本を読んだら、一行でもいいから感想を書くようにしている。
どんなにハズレだと思っても書く。
読み返したら、4年程前の感想に、
「あかん、これはあかん。まずい、これはまずい」
とか書いてある本があった。
全く覚えていないのだけれども、
どんなけつまらんかってん(笑)と逆に興味が湧き、
もう一度読み返してみた。
「あかん。これはあかん。まずい、これはまずい」
まさにそのままの作品でした。
しかし、こうして読後の感想を必ず書く、と決めてからもう4~5年経ったと思うのだけれども、
その「必ず」が果たされるのは大体7割程度な気がする。
3割については、書くのも忘れるほどつまらなかったのだろう。
しかし、その感想はやっぱり読み返すとおもしろい。
すっごく良かったんだろうなぁというものについては何ページにも渡って書いていたり、
前出のような一行だったり。
誰が読むわけでもないから、すごい言いたい放題である。
おもしろい。
いろんなもので、たまにこうした感情を持つ事はある。
音楽であったり、風景だったり、その当時やってたドラマとか。
「その頃の情景が思い出されるもの」
その内容によっては滅法落ち込んだり、今更顔が真っ赤になるほどこっ恥ずかしかったりもしますが、
たまにすごく穏やかな時間を思い出すこともあって、
なんせ私も、時を乗り越え、今、生きているんだなぁなんていうことを感じたりします。
ということで、
最近読んだ本をざくっと載せます!(書く事が、ないのだろうか・・・)
「阪急電車」で一躍有名、有川浩のデビュー作。
おもしろい。
この人の書く文章を読んでいると、あぁ、わかってくれているんだなーという、
なんとも言えない有り難さ(笑)がこみ上げてきます。
益田ミリ。
この作中で、鳥の名前を全部知ってるという魚屋のおっさんについての表記があって、
「おじさんにとっては、鳥っていないんだよ。
全部に名前があるから。あたしたちも同じなのかもね。
「人間」なんていないのかも。「人間」ってみるから、命が軽くなってしまうんだ」
と、早川さんが言っていました。
この言葉、すごく好き。
同じく益田ミリ。
この本を読んでいたら、「えぇで、えぇで」と言われた。笑。
しないっぽいですか、私。してもいいとは、思ってるんですけども。
ジーーン、と来る。 涙が込み上げてくる感じ。
不安だし、淋しい気もするし、実際淋しいし。
このままどうなるのかなんて、 かといって考えても分からないし。
でもなんか、このままの私で、 ちゃんといたいんだよっていうようなさ。
人ってみんな生きていて、ものじゃないんだよ、誰かの役に立つためだけ生きてるわけじゃないし、
役に立つってなんなんだろうって。
生きてるんだよ、みんな、今日も一生懸命。
それでいいよって思えた、そんな素晴らしき本。
めっぽう面白くはないけど、映画よりは全然おもしろかった。
後半大分落ちる。 元々は短編だったらしい。やっぱり、その短編部分から速度が落ちるんじゃないかと。
ただ、後半、フィリピン女性が島に来て、男しかいなかった島の生活の中で、
清子が始めて感じる「優しさ」という感情。
これの為に、読んだんだと思えばいいやと思った。
最近の一押し。
ぜひこれを読んで私と語らいましょう。笑。
ページを捲るたびに、「あーーー、そうなんです、そうなんです」と嬉しい。
なんか、落ち込んでも大丈夫、この本を読んで思い返します。仲間がいると。笑。
トラウマ体験のその後を生きる人たちの不自由さ。
確かにそれは正しい、というような事を言われたとしても、その精神構造の中でそれを受け入れられず、
やっぱりもがき苦しむ時期はあるし、
アディクションにせよ、なんにせよ、それをやってこそ「生きられる」のであれば、
とにかくそれをやるっていう時期だって必要なんだとは私も思う。
なんでもいいからとにかく生き抜け。
そのメッセージは、RC-NETがやりたいことと一緒だって思った。
だからこそ、えぇやんそれでって言ってくれる人が欲しかった。
私は、そのままで生きる場所を広げて行きたい。
最後の方の、被害者加害者についての表記についても、
本当に共感した。
どっちかに属する、だからこそ居場所が出来るっていうこととは違って、
カテゴリーじゃなくて人として、
「救われないことが多すぎる」って私はよく思う。
もっともっと繋がっていきたい。いろんなもの、断絶しすぎる世の中で、
「それだけじゃないじゃん」って言いたい。
とにかく、生き延びろ。
どんなにハズレだと思っても書く。
読み返したら、4年程前の感想に、
「あかん、これはあかん。まずい、これはまずい」
とか書いてある本があった。
全く覚えていないのだけれども、
どんなけつまらんかってん(笑)と逆に興味が湧き、
もう一度読み返してみた。
「あかん。これはあかん。まずい、これはまずい」
まさにそのままの作品でした。
しかし、こうして読後の感想を必ず書く、と決めてからもう4~5年経ったと思うのだけれども、
その「必ず」が果たされるのは大体7割程度な気がする。
3割については、書くのも忘れるほどつまらなかったのだろう。
しかし、その感想はやっぱり読み返すとおもしろい。
すっごく良かったんだろうなぁというものについては何ページにも渡って書いていたり、
前出のような一行だったり。
誰が読むわけでもないから、すごい言いたい放題である。
おもしろい。
いろんなもので、たまにこうした感情を持つ事はある。
音楽であったり、風景だったり、その当時やってたドラマとか。
「その頃の情景が思い出されるもの」
その内容によっては滅法落ち込んだり、今更顔が真っ赤になるほどこっ恥ずかしかったりもしますが、
たまにすごく穏やかな時間を思い出すこともあって、
なんせ私も、時を乗り越え、今、生きているんだなぁなんていうことを感じたりします。
ということで、
最近読んだ本をざくっと載せます!(書く事が、ないのだろうか・・・)
塩の街 | |
有川 浩 | |
メディアワークス |
「阪急電車」で一躍有名、有川浩のデビュー作。
おもしろい。
この人の書く文章を読んでいると、あぁ、わかってくれているんだなーという、
なんとも言えない有り難さ(笑)がこみ上げてきます。
週末、森で | |
益田 ミリ | |
幻冬舎 |
益田ミリ。
この作中で、鳥の名前を全部知ってるという魚屋のおっさんについての表記があって、
「おじさんにとっては、鳥っていないんだよ。
全部に名前があるから。あたしたちも同じなのかもね。
「人間」なんていないのかも。「人間」ってみるから、命が軽くなってしまうんだ」
と、早川さんが言っていました。
この言葉、すごく好き。
結婚しなくていいですか。―すーちゃんの明日 | |
益田 ミリ | |
幻冬舎 |
同じく益田ミリ。
この本を読んでいたら、「えぇで、えぇで」と言われた。笑。
しないっぽいですか、私。してもいいとは、思ってるんですけども。
ジーーン、と来る。 涙が込み上げてくる感じ。
不安だし、淋しい気もするし、実際淋しいし。
このままどうなるのかなんて、 かといって考えても分からないし。
でもなんか、このままの私で、 ちゃんといたいんだよっていうようなさ。
人ってみんな生きていて、ものじゃないんだよ、誰かの役に立つためだけ生きてるわけじゃないし、
役に立つってなんなんだろうって。
生きてるんだよ、みんな、今日も一生懸命。
それでいいよって思えた、そんな素晴らしき本。
東京島 | |
桐野 夏生 | |
新潮社 |
めっぽう面白くはないけど、映画よりは全然おもしろかった。
後半大分落ちる。 元々は短編だったらしい。やっぱり、その短編部分から速度が落ちるんじゃないかと。
ただ、後半、フィリピン女性が島に来て、男しかいなかった島の生活の中で、
清子が始めて感じる「優しさ」という感情。
これの為に、読んだんだと思えばいいやと思った。
その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズケアをひらく) | |
上岡 陽江,大嶋 栄子 | |
医学書院 |
最近の一押し。
ぜひこれを読んで私と語らいましょう。笑。
ページを捲るたびに、「あーーー、そうなんです、そうなんです」と嬉しい。
なんか、落ち込んでも大丈夫、この本を読んで思い返します。仲間がいると。笑。
トラウマ体験のその後を生きる人たちの不自由さ。
確かにそれは正しい、というような事を言われたとしても、その精神構造の中でそれを受け入れられず、
やっぱりもがき苦しむ時期はあるし、
アディクションにせよ、なんにせよ、それをやってこそ「生きられる」のであれば、
とにかくそれをやるっていう時期だって必要なんだとは私も思う。
なんでもいいからとにかく生き抜け。
そのメッセージは、RC-NETがやりたいことと一緒だって思った。
だからこそ、えぇやんそれでって言ってくれる人が欲しかった。
私は、そのままで生きる場所を広げて行きたい。
最後の方の、被害者加害者についての表記についても、
本当に共感した。
どっちかに属する、だからこそ居場所が出来るっていうこととは違って、
カテゴリーじゃなくて人として、
「救われないことが多すぎる」って私はよく思う。
もっともっと繋がっていきたい。いろんなもの、断絶しすぎる世の中で、
「それだけじゃないじゃん」って言いたい。
とにかく、生き延びろ。