『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

パニック障害克服に向かって⑪

2008年02月13日 | 修行法『大念処経よりパニック障害克服』
「それでは、修行僧たちよ、どのようにして感受に関して感受を観察するのだろうか。ここに、修行僧たちよ、修行僧は楽しみの感受を感じれば『わたしは楽しみの感受を感じている』と知り、あるいは苦しみの感受を感じれば『わたしは苦しみの感受を感じている』と知るのである。また苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知るのである。また肉体的楽しみの感受を感じれば『わたしは肉体的楽しみの感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的楽しみの感受を感じれば『わたしは非肉体的楽しみの感受を感じている』と知るのである。また肉体的苦しみの感受を感じれば『わたしは肉体的苦しみの感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的苦しみの感受を感じれば『私は非肉体的苦しみの感受を感じている』と知るのである。また肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知り、あるいは非肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じれば『わたしは非肉体的苦しみでもなく楽しみでもない感受を感じている』と知るのである。
 このように、内に〔自分自身の〕感受に関して感受を観察し、また、外に〔他人の〕感受に関して感受を観察し、あるいは内と外〔、自分自身と他人の〕感受に関して感受を観察していくのである。また、感受のなかで生起してくる現象を観察し、また、感受のなかで消滅する現象を観察し、また、感受のなかで生起し消滅していく現象を観察していくのである。そして、知ることの〔増えていく〕程度にたいし、自覚の〔増えていく〕程度にたいすると同じ程度に、『ただ感受のみが存在する』という念いが、かれには現われてくるのである。かれは、なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないのである。修行僧たちよ、修行僧はこのようにして感受について感受を観察するのである」
『原始仏典』春秋社

感受に関しての念じ方のお経です
感受に関しては他の三つに比べて一番短かったので全部載せてみました
それでもちょっと理解しにくいかと思いますので簡単に説明したいと思います

『感受』とは『感じる』であるかとも思います
我々が『感じる』種類を大きく分けると三つしかありません
『楽しい(楽)』『苦しい(苦)』『楽しくなく苦しくもない(非苦非楽)』
私たちが生きている限り一秒たりとも上記の三つ以外の『感じる』はありません
だから生きている瞬間瞬間で感じている三つの『感じる』を常に気付いて、自覚し、観察し続けて下さい、ということなのです

例えば『痛い』という『感受』があります
『痛い』にも色々あります
『チクリと痛い』『ずきんと痛い』‥‥
しかし『痛い』の中でも『痛い』と思ってないものもあります
例えば『寒い』『熱い』もそうです
この感覚は実は『痛み』であります
そして『苦しい』『感受』なのです

一説には人間が皮膚で感じる感覚はすべて『痛み』だそうです
それを刺激を受ける対象の強弱・温度・面積などによって『寒い』『熱い』『涼しい』『暖かい』『チクリと痛い』『ずきんと痛い』『頭が重い』『胃がむかむかする』『気持ちがいい』『気持ちが悪い』などと表現しているのです
『痛み』の中でも、いい具合のものだと『楽しい』になるのでしょう

例えば氷点下の寒さの中で一定の時間過ごすとしましょう
体は冷え切っていて全身の震えが止まらず、衣類で守られていない部分は刺さるような痛みで真っ赤になっています
それは『寒い』というところの『強い痛み』すなわち『苦』を受けています
その冷え切った体で温泉に入るとしましょう
全身温泉に浸かるとこの上もなく『気持ちがいい』のです
それは『楽』を感じているのです
そしてしばらく温泉に入っていると徐々に『感受』が変化してきます
『楽しくもなく苦しくもない(非苦非楽)』状態です
そして長い間入っているとだんだんのぼせてきて辛くなってきます
『苦』を感じているのです
実際温泉に入った瞬間から体は『痛み』を感じています
しかし熱いお湯に入る前の状態によって『気持ちがいい』『楽』と感じているのです

肉体的なたとえで説明しましたが、非肉体的なところ(心)でも同じことです
自分の行動が他人から非難されるとムカーッとくることがあるでしょう
心では『怒り』の感情が生み出されているかもしれません
それは心で『苦しみ』を感じているのです
それは大なれ小なれ『ストレス』を受けているのです

また自分が他人から何か賞賛されるとしましょう
気分がウキウキとしてくるかもしれません
心は『喜び』を感じているのです
それは心が『楽』を感じているのです
そこにストレスはありません

我々は『痛み』の種類によって『苦』『楽』『非苦非楽』と感じているのです
このお経でブッダは『感じる』をその三つで正しく感じましょうと言いたいのだと思います
感受を『先入観抜きで』『正しく』『ありのままに』感じる事が出来たなら
自分がえらく大げさに表現して『苦しい』と思い込んで
大きなストレスをかけ続けていたことに気付くかもしれません

このお経の学びが進んで『感受』を『ありのまま』『その瞬間その瞬間』に観察することが出来るようになると『苦しみ』『ストレス』が大きく減るはずです

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