『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

パニック障害克服に向かって①

2008年01月31日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』

「人の事言う前に
 自分の事だけしっかりすればいい」

と説教しながらも
自分の悪い所は全く見えず
他人の悪い所だけが見えてきます

それは目や耳でものを見ているからなのでしょうか
心でものを見てみたらどうでしょうか

もしかしたら
自分の良い所も悪い所も見えるし
他人の良い所も悪い所も見えるかもしれません

しかしそれでも
自分の悪い所を放っておき
他人の良い所を妬み、悪い所を喜びます

それでは不幸になってしまうからと
ブッダは私たちを憐れんで
心を清らかにする方法を教えてくれたのです
それを実践すればこの世で最高の生き方ができて
世界で最も幸せな人生が送れます

しかしその方法は『欲望』を好んで求める私たちには
面白くも糞もありませんから
興味を持つ人はほとんどいないのです

死んだらどうなる?⑤

2008年01月30日 | 死後の世界 『死んだらどうなる?』

『人間界』の次の世界が天界です
そこは多くの神々が住む世界です
インドで古来から崇められていた神々
その神の語源は『光り輝くもの』です
突出した能力を持った人間を神格化して神と言ったのかもしれませんし、本当に神という生き物がいたのかもしれません
一つ言えるのは、欲の感情が人間に比べて少なくなった状態の中で生きる者であるという事でしょう
真理に目覚めた人ならば、欲の感情が少なければ少ないほど苦しみ少なく生きるのが安楽であるという事は当たり前の認識です
欲の少ない世界に住むという事はレベルの高い生き方という事でしょう
大まかに分けると地獄から人間界までは『欲界』という欲望で支配されている世界です
その上の世界が神々が住む、欲望の少ない世界『色界』『無色界』です
そして『欲界』『色界』『無色界』の三界を超えた境地、欲望が無くなった境地が涅槃・ニルバーナの世界でありブッダになるという事です
そこまで人格の向上を目指すのが仏教です

現世での行いが優れていれば、来世では人間界を超えて天人の住む『天界』へと生まれ変われるかもしれません
われわれ仏教徒は苦しみの世界から安楽な世界を目指し、今より上の世界を目指して現世で功徳を積まなければいけません
自分の業(行い)を持って、人は来世に生まれ変わるのです
業に従って、今より低い世界『地獄・餓鬼・畜生』やレベルの高い世界『天界』、さらには『涅槃』の世界へつながっていくのです

真理を覆い隠すもの

2008年01月25日 | 

苦しみは欲望と怒りから起こり

楽しみは無欲とあきらめから起こる

お金は欲望を満たしてくれるが、欲望を消し去ってはくれない

お金は苦しみを覆い隠してくれるが、苦しみを消し去ってはくれない

物質的な豊かさは、無常・苦・無我を覆い隠し、この世の真理を覆い隠す


他人の幸せ不幸せを感じる心

2008年01月24日 | 

他人の不幸をあわれむ時、その心は清らかであり

他人の不幸を喜ぶ時、その心は汚れている

人の幸せを喜ぶ時、その心は慈しみで護られていて

人の幸せを喜ばない時、その心は妬みに支配されている



格差社会から考える

2008年01月23日 | 社会への提案
欲に対して自由なら、それは多くの苦しみを生み出す
欲を自由に求めることができる社会は
犠牲を生み出し
争いを生み出し
格差を生み出し
殺人を生み出す

欲に対して不自由なら、それも多くの苦しみを生み出す
欲を自由に求めることができない社会は
不満を生み出し
格差を生み出し
争いを生み出し
殺人を生み出す

欲を自由自在に見極めることができるなら、それは楽しみをもたらす
欲を見つめ
欲が生ずる所を見つめる
欲を見極めれば見極めただけ
苦しみが減り、楽しみが増える

物質的に豊かな時代

2008年01月21日 | 修行日記

人間は
楽しむ時、虚妄(有常・楽・有我)を求め
苦しむ時、真理(無常・苦・無我)を求める
人生が
楽から苦へ変わる折り返し地点が
ずいぶん延びたなぁ
物質的に豊かになったからなぁ

執着

2008年01月19日 | 

執着という欲望はその心を一か所に縛り付ける

そこから動かなくちゃいけないのに

そこから動けない

だから苦しみが続く


2008年01月18日 | 

雪は積もる
雪が降ったから
雪は消える
雪が融けたから

これが分かれば覚りです
分かるとは体得する事です



死んだらどうなる?④

2008年01月17日 | 死後の世界 『死んだらどうなる?』

『畜生』の次の世界、それが我々が生きる『人間』の世界です
『人間』の世界という事ですが、ここは常軌を逸脱した行為のない人間社会といった所でしょうか
人間として生きていても、私利私欲のため・悪意のこもった欲望のために行う殺し合いや戦争・食べたり飲んだりしなければ死んでしまうのに食べたり飲んだりできずに死んでしまう世界は『人間』として生きていても『畜生』の世界よりも怖ろしい『地獄・餓鬼』世界です
そのような『餓鬼・地獄』以外の世界をここでは指すのです
この『人間』世界でも様々な苦しみがあるのも現実ですが、また楽しい事もいっぱいあります
前世も来世も人間であるのが当たり前、なんて思っている人もいるかもしれませんが、最低限でも来世には人間の世界に生まれ変わりたいものですね
しかしこの世での行いいかんでは間違いなく人間界より下の世界に生まれ変わります
そんな来世にならないように、この世ではしっかりと功徳(善業)を積むことをお勧めします

死んだらどうなる?③

2008年01月16日 | 死後の世界 『死んだらどうなる?』
『餓鬼』の次の世界は『畜生』の世界です
『畜生』とはけだものという意味で、鳥や獣、虫や魚などの動物です
のーてんきな人なら、かわいい動物になってみたい!なんていう人もいるかもしれませんが、実際生まれ変わったら大変です
なぜならば、その世界はまさに飢えと奪い合い、弱肉強食、生きるか死ぬかの世界です
四六時中緊張の連続で、「おやすみなさい」と言いながら柔らかくて温かい床につくのは夢にも出てこない世界でしょう
普段何気なくテレビで目にする動物が動物を生きたまま食らうシーン
もし自分だったらと想像してみてください
殺されるかもしれない、という恐怖感はまことに怖ろしい境地です
こんな世界が来世に待っているかもしれないという事はまさに苦しみですね
この『畜生』という世界は大まかに分けて生き物が生まれ変わる下
から三番目の世界です

来世も幸せを願う人々がよき世界に生まれ変われますように     合掌