『人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている
愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割(さ)くのである』
(『ブッダの言葉』 中村 元訳 岩波文庫より)
仏様ともあろうお方が
『口の中に斧がある』
と言っておられます
「口の中に斧がありますか?」と問われて「はい、あります」という人はまずいないでしょう
現代人にはいませんが、仏様が生きておられたころには『口の中に斧がある』人がいたのです!
と言ったら信じる人はいるでしょうか?
もしそれを信じる人がいたならば、気を付けてください
インチキな物事に引っ掛かりやすい性質かもしれません
『口の中に斧がある』と宣言するこのお経の意味には
自らが発する言葉には気をつけなさいよ!とくに悪意がこもっている言葉には
その言葉を受け取った人は必ず怒りを感じ、恨みを持つでしょう
それが何らかの形で自分のところに『苦しみ』となって帰ってくるでしょう
と言っておられる訳です
仏教では『言葉』を『口の行い』と言って重要視します
たかが『言葉』ぐらいで、と軽く見ることは禁物だと教えています
人間は『心』というものが出発点となり『口の行い』や『体の行い』が他人の目や耳で分かる形で表現されます
『口の行い』は『体の行い』に比べ目に見えない分インパクトが弱いと感じやすいかもしれませんが『口の行い』である『言葉』の力は結構強いのです
最近、政治家の失言をよく耳にします
マスコミに大きく叩かれ信用信頼はがた落ちで、へたをすれば辞任に追いやられる政治家もいるようで…
人間関係においても、悪気がなくても些細な一言で相手を深く傷つけ苦しめてしまったり、時には感情的になり意識的に悪意のこもった言葉を使ってしまい、後から「しまった!」という経験がある人も少なくないのでは
ちょっとした一言で信用を失いまとまりかけてた商談がパーになることもあるでしょうし
悪口をよくいう人には善き友・善き同僚はできないでしょう
最近よく耳にする殺人事件の中には『口の中の斧』によって我が身を本当に切り裂かれた人もいるでしょう
このように自らが発する言葉には下手をすれば本当に切り裂いてしまうほどの影響力があることを忘れてはいけません
とブッダは教えてくれています
愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割(さ)くのである』
(『ブッダの言葉』 中村 元訳 岩波文庫より)
仏様ともあろうお方が
『口の中に斧がある』
と言っておられます
「口の中に斧がありますか?」と問われて「はい、あります」という人はまずいないでしょう
現代人にはいませんが、仏様が生きておられたころには『口の中に斧がある』人がいたのです!
と言ったら信じる人はいるでしょうか?
もしそれを信じる人がいたならば、気を付けてください
インチキな物事に引っ掛かりやすい性質かもしれません
『口の中に斧がある』と宣言するこのお経の意味には
自らが発する言葉には気をつけなさいよ!とくに悪意がこもっている言葉には
その言葉を受け取った人は必ず怒りを感じ、恨みを持つでしょう
それが何らかの形で自分のところに『苦しみ』となって帰ってくるでしょう
と言っておられる訳です
仏教では『言葉』を『口の行い』と言って重要視します
たかが『言葉』ぐらいで、と軽く見ることは禁物だと教えています
人間は『心』というものが出発点となり『口の行い』や『体の行い』が他人の目や耳で分かる形で表現されます
『口の行い』は『体の行い』に比べ目に見えない分インパクトが弱いと感じやすいかもしれませんが『口の行い』である『言葉』の力は結構強いのです
最近、政治家の失言をよく耳にします
マスコミに大きく叩かれ信用信頼はがた落ちで、へたをすれば辞任に追いやられる政治家もいるようで…
人間関係においても、悪気がなくても些細な一言で相手を深く傷つけ苦しめてしまったり、時には感情的になり意識的に悪意のこもった言葉を使ってしまい、後から「しまった!」という経験がある人も少なくないのでは
ちょっとした一言で信用を失いまとまりかけてた商談がパーになることもあるでしょうし
悪口をよくいう人には善き友・善き同僚はできないでしょう
最近よく耳にする殺人事件の中には『口の中の斧』によって我が身を本当に切り裂かれた人もいるでしょう
このように自らが発する言葉には下手をすれば本当に切り裂いてしまうほどの影響力があることを忘れてはいけません
とブッダは教えてくれています