『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

『枠』を壊すのが仏教

2008年12月26日 | 仏教とは
『枠』を壊すのが仏教です


人は生まれ

人は枠を決め

人は枠を定め

人は枠にしがみつく


あらゆる『枠』を取り除き

『全ては移りゆく』という

ブッダの教えを聴きひらき

『枠』に縛られない生き方をする


『枠』とは固定概念です


これはこれである

ではなく

これはあれによって仮に○○として成り立っている


私は○○である

ではなく

私は様々な物質によって仮に○○として成り立っている

のである

『縁起』という智慧

2008年12月26日 | 智慧
人間は経験しなければわからない生き物、ならば

環境破壊からくる苦しみを

経験しなければ環境破壊をしてはいけないとわからない

しかし環境破壊が進んでしまっては手遅れになる


そこで必要なのがブッダの智慧

全てが繋がっていると教えてくれる『縁起』という智慧

あらゆる角度・立場から見る力をつけてくれるその智慧は

あらゆる存在に存在意義を見出し

あらゆる存在があるが故に自分が生かされているということを教えてくれる

『苦しみ』から離れる方法

2008年12月26日 | 仏教とは
過去や未来への妄想・雑念が苦しみ・ストレスを増大する

心がタイムマシンに乗って過去や未来に幽体離脱しているのに

心が苦しみ・ストレスを大きくしているのに…


体は今を生きています

常に今を呼吸しなければ、体はすぐに死んでしまいます

過去の分や未来の分の呼吸を貯金しておくことはできません

呼吸は今しておかなければならないのです


そのように心も今を生きなければ(それが『正念』を入れるということです)

そのようにしなければ、心は呼吸困難を起こしてしまいます

心はよっぽどのことがなければ死亡しませんが

心は癌のように心をむしばみ

そして体をむしばみ

心身両方の病につながっていくのです


心身ともに幸福であるためにはブッダの教え以外にはありません

『初期仏教聖典』に基づいた正しい教えに

早く気付き学びを進める


この世での最高の幸福を得ることが出来るでしょう

日が照らす時、心が居る所

2008年12月23日 | 
朝日は一日の始まり

心は太陽を求め

体は光を求める


日が昇り始めると

心は太陽を忘れ

体は光を当り前に思う


日が沈む頃

心は太陽を懐かしみ

体は光を名残惜しむ


心は常に今にあらず

心は常に今を見失う


ブッダは常に心を今に置き

ブッダは常に心を今から離さない

だからブッダはいつも幸せの中で生きる


足りないものがあった時……

2008年12月23日 | 
足りないものがあった時……


他から、新しいものを見つけ出してくるか

あるもの、を工夫して乗り切るか


外に見出すか

内に見出すか


欲望でいくか

知足でいくか


愚者は前者をとり

ブッダは後者をとる

煩悩③ 『愚癡(ぐち)』

2008年12月19日 | 煩悩・悪感情の分類
三大煩悩の最後は『愚癡(ぐち)』です

よく『無明』と同じと言われる事もありますが違います

『無明』とは『真理』を理解実践(さとり)していない状態です

『愚癡(ぐち)』は心が『煩悩』に侵されている状態のことです

『愚癡(ぐち)』とは三種類しかない感受の一つ『非苦非楽』によって生まれ出る煩悩です

『非苦非楽』という苦しくもなく楽しくもないと感じている状態の時、人の心は『正念』という今の瞬間の心に気づいている、というブッダが説くところの最高の境地とは正反対の状態です

集中力という大切な力を放棄している危険な状態です

危険といっても『貪欲』『瞋恚』ほど活発ではありませんが、身の上に迫りくるよいことも悪いことも分からない状態なのでいつ何時不幸が襲ってくるかもしれない状態なのです

この地球という箱舟の人間世界という視点から見れば、人間・生命全体が幸せになる生き方の方程式は真理を発見したブッダにはすべて分かっていたのです

その生き方と正反対の生き方、それはあまりにも情けなく不幸な生き方なのです

悪友を呼び寄せる隙だらけで、よき友は近づいてきません

考える必要のない過去や未来、欲望や怒りなどの雑念、妄想にさいなまれ、苦しみという大海の真っただ中で生きる生き方をブッダは強く否定しています

心が『苦』と感じている時は、その感じている対象を避けようと『瞋恚』が働きます

心が『楽』と感じている時は、その感じている対象を手に入れようと『貪欲』が働きます

そして心が『非苦非楽』と感じている時は、その感じている対象を意識せず、ボケーッとみていますから、雑念・妄想を起こし、過去や未来のどうしようもない出来事にストレスを自ら生み出し悩み苦しんでいるのです

その雑念・妄想はのちに説明する様々な煩悩・悪感情を生み出すので大いに気をつけなければならないのです

後先考えずに、家や車など様々な欲しいもの思うがままに買ったり、おいしいものを食べたり飲んだり、恋愛・結婚をしたり、偽りや暴言や無駄話や陰口をたたいたり……

このようなことで人生がマイナスに傾いてしまった人は大勢いるでしょう

そんな人には『愚癡(ぐち)』という煩悩が、強く大きく働いているのです


煩悩 ②『瞋恚(しんに)』

2008年12月17日 | 煩悩・悪感情の分類
煩悩の三毒のうちの2つ目『瞋恚(しんに)』を紹介します

『瞋恚』は一般的に『怒り』の煩悩と言われています

それはそれで正しいのですが、もう少し掘り下げて意味を説明しますと

自分が感じた『苦』の対象に対してそれから離れたい!と願い求める『欲望』なのです

クラスメイトの○○をいじめて仲間外れにしてやりたいとか、車をぶつけられて腹が立っているとか、旦那が家事育児を全然手伝ってくれないとか、上司が大嫌いだとか、学校へ行きたくない、仕事へ行きたくない、あいつに会いたくない、夫の浮気にとても腹がったっている等など…

思い起こせば腹が立ちついつい怒ってしまう出来事

それらの『怒り』は全部『瞋恚』すなわち、それらの状況から逃げたい!と強く思う事によって起こる欲望なのです

自我(エゴ)とプライドとこだわりが強ければ強いほど、その対象・状況が嫌だ!と思う『瞋恚』の事柄は多くなります

そういう人ほどいつも怒っています

そんな人は自分自身がとても不幸でかわいそうな人間だという自覚を持つことはできません

自分自身が持っていることにも気付かない『怒り』は癌のように心をむしばみ続けます

『瞋恚』の煩悩を持った人の周辺は目に見えない大火事で、多くの人々の不幸を招いているでしょう

子どもの時代に『瞋恚』という心の中の煩悩を刺激され続け心の中の『怒り』が大きく育った人もいれば、生まれ持って『瞋恚』が強い人もいます

親や先生は子供に対して『瞋恚(怒り)』を育てるような関わりは禁物です

子どもの怒りからくる様々な問題事件が最近多いでしょう

あれは自分の心の感情・煩悩をコントロールするすべを全く知らない、『瞋恚』を大きく周りの人たちに育てられた子供が必然的に起こした、起こるべくして起こった出来事です

まぁ世の中におこる様々な問題の数々、それは全て煩悩・人間の悪感情が引き起こした問題です

その煩悩の来るところを正しく見極め、改善していく

その為に心の仕組み、その中でも煩悩・悪感情・悪魔を知ること

『瞋恚』は大きなストレスになりますから、心にも体にも大きな悪影響をもたらし、生きる苦しみと寿命を短くするのに貢献しているとんでもない『煩悩』です

だから『瞋恚』は早急に減らしていくべきです

そのような学びをブッダの智慧で、各個人個人が深めていきたいものです

煩悩 ①『貪欲(とんよく)』

2008年12月16日 | 煩悩・悪感情の分類
煩悩には数多くの種類がありますが、煩悩の三毒と言って最も代表的なものが三つあります

『貪欲(とんよく)』『瞋恚(しんに)』『愚痴(ぐち)』の三つです

さまざまある煩悩はすべてこの三つから発生しているともいえるでしょう

この三つを押さえて置くことが基本です


それではまず、ビッグスリーの一番目『貪欲』を説明します

『貪欲』とはその字があらわす通り、むさぼる欲望といった所の意味です

人間はまず自分という存在があって、そしてその自分という存在が有する感覚器官(眼耳鼻舌身)によってこの世界全ての存在を感じ取るのです

人間が感覚器官によって感じる種類は三つしかありません

『苦(苦しみ)』と『楽(楽しみ)』と『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』です

無明(真理に気づかない状態)である我々は

『苦(苦しみ)』から自動的に『瞋恚』という煩悩を生み出し

『楽(楽しみ)』から自動的に『貪欲』という煩悩を生み出し

『非苦非楽(苦しみでもなく楽しみでもない)』から自動的に『愚痴』という煩悩を生み出します

その自分が感じる三つの対象の中で好ましいと感じる対象『楽(楽しみ)』を自分のものにしたい!という強い気持ちが『貪欲』なのです

人間が『楽しい』と感じているとき必ず同時に生まれているのが『貪欲』という煩悩なのです(ブッダはその瞬間に感じる『貪欲』に気づきその瞬間でその感情を捨てなさいと『大念処経』で教えてくれています)

自分が欲しいと思うものを手に入れたい!という気持ちが何で悪いんですか、という風に感じる方もおられるかもしれませんがブッダの教えの基本は『無常』です

『全ての物事は移ろいゆく 怠ることなく精進なさい』

といったブッダのお言葉があります

それが意味するところの一つに
自分が欲を持って得たものは、すべて、自分の手から離れていきますよ
結局は苦しみに変わるものだから
私のものだというこだわりは捨てなさい

といったところでしょうか

例えば、自分の子供が幸せになってほしい!と親ならばだれでもそう思います
その『幸せ』という中身には実はいくつかの種類があリ、それを大きく分けると『貪欲』と『慈しみ』です

・『慈しみ』といってこの世のことわりに基づいて幸せになってほしいという全く汚れのない純粋な気持ち
・親が思っている価値観にじゅんじた子供になって幸せになってほしいという『貪欲』からくる幸せ

前者がもたらすものは子供の健やかな成長です
後者がもたらすものは子供を枠にはめる窮屈さから生じる歪んだ成長です

ブッダの教えを正確に学ばなければなかなか分らない所かもしれませんが、子育てに悩み、誤って失敗している親は知らず知らずのうちに『貪欲』の気持ちに染まった子育てをしているのです

そこに早く気付いて『貪欲』を捨て去ることが真の幸福をもたらす道です

子育てだけではなく全てのところで『貪欲』を捨てる道をブッダは教えてくれているのです

最後に一言で説明すると
『貪欲(とんよく)』とは、楽しいと感じた対象を自分に引き寄せ、自分のものにしようとする強い欲望です

『無明』で生きる人は

『楽しみという殻に覆われた苦しみの種(煩悩)』を求めて得て、後々に育った『苦しみ』という果実を受ける

という方程式に気づかないのです

業(カルマ・行い)が導く来世

2008年12月14日 | 業(カルマ・行い)
業(カルマ・行い)は輪廻転生のルートをつくっているものです

善き行い(善業・功徳)を積めば積むだけ来世は善き所に生まれ変わります

悪い行い(悪業)を詰めば積むだけ来世は悪い所に生まれ変わります

善き所とは天人(神様)の住む世界か、平和で幸ある人間の世界です

悪い世界とは地獄、餓鬼、畜生の世界です