『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

煩悩⑥ 『見』

2009年10月23日 | 煩悩・悪感情の分類
6つ目の煩悩は『見』です

この煩悩は『この世の成り立ち』において誤った見解のことを言います


お釈迦様は『真理』と『智慧』と『慈悲』を説かれました

この世に与えられた命をどうとらえ、どのように生きるか

人間にとって根本の、また最も難しい問題

その答えに明確な見解を示してくださいました

そのお釈迦さまが説かれた、この世の見方は全く隙がなく正しいのです

それゆえ現在に至るまで多くの人の支持を得て、救いを求める人に多くの利益をもたらしてきたのです


現代においては『この世の成り立ち』というものに対して無関心な人が少なくないように感じます

果てのない道をただやみくもに進んでいるように見えます

『地球』にじかに触れながら『生きる』をしている人が減っているからでしょうか

忙しすぎて、朝日や夕日を眺めたり、植物や動物の成長・活動が目に映る環境から離れたり、自然現象の壮大さを目の当たりにする機会が少なかったり…


『この世の成り立ち』に対して正しい見解を持ち『生きる』ことが誤った見解の煩悩『見』に惑わされないこつです


この世は『無常』であり『苦』であり『無我』である
『縁起』のもとに全ての事象・存在はつながっている
だからこそ『慈しみ』を持って生きる

このコンセプト(観念)を持って生きることが幸せへの最短の近道です


一度きりの人生だから楽しいことをして生きよう!とこの世を『常』『楽』『我』
と誤認し誤ったコンセプト持って生きていたら、最終的には苦しみの世界に生きている自分に後悔することでしょう


煩悩⑤ 『疑』

2009年10月20日 | 煩悩・悪感情の分類
『疑』ということは『疑う』ということです

何を疑うのかいというと

ブッダの『法』を疑うということです

ブッダの『法』とは、ブッダが説かれた『教え』です

ブッダの『教え』は『真理』であり『智慧』であり『慈悲』であります

その教えは私利私欲が全くありません

すべての生命にとって利益となるものです


全ての人の心が煩悩から離れ遠ざかり

全ての人の心が清らかな状態になるための『教え』です


ブッダの『教え』を疑う『疑』という『煩悩』が心にある限り

『苦しみ』を引き寄せ

『安楽』を遠ざけることでしょう


それとは逆に

ブッダの『教え』を信じる限り

心を『煩悩』から守ります


煩悩④ 『慢(慢心)』

2009年10月17日 | 煩悩・悪感情の分類
悪い心・悪感情の4番目、それは『慢』です

『自慢』という言葉を我々は使いますが、これも『慢』の関連語で自分を基準に、自らを誇らしげに表して他を見下す、といった意味でしょうか

『慢』は他のものを差をつけ見下す心で、人は知らない内にこの心に支配されている時があり、『慢』が心の中で働いている時は今でいう『自己中』の状態になっています


『慢』に支配された心には周りにある全ての対象を『自分中心』でランク付けしています

そして客観的に正しくランク付けされている場合と違い自分にとって都合のよい人を『えこひいき』しているので結果的に他人からの評判が悪くなる、人に嫌われるのです


また人は天候に自分の都合を求めますが、そこにも『慢』が働いています

晴れて欲しくて暑いのが嫌で寒いのも嫌で雪も嫌

自然界が成り立つのに必要不可欠なものを

人は嫌がります


また『差別』は人間の歴史において大きな不幸を数々つくり出してきましたが、『差別』の基本には必ずこの『慢』が働いています

自分たちは『神』に選ばれし崇高な民族で、他の者たちは生まれ持って自分たちよりも劣っている

とか

女性は力が弱いくて男性は力が強い、とにかく男性の方が優れているから女は男の言うことを聞け

とか等など…

生まれ・容姿・年齢・性別・職業・国などの違いを『差』をつけて見る

以上のように『慢』は他者に嫌われたり、差別を生みだしたりとか多くの苦しみを生みだす厄介な感情です


ブッダはその悪感情とは正反対の、物事を唯々ただありのままに観る、『区別』する智慧を教えてくれています

『無分別智』とも言いますが、全ての存在が『因縁』にもとづいた結果として『今』を受けている

だから唯ただ自分自身が正しい生き方を目指す

その道がブッダの教えなのです


知らない内に心を支配している『慢』

それを働かせながら生活していると、知らない内に他人から嫌われ、周りに差別を生みだすという大きな苦しみをもたらします


『慢』に心を犯された『自分中心』の眼に気づく力を持ってない人が、ブッダによってその力を与えられ、苦しみから離れることができますように

合掌

煩悩③ 『愚癡(ぐち)』

2008年12月19日 | 煩悩・悪感情の分類
三大煩悩の最後は『愚癡(ぐち)』です

よく『無明』と同じと言われる事もありますが違います

『無明』とは『真理』を理解実践(さとり)していない状態です

『愚癡(ぐち)』は心が『煩悩』に侵されている状態のことです

『愚癡(ぐち)』とは三種類しかない感受の一つ『非苦非楽』によって生まれ出る煩悩です

『非苦非楽』という苦しくもなく楽しくもないと感じている状態の時、人の心は『正念』という今の瞬間の心に気づいている、というブッダが説くところの最高の境地とは正反対の状態です

集中力という大切な力を放棄している危険な状態です

危険といっても『貪欲』『瞋恚』ほど活発ではありませんが、身の上に迫りくるよいことも悪いことも分からない状態なのでいつ何時不幸が襲ってくるかもしれない状態なのです

この地球という箱舟の人間世界という視点から見れば、人間・生命全体が幸せになる生き方の方程式は真理を発見したブッダにはすべて分かっていたのです

その生き方と正反対の生き方、それはあまりにも情けなく不幸な生き方なのです

悪友を呼び寄せる隙だらけで、よき友は近づいてきません

考える必要のない過去や未来、欲望や怒りなどの雑念、妄想にさいなまれ、苦しみという大海の真っただ中で生きる生き方をブッダは強く否定しています

心が『苦』と感じている時は、その感じている対象を避けようと『瞋恚』が働きます

心が『楽』と感じている時は、その感じている対象を手に入れようと『貪欲』が働きます

そして心が『非苦非楽』と感じている時は、その感じている対象を意識せず、ボケーッとみていますから、雑念・妄想を起こし、過去や未来のどうしようもない出来事にストレスを自ら生み出し悩み苦しんでいるのです

その雑念・妄想はのちに説明する様々な煩悩・悪感情を生み出すので大いに気をつけなければならないのです

後先考えずに、家や車など様々な欲しいもの思うがままに買ったり、おいしいものを食べたり飲んだり、恋愛・結婚をしたり、偽りや暴言や無駄話や陰口をたたいたり……

このようなことで人生がマイナスに傾いてしまった人は大勢いるでしょう

そんな人には『愚癡(ぐち)』という煩悩が、強く大きく働いているのです


煩悩 ②『瞋恚(しんに)』

2008年12月17日 | 煩悩・悪感情の分類
煩悩の三毒のうちの2つ目『瞋恚(しんに)』を紹介します

『瞋恚』は一般的に『怒り』の煩悩と言われています

それはそれで正しいのですが、もう少し掘り下げて意味を説明しますと

自分が感じた『苦』の対象に対してそれから離れたい!と願い求める『欲望』なのです

クラスメイトの○○をいじめて仲間外れにしてやりたいとか、車をぶつけられて腹が立っているとか、旦那が家事育児を全然手伝ってくれないとか、上司が大嫌いだとか、学校へ行きたくない、仕事へ行きたくない、あいつに会いたくない、夫の浮気にとても腹がったっている等など…

思い起こせば腹が立ちついつい怒ってしまう出来事

それらの『怒り』は全部『瞋恚』すなわち、それらの状況から逃げたい!と強く思う事によって起こる欲望なのです

自我(エゴ)とプライドとこだわりが強ければ強いほど、その対象・状況が嫌だ!と思う『瞋恚』の事柄は多くなります

そういう人ほどいつも怒っています

そんな人は自分自身がとても不幸でかわいそうな人間だという自覚を持つことはできません

自分自身が持っていることにも気付かない『怒り』は癌のように心をむしばみ続けます

『瞋恚』の煩悩を持った人の周辺は目に見えない大火事で、多くの人々の不幸を招いているでしょう

子どもの時代に『瞋恚』という心の中の煩悩を刺激され続け心の中の『怒り』が大きく育った人もいれば、生まれ持って『瞋恚』が強い人もいます

親や先生は子供に対して『瞋恚(怒り)』を育てるような関わりは禁物です

子どもの怒りからくる様々な問題事件が最近多いでしょう

あれは自分の心の感情・煩悩をコントロールするすべを全く知らない、『瞋恚』を大きく周りの人たちに育てられた子供が必然的に起こした、起こるべくして起こった出来事です

まぁ世の中におこる様々な問題の数々、それは全て煩悩・人間の悪感情が引き起こした問題です

その煩悩の来るところを正しく見極め、改善していく

その為に心の仕組み、その中でも煩悩・悪感情・悪魔を知ること

『瞋恚』は大きなストレスになりますから、心にも体にも大きな悪影響をもたらし、生きる苦しみと寿命を短くするのに貢献しているとんでもない『煩悩』です

だから『瞋恚』は早急に減らしていくべきです

そのような学びをブッダの智慧で、各個人個人が深めていきたいものです

煩悩 ①『貪欲(とんよく)』

2008年12月16日 | 煩悩・悪感情の分類
煩悩には数多くの種類がありますが、煩悩の三毒と言って最も代表的なものが三つあります

『貪欲(とんよく)』『瞋恚(しんに)』『愚痴(ぐち)』の三つです

さまざまある煩悩はすべてこの三つから発生しているともいえるでしょう

この三つを押さえて置くことが基本です


それではまず、ビッグスリーの一番目『貪欲』を説明します

『貪欲』とはその字があらわす通り、むさぼる欲望といった所の意味です

人間はまず自分という存在があって、そしてその自分という存在が有する感覚器官(眼耳鼻舌身)によってこの世界全ての存在を感じ取るのです

人間が感覚器官によって感じる種類は三つしかありません

『苦(苦しみ)』と『楽(楽しみ)』と『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』です

無明(真理に気づかない状態)である我々は

『苦(苦しみ)』から自動的に『瞋恚』という煩悩を生み出し

『楽(楽しみ)』から自動的に『貪欲』という煩悩を生み出し

『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』から自動的に『愚痴』という煩悩を生み出します

その自分が感じる三つの対象の中で好ましいと感じる対象『楽(楽しみ)』を自分のものにしたい!という強い気持ちが『貪欲』なのです

人間が『楽しい』と感じているとき必ず同時に生まれているのが『貪欲』という煩悩なのです(ブッダはその瞬間に感じる『貪欲』に気づきその瞬間でその感情を捨てなさいと『大念処経』で教えてくれています)

自分が欲しいと思うものを手に入れたい!という気持ちが何で悪いんですか、という風に感じる方もおられるかもしれませんがブッダの教えの基本は『無常』です

『全ての物事は移ろいゆく 怠ることなく精進なさい』

といったブッダのお言葉があります

それが意味するところの一つに
自分が欲を持って得たものは、すべて、自分の手から離れていきますよ
結局は苦しみに変わるものだから
私のものだというこだわりは捨てなさい

といったところでしょうか

例えば、自分の子供が幸せになってほしい!と親ならばだれでもそう思います
その『幸せ』という中身には実はいくつかの種類があリ、それを大きく分けると『貪欲』と『慈しみ』です

・『慈しみ』といってこの世のことわりに基づいて幸せになってほしいという全く汚れのない純粋な気持ち
・親が思っている価値観にじゅんじた子供になって幸せになってほしいという『貪欲』からくる幸せ

前者がもたらすものは子供の健やかな成長です
後者がもたらすものは子供を枠にはめる窮屈さから生じる歪んだ成長です

ブッダの教えを正確に学ばなければなかなか分らない所かもしれませんが、子育てに悩み、誤って失敗している親は知らず知らずのうちに『貪欲』の気持ちに染まった子育てをしているのです

そこに早く気付いて『貪欲』を捨て去ることが真の幸福をもたらす道です

子育てだけではなく全てのところで『貪欲』を捨てる道をブッダは教えてくれているのです

最後に一言で説明すると
『貪欲(とんよく)』とは、楽しいと感じた対象を自分に引き寄せ、自分のものにしようとする強い欲望です

『無明』で生きる人は

『楽しみという殻に覆われた苦しみの種(煩悩)』を求めて得て、後々に育った『苦しみ』という果実を受ける

という方程式に気づかないのです

『煩悩』を知り、意識できれば、ストレスが減少する

2008年12月13日 | 煩悩・悪感情の分類
『煩悩』とは人間の心に発生する悪い・悪の感情のことです

普通人は自己の心というものを意識できます

そしてその心で、嬉しくて喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりします

しかし人が実際に意識できる心はほんの一部です

ほとんどの人は、心のほんの一部しか知りません

そして心の感情が感じる気持ちによって、大きく振りまわされているのです

そして自分がすごく苦しんでいる情けない生き方をしていることすらも気づかないことが多いのです

実際ストレス社会と言いますが、ブッダの智慧で観察すると、ストレスを受けて苦しんでいる人たちは、自分の感情によって実際に受けているストレスの何倍も、何十倍もストレスを大きくして、自ら苦しみを大きくしているのです

そんな悪さをしているのは『煩悩』という心の中の悪の感情です

それを仏教では沢山の種類に細かく正確に分類しているのです

その煩悩を自己の心の中に観察・意識し、コントロールする力を身につければ、ストレス・苦しみは大幅に減少していくでしょう

その方法はこのブログの修行の中でも述べられています

是非それと合わせて、心を見つめ分析し、ストレスに強い心づくりにチャレンジしてみてはいかがでしょうか

このカテゴリーでは次回から『煩悩』を一つ一つ説明していきます