『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

争いから平和へ

2007年10月29日 | 
争いは何によって起こるのでしょうか

争いは欲望と嫌悪によって起こります

欲望は対象を好み求める心で、嫌悪は対象を嫌ってそこから離れようとする心です

欲望と嫌悪の反対の事をすれば心が平和になります

対象を諦(あきら)める事、対象を受け入れる事

欲しいものごとを諦めたり、嫌なものごとでも受け入れる

そうすれば心は平和に近づき、心は争いから離れていくでしょう

そんな心がいっぱいになれば争いは起こらなくなるでしょう

                                       合掌

戒め⑤

2007年10月29日 | 修行法 『戒・定・慧』

4つ目の戒めは『不妄語戒』です

「うそを捨て、うそから離れています。真実を語り真実と結ばれ、正直で信頼され、世間を欺きません」ブッダのお言葉です

うそは絶対にいけません!という仏教の基本的な態度

その『うそ』の基準は言葉ではありません

それは人間としての善悪の基準から見ての「うそ」はいけないという事です

だから、まごころから出る言葉なら、嘘も方便になる訳です

子供が頑張って描いた絵

大人から見るととってもへたくそです

「下手くそだなぁ、もっとうまく書きなさい」

しかし頑張って描いた事を認め、褒めてあげれば子供の自信や意欲はいい方向に伸びてい
くでしょう

子供の未来を見据える立場に立てば、嘘も方便です

しかし悪意を伴ってうそをつくと、心のどこかにやましさを感じてしまいます

やましさを感じつつ生きる人生はある意味、牢獄にとらわれているのと同じで苦しいも
のです

それを止めて心を清らかにしなさい、その状態を保ちなさい

心が潔白であれば臆する事少なくして必然と人生を前向きに考える事が出来るでしょう

うそを止めれば、悪の道から遠ざかり、善の道へ近づいていきます

苦しみから抜け出す覚りへの近道です



一期一会ってこんな感じかなぁ

2007年10月28日 | 

今日のあなたには今日しか会えない

昨日のあなたにはもう会えない

明日のあなたには明日だけ会える

その日その日

その時その時

その瞬間その瞬間

今の瞬間にあなたに会える喜びに

いつもいつも気付きたい

                      合掌

               写真:姪たちと妹


角を立てながら

2007年10月28日 | 

人は、角を立てながら他人を損ない

人は、他人を損ないながら他人を傷つける

人は、他人を傷つけながら己を省(かえり)みて

人は、己を省みながら角を立てることを知り

人は、角を立てることを知りながら丸くなることを知る

人は、丸くなりながら苦しみを見つめる時がある

人が、苦しみを見つめる時正しい宗教を求める

私が正しい宗教を求めた時ブッダの教えがあった


戒め④

2007年10月27日 | 修行法 『戒・定・慧』
3つ目の戒は不邪淫戒です

お経にはこうあります
『純潔でない生活を捨て、純潔な生活を送ります。離欲の生活者として、性的行為や卑猥な行動を離れています。』

出家修行者の戒律は結婚もできません

厳しいものです

在家信者の私にとっての不邪淫戒は、不倫・浮気や性的にみだらな行いから離れるといった所でしょうか

現代では社会ルールを犯して性をお金でやり取りする何とも悲しき時代になっています

年齢に応じていない性に関する情報が無尽蔵に行き交う危険な時代でもあります

欲望からくる非常識な行いによって沢山の悲しみを生み出している事は否定できない深刻な事実でしょう

自分の心を清める為に行う戒めであると同時に、他人の不幸を少しでも増やさない為の戒めでもあるのです


2007年10月27日 | 
雨は大地を潤す

雨は草を潤し

雨は木を潤し

雨は虫を潤し

雨は鳥を潤し

雨は動物たちを潤す

そして大地が育んだ全てによって

雨は私たちの体を潤す

しかし雨が潤す恵みに私たちは気付かない

私たちの心の欲望は、私たちの都合で晴れを望み、私たちの都合で雨を嫌う

雨は私たちの心を潤せないから

ブッダの真実の智慧は私たちの心の欲望を除き、私たちの心を潤す

潤された心は、みんなの心を思いやり

潤された心は、みんなの体を思いやり

潤された心は動物たちを思いやり

潤された心は鳥を思いやり

潤された心は虫を思いやり

潤された心は木を思いやり

潤された心は草を思いやり

潤された心は大地を思いやる

潤された心は雨に感謝する

潤された心は全てに感謝する



          合掌 みんなのお寺より

戒め③

2007年10月26日 | 修行法 『戒・定・慧』
二つ目の戒律、それは不偸盗戒です

これは盗みをしない事です

『与えられないものを取ることを捨て、与えられないものを取ることから離れています
与えられたものだけを受け取り、与えられたものだけを期待し、盗みをせず自らを潔白にして生活しています』

と、お経にも書かれているこの戒は泥棒をしない事ですが、単に法律に触れる盗みだけではありません

欲張って自分の当たり分より多くのものを取ることも当てはまります

独り占めもよくありません

なまけてたいして働いていないのに給料だけはきちんと頂く、これもこの戒に引っかかります

釣った魚は公平に分ける、これが争い、ねたみ、恨みを起こさない、理にかなったあり方です

人の物を横取りする『盗み』という行為は、他人の恨みを買い、自分の心にやましさを起こします

このような行為を捨て、離れ、心に後ろめたさを感じさせない

この戒めを守ることで、晴れ晴れとした態度・心で生活することができるのです


戒め②

2007年10月25日 | 修行法 『戒・定・慧』
まず一つ目の戒めとは、

不殺生戒です

すべての生き物の命を奪いません!というような

出家の坊さんの様にしっかりと守ることは、在家の信者ではできません

私たちにとっての不殺生戒、それは「無益な殺しを止めます」という事です

ブッダの言葉にはあります


全ての生き物は暴力におびえる
全ての生き物にとって生命はいとしい
己が身に引き比べて殺してはならぬ
殺さしめてはならぬ


すべての命を与えられた生き物は

「生きたい!」と強く望んでいます

自分が殺される、死ぬ、と本当に思ったとき、ありますか

言葉では表現できない恐ろしさです

自分がそのように思う

それは他人もそのように思っているという事です

その気持ちに立てば、全生命の命を軽く見る訳にはいかないのです


以上の気持ちが半分

あとの半分は自分の心を綺麗にする為です

命を大切にする事はとてもいい事です

理由をはっきり説明できない子どもでさえもいい事だと知っています

いい事をすると、気持ちが良くなります

いい事をすると、自分に自信が付きます

お前は偽善者だ!と陰で思われても自分の為にやっているんだと思えばゴキブリを殺さなくてもあまり気になりません

ちょっとチャレンジしてみませんか

できる限りの範囲で一匹でも命を奪わない事を

これが一つ目の戒です

合掌

みんなのお寺より

澄んだ清らか池

2007年10月25日 | 
波立つことの全くない澄んだ清らかな池は、空をまことに清らかに映し出す

欲望から離れている澄んだ清らかな心は、世界をまことに美しく感じさせる

世界がまことに美しく感じられる時、生きる意味を感じる

世界がまことに美しく感じられる時、覚りの世界をのぞき見ているのかもしれない


戒め①

2007年10月25日 | 修行法 『戒・定・慧』
戒律とはパーリ語で、戒はシーラ、律はヴィナヤ

戒は自ら目標・決まりを立ててそれを自分の中で実行する事

律は法律のようなもので、それぞれの社会でつくり破れば罰を伴うもの

とりあえず戒だけを守るようにしたらいいと思います

基本的なものは7つ

これを守れば日常生活に変化が出てくると思います

自らの振る舞いが浄化されていく事で、、心に自信がみなぎってきます

あたかも体を洗って汚れを落とし身を清らかにする事で、体に清らかさを感じるように

あたかも汚れ一つない衣服を身に付ける事で、体に清らかさを感じるように

心の汚れが感じる所の行為を洗い捨てて、心が清らかな状態を感じるようにしてあげましょう

仏道修行の第一歩です

ひとつずつ戒めを紹介していきましょう