妻は胃ろう  手抜かり 老老介護

2007年、56歳の時アルツハイマー病と診断される。
2018年1月、胃瘻造設手術。

気になった患者さん

2021-11-25 12:19:01 | 大動脈解離で入院(リハビリ専門病院編)

同じ病棟に認知症の患者さんもいたがその症状は様々で

何人かはナースセンターの目の前の談話室に集められて、

そこで食事も摂ったりしていた。

 

ちょっと困った患者さんがいた。

90歳近いと思われる彼は、大きな声で「おーい」と叫び続けるのだ。

看護師さんも手を焼いてるようで、車椅子の彼をナースセンターの中に入れて

2、3人の看護師さんが気を配っていた。

大声が出ると、「なーに」、「はーい」と返事をすると、その時は静かになるが、

看護師さんだって自分の仕事があるのでいつも構っていられない。

すぐまた「おーい」が始まる。

看護師さんは90歳前後の彼を「殿(との)」と呼んでいた。

「おーい」がまるで殿様が家来を呼んでるようだというのだ。

あの年代の男性は家でも「おーい」と呼んで今まで生きてきたんだろうねと

噂していた。

日中はまだ看護師さんたちの声やなんかに紛れてそれほど気にならないが

夕食が済んで静かになった病棟に「おーい」が響き渡るとイライラした。

おそらく俺だけじゃなく病棟の全員が 「看護師さん、何とかしてよ」と

思ったはずだが、誰一人文句を言う人はいなかったみたいだ。

やがて消灯間近の8:30頃になると「おーい」が止んで静かになった。

なぜそうなるのか不思議だったが、おそらく看護師さんにも

秘策があったのかもしれない。

 

もう一人、気になった患者さんがいた。

各病室のドアには小さいホワイトボードが付いていた。

担当看護師の名前を書くためのものだったようだが、どこの病室も

何も書いていなくて真っ白のままだった。

ところがその個室のホワイトボードには

 

   「まだ かろうじて 生きてますよ」 と書かれていた。

 

看護師さんに訊くと、本人が書いたのだという。

達筆ではなかったが下手というほどでもなかった。

ここの病棟には重体の患者さんはいないはずだがどんな人だろう。

それとなく看護師さんに探りをいれてみたが教えてくれなかった。

 

たまたま通りかかって、掃除のおばさんがドアを開けたときに

覗き見したが、背の高い男性の後ろ姿が見えただけで顔は分らなかった。

結局、退院まで正体不明の謎の人物のままだった。

 

☆ケアマネさんから連絡があった。

 妻がいよいよ12月1日に戻ってくることが決った。

 デイを1回増やして週2回にしてもらうほかは大体入院前と同じだ。

 3ヶ月振りの介護だが、嬉しさが4、不安が6といったところか。

 自分の身体が心配なのと介護の中身を忘れていないかも不安だ。

 パット交換、オムツ交換、胃瘻の手当、吸引器の操作、口腔ケア、

 チューブの消毒、車椅子とベッドの移乗、体位交換、

 褥瘡対策等々不安だらけだが、みんなに助けて貰いながらやるしかない・・。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3人の忘れられないリハビリさん

2021-11-23 10:04:43 | 大動脈解離で入院(リハビリ専門病院編)

入院して最初にリハビリを担当してもらったのが、

理学療法士のSさんと作業療法士のTさんだった。

トータルでもこのお二人の回数が一番多かった。

 

患者のリハビリの様子は、パソコンで管理され、主治医や看護師さんも

目を通していたようだった。

俺が退院するときのカンファレンスで意見を述べたのが

このSさんとTさんだった。

 

俺の入院の目的が妻の介護が出来るようになる体力を回復することだと

伝えていたので、筋トレ中の雑談でもそのことが話題になった。

そうすると、お二人の家族のことなども少しだが知るようになった。

 

Sさんは20代後半か30代前半の独身男性。

指導は俺の体力のギリギリのところを設定してくるので

いつも汗びっしょりだった。

Sさんはちょっと意地悪というか俺をからかうようなところもあった。

 

2階にあるトレーニングルームはエレベーターを下りてちょっと奥まった

場所にあった。

俺は方向音痴のところがあって、帰りにSさんは俺を先に歩かせて、

迷ってキョロキョロしているのを見てニヤニヤしていた。

 

ある時は、例の100から7を引いていく計算をさせられたが間違ってばかりだった。

Sさんはそれもニヤニヤしながら黙って聞いていた。

 

またある時は、Sさんの学校の後輩で妻と体型が似て小柄なY さんを実験台にして

車椅子からベッドへの移乗訓練もした。

若い女性のYさんを抱きかかえるのは申し訳なかった。

俺の血圧をチェックするとちょっと高めだったらしい。

そのことをSさんは冷やかした。

 

Tさんは30代後半?の主婦。3人の子供さんのお母さん。

Tさんも俺が退院したあとのことを考慮したメニューを組んでくれた。

何回か、トレーニングルームを出て、病院の裏の駐車場を

Tさんとウォーキングした。

久し振りの外気は少し冷たかった。

Tさんと退院後の介護生活についていろいろ話しをした。

 

Sさん、Tさん、Yさん、記憶に残るお三方でした。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日赤からリハビリ専門病院へ

2021-11-19 09:25:54 | 大動脈解離で入院(リハビリ専門病院編)

日赤からリハビリ専門病院に転院する日、

看護師さんが病室に来て、紙袋3つほどの荷物をワゴンに入れてくれた。

忙しく動き回っている看護師さんたちに改めて挨拶する時間もなく

エレベータに乗った。

 

1階のロビーに行くと長女夫婦が待っていた。

看護師さんにお礼を言い、荷物を受け取って入院費用の精算を済ませた。

 

いよいよ三つ目の病院、「リハビリ病院」に着いた。

俺の入る病棟は、「在宅復帰に向けた準備を整える」ための病棟で

入院期間は最長で60日だという。

 

先の震災の後、耐震設計による改修工事を行ったということで

新しい建物だった。

 

私の病室は4人部屋だったが、皆さんベッド周りのカーテンを閉めて

横になっていた。

トイレは部屋を出てすぐ近くにあった。

 

看護師さんとの会話から、どうやら俺以外の3人は糖尿病の患者さんらしかった。

車椅子の方が二人、もう一人の方は自分で歩いていた。

皆さん俺と近い年齢のようだった。

 

トイレの隣に洗面所があって、大きな鏡の前に5~6人ほど座ることができた。

そこにはコインランドリーが2台置いてあった。

これは有り難かった。

わざわざ娘に遠方から着替えを届けに来て貰わなくてもよかった。

 

最初、トレーニングルームを見たときはびっくりした。

まるで大きなスポーツジムのようだった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする