『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

八正道の二番目 『正思惟』 その③

2009年09月13日 | 修行法『八正道』
③傷つけない


人間として生まれてきた以上、宿命として

食べる

これは必要不可欠です

食べるということは、他の命を奪っているということです

それでは『傷つけない』ということと矛盾してくるのでは?


ブッダの教えを、全ての人々に共有のものとして広めるのであるならば

『傷つけない』ということは

『無益な殺生をしない』

ということです

その『無益な殺生をしない』

という範囲の中に

『傷つけない』ことが入っているのです

自分たちが生かさせていただいている他の生物たちに

尊敬と感謝

そこから互いの命の尊重が見直されるのです


心の中に

『傷つけない』

その念いを持ち続ける

子どもでも知っている道徳を行うことは気分が良くなるものです

これが心を清らかにしていきます

それが悟りを求める者の道です



八正道の二番目 『正思惟』 その②

2009年09月11日 | 修行法『八正道』
『②怒らない』

心はある状況が訪れると、『怒り』を発生させます

その状況とは、自分が『いやだ!』と思ってその場から逃げたいと思った時です

『怒り』は他に対して怒鳴ったり暴言を吐いたりするようなイメージがありますが正確に言うとそうではありません

自分が嫌悪する状況から逃げたくて心が焦りいらだち怖れを感じているからです

通勤中に怒っている人はいっぱいいます

仕事に遅刻したら、上司からの叱責、待遇面のペナルティーが怖くて一分一秒を争っているからです

人は様々な場面で怒り恐れています

自分の欲望・思いがかなえられず苦しみを感じているのです


ブッダはその怒りを制御しなさいと言っておられます

その理由は

様々な苦しみを引き寄せるからです

『怒り』は連鎖します

『怒り』が心の内に滞在していると、大きなストレスになります

『怒り』を送った相手からはどんな形であれ仕返しが返ってくるでしょう

とにかく怒れば怒るほど『苦しみ』が大きくなっていくのです


それとは反対に『怒らない』

『怒らない』人に周囲の人々は安心します

怒らず、穏やかな人には善き噂が期待され、余計な『苦しみ』から守ってくれます

『怒り』がなく欲望を少なくしていくと『楽しみ』が増えます

『慈しみ』という最高の心が生じ育つための土台が心に生じてくるからです

『怒らない』ということは、『苦しみ』を遠ざけると同時に、『楽しみ』を引き寄せてくれるのです

八正道の二番目 『正思惟』 その①

2009年09月10日 | 修行法『八正道』
『思惟』とは『考える』ということです

ですから『正思惟』とは『正しく考える』ことです

ここでの『考える』は広域で、一般においては心が働いている状態すべてが当てはまるのではないでしょうか

(修行が進むと、心を観察・整理できますから全ての心の働きが『考える』とは言えないのですが、修行が進んでいない場合には感情が心全体に根を張っているので、ここでは心が働いている状態すべてを『正思惟』とさせていただきます)

正思惟とは?

①貪らない

②怒らない

③傷つけない

以上の三つです



『①貪らない』の説明

人間の心の根底ではいつも欲しがっています

それはなぜか?

生きるためです

体は生きるために呼吸をし、生きるために飲食します

更には生きる舞台が社会に広がります

自分の身の回りに、自分にとって都合のよい物事をどんどん引き寄せていきます

ひどい場合、お互いさまで自分が生きていけるという感覚・理性を失い、際限なく様々な物事を引き寄せていきます

ブッダは、物事を引き寄せると同時に『苦しみ』も一緒に引き寄せてしまう、という法則を見出しました

欲しい!と考え、物事を引き寄せれば引き寄せるほど荷物が増えて、心が『苦しみ』が多い状態になっていくのです
(荷物が多ければ多いほど、山登りは苦しくなります)

欲しい!ということは奪うということにもつながっていき、恨みを買い、敵を増やしてしまうので『苦しみ』がどんどん大きくなっていきます

欲望に伴って得られたものには、執着の心がくっつきます

執着が発生すると強力な接着剤で所有物を自分の心身にくっつけたような状態になっているので、自分から無理やり話されるとパニックに陥って苦しみもがき回ります

しかし無情にも得られたものは必ず離れていきます

得たものを失えば、それは『苦しみ』です



以上のような思考は『悪思惟』とブッダは見定めました

それと反対の

欲しがらない

欲しがる心、貪り・貪欲から離れる

それが『正思惟』です

心を常に無執着の状態にしてあげる

その心は自由自在な状態です

欲しがることは『苦しみ』を増やすことと見抜き

欲しがることから離れる『離欲』の考え方

更には、足ることを知る『知足』の考え方を心に根付かせ育てていくことが人間には大切なのです



八正道の一番目 『正見』

2009年05月22日 | 修行法『八正道』
『苦しみについて知ること
 
 苦しみの原因を知ること
 
 苦しみの消滅を知ること

 苦しみの消滅にいたる道を知ること

 これが正見である』

 
苦諦・集諦・滅諦・道諦と漢訳されてきました四つの真理『四聖諦』

これは『縁起』を応用した見方であります

どのような失敗・問題においてもこの見方・順序において実践するならば解決できない問題はありません


失敗・問題が起これば…①

その原因を特定し…②

その原因を取り除いたところから…③

やり直せば成功する…④


問題を順序立てて整理し解決の道に向かう

どのような問題にでも有効なこの考え方はまことに理性的でこの考え方をそのまま使っているのがお医者さんです

病気など体の障害を治す時にはこの法則が応用されています


いろいろな所に応用できる『四聖諦』ですが

ブッダが示したのは、人間の最終的に求めるところの『幸せに生きる』という点に置いて誰もが必ず受けるであろう『苦しみ』を解決するためのものです


『苦しみ』とは一体何か


『生れることは苦しみであり…①

 老いることは苦しみであり…②

 病気になることは苦しみであり…③

 死ぬことは苦しみであり…④

 憂い・悲しみ・苦痛・苦悩・悶えは苦しみである…『愛別離苦⑤・怨憎会苦⑥』

 求めても得られないということも苦しみである…『求不得苦⑦』

 要するに、個人存在を構成する五つの執着の要素は苦しみである…『五取蘊苦⑧』』


四苦八苦という言葉がありますが、それはここからきています

人間の苦しみはすべてこの八つに当てはまります

人は自分が苦しんでいるとき、以外とその苦しみを正しく見つめることはできません

苦しみに心が侵され、落ち着きをなくしているのです

苦しみを乗り越える時大切なのが冷静沈着になることです

そこではじめて苦しみを解決できるスタートラインに立つことができるのです

自分が苦しみを認識していないと、その苦しみは自分の心をせかします

慌てさせるのです

慌てると失敗する確率がとても高くなります

『急がば回れ』ということわざがありますが昔の人はよくいったものです

今の瞬間を冷静・客観的に見つめることができる『正念・ヴィパッサナー』力が身に着けばいつも冷静でいられます

どんなものごとでも上手にこなす人の心はいつでも落ち着いています

冷静さにおいて性質のいい人良くない人はいるものですが、これはブッダの教えにおいて日頃から訓練・修行していけば身につけられるのです

心が『正念』を失い『失念』の状態にならないように気をつけるべきなのです

『正見』はまず『苦しみ』を客観的にみる所から始まります


修行法 『八正道』 はじめに

2009年05月13日 | 修行法『八正道』
仏教において最もなの知れた修行法が今回取り上げます『八正道』でしょう

この『八正道』は『四聖諦』とセットで『四聖八正道』ともいわれますが中身は一緒です


『四聖諦』は『苦諦』『集諦』『滅諦』『道諦』の四つに分かれています

この中の『道諦』は八正道のことであります


『八正道』は『正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定』の八つです

この中の『正見』は『四聖諦』の四つを観察・理解・確認することです


両方とも同じことになります


『八正道』は仏教の教えをあまり知らない人でもその教えを守れば必ず『悟り』に至るというありがたいブッダの教えです

『悟る』ということは人間として最高の状態・レベルに達することであるとされてきました

心が善で染まり、体も軽やかで、『苦しみ』を乗り越えた状態です

そんな境地・世界へと連れて行ってくれるシンプルであり無駄がない実に完全な教えです

私ごときがそれを正確に説明できるとは思いませんが、ブッダの本意から外れないように伝えていけたらと思います


合掌