妻は胃ろう  手抜かり 老老介護

2007年、56歳の時アルツハイマー病と診断される。
2018年1月、胃瘻造設手術。

肘が抜けない

2019-02-22 16:13:44 | 妻の症状

 昨日はデイだった。

 
 もし叶うならばパジャマのまま外出したいのだが

 そういうわけにもいかず、長袖のシャツにカーディガンで

 行っている。

 
 冬用のちょっと厚手の生地なため、伸縮性がない。

 右肘の拘縮が強いので毎回着脱に一苦労している。


 特に脱がせる時が肘にひっかかってしまって大変だ。


 左は左でダラーンと下がったままなので

 脱がせる時は右からになる。


 ひっかかってしまうと、引こうが押そうがビクともしない。


 どうにかこうにかやって、肘が抜けるとホッとする。
 


 ☆ 今日は理学療法士のIさんによるリハビリの日。

   
   ベッドに仰向けになり腕のマッサージをすると

   Vの字に拘縮した右肘がほぼ真っ直ぐに伸びている。


   マッサージによって力が抜けた状態になると

   拘縮が軽くなるとのことだが、

   夜、眠っている時もVの字のままなのは何故だろう。


   眠っていても力が抜けずに緊張しているということか。


   枕とか横向きの姿勢が妻の身体に

   緊張を強いているということなのだろうか。

   
  
 

  ☆ 「診療所の窓辺から」 (スタイルアサヒ 3月号)


           四万十市 在宅医療 小笠原 望 医師 のエッセイ

     (抜粋)

      (前略・中略)

      「ぼくは父も母も最期には立ち会っていません。父は妻からの

      メールが仕事中にありました。母は明け方、兄からの電話でした。

      ぼくはそれまで両親との時間を大事にして、ぼくのできることは

      してきました。最期の瞬間だけが看取りではなくて、

      その過程だと思うのです。ぼくには悔いはありません。

      臨終の瞬間にいるかどうかは問題ではないとぼくはずっと

      思っています」と、ぼくは普通の言葉で言った。

      臨終に立ち会うことが、看取りだとの誤解は意外と多い。

       妻の母は自宅で、カセットテープの童謡を聞きながら、

      最期を迎えた。妻はそばで穏やかに母の死をひとりで受け止めた。

      それも看取り、朝にのぞきに行ったら呼吸が止まっていたのも

      大往生。病院や施設から連絡があって駆け付けた時には最期を

      迎えていても、それも看取りなのだ。

       「できることはした」、そう思って残されたぼくたちは、

      それからを生きてゆきたい。

      


      
コメント
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