昨日はデイだった。
もし叶うならばパジャマのまま外出したいのだが
そういうわけにもいかず、長袖のシャツにカーディガンで
行っている。
冬用のちょっと厚手の生地なため、伸縮性がない。
右肘の拘縮が強いので毎回着脱に一苦労している。
特に脱がせる時が肘にひっかかってしまって大変だ。
左は左でダラーンと下がったままなので
脱がせる時は右からになる。
ひっかかってしまうと、引こうが押そうがビクともしない。
どうにかこうにかやって、肘が抜けるとホッとする。
☆ 今日は理学療法士のIさんによるリハビリの日。
ベッドに仰向けになり腕のマッサージをすると
Vの字に拘縮した右肘がほぼ真っ直ぐに伸びている。
マッサージによって力が抜けた状態になると
拘縮が軽くなるとのことだが、
夜、眠っている時もVの字のままなのは何故だろう。
眠っていても力が抜けずに緊張しているということか。
枕とか横向きの姿勢が妻の身体に
緊張を強いているということなのだろうか。
☆ 「診療所の窓辺から」 (スタイルアサヒ 3月号)
四万十市 在宅医療 小笠原 望 医師 のエッセイ
(抜粋)
(前略・中略)
「ぼくは父も母も最期には立ち会っていません。父は妻からの
メールが仕事中にありました。母は明け方、兄からの電話でした。
ぼくはそれまで両親との時間を大事にして、ぼくのできることは
してきました。最期の瞬間だけが看取りではなくて、
その過程だと思うのです。ぼくには悔いはありません。
臨終の瞬間にいるかどうかは問題ではないとぼくはずっと
思っています」と、ぼくは普通の言葉で言った。
臨終に立ち会うことが、看取りだとの誤解は意外と多い。
妻の母は自宅で、カセットテープの童謡を聞きながら、
最期を迎えた。妻はそばで穏やかに母の死をひとりで受け止めた。
それも看取り、朝にのぞきに行ったら呼吸が止まっていたのも
大往生。病院や施設から連絡があって駆け付けた時には最期を
迎えていても、それも看取りなのだ。
「できることはした」、そう思って残されたぼくたちは、
それからを生きてゆきたい。