『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

悟り

2009年01月28日 | 仏教とは
『自分の力で生きている』が

『他によって生かされている』

という感覚を得た時のそのひるがえりの瞬間

それが『悟り』を知ったときです

そこから『仏道』を歩まざるを得なくなるのです


『悟り』というものを知り

『悟り』に向かって修行し

『悟り』を体得する


これはそれぞれの『体験・経験』のみによって理解することが出来るのです

そこをなおざりにする人は

今の時代に欠けがちな、大切な慈しみの心を持つことができないのです


一分一秒でも早く『悟り・「自分の力で生きている」が「他によって生かされている」という感覚を得た時のそのひるがえりの瞬間』

に気づく人生を願います



物事の一面しか見れない人間の性をブッダは憐れみ、教えを説く

2009年01月24日 | 仏教とは
目に映る『山』は山そのものではありません

ただ『山』の一面であるにすぎません


目に映る『月』は月そのものではありません

ただ『月』の一面であるにすぎません


目に映る『花』は花そのものではありません

ただ『花』の一面であるにすぎません




われわれの眼に映るものは

その一面でしかありません


物事の一面からしか見れないから

見解の相違・衝突からくる『苦しみ』が起こるのです


そんな苦しみとは逆の

全ての方向から見極める力を養ってくれるのが

ブッダの教えです

それは和合・融和をもたらし『幸』を生み出すのです


自分とブッダの教えを拠り所にして

2009年01月10日 | お経の紹介『大パリニッバーナ経』
『この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、

 法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ

 それはどうやって出来るのか

 それは身体について身体を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけ て、この世における貪欲と憂いを除くことで

 それは感受について感受を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけて、この世における貪欲と憂いを除くことで

 それは心について心を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけて、この世における貪欲と憂いを除くことで

 それは智慧について智慧を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけて、この世における貪欲と憂いを除くことで』



前半の

『この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、
法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ』

の部分は日本でも有名です

しかしそれだけではなく後半部分がとても大切なのです

それは『四念処』という修行法です

『大念処経』というお経の中で説かれています

人間が最高のレベルに達するためのブッダが発見した方法です

このブログでもその方法を示してありますので参考にして頂けたらと思います




苦しみを抑える方法

2009年01月10日 | 仏教とは
自然はいろんなヒントを我々に与えてくれる

生き物の生きる姿、命尽きた姿

一方では骸(むくろ)を気味悪がりながら、また一方ではそれを頂く私たち

生まれ、老い、死んでいくのが命

一見すると儚さ(はかなさ)を憂うが

それは、儚いことではない

ただ単に命のリズムなのです

そこを強引に崩そうとするのが

我々の内に住む『煩悩』なのです

『煩悩』をしっかりと見つめ観察し

その活動を抑える生き方を

教えてくれるのがブッダの『法(ダルマ)』です

程々が適当

2009年01月06日 | 
程々が適当


≪意味≫
 『程々』ちょうどよい程度
 『適当』分量・程度などが、程よいこと

ブッダの智慧『中道』を私なりに表現してみました