臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(8月10日掲載・其のⅣ・民俗芸能西馬音内盆踊り特集)

2014年08月16日 | 今週の朝日俳壇から
[長谷川櫂選]

(青梅市・津田洋行)
〇  原発を睨んで立つは原爆忌

 真に残念な事に、今年の原爆忌での広島市長・松井一實氏の挨拶は、推薦母体の自公連立政権を気にするあまり「原発を睨んで立つは原爆忌」という具合には行かなかったようです。
 彼は元々厚生官僚なので、今年の原爆忌の市長挨拶で、解釈改憲問題や原発再稼働問題にまで踏み込んで欲しいと期待するのは無理だったのかも知れません。
 しかし、「広島の仇は長崎で」という諺もありますから、私たち良識者は、長崎市長の挨拶や被爆者代表のそれに大いに期待することにしましょう。
 ところで、今年の広島原爆忌での安倍首相の挨拶は、昨年のそれと瓜二つのコピペだったと言うではありませんか!
 彼も亦、おぼちゃん症候群のウィルスに感染してしまったのでありましょうか?
 それともう一点、週刊誌などでいろいろと取沙汰されている安倍総理夫妻の離婚問題はどうなっているのでありましょうか?
 〔返〕  広島の市長宣言腰砕け
      長崎の市長宣言一直線


(前橋市・吉江充慶)
〇  戦争へまた戦争へ原爆忌

 戦時歌謡や火野葦平作の『麦と兵隊』を思わせるが、入選願望見え見えの凡作である。
 〔返〕  ああ佐渡へ佐渡へ佐渡へと憧るる
      麦の秋ああ戦線へ戦線へ


(宇陀市・前尾清子)
〇  山国の夜空の色や茄子漬

 「茄子漬」を「山国の夜空の色」のように色濃く漬ける為には、材料の茄子に焼き明礬を擦り付けてから漬けなければなりません。
 〔返〕  山国の茄子漬け色佳く美味しそう
 上掲の返句の語り口は、なんだか「秋田音頭」の語り口みたいですね。
 折も折、今日は盂蘭盆の8月16日。
 私の郷里の隣町の秋田県羽後町の西馬音内地区では、世界民俗遺産候補にも数えられている「西馬音内の盆踊り」が華やかに展開されている事でありましょう。
 「西馬音内盆踊り」の「地口=囃し文句」は前述の「秋田音頭」を基本としたものであり、子供の踊り手が帰宅してからのそれは、猥褻極まり無いものであるが、事の序でにその一節、二節を記して、郷土秋田の民俗芸能に敬意を示すと致しましょう。


時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊りたんせ 
日本開闢 天の岩戸も 踊りで夜が明けた

西馬音内女(なしもねゃおなご)は どこさ行(え)たたて 目に立つはずだんす 
手つき見てたんせ 足つき見てたんせ 腰つき見てたんせ

名物踊りは 数ある中にも 西馬音内(にしもなゃ)一番だ 
嫁こも踊るし 姑も踊る 息子はなお踊る

日本一(にっぽんいぢ) 日本一 絶対日本一
西馬音内(にしもね)盆踊り 絶対日本一

女(おなご)は顔(つら)えし 男(おどご)は声え 地口(ぢぐぢ)もすんばらしぃ
そのうぢ必ず 世界民俗 文化遺産になる絶対はずだ

日本一(にっぽんいぢ) 日本一 早稲田は日本一
野球(やぎゅう)で負けで 駅伝で負げで  勉強(べんきょ)でも負けじまた

おめさんがだなば 早稲田大学(わせだでぇがぐ) あんまし馬鹿(ばが)にすな
スタップ細胞 見つけだ姉こ おぼちゃんの出だ学校(がっこ)だ

コピペはするし噓はこぐ 色目は使うし泣きもする  あれなばやじまげだ
見掛けはちょっぴり 負げるがも知れねど 西馬音内女(にしもねおなご)がずっとええ

いろはにほへと つねならむ  ういのおくやま今朝越えで
あねつぁ夢見で小便(しょべ)垂れだ おらも夢見で魔羅濡れだ
 
地口という奴 口から出放題(でほでぇ) 音頭の拍子です 
言われて悪いやつ 後ろさ廻って 五升樽ぶら下げれ

地口櫓で 地口を言うのは 俺らよな馬鹿ばかり 
気の利いたあんちゃは ぐりっと廻って 二三度やった頃だ

良いごど悪いごど 地口櫓で あんまりしゃべてけな
隣のあねこは 何とか言われで その晩ぼだされだ

おら家(え)のお多福 滅多に無い(ねえ)ごど 鬢取って髪ゆった 
お寺さ行ぐどて 蕎麦屋さ引掛って みんなに笑われだ

仲のよいのは おら家(え)の爺さまど 隣りの独り婆(ばばあ)
盆参りするどて 蕎麦屋さ引掛って 御布施で酒飲んだ

嫁こ嫁こど 三度呼ばたば ようやぐ返事した 
きのう結った勝山 左さぶ曲げで おがわこ持って来た
 
踊るて跳ねるて 若いうちだよ 俺らよに年行げば
なんぼ上手に 踊って見せても 誰も見る人ね

貧乏たらたら 一升買いするたて 寝酒こやめられねエ
褌質やて 半杯買た酒(さげ) 板の間(いだのま)みな舐めた

ええとこ見つけだ 間男見つけだ 七両二分よごせ
七両二分なら いつでもやるがら そなたの嬶よごせ

なんだでごどねぐ 嬶どこ叩えだば 寝てから動ぎゃがらね
今度のこと 御免してこれから うんとて動け嬶

お寺の和尚(のの)さん マルメロ畑さ マルメロもぎに行(え)った
長い棹こで ボッキリつづだば 同役(どやく)が落ぢで来た

文福茶釜を ドッサリ投げだば バッサリ毛が生えだ
和尚も長老も 閑居も小僧も これ見でたんまげだ

五徳とゆう奴 小首をかしげで 囲炉裏の隅にいる
鍋こ乗せろが 釜こ乗せろが 此処らが思案どご

鍋こも種類は 飯鍋汁鍋 あるい貝焼鍋(かやぎなべ)
世間の口鍋 俺ら嬶焼なべ 夫(てで)どさ 毟り付ぐ

豊年だ万作だ こりぁまだいい秋だ
面白まぎれに ひとつ踊ったば あばはら万作だ

貧乏というのもの あさましものだよ 夜討ちの忠臣蔵
朝食うて伴内 米櫃ぁお軽で からだは由良之助

おめだぢおめだぢ 踊りこ見るとて 必ず立って見るな
今なばええども 春さぎなるど 雀こ巣こ掛ける

おめだぢおめだぢ 踊りこ見るとて 必ず立って見るな
立っているのは 電信柱ど あんちやのガモばがり

おら家(え)のばっちゃど 隣りのじっちゃど
お茶(じゃ)っこ飲むどて 戸棚こ開けだば  茄子漬げヘコしてだ

院内(いんなゃ)の町(まぢ)がら 湯沢のまぢさ 不思議な大工(だゃぐ)が来た
飲みだゃぐ 喰だゃぐ ヘコしだゃぐ 仕事(しごど)はしでぁぐなぐ

あるもの質(しぢ)置いで せっきり飲んで喰って ヘコして死んだ方(ほ)え
あるもの質置いで せっきりまぐらって ヘコして死んだ方え

 お粗末様でした。  
 

(いわき市・中田昇)
〇  フクシマを忘るる国に原爆忌

 是を以って、俳句と称する事が可能でありましょうか?
 ただ単に朝日俳壇に入選したい一心で、「フクシマ」と「原爆忌」とを強引に結び付けただけの事ではありませんか!
 〔返〕  福島を忘れて原発再稼働


(洲本市・高田菲路)
〇  荒縄の山なす鉾の解かれけり

 洲本市の夏祭りの「鉾」は、「荒縄」で造った俄か造りの「鉾」でありましょうか?
 だとしたら、「荒縄」を解いた後は、竹か木材の骨組が残るだけの事でありましょう。
 〔返〕  荒縄で縛りて鉾で刺しにけり  


(福岡市・松重成一)
〇  紫陽花の今日確かむるけふの色

 紫陽花の彩りの微妙な変化は、毎日、写真にでも撮って比較するしか判りようがありません。
 〔返〕  紫陽花の色移り行く原爆忌


(青森市・小山内豊彦)
〇  青萩や目に青銅の乱反射

 「青萩」の比喩としての「青銅」は、同じ「青」の字を用いているだけに、あまりにも付き過ぎである。
 作者としては、「青銅の基督像」をイメージしてのことでありましょうが・・・・・。
 〔返〕  敗戦忌B29の乱反射
 敗戦直後の昭和20年8月15日の午後の事、私の出生地の上空にアメリカ軍のB29が飛来した事を、私は未だに記憶しています。
 件のB29は、極めて低空を飛んでいたので、私の目には操縦士の笑顔まで確かに見えました。
 そして、そのB29の銀翼が折からの夏の太陽を浴びて乱反射していた事も、私は未だに記憶しています。
 決して作り事ではありませんよ!
 私には、是を以って「戦争の語り部」と言われようなどとの疚しい根性は決してありませんから。


(海老名市・川上益男)
〇  炎天の一樹の蔭や去りがたく

 この頃の天候は極めて不安定ですから、一旦、落雷に見舞われたら命取りになってしまいますよ。
 〔返〕  炎天の一樹の蔭や敗戦忌


(大津市・西村千鶴子)
〇  終戦といはざる人や敗戦忌

 実のところは「敗戦忌」であったのに、そうは言わずに「終戦忌」としたところに私たち日本人の懲り性の無い体質が覗われるのである。
 〔返〕  敗戦と敢へて謂ふかな終戦日    

今週の朝日俳壇から(8月10日掲載・其のⅢ・夜の秋に身を置きながら)

2014年08月16日 | 今週の朝日俳壇から
[金子兜太選]

(オランダ・モーレンカンプふゆこ)
〇  噴水や千キロ走りて孫に会う

 「噴水」の属性の一つとしての「走る」というイメージが、オランダにお住いの俳人・モーレンカンプふゆこさんをして斯かる一句を詠ましめたものと推測される。
 〔返〕  噴水と競ふ速さや孫の脚
      噴水の競ふ長さや孫の脚
 本句を鑑賞させていただいた記念としての返句ならば、上掲の二句で充分と思われるのであるが、海外からの投句に示す選者・金子兜太氏の寛大さに対して、私は細やかながらも不満を感じているのである。
 私が世間並の出来具合の人間ならば、これを金子兜太氏の御齢の所為にして許容する事も可能なのかも知れませんが、世間並以下の非常識人である私としては、この際、選者及び作者を皮肉っておきたいという気持ちが無きにしも非ずだから、下記のような狂歌を一首添えさせていただきたいのである。
 〔返〕  オランダのモーレンカンプふゆこさん一千キロ走りお孫さんに逢ったと


(いわき市・馬目空)
〇  いつか逝く我が心身の汗拭ふ

 本句の作者の馬目空さんのお気持ちの中には、何をするにしろ「いつか逝く我が心身」という切迫した思いが在るのかも知れません。
 だとしたら、本句の下五は、「いつか逝く我が心身の疲れかな」、「いつか逝く我が心身の衰へや」、「いつか逝く我が心身の汚れかな」、「いつか逝く我が心身の痣見たり」などと、幾らでも入れ替えが可能なのである。
 しかしながら、この一句は、やはり下五に「汗拭ふ」という五音を置いた事に因って初めて朝日俳壇の入選作に相応しい佳句となり得たのであり、この下五にまかり間違って「障害者」という一語を置いて「いつか逝く我が心身の障害者」などという一句を仕立てたとしたら、漫画にもならない事でありましょう。
 〔返〕  汗掻かぬ時こそ即ち逝く時ぞ
 汗を掻くのは、私たち人間が生きている間だけの事でありましょう。
 私は、敗戦記念日の昨日、身体中に掻いた汗に因る不快感から解放される為に、連れ合いの膨れっ面を気にしながらも五回も入浴しました。
 と、言う事は、私は身体中から滲み出る汗を通して自らの生命を感じている、という事にもなりましょうか。
 したがって、福島県いわき市にお住いの馬目空さんも、この夏は大いに汗を掻いて下さい。 

(船橋市・斉木直哉)
〇  我一人風荒涼と晩夏かな

 晩夏の風に吹かれていても、其処に爽やかさを感じる者もいれば、荒涼とした気持ちに陥っている者も居る。
 要は気持ちの持ちようであるが、本句の作者の斉木直哉さんは、後者に属する人間の一人でありましょうか?
 〔返〕  俗塵に染まりたく無き晩夏かな
      世の塵に染まりたく無き性(さが)なれば斉木直哉は独り旅立つ


(福津市・松崎佐)
〇  原発と基地とまたぞろ原爆忌

 作者は何を仰りたいのか?
 作者の気持ちの中には、原発再稼働問題や沖縄の基地問題に対処する我が国の政府に対する不安感や不満感が在るのか? 
 それとも、そうした感情は朝日新聞と朝日歌壇の入選作に対してのものなのか?
 何はともあれ、そうした不満遣る方無き問題を前にして身動きもならなくなっている作者は今年も<またぞろ><原爆忌>を迎えてしまったのである。
 〔返〕  原発の一句またぞろ見厭きたり  


(京都市・水船つねあき)
〇  時間あり本あり妻なし夜の秋

 「夜の秋」という季語は、まさしく「今現在、即ち、平成26年8月16日午前3時5分という時点に於いて、私・鳥羽省三が川崎市多摩区の自宅のパソコンを前にして感じている季節感」を指して言うのでありましょう。
 敗戦記念日の昨日の暑さには、さすがの私もかなりのダメージを感じたのであるが、今、こうして京都市にお住いの水船つねあきさんのお詠みになった俳句を前にしている私の膚には、庭を吹き抜けて行く晩夏の風の爽やかさが細やかながらも感じられ、私は、昨日の昼とは一段と異なった気持になっているのである。
 それにしても、本句の作者の水船つねあきさんは、「<夜の秋>の空気に柔らかく包まれていながらも<(私には)時間あり本あり妻なし>などと惚けた事を仰る」のであるが、彼・水船つねあきさんは、身に纏うしがらみから解放されての安心感と共に幽かなる侘しさを感じているのでありましょうか?
 〔返〕  時間有れど遣ること無しの夜の秋
      身に纏ふパンツ涼しき夜の秋


(札幌市・小林かん奈)
〇  白紫陽花妻となるため旅支度

 季題は「白紫陽花」の「美」或いは「爽」もしくは「清・純」であるが、作者の小林かん奈さんの頭の中には、「白紫陽花のそうした属性に包まれ看取られながら、私は遠くの地に居る彼の許へと嫁ぎ行く為の旅支度をしているのである」という充実感と共に幽かなる不安感が兆しているのである。
 〔返〕  旅行きて小林かん奈花散らす


(国分寺市・越前春生)
〇  光のごと翳のごと蝶日雷

 作中の「日雷」は「ひがみなり」と訓むのであり、「晴天の時に雨を伴わないで鳴る雷」を指して言うのである。
 したがって、本句の意は「日雷の鳴り響く中を、一羽の蝶が、ある瞬間は光の如く、またある瞬間は翳の如くに変わり身を示しながら舞い飛んでいる」といったところでありましょう。  
  〔返〕  日雷揚羽の翅の濡れもせず


(長野県川上村・丸山志保)
〇  風吹けば風になりきる麦の秋

 「風吹けば風になりきる麦の秋」とは、「麦秋を迎えて黄金色に染まった麦畑が、初夏の風に吹かれて涼しそうに靡いている様子」を詠んだものである。
 〔返〕  雨降れば農婦憩へる麦の秋
      雨降れば一日(ひとひ)休暇の麦の秋
 稲の刈り取りは雨天の日でも予定通り行うのであるが、麦の刈り取りは晴天の日を選んで行うのは如何なる理由が在っての事でありましょうか?


(上山市・佐藤権一郎)
〇  蝉の殻九条どこへ行くのやら

 「自公連立政権に拠る<解釈改憲>の結果として、我が国防衛の最前線たる憲法九条が<蝉の抜け殻>みたいな無価値なものに成り果ててしまった」、との意でありましょう。
 〔返〕  九条に疚しき心認めたり
 「疚しき心」とは、「必ず入選しようという強い意志を込めて、本作中に<九条>という語を敢えて用いた、作者・佐藤権一郎の激しい情念」を指して言うのである。


(茅ヶ崎市・清水吞舟)
〇  滝となり水仰がるる拝まるる

 「水」も只の平地を流れているだけでは格別に仰がれたり拝まれたりする事は無いが、其れが、一旦、傾斜厳しき崖地を流れるや否や、忽ち「滝」と呼ばれ、多くの観光客を集めたり、彼らから仰がれたり拝まれたりするのである。
 私たち日本人は、その最たるものとして、日光の「華厳の滝」及び熊野古道の一廓に在る「那智の滝」、そして、彼の西行法師が「花もみち経緯(よこいと)にして山姫の錦織出す袋田の瀧」と詠んだとされる、茨城県久慈郡大子町の「袋田の滝」を「日本三名瀑」と呼び、信仰対象にさえして居るのである。
 清少納言の著『枕草子』の「第五八段」には、「滝は、音なしの滝。ふるのたきは、法皇の御覧じにおはましけんこそめでたけれ。なちの滝は、熊野にありときくが哀なり。とゞろきの滝は、いかにかしがましく、おそろしからん」とあり、「日本三名瀑」の中から「那智の滝」だけが採り上げられているのであるが、斯かる蛮行は、著者の清少納言の行動範囲の狭さを証明する以外の何者でも無いのであり、此れを以ってして、「華厳の滝」や「袋田の滝」の価値が貶め卑しめられる理由にはならない事を、この際、私は力説しておかなければなりません。
 その点に就いての本ブログの読者の方々のご意見は如何なものでありましょうか?
 〔返〕  吞舟と言へば巨大な鯰かな
      吞舟はアマゾン河の鯰なり