『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

失ってからもがき苦しむ『心の病気』を癒すブッダの教え『正念』

2009年08月28日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』
失って初めて

当り前でなかったことに気づく



失う前、今ある事実が

当り前ではない

ありがたさ(有ることの難しさ)に

気づく自分に育てて下さるのが


ブッダの教えである


そんな心を自己の内に養えば

天の神々に勝るとも劣らない

幸福を得ることができる


今生かされている

一瞬一瞬に気づく

それが心の妄執妄想を離れた

真の正しい心のあり方

ブッダが説く『正念』です



失ってからもがき苦しむ『心の病気』を

乗り越える為の

その薬が

そこにあります

『正念』のイメージ

2009年02月05日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』
一息一息の呼吸が

私の中に

流れ入って、流れ出ていく






一動作一動作の動きが

私の中に

流れ入って、流れ出ていく




苦しみ・楽しみ・非苦非楽の感覚が

私の中に

流れ入って、流れ出ていく




善・悪・非善非悪の感情が

私の中に

流れ入って、流れ出ていく




この世の真実の理(ことわり)と

人間としての正しい生き方が

私の中に

流れ入って、流れ出ていく




水が川を流れていくように

全てが私の中を流れていく

そして

私もこの世界の中で流されていく


パニック障害克服に向かって⑮

2008年02月24日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』

『大念処経』の修行を試されている方々、何だか訳が分からないなぁ、と『三日坊主』になっていないでしょうか

この修行法は、身に付けるのがとても難しいかもしれません
なぜなら、仏教に興味のない人には面白くありませんし地道な作業だからです
それでもストレスに対してとても有効ですので、心をストレスから守りたい!心を強くしたい!と思われる方は頑張ってください

この修行は日々の積み重ねでコツコツやるしかありません
身に付けるとはそんなものです
一つの事に素晴らしく長けている人たちは、何か特効薬を飲んでそうなったのではありません
日々コツコツと地味な訓練を継続してその技術を身に付けたのです

もしモチベーションが上がらない場合は、ブッダの偉大さを感じれる事をされたら良いかと思います
例えば手塚治の『ブッダ』を読むとか、キアヌリーブスが出演している映画『リトル・ブッダ』を観るとか、各宗派の本山、たとえば法隆寺、東大寺、比叡山延暦寺、高野山金剛峯寺、知恩院、永平寺、本願寺等などに観光がてらお参りに行くとか

ブッダ・仏教はとても偉大で素晴らしく過去2500年において数えきれない無数の人々を人生の苦しみから救ってきたんだぁ、と実感し尊敬する心が大きくなっていけば、その先には『信』という心が生まれていきます
そうすれば自然とモチベーションが上がっていくでしょう

私なんかもブッダの聖地巡礼の旅にインドへ行って、ゆるぎない大きな『信』をつかみたい!と思ったりもします


ブッダの智慧で少しでも苦しみを克服できる人が増えますように      合掌


写真・法隆寺

パニック障害克服に向かって⑭

2008年02月18日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』
前回の続きです

ブッダの言葉にあります
『諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教』(七仏通誡偈)
『全ての悪い事をしないで、善い事して、自分の心を綺麗にすること、それが仏教というものです』(ダンマパダ)
仏教徒が目指さなければいけない所です
ブッダは人々を悪から遠ざけ、善に近づける、心の病気を治す力を持った方でありました
病める人のそれぞれの価値観を洞察理解し、その苦しみの世界に入って出口を示し、手をとって導き、覚りの世界(苦しみを乗り越えた世界)への橋渡しをしてくれた人でした

人間のみならず、全ての生きとし生けるものがありのままに幸せになる方法を見抜いた人の言葉に誤りはありません
道徳の欠如が否定できない現代社会
その大きな原因『お寺離れ』『宗教離れ』『坊主の堕落・怠慢』が進んでいる今の社会の構造では未来を懸念してしまいます
『道徳』はすっぽりと仏教に収まります
『道徳』の設計図も実践方法も仏教の中に明確に示されているのです
『道徳』が足りない社会にはブッダの智慧にもとづいた正しい教えが有効でしょう
現代社会の中で、日本古来からの伝統ある仏教を断片的に見ていく事だけでは限界が出てきました
やはり最も古く原点に近いブッダの教えが説かれている『原始仏典』基本に戻る事は大切です
そういった所からこの『大念処経』を強くお勧めしています

パニック障害克服に向かって⑬

2008年02月17日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』

前回の続きですが①の修行は現代、意外なところでも行われています
それは軍隊での特訓の中に見ることができます
歩兵が行進する際「1,2,1,2、右、左、右、左‥‥」
その号令は意識してかしていまいか、仏教の正念を入れる訓練に似ています
兵士は戦場で生きるか死ぬかの戦いをします
一瞬でも気を抜いたらおしまいです
そのためには集中力が常に必要です
端を発しているところが同じとは考えませんが、集中力を『癖』にする修行・特訓という意味では同じことをしているのが興味深い所です
やり方はパニック障害克服に向かって⑧を参照してください

② についてはすでに個人差があります
『解剖』を実践・研究しているお医者さんなんかは、ブッダ在世のお坊さんと同じようなことをしているので、身体に関する執着・苦・ストレスは極端に少なくなっているはずです
また『感情』を第三者的に眺めて行う仕事に就いている人、医者やカウンセラーや相談員、受け付け業務員や司会者、指導者、先生などは自他の『感情』を冷静に見極め抑える力が身につきやすいので、心に関する執着・苦・ストレスを一般に比べて受けにくくなっているはずです

次に③④⑤ですが、これは道徳的なところです
これらは何かの仕事をしていて身につくものではありません
真の宗教のもとでしか身についていかないでしょう

次回に続く

パニック障害克服に向かって⑫

2008年02月16日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』

ここまで説明してきましたが結構わかりにくいと感じられたかもしれませんので、改めて簡単に整理して説明します
心を強くする為の修行法『四念処』を次のような順序で修行が進んでいくかと思います


① 集中力(正念・ヴィパッサナー)を癖にする
(雑念・妄想を止める)

② ありのままの自分(身体・感受・心)が見えてくるようになる
(洞察力【特に心】が身に付く)

③ 自分の心で創りだしたストレス(悪の感情)を見つめて、自覚し、取り除く
(心の洗濯)

④ 自分以外の外からくるストレス(悪の感情)をしっかりと見極め、受け取らず、心を守る
(心の防護服を着る)

⑤ 心に『善い感情』を植え込み、育て、実践する
(戒めを実践する・法を観想し実践する‥‥)


このようなイメージを持たれて修行を進めることで心の強化・ストレスの減少が進んでいく事を願っております
次回はこれらの五つについての補足をしていきたいと思います

合掌


パニック障害克服に向かって⑫

2008年02月15日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』
『それでは、修行僧たちよ、どのようにして心について心を観察するのだろうか。ここに、修行僧たちよ、修行僧は、貪りのある心を『貪りのある心である』と知り、あるいは、貪りを離れた心を『貪りを離れた心である』と知るのである。
 また憎悪のある心を『憎悪のある心である』と知り、あるいは、憎悪を離れた心を『憎悪を離れた心である』と知るのである。
 また迷妄のある心を『迷妄のある心である』と知り、あるいは、迷妄を離れた心を『迷妄を離れた心である』と知るのである。
 また統一した心を『統一した心である』と知り、あるいは散乱した心を『散乱した心である』と知るのである。
 また広大な心を『広大な心である』と知り、あるいは、広大でない心を『広大でない心である』と知るのである。
 また最高ではない心を『最高ではない心である』と知り、あるいは最高の心を『最高の心である』と知るのである。
 また統一された心を『統一された心である』と知り、あるいは統一されていない心を『統一されていない心である』
と知るのである。
 また解脱した心を『解脱した心である』と知り、あるいは解脱していない心を『解脱していない心である』と知るのである』   『原始仏典』春秋社

四念処(四念柱)という仏教を代表する修行法
『念』念じることに主眼を置き、人間が念ずる四つの基本の大黒柱『身体・感受・心・法』の四つのうちの三番目『心』を念じる教えです
ここで言う心とは『感情』という部分です
『感情』を見てみると

他人が喜んでいる時『喜び』をその人の中に見ることができます
他人が怒っている時『怒り』をその人の中に見ることができます
他人が悲しんでいる時、その人の中に『悲しみ』を見ることができます
他人が楽しんでいる時、その人の中に『楽しみ』を見ることができます

仏教では心のありさまを明確に分類していきます

① 『貪(とん)』   求める、という欲望
② 『瞋(じん)』   嫌う、という欲望
③ 『慢(まん)』   他を軽視し、自を偉いと思いたい欲望
④ 『無明(むみょう)』物事をありのままに見れない
⑤ 『疑』      この世の真理に基づく教えを疑う事
⑥ 『忿(ふん)』    激しい怒り、癇癪 
⑦ 『恨(こん)』   恨み
⑧ 『覆(ふく)』   自分の過ちを隠すこと
⑨ 『悩』      先に怒りや怨みを起こした事を考えて悩む事
⑩ 『嫉(しつ)』  嫉妬・ねたみ 他人の善いことや栄誉などをよろこばず、これを妬む事
⑪ 『慳(けん)』   物惜しみをする事 
⑫ 『誑(おう)』   たらす・自らの欲求を満たすために他をだますこと
⑬ 『諂(てん)』   へつらう 自らの信念を曲げてもゴマをすり利益を求めること
⑭ 『害』      他を害しようとする心
⑮ 『無慚(むざん)』 自分自身に罪を恥じない事
⑯ 『無愧(むぎ)』  他人に対して罪を恥じない事

以上挙げたものは『煩悩』という心の悪い部分です
これとは反対に心の良い部分もあります
アビダルマというブッダ死後の仏教を追及した所の教えではもっともっと、心の感情が細分化されて行きます
ここでは代表的な心の悪い部分を取り上げました
四念処の修行が進んでいけば、自己の心の中身をその瞬間その瞬間で自覚していく事ができます
自覚していく事で、その悪い感情に気付き、その都度心を正していく事が可能になってくるのです
自己の心の状態に気付く事が出来るようになってくると、こんなに自分の心は汚かったのか!と思うかもしれません
そこで絶望的な感覚になるかもしれませんがその心配はありません
心を綺麗にしていく方法は色々あります
戒・定・慧の修行法①で述べた戒めを守っていく事をこの四念処の修行と並行してやっていく事が効果的です
その戒めを普段から実行していれば心が洗濯されてまっさらで綺麗な心に近づいていきます
それと同時に慈悲喜捨の四無量心が身についていきます
綺麗な心を身に付けていくと自然と幸せが向こうからやってきます
それは縁起の法からも明らかな事です
念ずる・心に気付きを得ていく事は、心をきれいに整理整頓することでもあります
心の有り様を把握し整理しておくと、心というお部屋が散らかってしまっても、すぐに掃除して綺麗になおせるのです
ストレスを受けても早めに自己治癒できるのです

パニック障害克服に向かって⑪

2008年02月13日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』
「それでは、修行僧たちよ、どのようにして感受に関して感受を観察するのだろうか。ここに、修行僧たちよ、修行僧は楽しみの感受を感じれば『わたしは楽しみの感受を感じている』と知り、あるいは苦しみの感受を感じれば『わたしは苦しみの感受を感じている』と知るのである。また苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知るのである。また肉体的楽しみの感受を感じれば『わたしは肉体的楽しみの感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的楽しみの感受を感じれば『わたしは非肉体的楽しみの感受を感じている』と知るのである。また肉体的苦しみの感受を感じれば『わたしは肉体的苦しみの感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的苦しみの感受を感じれば『私は非肉体的苦しみの感受を感じている』と知るのである。また肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは非肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知るのである。
 このように、内に〔自分自身の〕感受に関して感受を観察し、また、外に〔他人の〕感受に関して感受を観察し、あるいは内と外〔、自分自身と他人の〕感受に関して感受を観察していくのである。また、感受のなかで生起してくる現象を観察し、また、感受のなかで消滅する現象を観察し、また、感受のなかで生起し消滅していく現象を観察していくのである。そして、知ることの〔増えていく〕程度にたいし、自覚の〔増えていく〕程度にたいすると同じ程度に、『ただ感受のみが存在する』という念いが、かれには現われてくるのである。かれは、なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないのである。修行僧たちよ、修行僧はこのようにして感受について感受を観察するのである」
『原始仏典』春秋社

感受に関しての念じ方のお経です
感受に関しては他の三つに比べて一番短かったので全部載せてみました
それでもちょっと理解しにくいかと思いますので簡単に説明したいと思います

『感受』とは『感じる』であるかとも思います
我々が『感じる』種類を大きく分けると三つしかありません
『楽しい(楽)』『苦しい(苦)』『楽しくなく苦しくもない(非苦非楽)』
私たちが生きている限り一秒たりとも上記の三つ以外の『感じる』はありません
だから生きている瞬間瞬間で感じている三つの『感じる』を常に気付いて、自覚し、観察し続けて下さい、ということなのです

例えば『痛い』という『感受』があります
『痛い』にも色々あります
『チクリと痛い』『ずきんと痛い』‥‥
しかし『痛い』の中でも『痛い』と思ってないものもあります
例えば『寒い』『熱い』もそうです
この感覚は実は『痛み』であります
そして『苦しい』『感受』なのです

一説には人間が皮膚で感じる感覚はすべて『痛み』だそうです
それを刺激を受ける対象の強弱・温度・面積などによって『寒い』『熱い』『涼しい』『暖かい』『チクリと痛い』『ずきんと痛い』『頭が重い』『胃がむかむかする』『気持ちがいい』『気持ちが悪い』などと表現しているのです
『痛み』の中でも、いい具合のものだと『楽しい』になるのでしょう

例えば氷点下の寒さの中で一定の時間過ごすとしましょう
体は冷え切っていて全身の震えが止まらず、衣類で守られていない部分は刺さるような痛みで真っ赤になっています
それは『寒い』というところの『強い痛み』すなわち『苦』を受けています
その冷え切った体で温泉に入るとしましょう
全身温泉に浸かるとこの上もなく『気持ちがいい』のです
それは『楽』を感じているのです
そしてしばらく温泉に入っていると徐々に『感受』が変化してきます
『楽しくもなく苦しくもない(非苦非楽)』状態です
そして長い間入っているとだんだんのぼせてきて辛くなってきます
『苦』を感じているのです
実際温泉に入った瞬間から体は『痛み』を感じています
しかし熱いお湯に入る前の状態によって『気持ちがいい』『楽』と感じているのです

肉体的なたとえで説明しましたが、非肉体的なところ(心)でも同じことです
自分の行動が他人から非難されるとムカーッとくることがあるでしょう
心では『怒り』の感情が生み出されているかもしれません
それは心で『苦しみ』を感じているのです
それは大なれ小なれ『ストレス』を受けているのです

また自分が他人から何か賞賛されるとしましょう
気分がウキウキとしてくるかもしれません
心は『喜び』を感じているのです
それは心が『楽』を感じているのです
そこにストレスはありません

我々は『痛み』の種類によって『苦』『楽』『非苦非楽』と感じているのです
このお経でブッダは『感じる』をその三つで正しく感じましょうと言いたいのだと思います
感受を『先入観抜きで』『正しく』『ありのままに』感じる事が出来たなら
自分がえらく大げさに表現して『苦しい』と思い込んで
大きなストレスをかけ続けていたことに気付くかもしれません

このお経の学びが進んで『感受』を『ありのまま』『その瞬間その瞬間』に観察することが出来るようになると『苦しみ』『ストレス』が大きく減るはずです

パニック障害克服に向かって⑩

2008年02月10日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』
 『修行僧たちよ、修行僧は、ちょうど墓場に棄てられた死体が、死後一日、あるいは二日、あるいは三日と経つうちに、膨張し、青黒くなり、腐ってくるのを見るように‥‥

またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体が、カラスに啄ばまれ、あるいは鷹に啄ばまれ、あるいは鷲に啄ばまれ、あるいは犬に食い荒らされ、あるいは野犬に食い荒らされ、あるいは種々の虫に食われているのを見るように‥‥

またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体の、骸骨に血や肉が付いて、筋がつながっているのを見るように‥‥
  
またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体の、骸骨にすでに肉はなく、血だけが付いて筋がつながっているのを見るように‥‥

 またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体の、骸骨に血や肉はすでになく筋だけがつながっているのを見るように‥‥

  またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体の、骨が解け散って、そこに手の骨、そこに足の骨、そこに脛の骨、そこに腿の骨、そこに腰の骨、そこに背骨、そこに頭蓋骨とばらばらになってあちらこちらに散乱しているのを見たときに‥‥

またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体の、骨が白い貝と同じ色になっているのを見たときに‥‥

  またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体の、骨が積み重なって一年経過したものを見たときに‥‥

 またさらに、ちょうど墓場に棄てられた死体の、骨が腐食して粉々になったものを見たときに‥‥

修行僧たちよ、修行僧はこのようにして身体について身体を観察するのである』

  『原始仏典』春秋社より

ふと蓮如上人の白骨章『朝には紅顔ありて夕べには白骨となれり』が頭をよぎるかもしれませんが、この『墓場の死体の観察』はとてもリアルで驚きを感じてしまいます
ブッダ在世当時、死者の遺体が捨てられる場所があったようです
弟子たちに墓場で瞑想修行をすることをブッダは勧めています
そこで死体が粉々になるまで観察し、人の体の無常性を生で確認理解していく
人一人の一生を通して人生を見つめてみれば、それは無常であります
人間として生まれたならば必ず訪れる死の苦しみ
その根本は執着・こだわりだとブッダは見抜きました
このお経は、体という物質の無常性に気付きこの身に対する自己の執着を除き去るのが目的でもあるでしょう
このお経への理解を瞑想で深めていけば、いずれ誰にでも訪れる、または突然訪れる老化・病気・死への恐怖に対するストレスを軽減してくれる助けとなるかもしれません

以上、体に対しての四つの瞑想を紹介しました
① 呼吸の瞑想
② 身体の動きにその瞬間その瞬間気付き続ける瞑想・正念(ヴィパッサナー)
③ 身体の構成・構造を正しく確認していく瞑想
④ 死体の変化する様から身体の無常性を理解していく瞑想

この四つを観想・実践していくことで体を正しく捉えることが出来るようになります
特に②の正念『ヴパッサナー』は集中力を癖にする修行です
この正念の力を身につければ、雑念が入る、妄想してしまう事が少なくなり集中力が付いてきます
又、後にする『心を観察する瞑想』で修行すると、自他に対しての『心の洞察力』を身につけやすくなります
その『心の洞察力』を身に付けていけば、身から出る『垢』、他から受ける『汚れ』のストレスを受けにくくなります

最初は難しいかもしれませんので①と②の瞑想をしてから②の日常生活を通して正念を入れ続けることだけでも続けていってください
この修行は誰にでも出来るもので、誰でも今その人にある心の状態から更に心を成長させてくれるものです
パニック障害をタイトルに掲げていますが、それは心を成長させるというこのお経本来の目的の付録みたいなものです
ブッダ誕生以来、数あるブッダの教えの中でも最も古く、信頼性の高いものです
過去現在において無数の人々が求めた真実の幸福への道です
ヴィパッサナーについて私の説明で分かりにくければ日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老など、南方仏教の専門家の教えを聞かれるのも更なる近道になるかもしれません
心を強くしたいと思っている人の心が強くなるように願っています
                               合掌

パニック障害克服に向かって⑨

2008年02月08日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』

『修行僧は、髪の毛より下、足の裏より上のこの身体は皮膚で覆われており、種々さまざまな不浄物で満たされていると観察するのである。つまり、『この身体には、髪、毛、爪、歯、皮、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、胃、大便、胆汁、痰、膿、血、汗、脂肪、涙、血清、唾液、鼻汁、関節骨液、小便がある』と。修行僧たちよ、これはちょうど、両方に口のある袋のなかに、いろいろな種類の穀物、すなわちサーリ籾米、ヴィーヒ籾米、緑豆、豆、胡麻、玄米が一杯に入っているようなものである。見分ける眼のある人が、それを開けて『これはサーリ籾米である。これはヴィーヒ籾米である。これは緑豆である。これは豆である。これは胡麻である。これは玄米ある』と観察するようなものである』
『原始仏典』春秋社より

2500年以上も前からインドでは、詳細に体の構造を把握していたんですね
そのことに驚きを感じるのは私だけでしょうか

さて、体についての三番目の教えです
この教えは瞑想の中で行っていく修行です
『仏教』には『如実知見』という言葉があります
『物事をありのままに見る』といった所でしょうか
これが実際にできるようになると、すなわち『覚り(苦しみを乗り越えた状態)』を意味するかと思います
我々はこの世にあるすべての物事をありのままに見る事ができないから苦しむのです
『体って何ですか?』と問われたらどのように考えますか?
一般的な見方からすれば、目に映る容姿、顔やスタイルなど姿かたちが体だと思い込んでいる場合が少なくないのではないでしょうか
それはブッダの教えからすれば体をありのままに見てはいないのです
体をありのままに見ず、見た目ばかりにこだわるから苦しみが生まれるのです
見た目ばかりにこだわるから容姿端麗を好み、美しい人、カッコいい人を好むのです
無明人がそれを望むから、マスメディアは美男・美女を求めます
マスメディアがそれをカリスマ的に扱うから、人はそこに近づき親しみ楽しむためにお金を使って自己の欲望を注ぎ込むのです
そして思い通りにならなければ、それはすなわちストレスとなって心を苦しめます

そういう体に対する価値観で体を見ていき、その偏った見方・偏見が暴走していく時、様々な苦しみが生み出されるのです
容姿に対する差別、容姿を悪用した性的犯罪、インチキな美容グッズの詐欺商売‥‥
体に対して根本的に誤った見方をしていると、多くの苦しみを生み出します
すなわち心にとっての大きなストレスになるのです
そのストレスを克服しようという目的で、今回取り上げた瞑想を行って頂ければ幸いです

体をありのままに見れば
『この身体は皮膚で覆われており、種々さまざまな不浄物で満たされていると観察すると、この身体には、髪、毛、爪、歯、皮、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、胃、大便、胆汁、痰、膿、血、汗、脂肪、涙、血清、唾液、鼻汁、関節骨液、小便がある』
身体とは一枚の皮でおおわれており幾つか穴が開いている
皮膚の中にはなにやら気持ちの悪いものが沢山入っていて汚いものが沢山出てくる
外面的な容姿はそれらの一部に過ぎない

そのようにありのままに身体を見て執着を離れる
体をありのままにバランスよく見れるようになるブッダの智慧の眼を持てば、様々な苦しみ・ストレスから離れることができます