クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

25回忌

2019年07月26日 | ブログ

つい先日、ある方の25回忌へのご案内を戴き出席しました。人格高潔、清廉潔白、公私峻別、公平無私、常に私の頭の中に存在しておられ私にとっては生きる為の土台となっておられる方を偲ぶ会です。私は直ちに返事を出していました。集まられた方々は、親族の方の他はその方の16年間超の在職中に直接お仕えした人達が殆どで、しかもその人達を主たる対象としてありました。毎日をその方の直ぐ下で勤務されたその人達と異なり私は年に2,3回程度、それも僅か3年間のお仕えでしたが前者の人達の部署の出先の者として捉えられていたからでしょう。会では、仕えた人達がそれぞれに想い出を語られ私も自分から手を挙げて同様に発言させて戴きました。「不世出の政治家」と私はその方のことを思っていますが、皆さんの思い出話を聴いていますとその方は極めて厳しい言葉も投げかけられておられたようです。しかし、その言葉は重く、どこまでも深いもののように感じます。言葉を受けた側は心に強く刻み込まれていたことは間違いありません。後世に残す本当の財産とは金銭、物ではなく、そういう考え方、姿勢だと私は固く信じています。私自身=その方、であることが最高ですが能力、資質、経験等々からそれはとんでもない夢、絶対にあり得ないことですが、そういう私に出来る事が1つだけあります。それは、その方の考え方、姿勢を後に続く人達に伝えていくことです。


発達障害

2019年07月25日 | ブログ
先日のNHK-TV、落語家の柳家花緑氏がご自分に在る病についてその症状等について述べられました。病名は「発達障害」。私はその名称は知ってはいましたが特別に関心を寄せるでもなく従って、どのような病気かも知りませんでした。加えて、同氏がその病を持っておられることも知りませんでした。番組冒頭で現れた画面は、同氏が簡単な漢字さえ読めない症状でした。私は目を、耳を疑う場面でしたが説明を聴くに従って理解出来るようになりました。番組は確か5分程度でしたので所謂「ブリッジ番組」だったのでしょうが、その病に対する理解を視聴者に求めるのが目的だった、と思います。視聴の途中、私は急に真剣になりました。はっきりと、それを認識しています。それは、私も同じ病を持っているような気がし始めたからです。私は常日頃、生まれた時から頭の中の何かの、何処かのネジが抜け落ちている、と思っています。学業の面でも、運動の面でも、社会一般でも。通常誰でも覚えられる、行えるようないわば簡単なことが私には出来ないことが現に存在しているのです。どう、努めても。幼少の頃からそうで、ある程度まで到達してもその先へ進めないのです。努力不足とはその性質を異にする問題のように私は思っています。「発達障害」、あるいはその1種かも知れません。

「バカ正直」を絵に描いたようなもの

2019年07月24日 | ブログ
10年ほど前の徳島阿波おどり本番時、NHK徳島放送局へ足を運びました。敷地内の通常、通路となっている場所が特設の演舞場とされていたからです。出演の「連」の中に、(確かな記憶はありませんがもしかすると、「NHK連」という名称が付けられていたかも)熊本出身の若手新人女優がおられました。当然の事ながら初々しく、清純そのものが感じられました。その年の同局朝の連続テレビ小説の主役を演じておられた方です。私は少し離れた距離からではありますが彼女を撮影しました(モノクロ)。自分ではそれなりに彼女を捉えた、と思いました。そのことから後日、ブログにそれを掲載しようとの想いが湧きましたが、肖像権、著作権のことを考え一応、彼女の所属事務所にその可否を尋ねることにしました。メールで問い合わせて程なくして返事がありましたが、答えは「否」でした。実は、そのことは私はある程度予測はしていました。問い合わせたら恐らく「×」の回答となることを。問い合わせせずに掲載していてもそれが金銭的な面など特別な意味を持たない以上、恐らく問題は発生しなかったのではないか、と思っています。私が採った行為は「バカ正直」を絵に描いたようなものでしょう。ただ、尋ねて「×」の回答を貰った以上、写真を勝手に使うことはせずにいます。現在、TVで時折見かける彼女はかなり、その当時とは印象が変わっています。当然のことですが。同じ期間内に別の場所で撮った別の写真(風景)を上記連続テレビ小説のエンディング写真として使って戴いたのは嬉しいことでした。

車の両輪

2019年07月23日 | ブログ
徳島阿波おどりも心浮き立つ2拍子のお囃子があるからこそ人を惹きつけて止みません。それを裏付ける出来事に遭遇したことがあります。同市内最大の歓楽街、深夜12時、女踊りの名手と称されている方の踊りが始まりました。一般的にもその形容が人々に認められている方です。踊りが始まって程なくして会場に数人の警察官が来られ踊りの中止を命令されました。近隣の住人からお囃子の音がうるさい、との苦情が寄せられたというのがその理由でした。涙を溢れさせながらも踊りを彼女は止められました。現場には大勢の観客がいましたので彼女は窮余の一策としてお囃子無しでの踊りに移られました。私にとってはやはり、お囃子無しの阿波踊りは心に響きませんでした。踊りとお囃子は車の両輪なのです。先に書きました、高校時代全校生徒が観賞した映画、その映画に添えられた音楽も実に魅力に満ちあふれています。クラシックを思わせる曲は映画の内容と同じく迫力も繊細さも併せ持ち映画が音楽を引き立て、音楽が映画を引き立てています。私はそのサウンドトラックのLP版レコードも所有していて(高校時に購入)入手後は頻繁に聴いていましたがプレイヤーを廃棄してからは眠らせた侭になっています。この数日前、ネットで検索しますと該当する沢山の動画が出てきました。甲子園球場でのある高校の野球応援曲として、あるいは自衛隊ブラスバンドによる演奏、小さなグループによる演奏曲目として、個人での二胡による演奏など、登録されているものが相当数ありました。中でも圧巻で最も私が心を奪われたのはBBCによるプロムナードコンサート時のものでした。毎夏、2ヶ月に亘って開催されるクラシック演奏会のようですが、その対象の1曲となっていました。円形をした何階建てかの大ホールでのフルオーケストラによる演奏です。イギリスの交響楽団のようです。映画に添えられたものはローマ交響楽団の演奏だったと思いますが、それは兎も角、演奏本番の様子をこの目で観ることが出来たのは初めてで特記すべき事となりました。加えて、映画では添えられていた曲でLP版レコードには収められていない曲もあり、極めて幸せなことです。今年、東京と大阪で当該楽団による演奏会が開かれるようですがその曲はリストにないようです。もしあったら、足を運ぶ気が起こるかも・・・・?

肥後グリーン

2019年07月22日 | ブログ
「肥後グリーン」というメロンがあります。それは高額ですのでメッタに口にすることはありませんが、他種のメロンであってもメロンを食べるごとに必ず蘇る想いがあります。その名を聞く度、現物を目にする度も同様です。妻の同級生の方が作られていたそれは、それは、それは甘く、薄く仕上がった皮の近くまで何の変化をすることもない味を持っていました。そして更に、その甘さが他の物にない飛びきりの上品さを備えていたことがとてつもない魅力でした。私はそれを芸術作品と呼んでいました。贈呈するにしても1点の不安も躊躇いもなく、迷うことなく確信を持って差し上げられるものでしたし、貰われた方からは感激と驚きの声が返ってきていました。それまではメロンに対してあまり良い感想を持っておられなかったようでした。しかし、そのメロン生産者の方は病のため若くして世を去られました。奥様があとを引き継がれましたが女性独りでは作業に無理があり数年して撤退されました。実に、実に勿体ないことでした。妻を通じて私や感激された方の想いを伝えていましたので充分にその事を心に留めておられたこととは思います。余談ですが社会のいろんな分野でよく耳にすることに、優れた能力を持っておられる方が若くして亡くなられる、ということがあります。その方も正に、そうだったと云えます。私は76歳。

私も見込まれたものです。

2019年07月21日 | PC
信頼出来る3者で作られた「JC3」という組織があります。サイバーセキュリティーに関する組織で、そのサイトには最新の、注意すべき情報がその都度掲載されていきます。企業宛のもの、個人宛のもの、いずれについても確認することがいつでも出来ます。色んな手続きや商品購入を特に、ネットで行う時に求められるのは個人情報の入力です。手続きの画面には実に詳細に情報保護についての記事が示され、情報は保護される旨が約束されていますが実際にはジャンジャン漏洩している感があります。発信者が正体不明のメールが頻繁に入って来るのがその証拠です。攻める方もセキュリティーソフトを作る方も同じ人間ですので、攻める方がその法律の間隙を縫うのは容易に想像出来ます。私には昨年11月から一昨日まで、ずっと、招いてもいない相手からメールが届き続けていますが、激しいときは1日に10通ほども送られてきたことがあり昨日現在で総数は119通にも上ります。最近は時々、間が空くようになりましたので招かざる客の侵入はピリオドを打ったのか、との思いも湧きましたが、それは早合点でした。私もその筋から見込まれたものです。初便から数通は脅しと金銭(700ドル)要求、それも私が私に宛てた形式でした。その後は契約しているプロバイダー名を使ったもの、更にその後はずっと、有名大企業名を騙って自分のサイトへ誘い込むのものとなっています。(名前を使われた当該企業からも商品売り込みの正式なメールが入りますが「羮に懲りて膾を吹く」、それを開く気がしなくなりました。)発信企業名は複数のものが期間をおいて入れ替わり且つ、1つの企業名の場合でも恰も、多くの社員が代わる代わる自分の氏名を使って発信するような形式が採られています。“下手な鉄砲も数打ちゃ当たる”を目指しているのだと思いますが、誤字があったり文章がぎこちなかったりしますので、もしかすると外国人による発信かも知れません。(10年ほど前、外国から帰国した後、1,000ドルを貸して欲しい、とのメールを受け取ったこともありました。)今回の一連のメール受信の第1発目はそれまでに経験がなかったパターンだったことからどう対応して良いか分からず、戸惑いましたが要求に応える気は全くありませんでした。

違和感

2019年07月20日 | ブログ
この4月からだったと思いますがNHKラジオで男女1名ずつが担当される新しい番組が始まりました。アナウンサーであるそれぞれのお名前が番組名に冠されています。女性の方には何の違和感もありませんが男性のそれには強いそれを感じています。何か、不自然、押しつけがましさ、冗舌気味などなどが露わのように思えてなりません。また、当該男性アナウンサーはTVでも、本当にその場での必要性があるのか首を傾げざるを得ない出番まであります。組織としての人事、役割決めによるものですので外部の者はアンタッチャブルの面もあることは理解していますが、どうも気に掛かります。

自分の無知に、思うと背が冷たくなります

2019年07月16日 | ブログ
私は、切った木は切り口とは反対側に倒れるものと思っていました。絶対そうなるのだ、とこれまでずっと思っていたのです。ところが先日、松剪定時に庭師さんから枝の付き方及びその時の風向きも関係する旨を教わりました。考えてみると全くそれは理解出来ることです。何もそういう重要なことを知らずに無事にこれまでやってこられたものだと、思い出しては冷や汗をかいています。素人の私としてはやはり、面倒でも小枝部分から切り落として行くべきだ、ということを改めて自分に言い聞かせました。また、大きな幹などはロープで結んで切り落とした部分がある程度の高さで止まるよう(宙に浮いた形)にしておくことも重要のように感じます。切断中に発生させる実に拙い現象、チェンソーや鋸の刃が切った木の重みで動かなくなることも絶対に解決しなければなりません。私が作った切断面の巾はチェンソーや鋸の刃の厚さに略等しいもののように思いますが、庭師さんのそれを視ていましたら充分に隙間がありました。即ち、巾があり刃を進められるのに何の妨げもありませんでした。地面に足を着けての作業ならまだしも、高所でのそれなら先ず、自身の安全確保が大切で、如何にしてそれを実現させるか、それに前述の技術について次回の作業前には充分の検討が必要だと思っています。何の分野でも云えることですが、専門の方などがされる様子は外見上はとても簡単に見えますが素人にはとても達する事が出来ない奥深さがあることが分かります。

3景

2019年07月14日 | 写真
昨日撮影の3枚です。ある会に出席したときの様子ですが、写真左は出されたスイーツ、残り2枚は、会終了後の会場前の光景ですが甚大な被害が発生しそうな猛雨、ときに雷の凄さでした。道路には描かれた白線が見えなくなるほどの水が溜まり、通る車は激しくしぶきを上げていました。短時間の現象でしたが人に強度の緊張感を与えたことは確かです。

  

驚きの事実 2件

2019年07月13日 | ブログ
1.ウグイスはその姿を(人に)見せないのが通常だと思います。木に止まっている時も飛翔しているときも。(私の友人は、鳴きながら飛んでいるウグイスを目撃した、とのことではありますが)ところが、我が家に茶道の稽古に来ておられる方の家では庭の、人の腰の高さほどの所に巣を作り雛が孵っていました。その写真を見せて戴きました。4羽の雛がハッキリと捉えてあり、なかには3羽が口を大きく開けて親に餌をねだっている写真もありました。卵の時季も撮影してありましたが、色は赤、恰もスモモのような感じでした。姿を現さないウグイスがそんなことをするとは思ってもいませんでしたので、その光景は驚きと感激を引き起こしました。その方のご家族は大切に保護しておられるようですから、もしかすると来年も又、同所がウグイスの抱卵・子育ての場所となるかも知れません。

2.前記の、鳴きながら飛んでいるウグイスを目撃した、と言われた方が、所有される別荘でこの時季にアサギマダラが飛び回るのを観られた、とのことでした。ただ、1頭のみだったそうですが何故、今、いたのでしょうか。本当ならこの季節は日本の北の方にいるのでしょうし、南へ帰ることもないはずです。別荘は阿蘇ですから冬は寒さが厳しく其処で越冬できる筈もありませんし。

妥協点を何処にするか?

2019年07月12日 | ブログ
所有している翻訳機、実際の場面で使う機会はまだありませんが日常、翻訳の正確さのテストをしています。これまでの事で云えば“なかなか?”というところです。勿論、問題無いケースもありますが、発音に気をつけ、使う言葉を選んだりしても元になる日本語の文字が誤っていたりすることもあり果たして正しく翻訳出来たのかどうかも分かりません。使った言葉の一部しか表示・翻訳されないこともありました。当該器具を使用する時の相手の方は必ずしもハッキリと発音する人、正しい言葉遣いをする人とは限りませんので、器具はそういうケースでの使用に応える事が出来る事は必須です。そういうことを考えますと外国語が出来る人の素晴らしさ、人間の凄さを改めて強く感じます。

存在感

2019年07月11日 | 植物

庭に1輪のみ、花を咲かせたヒマワリがあります。蜂も1匹、来ていました。接してハイビスカスローゼル、赤シソそれにヒマワリ同様の黄色をした沢山の花がありますが、そういう環境の中でこのヒマワリは抜きんでてその存在感を保っています。他にも多くのヒマワリが育っていますが皆が同じように大きな花を咲かせるのでしょうか。

断腸の思い
例年、お手伝いしていた保育園児の園外保育の撮影、海行きに依頼を戴きましたが断腸の思いでお断りしました。タイミングが私の入院期日ときわどく、応諾することに勇気が湧きませんでした。仮に、協力を実行したとしても問題は発生しなかったのではないか、とは思いますが、踏み切ることが出来ませんでした。 

作業 その3  折角生った柿の実11個を・・・

2019年07月10日 | 日記
凡そ65年も私と一緒に過ごしている柿の木が我が家にあります。昔は大きく美味しい実を楽しめていましたが、かなり以前から実は生ってもやがて全て落ちてしまい1個も残らない状況が続いていました。従って毎年、口にすることは諦めていました。その木が榊の木の上に覆い被さり榊の枯れがかなり強度に進行していました。榊は毎月、神様に供える為のものですから順調に育って貰わないと困ります。このことから影響を及ぼしている柿の木の枝を除去しました。切り落とした枝を片付けていますと何と、柿の実が付いていて次から次にそれが目に入ってきました。結果的には11個もありました。伐採時は全く気づきませんでしたが後悔先に立たず、とても惜しいことをしてしまいました。まさか、今年実が在るとは思いもしませんでしたし見た目にも実が生っているのは確認出来ませんでした。所謂、思い込みです。折角、何年ぶりかで実を結んだ、数極めて少ない貴重なものを無にするとは何とも、何ともお粗末至極。残念でなりません。

草取り
この時季墓掃除は草取りがメインです。ポンポン草が、うっそうと繁っています。墓改造前のそれと比べると比較できないくらいに少なくなりましたので有り難いです。盆を控え今年も昨日、その作業に当たりました。なお、自宅前の駐車場にも、それほどではないものの気になり出すと気になる草がありましたので取り除きました。今年2度目か3度目です。
 
クマゼミはまだ、“その時”でないことをちゃんと知っていました
昨日は一時的に強い日射しが出た時がありました。梅雨明け、かと思わせるような状況でしたが、そうでないことは略、理解は出来ていました。今年は入梅が遅く、まだ、それからの時間が短かかったからです。晴れ間の出現でクマゼミが声高らかに鳴き出しましたがそれは何か違和感を含んでいてセミ自身も戸惑いを含めているようでした。蒸し暑さが存在していたからではないでしょうか。その後、空模様は変化して曇りとなりセミの鳴き声は完全になくなりました。セミは正式な“その時”が来たのではないことを知っていたのだと思います。

作業 その2 網戸修理

2019年07月09日 | 日記
厳しい暑さの中、少しでも涼しい風を家の中に取り込みたい、蚊の侵入は防ぎたい、見苦しさも解消せねば・・との思いが漸く頂点に達し、該当網戸の新築後初の修理をしました。網が枠から外れまた、一部には破れもありましたがなかなか修理に対して気が進まず、何年もその状態で過ごしてきました。網戸修理自体はこれまでに何度か手掛けてきましたので概ねの要領は心得ていましたし素人でも特に難しい作業ではありません。網を如何に緩みなくピンと張るか、枠からはみ出した網を見苦しくないよう如何に巧く切り取るかが大切な部分ではありますが、後者の作業時、使用するカッターナイフで金属の枠を傷つけないようにすることも大切です。今回の作業で初めて気づいたことがありました。1つは、カッターナイフの刃は新品を使うこと(そのことで円滑に切り取れて切り口も綺麗、しかも心地よい音まで聞けます。古い物を使うと切るのに強い力が入り、却って枠を傷つけます)、カッターナイフはあまり立てず、なるべく倒して使用することです。網を交換するにしても数年に1度ですので次回までこのことを忘れないか、どうか。取り替え後、網戸を通ってくる風は至福の時を作ってくれました。それまでよりも遙かに涼しく爽やかで、その場をずっと離れることが出来ませんでした。これは新しくなった、という心理的な面もあるのかも知りませんが、実際に網の目に汚れが無いことから風が素直に通過出来るようになったことが大きな理由ではないか、と想像しています。古い物は扱っただけで手に酷いザラザラが付着しましたから。 

作業 その1 大木(?)伐採

2019年07月08日 | 日記
かねてから気に掛かっていた、特別に意味を持たない高所の幹と枝の除去が実行出来ました。松のことです。敷地内に在る大きな樹木や高く伸びた幹・枝は徹底して取り除くように心がけていますが、以前からどう考えても着手出来なかった対象です。幹の大きさもかなりの物ですので除去には高枝切り用のチェンソーを使わざるを得ませんが、それを最大に伸ばしても脚立を使わねば届きません。しかも、脚立は私が所有するものでは役に立たないことから着手上のネックとなっていました。樹木に上っての作業、直ぐ横の建物の屋根に上がっての作業も考えましたが、何れの場合も除去する枝の伸ぶ方向が最悪で私からみて真っ直ぐな方向になり角度がないのでチェンソーを当てられません。高所用の脚立を持つ友人からそれを借用するにしても運ぶ車が必要となり、そこまで“おんぶにだっこ”されることは気が引けていました。そういう中、庭師さんが例年の手入れに来られましたのでその方から脚立をお借りすることにしました。初めて利用する脚立ですので庭師さんから要領を教えて戴き、これまで上がったことがない脚立の高さまで上りました。ステップに腰を下ろして慎重にチェンソーを枝にあてがい、除去を行いました。細い枝部分から始めましたので幹の大きな部分が残りました。次にそれを取り除こうとしましたがなかなか巧く出来ませんでした。庭師さんが下からアドバイスをされましたがその通りには事は運ばず、庭師さんが「私がしましょうか」と言われました。その用具を使われるのは初めてとのことでしたので好奇心も働いたようです。今度は私から器具について若干の説明をしました。着手後は流石プロ、極めて順調に切断は進んで行き無事に作業は終わりました。どの方向で刃を幹に当てるかや、切断によって切った枝等が落ちてくる方向も教わりましたが、経験してみないと自分の財産にはなりません。地上から見上げた時の幹や枝の大きさは概ね分かりますが、実際に切り落としたものを見ますと何と、大きくて重たいことか。事前の認識と事後では大きな差があります。因みに、最後の伐採時、大きな幹は庭師さんが計算された方向とは若干異なり、ご自分がおられる近くとなりました。プロにしてそういうことが起こります。況んや私は素人、その事をしっかりと頭に入れておかないと、とんでもない事態を引き起こすことになることは日を見るより明らかです。