[佐佐木幸綱選]
○ フクシマのニュースに慄く我もまた火遊び覚えし猿の裔なり (東京都) 谷田貝和男
是を称して“因果応報”と謂うのでありましょう。
本作は、「我もまた火遊び覚えし猿の裔なり」という、極めて理性的な自覚の持ち主である谷田貝和男さんが、永遠とも言えるような遥か遠い遠いご先祖様の「猿」が天に向って吐いた唾で以って汚されることを危惧し「慄く」という醜態を詠んだ作品である。
“親の因果が子に報う”というなら未だしも、「火遊び」を覚えた「猿」の犯した罪の因果で、私たち善良なる日本国民が報いを受けなければならないのは、あまりと言えば、あまりに手酷い仕打ちでありましょう。
〔返〕 猿といふ自覚は宜し人はみな猿にも劣る愚かな存在 鳥羽省三
葦といふ自覚また好し我らみな葦にも劣るか弱き生き物 々
○ 大戦の前夜の如き響きもて繰り返される「強い日本」 (東京都) 津路野志峰
作中の「大戦の前夜」とは、我が国の第二次世界大戦への参戦、即ち“真珠湾攻撃”の直前の日々を指して言うのでありましょう。
大日本帝国海軍による“真珠湾攻撃”は、参戦を避ける方策としての“日米交渉”と並行して軍部の一部に拠って秘密裏に計画され、交渉の決裂が確認されてから止む無く行われたものと思われる。
また、「大戦の前夜」に当たる1941年12月8日直前の我が国政府やマスコミの論調及び国民の声は、この度の東日本大震災の直後から人気タレントやアスリートを総動員してテレビや新聞などを通じて頻りに流されていた「日本は強い」「日本は団結力の固い一つのチームだ」などというCMや政府の宣伝やマスコミの論調、或いはサッカー狂いの青少年男女の掛け声などとはかなり異なったものであったと思われる。
と言うことは、我が国の第二次世界大戦への参戦は、むしろ悲壮な決意で行なわれた“日米交渉”が決裂した結果、主として陸軍の好戦派とも言うべき幹部将官の声に唆されて軍閥政府が勝利の目算も無いままに採った無謀な施策と言うべきでありましょう。
最近はほとんど流されなくなりましたが、あの大震災直後からつい先日まで、テレビでは、スポンサーの正体があまりよく判らないような、前述のあの「強い日本」コールのCMと共に、それとは真逆のイメージとも思われる「『遊ぼう』って言うと『遊ぼう』って言う。(中略)『ごめんね』って言うと『ごめんね』って言う。こだまでしょうか、いいえ、誰でも」という金子みすずの詩が流されて居りました。
私たち歌詠みは、この度の東日本大震災に伴ってテレビで流されていたのが、これら二つの裏腹な内容とも思われるCMであったことを忘れてはいけません。
人気タレントやアスリートを総動員しての「強い日本」コールは、一見すると「大戦の前夜」の我が国の世相に酷似しているようにも思われますが、そのように思うのは、私たち平成の日本人が「大戦の前夜」の庶民の心情を正しく理解していないが故の誤解であって、真実は、前記・金子みすずの「『遊ぼう』って言うと『遊ぼう』って言う。(中略)『ごめんね』って言うと『ごめんね』って言う。こだまでしょうか、いいえ、誰でも」というの詩に備わっている、切なくて静かな雰囲気こそ、「大戦の前夜」の我が国の庶民の心情や世相を表しているのかも知れません。
〔返〕 遊ぶ気にも働く気にもなれぬまま過ごした日数ふた月余り 鳥羽省三
○ ARIGATOと並べ置かれし流木の写真に写らぬ人を想へり (長野県) 井上孝行
「ARIGATOと並べ置かれし流木」についての報道は、テレビでも新聞や週刊誌でも沢山為されて居りましたし、私は、それを題材にした短歌作品を厭きるほど多く読ませられました。
そうした中にあって、本作に幾分かの新味が感じられるとすれば、「写真に写らぬ人を想へり」という四、五句目の<七七句>にありましょうか。
〔返〕 「ARIGATO」と流木並べた被災者の暮らしの中の遊び心よ 鳥羽省三
私はテレビで、この「ARIGATO」と「流木」を並べた「写真」を目にした時、「人間は、特に日本人は、どんか環境に置かれても、決して“遊び心”を失わないものだ」としみじみと感じました。
かかる他愛無い事を感じたままに詠んだ、私のこの“返歌”も亦、この度の東日本大震災に取材した一首でありましょうか?
○ 三月に安全唱えし識者らはいずこに消えしか泡(あぶく)のごとくに (名古屋市) 諏訪兼位
この題材に、彼の諏訪兼位博士がお出ましになられたのは余りにも寂しいことである、と評者は愕然たる気持ちになって居ります。
その現実はどうであれ、「いずこに消えしか泡のごとくに」という表現は、短歌表現としては極めて月並みな表現であり、著名な科学者にして卓越した表現者たる諏訪兼位博士の高等な頭脳を必要としないと、評者には思われるからであります。
〔返〕 識者とは何方を指しての言い条か理学博士は識者ならずか? 鳥羽省三
識者にもさまざま派閥が在りまして世論を導く識者は指揮者 々
○ たびたびの事故隠したる原発を想定外と吾は認めぬ (福島市) 遠藤幸子
本作を文脈に添って丁寧に解釈すると、「これまでにも『たびたび』『事故』を引き起こして『隠し』ていた『原発』を、『吾』は『想定外』とは『認めぬ』」といったことになりましょうか?
詰まる所は、本作の作者は、原発の爆発「事故」と、それに関連して関係者の口から頻繁に漏れる「想定外」という流行語とを、極めて強引に結び付けて本作をお詠みになっただけのことであり、本作を真正面に据えて、真面目に評するとしたら、評者としては「本作は、作者の感情をむ剥き出しにして詠んだ“粗野な三十一音”、即ち“短歌未満の短歌”である」としか言えません。
東電や政府機関などが、「原発」が「たびたび」起した「事故」の詳細を一般社会に正しく伝えなかったことは事実であるとしても、その事実の全てを「隠した」とは必ずしも言えません。
また、「隠した」ことが仮に事実であったとしても、その事と「想定外」という流行語とが、どのように結び付くのかは、この一首の表現からは見えて来ません。
こうした未成熟な感情を剥き出しにしたような幼稚な作品を入選作として、新聞紙上に掲載した者は、良識ある選者とも言えませんし、世間並みの見識を備えた編集者でもありません。
その事と、「原発」事故を「たびたび」引き起こしながら未だに責任逃れをしようとしている東電の幹部社員や、利権絡みで原発建設推進に奔走した政治家などの責任問題とは、全く別個の問題でありましょう。
新聞歌壇や結社誌などには、「想定外」という流行語を使った作品が掲載されることが多いのであるが、その大半は、私にとっては、貴重な新聞や結社誌の紙面を使って掲載されるのは「想定外」と思われるような駄作なのである。
本作は、その典型的な一例である。
評者が、この度の東日本大震災に取材した入選作品に対して、極めて冷淡な態度で臨んでいるのは、是を題材とし、テーマとした作品の多くが、ただ単に題材やスローガンだけを売り物にした作品、つまりは“短歌以前の未成熟な短歌紛いの散文”だからである。
東日本大震災に因ってもたらされた我が国の経済的な被害も莫大であるが、それに因ってもたらされた短歌界の混乱の大きさも、決して見逃し出来ないと思われるのである。
〔返〕 たびたびに掲載されたる駄作群材料だけが一首の全て 鳥羽省三
金太郎飴によく似た駄作のみ新聞歌壇結社誌に載る 々
○ 避難地のくらしになじめぬ日々なれどここが居場所とかえねばならぬ (釜石市) 宮館テル
作者にとっての大震災以後のこの数ヶ月は、「避難地のくらしになじめぬ日々」であったに違いなかったことは、私にもよく解ります。
しかし乍ら、馴染むも馴染まぬも、「居場所」が行政機関の手に拠って用意されて居ればこそのことでありましょう。
「短歌は消閑の具」とも言われます。
その「消閑の具」たる短歌をお詠みになることが出来るのも、「居場所」としての「避難地」が在ればこそのこととお思いになられ、益々ご努力なさって下さい。
申し上げ難いことを敢えて申し上げますが、今回の被災者の方々のお暮らしについて思うに当たって、私は「赤信号みんなで渡れば怖くない」という川柳を思い出しました。
と言うのは、「生活支持者の死や急病や不況が原因の失業」「貰い火に因る火災によっての自宅の焼失」といった、個人的な被災の場合には、行政機関からの援助やボランティアの方々の支援などが全く望めず、文字通り路頭に迷うしか無いからである。
本作の表現について一言すれば、「ここが居場所とかえねばならぬ」といった、舌足らずで意味不明の表現を伴った作品が、優れた短歌として顕彰され、朝日新聞のような権威のある新聞紙上に掲載されるのも、題材が題材だからでありましょう。
〔返〕 倹約に馴染めぬ暮らしされどなお倹約しつつ寄付などもする 鳥羽省三
○ 原発への不安詠み来し人の歌朝日歌壇の切り抜きに読む (山形市) 渋間悦子
本作の題材となっている「原発への不安詠み来し人の歌」が「朝日歌壇」に掲載されたのは、東日本大震災の発生以前のことでありましょうか?
それとも、事後、つまり地震発生から数日経ってのことでありましょうか?
更にお訊ね致しますが、件の「歌」とは、福島市にお住いの美原凍子さんの御作ではありませんか?
〔返〕 往く所不安在らざる所無し住めば都は夢のまた夢 鳥羽省三
○ ことあらば飛散し来るやも海峡を隔て見やりぬ刈羽原発 (佐渡市) 神蔵 久
何やら、古代中国の格言「杞憂」めいた内容の作品ではありますが、「或いは」とも思われます。
それにしても、「ことあらば」の「こと」が恐ろしいこと。
〔返〕 越後なる刈羽原発ことありて佐渡の鴇など飛ぶ日もあらむ 鳥羽省三
○ 「頑張って」「がんばれ」「ガンバレ」もう沢山!私とっくに頑張ってます (仙台市) 坂本捷子
5月9日付けの朝日新聞朝刊に、“朝日歌壇”の“高野公彦選”の入選作として、福島市にお住いの伊藤緑さんの御作「『がんばろう』『がんばって』より『大丈夫、心配ないよ』と言って欲しい」が掲載されている。
本作と伊藤緑さん作との間には、格別な模倣関係はありませんでしょうが、両作品は同工異曲と思われる作品ではある。
本作の良さは、「私とっくに頑張ってます」と、突き放したところに在るのかも知れませんね?
〔返〕 「ガンバル」も「がんばってます」も余計です! 被災者なれば頑張るしか無い! 鳥羽省三
○ ひと月を体育館に過ごしたる亡骸三百体(さんびゃく)運ばれゆきぬ (久慈市) 三船武子
遺体の確認作業が難しいことから、被災者の「亡骸」が「ひと月」も「体育館」で過ごすことはあり得ましょう。
また、火葬場所の関係で、「ひと月を体育館に過ごしたる亡骸三百体」が、ある日、一斉に何処かに「運ばれ」て行くこともあり得ましょう。
それにしても、あまりにも惨たらしい出来事であり、あまりにも惨たらしい内容の作品である。
「三百体」の「亡骸」が無くなった後の「体育館」で、死臭の漂う「体育館」で、児童生徒たちは、翌日から体育の授業を受けたり、クラブ活動を行ったりするのでありましょうか?
〔返〕 ひと月を遺骸と共に過ごしたる跳び箱に残る死臭の凄さ 鳥羽省三
○ フクシマのニュースに慄く我もまた火遊び覚えし猿の裔なり (東京都) 谷田貝和男
是を称して“因果応報”と謂うのでありましょう。
本作は、「我もまた火遊び覚えし猿の裔なり」という、極めて理性的な自覚の持ち主である谷田貝和男さんが、永遠とも言えるような遥か遠い遠いご先祖様の「猿」が天に向って吐いた唾で以って汚されることを危惧し「慄く」という醜態を詠んだ作品である。
“親の因果が子に報う”というなら未だしも、「火遊び」を覚えた「猿」の犯した罪の因果で、私たち善良なる日本国民が報いを受けなければならないのは、あまりと言えば、あまりに手酷い仕打ちでありましょう。
〔返〕 猿といふ自覚は宜し人はみな猿にも劣る愚かな存在 鳥羽省三
葦といふ自覚また好し我らみな葦にも劣るか弱き生き物 々
○ 大戦の前夜の如き響きもて繰り返される「強い日本」 (東京都) 津路野志峰
作中の「大戦の前夜」とは、我が国の第二次世界大戦への参戦、即ち“真珠湾攻撃”の直前の日々を指して言うのでありましょう。
大日本帝国海軍による“真珠湾攻撃”は、参戦を避ける方策としての“日米交渉”と並行して軍部の一部に拠って秘密裏に計画され、交渉の決裂が確認されてから止む無く行われたものと思われる。
また、「大戦の前夜」に当たる1941年12月8日直前の我が国政府やマスコミの論調及び国民の声は、この度の東日本大震災の直後から人気タレントやアスリートを総動員してテレビや新聞などを通じて頻りに流されていた「日本は強い」「日本は団結力の固い一つのチームだ」などというCMや政府の宣伝やマスコミの論調、或いはサッカー狂いの青少年男女の掛け声などとはかなり異なったものであったと思われる。
と言うことは、我が国の第二次世界大戦への参戦は、むしろ悲壮な決意で行なわれた“日米交渉”が決裂した結果、主として陸軍の好戦派とも言うべき幹部将官の声に唆されて軍閥政府が勝利の目算も無いままに採った無謀な施策と言うべきでありましょう。
最近はほとんど流されなくなりましたが、あの大震災直後からつい先日まで、テレビでは、スポンサーの正体があまりよく判らないような、前述のあの「強い日本」コールのCMと共に、それとは真逆のイメージとも思われる「『遊ぼう』って言うと『遊ぼう』って言う。(中略)『ごめんね』って言うと『ごめんね』って言う。こだまでしょうか、いいえ、誰でも」という金子みすずの詩が流されて居りました。
私たち歌詠みは、この度の東日本大震災に伴ってテレビで流されていたのが、これら二つの裏腹な内容とも思われるCMであったことを忘れてはいけません。
人気タレントやアスリートを総動員しての「強い日本」コールは、一見すると「大戦の前夜」の我が国の世相に酷似しているようにも思われますが、そのように思うのは、私たち平成の日本人が「大戦の前夜」の庶民の心情を正しく理解していないが故の誤解であって、真実は、前記・金子みすずの「『遊ぼう』って言うと『遊ぼう』って言う。(中略)『ごめんね』って言うと『ごめんね』って言う。こだまでしょうか、いいえ、誰でも」というの詩に備わっている、切なくて静かな雰囲気こそ、「大戦の前夜」の我が国の庶民の心情や世相を表しているのかも知れません。
〔返〕 遊ぶ気にも働く気にもなれぬまま過ごした日数ふた月余り 鳥羽省三
○ ARIGATOと並べ置かれし流木の写真に写らぬ人を想へり (長野県) 井上孝行
「ARIGATOと並べ置かれし流木」についての報道は、テレビでも新聞や週刊誌でも沢山為されて居りましたし、私は、それを題材にした短歌作品を厭きるほど多く読ませられました。
そうした中にあって、本作に幾分かの新味が感じられるとすれば、「写真に写らぬ人を想へり」という四、五句目の<七七句>にありましょうか。
〔返〕 「ARIGATO」と流木並べた被災者の暮らしの中の遊び心よ 鳥羽省三
私はテレビで、この「ARIGATO」と「流木」を並べた「写真」を目にした時、「人間は、特に日本人は、どんか環境に置かれても、決して“遊び心”を失わないものだ」としみじみと感じました。
かかる他愛無い事を感じたままに詠んだ、私のこの“返歌”も亦、この度の東日本大震災に取材した一首でありましょうか?
○ 三月に安全唱えし識者らはいずこに消えしか泡(あぶく)のごとくに (名古屋市) 諏訪兼位
この題材に、彼の諏訪兼位博士がお出ましになられたのは余りにも寂しいことである、と評者は愕然たる気持ちになって居ります。
その現実はどうであれ、「いずこに消えしか泡のごとくに」という表現は、短歌表現としては極めて月並みな表現であり、著名な科学者にして卓越した表現者たる諏訪兼位博士の高等な頭脳を必要としないと、評者には思われるからであります。
〔返〕 識者とは何方を指しての言い条か理学博士は識者ならずか? 鳥羽省三
識者にもさまざま派閥が在りまして世論を導く識者は指揮者 々
○ たびたびの事故隠したる原発を想定外と吾は認めぬ (福島市) 遠藤幸子
本作を文脈に添って丁寧に解釈すると、「これまでにも『たびたび』『事故』を引き起こして『隠し』ていた『原発』を、『吾』は『想定外』とは『認めぬ』」といったことになりましょうか?
詰まる所は、本作の作者は、原発の爆発「事故」と、それに関連して関係者の口から頻繁に漏れる「想定外」という流行語とを、極めて強引に結び付けて本作をお詠みになっただけのことであり、本作を真正面に据えて、真面目に評するとしたら、評者としては「本作は、作者の感情をむ剥き出しにして詠んだ“粗野な三十一音”、即ち“短歌未満の短歌”である」としか言えません。
東電や政府機関などが、「原発」が「たびたび」起した「事故」の詳細を一般社会に正しく伝えなかったことは事実であるとしても、その事実の全てを「隠した」とは必ずしも言えません。
また、「隠した」ことが仮に事実であったとしても、その事と「想定外」という流行語とが、どのように結び付くのかは、この一首の表現からは見えて来ません。
こうした未成熟な感情を剥き出しにしたような幼稚な作品を入選作として、新聞紙上に掲載した者は、良識ある選者とも言えませんし、世間並みの見識を備えた編集者でもありません。
その事と、「原発」事故を「たびたび」引き起こしながら未だに責任逃れをしようとしている東電の幹部社員や、利権絡みで原発建設推進に奔走した政治家などの責任問題とは、全く別個の問題でありましょう。
新聞歌壇や結社誌などには、「想定外」という流行語を使った作品が掲載されることが多いのであるが、その大半は、私にとっては、貴重な新聞や結社誌の紙面を使って掲載されるのは「想定外」と思われるような駄作なのである。
本作は、その典型的な一例である。
評者が、この度の東日本大震災に取材した入選作品に対して、極めて冷淡な態度で臨んでいるのは、是を題材とし、テーマとした作品の多くが、ただ単に題材やスローガンだけを売り物にした作品、つまりは“短歌以前の未成熟な短歌紛いの散文”だからである。
東日本大震災に因ってもたらされた我が国の経済的な被害も莫大であるが、それに因ってもたらされた短歌界の混乱の大きさも、決して見逃し出来ないと思われるのである。
〔返〕 たびたびに掲載されたる駄作群材料だけが一首の全て 鳥羽省三
金太郎飴によく似た駄作のみ新聞歌壇結社誌に載る 々
○ 避難地のくらしになじめぬ日々なれどここが居場所とかえねばならぬ (釜石市) 宮館テル
作者にとっての大震災以後のこの数ヶ月は、「避難地のくらしになじめぬ日々」であったに違いなかったことは、私にもよく解ります。
しかし乍ら、馴染むも馴染まぬも、「居場所」が行政機関の手に拠って用意されて居ればこそのことでありましょう。
「短歌は消閑の具」とも言われます。
その「消閑の具」たる短歌をお詠みになることが出来るのも、「居場所」としての「避難地」が在ればこそのこととお思いになられ、益々ご努力なさって下さい。
申し上げ難いことを敢えて申し上げますが、今回の被災者の方々のお暮らしについて思うに当たって、私は「赤信号みんなで渡れば怖くない」という川柳を思い出しました。
と言うのは、「生活支持者の死や急病や不況が原因の失業」「貰い火に因る火災によっての自宅の焼失」といった、個人的な被災の場合には、行政機関からの援助やボランティアの方々の支援などが全く望めず、文字通り路頭に迷うしか無いからである。
本作の表現について一言すれば、「ここが居場所とかえねばならぬ」といった、舌足らずで意味不明の表現を伴った作品が、優れた短歌として顕彰され、朝日新聞のような権威のある新聞紙上に掲載されるのも、題材が題材だからでありましょう。
〔返〕 倹約に馴染めぬ暮らしされどなお倹約しつつ寄付などもする 鳥羽省三
○ 原発への不安詠み来し人の歌朝日歌壇の切り抜きに読む (山形市) 渋間悦子
本作の題材となっている「原発への不安詠み来し人の歌」が「朝日歌壇」に掲載されたのは、東日本大震災の発生以前のことでありましょうか?
それとも、事後、つまり地震発生から数日経ってのことでありましょうか?
更にお訊ね致しますが、件の「歌」とは、福島市にお住いの美原凍子さんの御作ではありませんか?
〔返〕 往く所不安在らざる所無し住めば都は夢のまた夢 鳥羽省三
○ ことあらば飛散し来るやも海峡を隔て見やりぬ刈羽原発 (佐渡市) 神蔵 久
何やら、古代中国の格言「杞憂」めいた内容の作品ではありますが、「或いは」とも思われます。
それにしても、「ことあらば」の「こと」が恐ろしいこと。
〔返〕 越後なる刈羽原発ことありて佐渡の鴇など飛ぶ日もあらむ 鳥羽省三
○ 「頑張って」「がんばれ」「ガンバレ」もう沢山!私とっくに頑張ってます (仙台市) 坂本捷子
5月9日付けの朝日新聞朝刊に、“朝日歌壇”の“高野公彦選”の入選作として、福島市にお住いの伊藤緑さんの御作「『がんばろう』『がんばって』より『大丈夫、心配ないよ』と言って欲しい」が掲載されている。
本作と伊藤緑さん作との間には、格別な模倣関係はありませんでしょうが、両作品は同工異曲と思われる作品ではある。
本作の良さは、「私とっくに頑張ってます」と、突き放したところに在るのかも知れませんね?
〔返〕 「ガンバル」も「がんばってます」も余計です! 被災者なれば頑張るしか無い! 鳥羽省三
○ ひと月を体育館に過ごしたる亡骸三百体(さんびゃく)運ばれゆきぬ (久慈市) 三船武子
遺体の確認作業が難しいことから、被災者の「亡骸」が「ひと月」も「体育館」で過ごすことはあり得ましょう。
また、火葬場所の関係で、「ひと月を体育館に過ごしたる亡骸三百体」が、ある日、一斉に何処かに「運ばれ」て行くこともあり得ましょう。
それにしても、あまりにも惨たらしい出来事であり、あまりにも惨たらしい内容の作品である。
「三百体」の「亡骸」が無くなった後の「体育館」で、死臭の漂う「体育館」で、児童生徒たちは、翌日から体育の授業を受けたり、クラブ活動を行ったりするのでありましょうか?
〔返〕 ひと月を遺骸と共に過ごしたる跳び箱に残る死臭の凄さ 鳥羽省三