しを中断されスライド担当の方は急いで修正に取りかかられましたが再開後も再び、同じ状態でした。それがその後、2回くらい続いたように記憶しています。そのとき中村氏は云われました「いいですよ、私の人生がそうですから」と。思わぬ発言に満員の会場は笑いに包まれました。器械を使用する本番ではよくあるトラブル・ハプニングです。さて前回の奉仕時もそうでしたが、期間中は単に団員の人達と夕食を共にするだけに留めてありますが、作業が全て終了した日の夜は何処かの観光地を訪れ懇親会・宴会が催されます。前回は伊豆温泉、今回は鬼怒川温泉でした。勿論、私達の団だけの行動です。私はその時に備えてハーモニカを持参していました。宴会が進み、隣席の女性の方が私に演し物を勧められました。自分から進んで手を挙げる気は全くありませんでしたが、その誘いには“待ってました”の気持ちでした。私は楽器の音より人の声の方がうんと深みが在り、味わいがあり、価値が在る、との考えですので団員の中に誰か、私の演奏に合わせて歌って戴く方はおられないか、をその女性に尋ねました。これまた幸運で、カラオケの先生と周囲から称されておられる女性がおられました。隣席女性の方は早速、その方に依頼をされましたが、その先生は承諾されながらも大きな不安を持たれている様子がはっきりと読み取れました。それはそうです。私の演奏を聴かれたこともありませんせんし、私の力量もご存知ありません。先生としての矜持も在ったと思います。私はその先生のご心配を察して私が演奏する曲(演歌)を先ずお一人で歌って戴き、それが終了してから私の独奏とする旨を提案しました。OKを戴きました。私の出番が来ました。直ぐに演奏を始めましたがほどなくカラオケ器械が独りでに突然、大きな音で鳴り始めました。トラブル発生です。進行役の団員の方が直ぐに対応されてその音を消す操作に取りかかられ、やがてそれは完了しました。私は曲の冒頭から演奏をやり直しました。進行役の方が器械を扱っておられる間、本番では何が起こるか分からない、本番は怖いことを伝える為、私は皆さんに前述の中村氏の言葉を紹介しました。その紹介に「素晴らしいフォロー」との声が飛んで来ました。私の演奏も好評だったようで事後、カラオケの先生がわざわざ私の席まで挨拶に来られました。因みに、演奏した曲は「他人船」です。
※ 中村 哲 氏  アフガニスタンにおいて身命を賭して活動中。人の健康は水によるところが大きい、と現地で井戸を掘り、また、水路を創設して河川から水を引くなどして農業再興に尽力。大統領から勲章が授与されたそうです。医師 福岡市出身。

皇居勤労奉仕、再び。私にとっては最後  その5

2018年05月19日 | ブログ
猛反省!! “田舎者”との誹りを受けても仕方ない対応
本当に、本当に心の中で恥ずかしい思いをしています。私達の団員全員がそうだった、と思います。しかも今回が2回目の奉仕となった人達が団員の約半分も存在し私もその当事者ですが、全く、あることに気が付きませんでした。失態の内容については団の他の方々に差し障りが生じるかも知れませんので敢えて省略しますが、今でも悔やまれてなりません。その時は気づかなかったのですが前回も同じ場面で同じ反省を私はしていたのに、その事を完璧に忘れてしまっていました。他の4団体は全てちゃんと行っておられたのに。私はその様子を目撃していたのに何も感じず相当の時間が経過した後やっと、前回での反省を思い出すという体たらくでした。正に、“田舎者”との誹りを受けても仕方ない、言い訳できない恥ずべき対応でした。最後の奉仕がそういう締め括りになったことは返す返すも残念ですが、もう、どうにもなりません。今後、奉仕に行かれるとの情報に接する場面が出てきたら、その反省点をアドバイスしようと思っています。

細々、厳しくても仕方ない
今回の勤労奉仕では前回と一部、異なる部分もありましたが殆どが同じでした。宮内庁職員の方々は奉仕者の体調不良・ケガ・病気・事故などをとても心配しておられました。日常、自由気ままに過ごしている身にとっては宮内庁による指示・指導などの内容に「なんでそこまで細々と(厳しく)」と思うことも多々ありましたが、しかし反面そのことが守られなかったらどうなるか、に思いを至らせたときやはり、それは遵守しなければならないことだ、との結論に至りました。そうでないと乱れ始めたら際限なく乱れ続けて収拾がつかなくなります。   

白バイでの先導役 
宮殿での作業の休憩中、1人の警察官に会いました。白バイ隊員であることはその服装から直ぐに分かりました。その日は日、中、韓の首脳会談に訪れている中国首相の李克強氏が天皇陛下とお会いされる日でしたので、そのことを尋ねました。「今、会われています。私が先導してきました」との返事が返ってきました。世の中の大きな動きを目の前で感じ流石、東京との思いが湧きました。

対称的な姿
奉仕のこの時期は叙勲の時でもあります。前回もそうでしたが私達の作業中、大型バスに乗り着飾った叙勲の対象者ご夫妻が入ってこられます。私達は作業着姿で箒やちりとり、ゴミ入れ、リヤカーなどを持ったまま直ぐ近くで視線をその方達に注いでいました。

皇居勤労奉仕、再び。私にとっては最後  その4

2018年05月18日 | ブログ
「賢所」(宮中三殿)敷地内での作業
「賢所」敷地内へ初めて案内されました。天照大神が祭られている「賢所」、歴代天皇が祭られている「皇霊殿」、そして「八神」と「天神地祇」が祭られている神殿の3つが在ることから「宮中三殿」とも称されるそうです。前回は塀越しにそれらの屋根だけを見て説明を受けましたが、今回は具体的な作業が用意されていました。そこは私達の団体のみでの担当でした。最初は全員で草取りに従事し、休憩後は男女別々となって草取りは女性群が担当しました。男性群は白石が敷き詰められた庭に専用の用具を使って筋を立てる作業でした。京都のお寺などでよく見かける石庭のあの、模様です。ただ、曲線は描かず石庭全面を直線に仕上げました。1本の筋の長さが50mほどはあったでしょうか、それを筋が曲がらないように作っていかねばならないことに全員が相当の力と神経を使っていました。しかも使用の用具は木製とは云えその役割を果たすため相当の重量がありました。最終的にはごく一部に隙間が出来、補正を必要とする所が発生しましたが何とか終了させられました。対象の面積はどれほどだったのでしょうか。筋立てでは、髪を解く櫛のような物に長い柄を取り付けた用具(全体の形はグラウンドを整える為の所謂「トンボ」と称される物と同じ形)を使いました。両手で柄を持ち左右均等の力で後向きで曳いていくのですがその時、柄の先端は臍付近に当てることが重要でした。柄を持つ両手が左右均等の力でないと真っ直ぐに筋を作れませんし、柄を身体の中心(臍)に置かないとこれまた、筋は曲がって仕舞います。「賢所」は通常、一般人は立ち入らない所だと思いますので私達が作った石庭の姿は当分の間、残り続けるのではないでしょうか。

皇太子殿下「お会釈」 赤坂御用地での清掃
奉仕4日間の内、1日間は赤坂御用地となっています。皇太子殿下の「お会釈」もありました。此処では皇太子殿下住居の前庭に全団体が並んで、直ぐ前の玄関から出て来られるのを待ちました。やはり此処でも私達の団体が先頭で、「お会釈」も1番に受けました。赤坂御用地は「園遊会」が催される場所でもありますが、その当日は現地に到着した人から自由に拝謁の場所を選べるとのことでした。しかし、TVなどマスコミを通して観る両陛下と会話する有名人が立っている位置はマスコミ側が宮内庁に要望して決められたものだそうです。納得!!

皇居勤労奉仕、再び。私にとっては最後  その3

2018年05月16日 | ブログ
「お会釈」とその後の両陛下の対応
奉仕3日目、「お会釈」がありました。3日目に決まっているのかどうか知りませんし前回では何日目だったかも覚えていません。同じ日程で作業に当たっている全団体が1部屋に集められ壁に沿って整列して天皇皇后両陛下のご到着を待ちます。私達の団体が員数で最大だったことが理由なのか先頭で入場して最前(前回も同様)の位置になりました。熊本、千葉、東京、長崎、千葉、の順だったように思います。定刻通り両陛下が車で到着されました。部屋に入られると同時に私達の団の前1mほどの所で団長の真向かいにお立ちになり団長の挨拶をお受けになりました。団長の挨拶の冒頭部分は5団体全く同じで①団体名 ②団員数です。あとはそれぞれの団体独自の内容となります。両陛下からのお尋ねに答えるだけに留め、団長から質問することは禁止されています。時間的には1団体数分程度です。1団体が終われば次の団長さんの前に移動され、その形が繰り返されます。「お会釈」の締め括りは各団長さん方が、定位置に並んで立っておられる両陛下の前まで進み出て万歳三唱となりました。今回は私達の団体の団長さんが音頭をとられました(前回もそうだったように思います)。その後、両陛下は車に乗られてその建物を出発されましたが、その折も車の窓を開けられ私達の方をむいて笑みを湛えて手を振り続けられ、車が玄関前を離れて直ぐ左折して私達から見えなくなるまでそれを続けられました。今回私が特に感じたのは、その場面で天皇陛下が皇后陛下の膝の上に乗りかからんばかりに身を乗り出されて手を振り続けられたことでした。前回も同じだったかも知れませんが今回ははっきりと私の目に止まりました。私の周りにおられた女性数人は涙ぐまれた方もおられ小声でしたが「優しいね!」の言葉が数人から聞こえてきました。

皇居勤労奉仕、再び。私にとっては最後  その2

2018年05月15日 | ブログ
奉仕の日は毎日、朝7時10分には貸切りバスで宿を出ます。奉仕作業は午前と午後に分けて行われますが、いずれの場合も開始時刻が来ると玄関前に出て4列になって縦に並び人数確認が行われそれが終了するといよいよ、出発です。この場合の人の並び方は自由で4列さえ保たれていればOKです。宮内庁職員で屋外の作業をその任務(樹木剪定など)とされておられる方だと推量しますが、その方の先導で移動します。途中、ポイント、ポイントで歩きを止めて前述職員の方は皇居内の建物等について説明をされます。作業場所に着きますと草取り、落ちた葉の掃除、そして私達がリヤカーに積んで運んできた宮内庁備え付けの箒、ちりとり、熊手、鎌、化学繊維で作られた四角形の大きなゴミ袋と、その数倍も収納可能で同じく化学繊維製の四角の巨大ゴミ袋を使用してゴミを処理します。ゴミは近くの山林内に設けられた所定の場所に収めます。(自然の肥料にされるため燃やすことをせずに敢えてそうされるのですから“収める”との表現が適当だと思っています。なお、今回初めて江戸城跡で蛇を見ました。1匹は石垣にいて、もう1匹はゴミを収めに行った場所で。前者はアズキヘビ、後者はカラスヘビで大きなものでした。)その後は11時半くらいに控え室に戻れるような計算となっています。昼食は私達は弁当業者に依頼して届けてもらいますが、他の団体では自宅からの持参もあります。午後の作業は午前のそれと同じ要領で行われ3時半頃には控え室に帰り着き、午前に利用した「桔梗門」から退出してその日最後の人数確認を警察官から受けます。なお、今回はシジュウカラの鳴き声が前回時と比べて相当に少なく感じました。私達は全期間中の移動について頼んである貸切りバスで宿等へ向かいます。毎日4時には全ての奉仕日程が終わりますのでその後はNHK、浅草、隅田川下り、東京湾ディナークルーズが日替わりで盛り込まれていました。ただ、私達夫婦はクルーズには参加せず、宿の目の前の上野公園を散策しました。東京芸術大学、東京都美術館、国立博物館、科学博物館、西洋美術館、東京文化会館、上野の森美術館の前を通りましたが私にとってはただ、それだけの意味しかありません。アー、情けない