しばらく前だけど,大阪で「世界はヘイトスピーチと闘う ~元国連人種差別撤廃委員ソーンベリーさんを迎えて~」という集まりに参加。
○異なる人種があり,それらの間に優劣があるという考え方が人種差別の根っこ。
○人種主義は植民地制度にあり,植民地主義が人種差別をもたらしたと考えられていた。その結果,自分の国に民族差別,人種差別はないということをアピールする国もあるが,今となってはあらゆる国にあり得るということが受け止められている。特定の政治体制によって発生するものではないと理解されている。
○人種差別撤廃条約は公的生活における差別を取り上げている。「公的生活」が狭義に取られることがあるが,公的機関でのことに限られない。ただし,条約の対象外である私的な領域があるという前提で作られている。
○ヘイトスピーチという話をするときに具体的な違反として,差別,扇動,劣勢に関する流布,段落10で挙げているようなほかの特定の集団に対して挙げるような価値を貶めるようなスピーチを挙げている。
○区別を正確にすることが重要だが,気分を害するような発言,人の尊厳,平等を傷つける発言はおおよその区別する線がある。前者はヘイトスピーチかもしれないし,ではないかもしれないが,後者は容易にヘイトスピーチになる。例として,ドイツの法律では,公に人種憎悪を扇動する,悪意を持って人を貶めることを禁止している。人の尊厳はドイツの憲法秩序においてもとても重要な位置を占める。
○発言の行われた特定の状況を重視して判断されるべき。発言が招く,社会的危険を検討してお行われる。発言そのものではなく,それがもたらすものが憎悪かどうかということ。
○(意見交換で日本は人種差別撤廃条約の4条を留保していることについて)留保の背景について,政治的な背景を考えたことがある。国が4条に対して留保を掲げるときに表現の自由を理由として出している。それに対して,委員会の一貫した見解は撤回を求めるということ。また,c項については留保していない。人種差別の扇動については多くの国で留保していないので,留保している理由が分からないのだが,今回,委員会が一般的勧告でしようとしたことは,表現の自由のプロファイルを全面に押し出し,留保を撤回しやすくしようとするもの。政治指導者については,この分野で助けにならないということがよくあるけど,民主主義的な国で選挙民を考慮しないといけない。
○(ヘイトスピーチに対する闘い方の実例として参考になるものがあれば教えてほしいという声に対して)うまくいった例としてコミュニティやNGOやメディアなどいろいろあるが。人種差別禁止法の制定がもっとも効果的なもの。ニュージーランド,オランダ,フィンランド,南アフリカ…など全部人種差別禁止法と結びつけて取り組んでいる。法制度,法的枠組みが大事。イギリスのようにいくつかの法律で対応するということもある。民事法や刑法やいろいろな法律で禁止している。必ずしも一本化が必要ではない。
○(日本の現状では,被害者の立場からすれば,個人の損害を立証しなければ訴えられない。ヘイトスピーチがあるというだけで訴えることができない。被害者をどういう範囲考えているのか)被害者の定義について,多くの国では民族,先住民族,カーストの集団として定義されている。人種の側面を扱っている法律が大事になってくる。個人に対する攻撃,襲撃,暴行と特定の集団を代表して個人に対して攻撃をするということは全く違うこと。
○特定の根拠によって襲撃されるということ,重要なのは攻撃している側にどういう根拠があるのかということがある。筋違い,勘違いで襲ってしまうということもあるということを考えないといけない。差別の場合,加害者がどういう意図で行動をとったかということが大事であり,現実の行動よりも大事。加害者が被害者を特定している。このような判断は慎重に立法をすればできること。
あとは,資料から印象に残ったところを抜粋。
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人種差別撤廃委員会 一般的勧告35 人種主義的ヘイトスピーチと闘う
○委員会が強調するのは,人種主義的ヘイトスピーチがその後の大規模人権侵害およびジェノサイドにつながってゆくということであり,紛争状況においても大きな役割を果たすということである。
○人種主義的ヘイトスピーチが取る形態は多様であり,明白に人種に言及するものだけに限られない。第1条に基づく差別の場合のように,特定の人種または種族的集団に対する攻撃のスピーチは,その対象や目的を隠ぺいするために間接的な表現を用いることもある。
○ヘイトスピーチ行為を認定し,それに対して闘うことは,あらゆる形態の人種差別の撤廃に専念する本条約の目的の達成にとって不可欠である。
○最低限やらなくてはならないのは,人種差別を禁止する,民放,行政法,刑法にまたがる包括立法の制定であり,これは,ヘイトスピーチに対して効果的に闘うために不可欠である。
○扇動とは,特徴として,他の人に唱導や威嚇を通して,犯罪の遂行を含む特定の形態の行為を行うよう影響を及ぼすことを目的としている。扇動は,言葉に依るほか,人種主義的シンボルの掲示や資料の配布などの行為を通して,明示的もくしは暗示的に行われうる。
○委員会は,学術的議論,政治的関与あるいは類似した活動において,憎悪,侮辱,暴力あるいは差別の扇動を伴わずに行われる思想および意見の表明は,たとえそのような思想が議論を呼ぶものであれ,表現の自由の権利の合法的行使としてみなされるべきであると考える。
○意見と表現の自由は,幅広い国際文書において,基本的権利として認められている。そのひとつに世界人権宣言があるが,これは,すべての人は意見および表現の自由に対する権利を有し,その権利は,干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により,また,国境を越えると否とにかかわりなく,情報および思想を求め,受け,および伝える自由を含むことを認めている。しかし,表現の自由への権利は無制限ではなく,特別な義務と責任を伴う。つまり,従うべき制限があるのである。とはいえ,その制限は法律によって規定されねばならず,他者の権利若しくは名誉の保護,国の安全,公序,公衆衛生又は公衆道徳の保護のためのに必要とされるものでなくてはならない。表現の自由は他者の権利と自由の破壊を意図するものであってはならず,そこでいう他者の権利には,平等および非差別の権利が含まれるのである。
○意見と表現の自由は,他の権利および自由の行使の土台を支え保障するものであるというだけでなく,本条約の文脈において格別な重要性を持っている。人種主義的ヘイトスピーチから人びとを保護するということは,一方に表現の自由の権利を置き,他方に集団保護のための権利制限を置くといった単純な対立ではない。すなわち,本条約による保護を受ける権利を持つ個人および集団にも,表現の自由の権利と,その権利の行使において人種差別を受けない権利がある。ところが,人種差別的ヘイトスピーチは,犠牲者から自由なスピーチを奪いかねないのである。
○人種主義的ヘイトスピーチを禁止することと,表現の自由が進展することとの間にある関係は,相互補完的なものとみなされるべきであり,一方の優先がもう一方の現象になるようなゼロサムゲームとみなされるべきではない。平等および差別からの自由の権利と,表現の自由の権利は相互に支え合う人権として,法律,政策および実務に十分に反映されるべきである。
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考え方を深め,整理していくことは当然のことながら自由や多文化共生に関する議論にもつながってくるわけで。まだまだ全然理解できていないところが多いんだけど,勉強していきたいし,実践につなげていきたいな。
○異なる人種があり,それらの間に優劣があるという考え方が人種差別の根っこ。
○人種主義は植民地制度にあり,植民地主義が人種差別をもたらしたと考えられていた。その結果,自分の国に民族差別,人種差別はないということをアピールする国もあるが,今となってはあらゆる国にあり得るということが受け止められている。特定の政治体制によって発生するものではないと理解されている。
○人種差別撤廃条約は公的生活における差別を取り上げている。「公的生活」が狭義に取られることがあるが,公的機関でのことに限られない。ただし,条約の対象外である私的な領域があるという前提で作られている。
○ヘイトスピーチという話をするときに具体的な違反として,差別,扇動,劣勢に関する流布,段落10で挙げているようなほかの特定の集団に対して挙げるような価値を貶めるようなスピーチを挙げている。
○区別を正確にすることが重要だが,気分を害するような発言,人の尊厳,平等を傷つける発言はおおよその区別する線がある。前者はヘイトスピーチかもしれないし,ではないかもしれないが,後者は容易にヘイトスピーチになる。例として,ドイツの法律では,公に人種憎悪を扇動する,悪意を持って人を貶めることを禁止している。人の尊厳はドイツの憲法秩序においてもとても重要な位置を占める。
○発言の行われた特定の状況を重視して判断されるべき。発言が招く,社会的危険を検討してお行われる。発言そのものではなく,それがもたらすものが憎悪かどうかということ。
○(意見交換で日本は人種差別撤廃条約の4条を留保していることについて)留保の背景について,政治的な背景を考えたことがある。国が4条に対して留保を掲げるときに表現の自由を理由として出している。それに対して,委員会の一貫した見解は撤回を求めるということ。また,c項については留保していない。人種差別の扇動については多くの国で留保していないので,留保している理由が分からないのだが,今回,委員会が一般的勧告でしようとしたことは,表現の自由のプロファイルを全面に押し出し,留保を撤回しやすくしようとするもの。政治指導者については,この分野で助けにならないということがよくあるけど,民主主義的な国で選挙民を考慮しないといけない。
○(ヘイトスピーチに対する闘い方の実例として参考になるものがあれば教えてほしいという声に対して)うまくいった例としてコミュニティやNGOやメディアなどいろいろあるが。人種差別禁止法の制定がもっとも効果的なもの。ニュージーランド,オランダ,フィンランド,南アフリカ…など全部人種差別禁止法と結びつけて取り組んでいる。法制度,法的枠組みが大事。イギリスのようにいくつかの法律で対応するということもある。民事法や刑法やいろいろな法律で禁止している。必ずしも一本化が必要ではない。
○(日本の現状では,被害者の立場からすれば,個人の損害を立証しなければ訴えられない。ヘイトスピーチがあるというだけで訴えることができない。被害者をどういう範囲考えているのか)被害者の定義について,多くの国では民族,先住民族,カーストの集団として定義されている。人種の側面を扱っている法律が大事になってくる。個人に対する攻撃,襲撃,暴行と特定の集団を代表して個人に対して攻撃をするということは全く違うこと。
○特定の根拠によって襲撃されるということ,重要なのは攻撃している側にどういう根拠があるのかということがある。筋違い,勘違いで襲ってしまうということもあるということを考えないといけない。差別の場合,加害者がどういう意図で行動をとったかということが大事であり,現実の行動よりも大事。加害者が被害者を特定している。このような判断は慎重に立法をすればできること。
あとは,資料から印象に残ったところを抜粋。
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人種差別撤廃委員会 一般的勧告35 人種主義的ヘイトスピーチと闘う
○委員会が強調するのは,人種主義的ヘイトスピーチがその後の大規模人権侵害およびジェノサイドにつながってゆくということであり,紛争状況においても大きな役割を果たすということである。
○人種主義的ヘイトスピーチが取る形態は多様であり,明白に人種に言及するものだけに限られない。第1条に基づく差別の場合のように,特定の人種または種族的集団に対する攻撃のスピーチは,その対象や目的を隠ぺいするために間接的な表現を用いることもある。
○ヘイトスピーチ行為を認定し,それに対して闘うことは,あらゆる形態の人種差別の撤廃に専念する本条約の目的の達成にとって不可欠である。
○最低限やらなくてはならないのは,人種差別を禁止する,民放,行政法,刑法にまたがる包括立法の制定であり,これは,ヘイトスピーチに対して効果的に闘うために不可欠である。
○扇動とは,特徴として,他の人に唱導や威嚇を通して,犯罪の遂行を含む特定の形態の行為を行うよう影響を及ぼすことを目的としている。扇動は,言葉に依るほか,人種主義的シンボルの掲示や資料の配布などの行為を通して,明示的もくしは暗示的に行われうる。
○委員会は,学術的議論,政治的関与あるいは類似した活動において,憎悪,侮辱,暴力あるいは差別の扇動を伴わずに行われる思想および意見の表明は,たとえそのような思想が議論を呼ぶものであれ,表現の自由の権利の合法的行使としてみなされるべきであると考える。
○意見と表現の自由は,幅広い国際文書において,基本的権利として認められている。そのひとつに世界人権宣言があるが,これは,すべての人は意見および表現の自由に対する権利を有し,その権利は,干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により,また,国境を越えると否とにかかわりなく,情報および思想を求め,受け,および伝える自由を含むことを認めている。しかし,表現の自由への権利は無制限ではなく,特別な義務と責任を伴う。つまり,従うべき制限があるのである。とはいえ,その制限は法律によって規定されねばならず,他者の権利若しくは名誉の保護,国の安全,公序,公衆衛生又は公衆道徳の保護のためのに必要とされるものでなくてはならない。表現の自由は他者の権利と自由の破壊を意図するものであってはならず,そこでいう他者の権利には,平等および非差別の権利が含まれるのである。
○意見と表現の自由は,他の権利および自由の行使の土台を支え保障するものであるというだけでなく,本条約の文脈において格別な重要性を持っている。人種主義的ヘイトスピーチから人びとを保護するということは,一方に表現の自由の権利を置き,他方に集団保護のための権利制限を置くといった単純な対立ではない。すなわち,本条約による保護を受ける権利を持つ個人および集団にも,表現の自由の権利と,その権利の行使において人種差別を受けない権利がある。ところが,人種差別的ヘイトスピーチは,犠牲者から自由なスピーチを奪いかねないのである。
○人種主義的ヘイトスピーチを禁止することと,表現の自由が進展することとの間にある関係は,相互補完的なものとみなされるべきであり,一方の優先がもう一方の現象になるようなゼロサムゲームとみなされるべきではない。平等および差別からの自由の権利と,表現の自由の権利は相互に支え合う人権として,法律,政策および実務に十分に反映されるべきである。
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考え方を深め,整理していくことは当然のことながら自由や多文化共生に関する議論にもつながってくるわけで。まだまだ全然理解できていないところが多いんだけど,勉強していきたいし,実践につなげていきたいな。