妻は胃ろう  手抜かり 老老介護

2007年、56歳の時アルツハイマー病と診断される。
2018年1月、胃瘻造設手術。

胸のつかえが取れる

2021-11-08 21:57:18 | 大動脈解離で入院(医大編)

胸腔に入れられていた3本のチューブが1日に1本ずつ抜かれ、

全部抜かれたときは、文字通り胸のつかえが取れて

呼吸が楽になった。

 

その頃から歩行や車輪を回したりするリハビリが始まった。

すぐ息切れしたが、今思えば、この早めのリハビリが後々の回復に

大いに役立った気がする。

 

CTスキャン室でエコー検査があった。

若い女性の検査員が二人いて、

一人が横になった俺のお腹をあちこち押した。

狭い部屋は三人で密室状態だった。

こともあろうか、オナラが出た。

ごまかしがきかないと思ったが一応、「オナラしました?」と訊くと、

「しましたね」と二人が笑った。

密室だったので、どちらかの顔面を直撃したかもしれない。

部屋を出るときもう一度謝った。

 

☆退院直後の私を案じて交代で泊まっていた娘達も

 1週間が経ってそれぞれの家庭に帰っていった。

 さすがに夜はちょっと不安だ。

 

 退院時6㎏減っていた体重が1㎏リバウンドしている。

 気を付けよう。

 テレビを観ながら寝っ転がってお菓子を食べるという

 悪習にだけは戻ってはならない。

 

 

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排尿、排便に苦労する

2021-11-07 08:50:43 | 大動脈解離で入院(医大編)

 

たぶん術後1~2日後だと思うが、ワンフロアから個室に移された。

とはいってもワンフロアに隣接した病室で

身体にはいろんな監視装置のチューブが付いていた。

異常があると警告音がピンポンピンポンと鳴りっぱなしで

すぐ看護師さんがやってくる。

 

俺は胸にベルトを巻かれていて相変わらず腹と胸が苦しい。

眠れずに睡眠薬を処方して貰ったこともある。

看護師さん達は「眠剤」と言っていた。

 

この時期苦労したのは、排尿、排便だった。

ベッドに横になったまま容器をあてがって用を足すのは

馴れないことだったので大変だった。

手術から10日ほど経った頃、ベッドの横に腰掛けて出来るようになったので

大分楽になった。

 

☆ 手術前に医師から長女に説明があって、100枚近い書類がある。

  簡単にいえば、手術はするが成功するとは限らず、死ぬ可能性が

  十分あるがそれでもいいか、という同意書だった。

  何枚かに長女のサインがしてある。

 

  次女の話では、親戚に連絡するとき、泣いていたという。

  長女には、妻(母親)のこと、自分の仕事や子供達のことなど、

  大変な想いをさせてしまった。

 

  妻は現在もショートステイでお世話になっている。

  

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野戦病院のよう

2021-11-06 16:51:09 | 大動脈解離で入院(医大編)

手術後、目が覚めた。

何日後か何時間後か分らない。

 

さらに、

記憶が飛んでいるので、今、自分がどういう状況にあるのか

すぐには理解できなかった。

 

周囲の様子を伺うと、そこは病室ではなく、

大きなワンフロアにベッドがいっぱい並んでいて、

医師や看護師が忙しそうに動き回っていた。

 

どうやら、手術を終えたばかりの患者が手術室から

ここに集められている感じだった。

何となく、映画で観た野戦病院みたいな雰囲気。

CICUというらしい。

 

ただただ胸や腹が苦しかった。

深呼吸が出来ない。

後で聞くと、胸骨を切断し血管の一部を人工血管に交換しているという。

そのため、出血を外に出すため(?)腹の中に管が3本入れられていた。

 

CICUには新生児もいた。

赤ちゃんの泣き声が響いている。

看護婦さんが赤ちゃんを抱っこしながらあやしている。

 

赤ちゃんの無事を祈った。

 

☆ 2ヶ月の入院の内訳は、手術をした医大に半月、

 そこから日赤に転院して半月、さらにリハビリ専門病院で1ヶ月

 トレーニングしてやっと退院。

 

 初めての長期入院。

 病院が違えば、看護師も違う、食事も違う。

 それぞれに想い出がある。

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