臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

米川千嘉子作『吹雪の水族館』鑑賞(その1「吹雪の水族館」)

2016年03月17日 | ビーズのつぶやき
        吹雪の水族館(7ページから9ページまで)

〇  クラゲ芽といふものにより生れいでて淡く別るる子供も親も
〇  一匹がクラゲ芽で増え幾百となりゆくときの孤独するどし
〇  吹雪の日水族館にわれら来てこころを持たぬ水母見てゐる
〇  老ゆるすなはち幼体ポリプからまた始まるベニクラゲの生くらくただよふ
〇  シンカイウリクラゲをのみて倍となるウリクラゲの中に光るシンカイウリクラゲ
〇  親も子も過去も未来もなき青さやすらけき水母のいのちを嘆く
〇  くぷくぷかふはふはかしんしんかわからねど水母は光る地吹雪の日も
〇  加茂水族館出でて吹雪へ帰りゆく人の身体は角度をもちて

 本歌集の「あとがき」の前半部分は以下の通りである。
 曰く、「『吹雪の水族館』は私の八番目の歌集になる。/題名は最初においた短い一連からとったが、じつはこの一連のみ、前歌集『あやはべる』の最後のほうに入るべきもので、二〇一二年二月の作品である。しかし、何か落ち着かず、二〇一二年春から二〇一四年までの作品をおさめた本歌集の最初に置くことにした。/二〇一二年一月末、馬場あき子先生について七、八名で山形を旅した。黒川能を見るためだったが、その折りに寄ったのが水母で有名な鶴岡市立加茂水族館である。今はすっかりモダンな人気の水族館だが、当時は改装まえのいかにも昭和ふうの水族館で、しかも、息も出来ないほどの地吹雪のなかだった。地吹雪も初めてで夢のようなら、重たい扉を開けて入った水母の王国も夢のようで、生も死もわからないまま無限に世代交代を続けているという水母の姿に陶然とした。青く赤く光る水槽の傍で、しめったように重い自分の心を感じた。/前歌集『あやはべる』には東日本大震災、福島第一原発事故から一年までの作品を収めた。いま思い返せば、それでもまだ当時は、その後についてもう少し明るい可能性を考えていたような気がするが、残念ながらそうはならなかった。さらに、平和のゆくえについて若者の現状と未来について、自然について、さまざまな不安と混沌が増し、そういうものが、激しく日常にしみこんでくる二年半余だったと思う。/そして、いよいよ、あの吹雪の水族館のひとときはぽつんと別次元の夢のように灯って、前後の日々をひっそりと浮かび上がらせるのである。五十代半ばにさしかかり、亡くなった人々の気配が世界を作っているという高橋たか子さんのエッセイの一節も何度か思い返された。」と。  (以下の二段落省略)

 前掲の「あらすじ」は、私がこれから採り上げようとする連作「吹雪の水族館」の成立事情を、作者ご自身が余すところなく語っているのであり、今更に私如きの老耄がこれ以上の言葉を付け加える必要が無いものと思われますので、これとは別の観点に立脚して本連作の鑑賞を試みさせていただきます。

 1986年10月に砂子屋書房から刊行された、坂井修一の第一歌集『ラビュリントスの日々』所収の「水族館(アカリウム)にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器」という一首は、件の歌集を刊行した当時の作者・坂井修一の年齢が27歳であることを思うとき、或いは<若書き作品>として扱うべきかも知れません。
 しかしながら、この一首は、同世代の歌人・加藤治郎らのいわゆる<ニューウェーブ短歌>のそれとは一味も二味も異なる趣向の傑作であり、その骨格の太さと少壮科学者らしい観察眼の鋭さを以ってすると、彼の代表作の一つとして評価することは勿論、1980年代に詠まれた<相聞歌>の中の珠玉の一首として称揚されるべき作品かも知れません。
 ところで、件の坂井修一の珠玉作品に登場する「いつか誰かの子を生む器」とは、私がこの度、鑑賞させていただく歌集『吹雪の水族館』の作者の歌人・米川千嘉子の若き日の姿であることは、疑いようも無い事実でありましょう。
 ところで、件の「いつか誰かの子を生む器」、即ち、米川千嘉子が短歌結社「歌林の会」に入会したのが1979年であり、坂井修一が『ラビュリントスの日々』を上梓したのが1986年10月であることを考慮すると、1980年代半ばの<いつかある時>に、結社誌「かりん」会員としてのこの男女の間に愛が芽生え、そして、件の<相聞歌>に見られるような幾たびかの逢瀬を重ね更なる愛を育んだ後に、目出度くご結婚の運びとは相成ったのでありましょう。
 であるならば、件の珠玉作品こそはその記念碑の如き相聞歌なのでありましょう。
 事の序でに、この一対の雄雛雌雛の出逢いの記念碑的な作品をもう一首挙げてみますと、それは、1988年に米川千嘉子が砂子屋書房から自らの第一歌集として上梓し、その翌年に第33回現代歌人協会賞を受賞した『夏空の櫂』所収の、人も知る傑作「氷河期より四国一花は残るといふほのかなり君がふるさとの白」でありましょう。
 坂井・米川ご夫妻が目出度く婚礼の祝賀を上げられた吉日は寡聞にして私は存じ上げません。
 だが、これら二首の珠玉作品の叙述から推察するに、恐らくは、前掲の坂井作が成立した後の間もなく、米川作が成立した直前辺りがその時期でありましょうか?
 例に拠って例の如く、私は思わず知らずの裡に、坂井・米川ご夫妻の身元調査紛いの事柄を書き連ねてしまいましたが、私にとって最も興味深いのは、彼の前途有望なる少壮科学者・坂井修一をして「いつか誰かの子を生む器」と歌わしめ、胸をときめかしめた才色兼備の大和撫子・米川千嘉子が、それから四半世紀以上の歳月を過ごし、「子を生む器」としての役割りを充分に果たした後の2012年1月末のある日に、「吹雪の水族館」の水槽の前に佇み、あの日と同じように<水棲生物>の命に触れ、その不可思議な姿に見惚れているという事実である。

 一首目の表現上で特筆すべき点は、「クラゲ芽といふものにより生れいでて」とする、本作の前半部の表現を通して窺われる作者の思慮深い姿勢、即ち、自ら出産経験を持つ女性らしい思索的な姿である。
 察するに、本作の作者を含めた馬場あき子先生ご一行の「七、八名」が彼の「吹雪の水族館」を訪れた当日の「水族館」には、あまりにも激しい地吹雪のために県外などからの見学客は勿論のこと、地元鶴岡市内からの見学客すらも無く、また、馬場あき子先生ご一行が、予め来館を予定されていた著名な見学客(来賓)であったが故に、普段の見学者に対する扱いとは異なり、同水族館の<館長>ないしは専門の知識を有する<学芸員>が、展示物に就いての逐一を案内・説明されたのでありましょう。
 「クラゲ芽といふものにより生れいでて」とする、作者の観点に立脚した表現は、そうした事情を間接的に物語っているのであり、本作の作者は、水族館員のそうした格別な配慮に基づいての説明に拠って、「クラゲ」という水棲生物の誕生と生命の秘密を初めて知り得たのでありましょう。
 また、「クラゲ芽といふものにより生れいでて淡く別るる子供も親も」という一首全体の表現を通しての、作者の<親子関係>というよりも<母子関係>への、子を持つ母親ならでは<深い思慮>及び<感慨>に就いても、私たち本作の読者は決して見逃してはなりません。
 「子を生む器」としての<人間の女性>という存在は、一旦、異性と性を通じて受胎し妊娠したとなると、好むと好まざるとに関わらず、未だ雌雄も不明確な我が子を三百日余りも我が胎内に抱き蔵し、無事に分娩・誕生の日を迎える事が出来たとしても、我が子可愛さ故の母親としての愛と忍従の永遠とも言うべき長い歳月を過ごさなければならないのである。
 「いつまでの子の手のひらを知りゐしか革手袋を送りたけれど」とは、本歌集所収の「雪の顔」というタイトルの連作六首中の一首であるが、本歌集にはこの一首以外にも、「子を生む器」たる我が胎内から産まれ出でたるご子息の現在を思い、行く末をも思う、優しい母親としての作者の気持を詠んだ歌が数限りなく収録されているのであるが、そうした<我が子を思う>作品群の中から、直接的に「子」や「息子」という文字を詠み込んで居たり、それに準じる内容の作品を抜粋してみると、以下の十八首がそれである。

  おほいなる雲は人間に告げをると就活の子に言ふこともなし(鹿飛橋)
  面接は六次面接まであると聞くとき出づるマトリョーシカは(宝永噴火の跡)
  細くかたく鋭いこんな革靴で一生歩いてゆくのか息子(同上)
  「富士山も谷川岳もきれいだつた」と細く鋭い靴には言はず(同上)
  紹興酒の赤さで祝ふわれとちがふ価値の世界に働きゆかむ子(藤波)
  息子もう泣くことのなきごとき顔ニラレバ炒めのうへに光らす(同上)
  四万十川に十歳の子が投げ目つむりて過去未来なく飛びたる小石(木菟)
  夏祭り子の買ひきたる銭亀は十八歳足掻く音の老ひたり(同上)
  子にはもうしてやれることなくなりて足湯に秋の陽をひらめかす(馬島)
  午年のわが母親とわが息子ちひさく棲んで馬柄の帯(失はるるもの)
  松や春 就職決まりし子の一生を見渡すさびしさかつておもはず(同上)
  アパートに越しゆきし子は卒業しもう一度もつと出てゆくよ、梅(恵方巻き)
  三十六色ペンの出できて十歳の息子の色をみな塗つてみる(三十六色ペン)
  カブトの靴クハガタの靴黒と茶のおほき革靴荷をはみ出しぬ(同上)
  はるかなる南海電車で勤めにゆく息子おもえば旅愁のごとし(同上)
  年々の『おかあさんの絵』を貼る部屋にしばらく書きて灯り消したり(同上)
  幼かりし息子の宝老いてわが読むものか『(滅んだ)動物図鑑』(<恋絶滅>)
  息子の電話短く切れて明るかりそののち幼き息子と話す(榧の純真)

 こうして見ると、作者の米川千嘉子に取っては、「家に居ても息子、旅行をしていても息子、息子が就職試験に出掛けている時も息子、息子が就職試験に合格して職業に就いてまでも息子」であり、歌人・米川千嘉子の人生は、世の息子を持つ母親と同じように「息子、息子、息子思ひの人生」なのかも知れません。
 本連作の一首目の四、五句目は「淡く別るる子供も親も」となっているのであるが、本作の作者・米川千嘉子とそのご子息との母子関係は、「クラゲ」のそれとは異なり、「淡く別るる子供も親も」とは行かないように見受けられるのである。

 ところで、詩人・吉野弘の作品に「I was born」というタイトルの名作が在る。
 前掲の連作八首の作者は、早稲田大学卒業後の数年間を高校の国語教師として教壇に上がっていた経験もあるとか?
 ならば、必ずや、高校の現代国語の教科書にも掲載されている詩教材「I was born」を知っているはずであり、吉野弘に拠るこの有名な詩「I was born」を紹介させていただいた上で、本連作の鑑賞及び解釈に資したいとと思うのである。


 吉野弘作『I was born 』


 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青
い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ
てくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女
の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟
なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世
に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれ
る>ということが まさしく<受身>である訳を ふと
諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

 ----やっぱり I was born なんだね----
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返し
た。
---- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。そ
れを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとっ
てこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだか
ら。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
----蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬん
だそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくる
のかと そんな事がひどく気になった頃があってね----
 僕は父を見た。父は続けた。
----友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと
いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く
退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入
っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。と
ころが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ
そりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目ま
ぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとま
で こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの
粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>という
と 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことが
あってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお
前を生み落としてすぐに死なれたのは----。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひ
とつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものが
あった。
----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいで
いた白い僕の肉体----

 以上、吉野弘作の名詩「I was born」の紹介を終わった上で、前掲八首の連作の鑑賞に再び入らせていただきます。

 二首目「一匹がクラゲ芽で増え幾百となりゆくときの孤独するどし」を鑑賞する場合の眼目は、何と言っても、三、四、五句目の「幾百となりゆくときの孤独するどし」でありましょう。
 即ち、水母という生物の増殖作用は人間などの哺乳類のそれとは異なり、一匹の水母の卵が受精すると先ず<ポリプ>というものになり、その<ポリプ>に「クラゲ芽」が出来て次世代の水母が誕生して成長して行くのであるが、その一匹のクラゲの卵が、更に受精して<ポリプ>となって「クラゲ芽」を拵えることに拠って、更に次世代の水母が誕生し成長するのであり、水母という水棲生物は、こうした単純な生殖作用を、飽きることなく連続的に繰り返すことに因って、その水に浮かぶ単体が「幾百」となく増殖されて行くのでありましょう。
 本作の作者は、こうした水母の単純な増殖作用を目前にした感想として、「一匹がクラゲ芽で増え幾百となりゆくときの孤独するどし」と述べているのである。
 即ち、本作の作者は本作に於いても亦、自分自身とそのご子息との母子関係と水母のそれとを対比的に観ることに拠って、新しい生命の誕生の不可思議さに触れて、大きな感動を覚えているのでありましょう。
 思うに、水母の母子関係の場合は、作者ご自身とそのご子息とのそれとは異なっていて、新しい命を直接的に自らの胎内から分娩するのではなくて、「クラゲ芽」を媒体として誕生させるのであり、しかも、その新しい生命たる水母は、媒体としての「クラゲ芽」から離れた瞬間に、一斉に母水母とは無関係な「幾百」の新生児となって水中に漂って行くのであるから、本作の作者は、その瞬間の「孤独がするどし」と言っているのである。
 「孤独がするどし」とは、生れた瞬間から、否、生れる前から母水母と無関係の存在になることを運命付けられている、子水母の命の秘密、厳粛なる生命の誕生の秘密を接した時の作者ご自身の、母親としての大きな感動と寂しさとを余すところなく述べているのでありましょう。
 そうしたことを感じながら、私は、前掲の吉野弘作の詩「I was born」を再び目にするのであるが、それとこれとの相違点や共通点を今更ながらに感じると共に、現代詩と現代短歌との関わりに就いても感じるところが多々在るのである。

 三首目に就いて述べますと、「吹雪の日水族館にわれら来てこころを持たぬ水母見てゐる」とは、「こころ」という厄介なものを持つが故に、いつまで経っても<子離れ>が出来ていない作者ご自身が、わざわざこの猛吹雪の日を選んだようにして、この出羽の鶴岡の地の加茂水族館まで出掛けて来て、「こころを持たぬ」が故にいとも容易く<子離れ>を成し遂げている「水母」を「見てゐる」ことの感動と違和感とを述べているのでありましょうか?

 四首目に就いて述べますと、母水母が「ポリプ」なる次世代水母を生み出す元となる器官を造り出すのは、自らの<老い>を自覚したからであり、次世代水母が「ポリプ」から生れ出るためには、母水母の<老い>の自覚を前提にしなければならないのである。
 だが、それにも関わらず、生れ出たばかりの次世代水母は、作者の目前の水槽の中を漂うようにして泳いでいるのであるが、そうした次世代水母の有り様は本作の作者の立場から見るとあまりにも昏いと言うのでありましょう。
 本作の作者は1959年10月29日生まれであり、未だに還暦前である。
 この一首を以って思うに、作者の米川千嘉子氏は未だ還暦前にして、既にご自身の生命力と女性性の衰えをご自覚なさって居られるのでありましょうか?

 五首目に就いて述べますと、「シンカイウリクラゲをのみて倍となるウリクラゲ」の胎内で「光るシンカイウリクラゲ」とは、真に以って神秘的にして不可解な現象である。
 生物図鑑の説明に拠ると「ウリクラゲ」は「他のクラゲ類や小型甲殻類などを飲み込む」とのこと、ならば、「シンカイウリクラゲ」も亦「ウリクラゲ」の捕食対象となっているのでありましょう。
 こうした捕食関係を、私たち人間の場合に例えると、「私たち日本人は、唯一の同盟国人たるアメリカ人を飲み込んでGNPを倍にも三杯にも十倍にもしたのであるが、飲み込まれてしまったはずのアメリカ人は、私たちの胎内に未だに元気良く棲息しているどころか、この世界に君臨する王者として光り輝いている」といったところでありましょうか?

 六句目に就いて述べますと、「親も子も過去も未来もなき青さやすらけき水母のいのち」とは、吉野弘作の詩「I was born」が謂うところの「----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体----」であり、他所ごとならぬ、真っ青な顔をして、アベノミクスとやらに必死にしがみ付いている私たち日本人の現在の姿ではありませんか?
 だとすれば、私たち日本人は、「親も子も過去も未来もなき青さ」にして「やすらけき」有り様の水母の命を笑ってばかり居てはいけません。

 七首目に就いて述べますと、「くぷくぷかふはふはかしんしんかわからねど」、私たち日本人も亦、水母と同じように青い光を放ちながら、ゆうらりゆうらりとこの地吹雪の荒れる日常を漂っている存在なのかも知れません。

 八首目の眼目は、四、五句目の「人の身体は角度をもちて」である。
 そう、地吹雪の吹き荒れる道を歩行する者は、全て姿勢を低くして、可能ならば九十度以上の「角度をもちて」進まなければなりません。
 本作の作者は、ついさっきまで、「角度」を持たないで水槽内を漂っている水母を目にしていたから、余計にそのことを感じたのでありましょう


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