『それでは、修行僧たちよ、どのようにして心について心を観察するのだろうか。ここに、修行僧たちよ、修行僧は、貪りのある心を『貪りのある心である』と知り、あるいは、貪りを離れた心を『貪りを離れた心である』と知るのである。
また憎悪のある心を『憎悪のある心である』と知り、あるいは、憎悪を離れた心を『憎悪を離れた心である』と知るのである。
また迷妄のある心を『迷妄のある心である』と知り、あるいは、迷妄を離れた心を『迷妄を離れた心である』と知るのである。
また統一した心を『統一した心である』と知り、あるいは散乱した心を『散乱した心である』と知るのである。
また広大な心を『広大な心である』と知り、あるいは、広大でない心を『広大でない心である』と知るのである。
また最高ではない心を『最高ではない心である』と知り、あるいは最高の心を『最高の心である』と知るのである。
また統一された心を『統一された心である』と知り、あるいは統一されていない心を『統一されていない心である』
と知るのである。
また解脱した心を『解脱した心である』と知り、あるいは解脱していない心を『解脱していない心である』と知るのである』 『原始仏典』春秋社
四念処(四念柱)という仏教を代表する修行法
『念』念じることに主眼を置き、人間が念ずる四つの基本の大黒柱『身体・感受・心・法』の四つのうちの三番目『心』を念じる教えです
ここで言う心とは『感情』という部分です
『感情』を見てみると
他人が喜んでいる時『喜び』をその人の中に見ることができます
他人が怒っている時『怒り』をその人の中に見ることができます
他人が悲しんでいる時、その人の中に『悲しみ』を見ることができます
他人が楽しんでいる時、その人の中に『楽しみ』を見ることができます
仏教では心のありさまを明確に分類していきます
① 『貪(とん)』 求める、という欲望
② 『瞋(じん)』 嫌う、という欲望
③ 『慢(まん)』 他を軽視し、自を偉いと思いたい欲望
④ 『無明(むみょう)』物事をありのままに見れない
⑤ 『疑』 この世の真理に基づく教えを疑う事
⑥ 『忿(ふん)』 激しい怒り、癇癪
⑦ 『恨(こん)』 恨み
⑧ 『覆(ふく)』 自分の過ちを隠すこと
⑨ 『悩』 先に怒りや怨みを起こした事を考えて悩む事
⑩ 『嫉(しつ)』 嫉妬・ねたみ 他人の善いことや栄誉などをよろこばず、これを妬む事
⑪ 『慳(けん)』 物惜しみをする事
⑫ 『誑(おう)』 たらす・自らの欲求を満たすために他をだますこと
⑬ 『諂(てん)』 へつらう 自らの信念を曲げてもゴマをすり利益を求めること
⑭ 『害』 他を害しようとする心
⑮ 『無慚(むざん)』 自分自身に罪を恥じない事
⑯ 『無愧(むぎ)』 他人に対して罪を恥じない事
以上挙げたものは『煩悩』という心の悪い部分です
これとは反対に心の良い部分もあります
アビダルマというブッダ死後の仏教を追及した所の教えではもっともっと、心の感情が細分化されて行きます
ここでは代表的な心の悪い部分を取り上げました
四念処の修行が進んでいけば、自己の心の中身をその瞬間その瞬間で自覚していく事ができます
自覚していく事で、その悪い感情に気付き、その都度心を正していく事が可能になってくるのです
自己の心の状態に気付く事が出来るようになってくると、こんなに自分の心は汚かったのか!と思うかもしれません
そこで絶望的な感覚になるかもしれませんがその心配はありません
心を綺麗にしていく方法は色々あります
戒・定・慧の修行法①で述べた戒めを守っていく事をこの四念処の修行と並行してやっていく事が効果的です
その戒めを普段から実行していれば心が洗濯されてまっさらで綺麗な心に近づいていきます
それと同時に慈悲喜捨の四無量心が身についていきます
綺麗な心を身に付けていくと自然と幸せが向こうからやってきます
それは縁起の法からも明らかな事です
念ずる・心に気付きを得ていく事は、心をきれいに整理整頓することでもあります
心の有り様を把握し整理しておくと、心というお部屋が散らかってしまっても、すぐに掃除して綺麗になおせるのです
ストレスを受けても早めに自己治癒できるのです
また憎悪のある心を『憎悪のある心である』と知り、あるいは、憎悪を離れた心を『憎悪を離れた心である』と知るのである。
また迷妄のある心を『迷妄のある心である』と知り、あるいは、迷妄を離れた心を『迷妄を離れた心である』と知るのである。
また統一した心を『統一した心である』と知り、あるいは散乱した心を『散乱した心である』と知るのである。
また広大な心を『広大な心である』と知り、あるいは、広大でない心を『広大でない心である』と知るのである。
また最高ではない心を『最高ではない心である』と知り、あるいは最高の心を『最高の心である』と知るのである。
また統一された心を『統一された心である』と知り、あるいは統一されていない心を『統一されていない心である』
と知るのである。
また解脱した心を『解脱した心である』と知り、あるいは解脱していない心を『解脱していない心である』と知るのである』 『原始仏典』春秋社
四念処(四念柱)という仏教を代表する修行法
『念』念じることに主眼を置き、人間が念ずる四つの基本の大黒柱『身体・感受・心・法』の四つのうちの三番目『心』を念じる教えです
ここで言う心とは『感情』という部分です
『感情』を見てみると
他人が喜んでいる時『喜び』をその人の中に見ることができます
他人が怒っている時『怒り』をその人の中に見ることができます
他人が悲しんでいる時、その人の中に『悲しみ』を見ることができます
他人が楽しんでいる時、その人の中に『楽しみ』を見ることができます
仏教では心のありさまを明確に分類していきます
① 『貪(とん)』 求める、という欲望
② 『瞋(じん)』 嫌う、という欲望
③ 『慢(まん)』 他を軽視し、自を偉いと思いたい欲望
④ 『無明(むみょう)』物事をありのままに見れない
⑤ 『疑』 この世の真理に基づく教えを疑う事
⑥ 『忿(ふん)』 激しい怒り、癇癪
⑦ 『恨(こん)』 恨み
⑧ 『覆(ふく)』 自分の過ちを隠すこと
⑨ 『悩』 先に怒りや怨みを起こした事を考えて悩む事
⑩ 『嫉(しつ)』 嫉妬・ねたみ 他人の善いことや栄誉などをよろこばず、これを妬む事
⑪ 『慳(けん)』 物惜しみをする事
⑫ 『誑(おう)』 たらす・自らの欲求を満たすために他をだますこと
⑬ 『諂(てん)』 へつらう 自らの信念を曲げてもゴマをすり利益を求めること
⑭ 『害』 他を害しようとする心
⑮ 『無慚(むざん)』 自分自身に罪を恥じない事
⑯ 『無愧(むぎ)』 他人に対して罪を恥じない事
以上挙げたものは『煩悩』という心の悪い部分です
これとは反対に心の良い部分もあります
アビダルマというブッダ死後の仏教を追及した所の教えではもっともっと、心の感情が細分化されて行きます
ここでは代表的な心の悪い部分を取り上げました
四念処の修行が進んでいけば、自己の心の中身をその瞬間その瞬間で自覚していく事ができます
自覚していく事で、その悪い感情に気付き、その都度心を正していく事が可能になってくるのです
自己の心の状態に気付く事が出来るようになってくると、こんなに自分の心は汚かったのか!と思うかもしれません
そこで絶望的な感覚になるかもしれませんがその心配はありません
心を綺麗にしていく方法は色々あります
戒・定・慧の修行法①で述べた戒めを守っていく事をこの四念処の修行と並行してやっていく事が効果的です
その戒めを普段から実行していれば心が洗濯されてまっさらで綺麗な心に近づいていきます
それと同時に慈悲喜捨の四無量心が身についていきます
綺麗な心を身に付けていくと自然と幸せが向こうからやってきます
それは縁起の法からも明らかな事です
念ずる・心に気付きを得ていく事は、心をきれいに整理整頓することでもあります
心の有り様を把握し整理しておくと、心というお部屋が散らかってしまっても、すぐに掃除して綺麗になおせるのです
ストレスを受けても早めに自己治癒できるのです