『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

スッタニパータ657 ブッダの口内環境 

2010年11月20日 | お経の紹介『スッタニパータ』
『人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている

 愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割(さ)くのである』

      
              (『ブッダの言葉』 中村 元訳 岩波文庫より)


仏様ともあろうお方が

『口の中に斧がある』

と言っておられます

「口の中に斧がありますか?」と問われて「はい、あります」という人はまずいないでしょう

現代人にはいませんが、仏様が生きておられたころには『口の中に斧がある』人がいたのです!

と言ったら信じる人はいるでしょうか?

もしそれを信じる人がいたならば、気を付けてください

インチキな物事に引っ掛かりやすい性質かもしれません



『口の中に斧がある』と宣言するこのお経の意味には


自らが発する言葉には気をつけなさいよ!とくに悪意がこもっている言葉には

その言葉を受け取った人は必ず怒りを感じ、恨みを持つでしょう

それが何らかの形で自分のところに『苦しみ』となって帰ってくるでしょう


と言っておられる訳です


仏教では『言葉』を『口の行い』と言って重要視します

たかが『言葉』ぐらいで、と軽く見ることは禁物だと教えています

人間は『心』というものが出発点となり『口の行い』や『体の行い』が他人の目や耳で分かる形で表現されます

『口の行い』は『体の行い』に比べ目に見えない分インパクトが弱いと感じやすいかもしれませんが『口の行い』である『言葉』の力は結構強いのです


最近、政治家の失言をよく耳にします

マスコミに大きく叩かれ信用信頼はがた落ちで、へたをすれば辞任に追いやられる政治家もいるようで…

人間関係においても、悪気がなくても些細な一言で相手を深く傷つけ苦しめてしまったり、時には感情的になり意識的に悪意のこもった言葉を使ってしまい、後から「しまった!」という経験がある人も少なくないのでは

ちょっとした一言で信用を失いまとまりかけてた商談がパーになることもあるでしょうし

悪口をよくいう人には善き友・善き同僚はできないでしょう

最近よく耳にする殺人事件の中には『口の中の斧』によって我が身を本当に切り裂かれた人もいるでしょう


このように自らが発する言葉には下手をすれば本当に切り裂いてしまうほどの影響力があることを忘れてはいけません

とブッダは教えてくれています




心の検診・精密検査をする方法①

2010年11月18日 | 仏教的ものごとの見方・とらえ方
『がんの宣告』
それはそれは恐ろしいものです
突如、そんな状況に陥ったらです
『がんの宣告』は『命の期限』が明記されるようなもので、『がんの宣告』をされたら生きた心地がしなくなるでしょう

しかし自分のことでないと非常に冷静な『人間』は
私達の体の維持と引き換えに『命』を提供してくれている尊い動植物を『消費期限』『賞味期限』で簡単に線引きしてしまいます

他のことはさておいて自分が『がん』であると分かったらどうするでしょうか?
日常生活にどっぷりとつかってしまっているならばそんなことはほとんど想像もしないでしょうが
実際になってみると、それはもう苦しくて藁にもすがりたくなり、ありとあらゆる手段を尽くして『がん』を治そうとするでしょう
早期発見ならば、完治の確率は高くなりますが
発見が遅いと『苦』、でしょうか

当り前な事ではありますが、大切なのは定期的な検診でしょう
大事に至らないために定期健診が義務的に推進されていますし、必然的な事でしょう
そうは言っても『俺なら大丈夫』と思っている人は結構いるでしょうけど…
今日の日本社会の中では『体の病気』に対してある程度の対策は取られています

ところが『心の病気』にたいしてはどうでしょうか?

仏教では『縁起』を重んじますので『体の病気』は『心の病気』からきている場合が少なくないとみます
『病は気から』と書いて『病気』です
『心の病気』を発見・治療すれば『体の病気』は結構防げるのです

そんなこんなでございますが『心』を検診・精密検査するということすら提案する人が殆どいない、というのが現実でしょう
『心』の検診・精密検査なんて出来る訳がないと言う人もいるかもしれません

しかしその方法は存在します
血液検査やレントゲン、CTやMRIなど様々な方法で体の病気を発見するように
『心』の様々な病気を発見する方法が……続く

どこにアイデンティティーを置くかで幸せが決まる

2010年11月09日 | 仏教的ものごとの見方・とらえ方
 アイデンティティー

=自己同一性

=自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念



もし自分が津田裕憲であるならば

もし自分が保育士であるならば

もし自分が僧侶であるならば

もし自分が富山県民であるならば

もし自分が日本国民であるならば

もし自分が地球人であるならば

もし自分が仏弟子であるならば


自分は○○である、と心を定めることによって、自分の生き方は違ってくると思う

どこにアイデンティティーを置くべきか?


未熟な段階で一個人におけば自己中心的に陥りがちで…

健全に成熟して一個人におけば気高くたくましい存在になったり…

職業におけば仕事人間になるような…

民族単位で区切れば郷土愛を生んだり、郷土に誇りを持ったり、縄張り意識を持ち排他的になったり、時には侵略的になったり…


とにもかくにもアイデンティティーをどこに置くかでその人の人生は大きく左右されると考えられます


今私にとって必要なアイデンティティーは

地球人であり、仏弟子であります


地球は私にとって唯一無二のかけがえのないよりどころで

地球が壊れてしまったら、地球上の命の中に生かされている仲間たちと共に生きていく事が困難になっていきます


仏弟子でなかったら、私は罪を罪とも思わず、悪行為を積み重ね、正しい理を重んじることなく『人生の目的』を見失い、人生がまっこと苦しくなるでしょう


私は唯ただ『安楽』な世界で生きていたいから

地球人であり、仏弟子で生きていたいと強く思う、今日この頃でございます


合掌


『人生の目的』

2010年11月08日 | 最初に
『幸せ』とは?

ふとそんなことが頭をよぎりました

星の数ほど人間がいるこの地球

人それぞれ『幸せ』はきっと違うんじゃないかと思います

それこそ、人の数だけ『幸せ』があるんじゃないかと…

あなたにとって『幸せ』とはなんですか?と尋ねたら

『幸せ』とは『○○○○です』とはっきりと答えられる人はどれほどいるでしょうか?


ブッダはそんな疑問を持たずに生きることは愚かな事だとおっしゃっています

それは何故か?

それはきっと『人生の目的』という、人間として生きる上で大切なテーマを放棄しているからです


『人生の目的』

あなたにはありますか?


ブッダはその答えを完璧に提示したもっとも偉大な人物の一人です

『人生の目的』

その答えをブッダは持っています

その答えとは…








一人暮らしの80代半ばのおばあさん

2010年11月06日 | 修行日記
一人暮らしの80代半ばのおばあさん宅にお参り

離れて暮らす子供たち、いつ訪れるとも分からない命の終わり

その話になると必ず見せる表情がある

『さみしさ』『むなしさ』など、どんな言葉を使ってでも表現することができないその表情

重かったです

逃れることのできない現実を背負ったおばあさん


生まれて間もない生気あふれる赤子の顔をながめながら

人生とは?と、この身に置きかえ考えてしまいます


おばあさんが与えてくれた『重かったです』は、きっとそのうち忘れてしまうと思います

生きている人の数だけ、違った『人生』があるので

他人の人生は『体験』の領域を超えません

未熟で愚かな私においては


ただ『仏法』に出会えた私の人生は現在進行形で『楽しい』です

もっともっと楽しくなるように

修行です

『仏法』がもっともっと流行ってほしいと願う

今日一日です


合掌







お久しぶりでございます

2010年11月03日 | 修行日記
久々のブログ更新でございます

時折、訪れて下さっていた方々有難うございました

ここ一年程の間に色々ありました

祖母が死に、借家に引っ越し、救急車にお世話になり、義母が重病にかかり、義理の祖父が死に、娘が出産後入院し、叔母が死にまして

穏やかでない日々が続く中、仏法が、私の心を支えてくれました

ブッダに感謝でござます

人生が穏やかでない方々におすすめであると改めて感じる今日この頃でございます   


合掌