pippiのおもちゃ箱

舞台大好き、落語大好き、映画大好き、小説大好き、猫大好き!なpippiのつれづれ日記です。

十二人の怒れる男 その2@シアターコクーン ベンチシートZ1

2020-09-24 21:03:12 | 観劇/コンサート

再び行ってまいりました。シアターコクーン。台風の影響があるかも、電車遅れるかも。。と、老婆心の塊となって早めに渋谷到着。

前回の教訓で、開場少し前に劇場扉前に行き、なんと一番乗り おかげで数少ないロビーソファで客席開場を座って待つことができました。(こういう人をおばちゃんと言う)

本日は待望の正面ベンチ。先日見られなかったところもばっちり見るぞ!

陪審員8号の堤さん、正面!なんと素敵なぶれない建築士。評議が開始される前から、「早く終わらせて帰ろうぜ!」などと適当な陪審員のざわめきの中で、窓(正面)をじっと見つめる姿が印象的でした。そして、今回もまた陪審員11号(三上市朗)に泣かされました。

「この国では、人と違う意見を言ってよいのだと思っていました。」

「それが民主主義の素晴らしさです」

陪審員11号は東欧からの移民で時計職人というプロフィールでしたが、さっさと終わらせてナイターに行きたいテキトー参加の陪審員7号(永山絢斗)が11号に「あなたは『有罪に対する合理的疑問』の意味がわかっていないのではないですか?」と言われて逆上した時、プライドを傷つけられ(移民は自分より下だと思っているからね。この人)「このドイツ野郎!」と叫んでいました。この作品は映画だと1957年なので、第二次世界大戦の終戦から12年ほどしか経っていません。だとすれば、この時計職人はナチス・ドイツの時代を生きてきたことになり、おそらくはホロコーストのような理不尽を加害者の国民として見てきたのかもしれないです。人としてやってはいけないと思いつつ、本当の気持ちを押し殺さねばならないつらい経験があったのかもしれません。

だからこそ、7号がさっさとこの評議を終わらせたいから「無罪でいいや」的な発言をしたときにものすごい怒りをもったのだと思います。

「人の命がかかっているのです。正しいことをしなけれないけない。」この時の11号は、それまでの控え目な態度ではなく、一歩も引かないというものすごい迫力でした。そうだ。「ならぬことは、ならぬのです。」

人は自分の物差しで様々な判断をする。でも、その物差しは、もしかしたら間違っているかもしれない。そういう振り返りをすることが大切なんだと、今回も強く強く思いました。スラムを嫌って狂ったかと思うほど罵声を吐き続ける10号(吉見一豊)に、「もういい。その汚い口をとじなさい!」ときっぱり言い放つ4号、石丸さんの毅然とした姿にも打たれました。4号はかなり終盤まで証拠の一つ一つに裏付けられた事実としての「有罪」を確信していましたが、放たれた疑問が有罪への「合理的な疑い」につながった途端に、さらりと自分の考え違いを認めるのです。感情に流されない知性を感じました。

最後まで犯人の少年と、思うように心が通じ合えない自分の息子の姿を重ね、「有罪」を主張する3号(山崎一)を見つめる11人の陪審員たち。それまでの姿勢をあらため、すっと背筋をまっすぐにしていた姿に胸がいっぱいになりました。

「あなたの子ではない。」

崩れ落ちる3号。この評議を通し、陪審員たちの人生も変わっていったんだろうなあと感じます。話し合うことの大切さ、そこから見えてくることの多さに驚かされる2時間15分でした。

 

 

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ゴーヤピザを焼いてみる

2020-09-22 17:19:09 | 手仕事

スーパーの棚も通常の品揃えになり、パンのために多めに買っておいた強力粉。ふとおもいたって、ピザをやいてみることにしました。一次発酵だけで大丈夫とのことなので、パンより早い。いきなり思いたったので、トッピングは冷蔵庫にあった玉ねぎとトマト、ウインナーソーセージに缶詰めマッシュルーム。ピーマンないなあと思いましたが、秋になってようやく大きくなったゴーヤがなっていたので、もぎってきて薄切りにしてのせました。

強力粉の袋に書いてあったとおりにつくってみましたが、ちょっと焼きすぎたかも。

でも、やっぱり焼きたてはとてもおいしかったです✨

また太っちゃうかも😅

 

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十二人の怒れる男@シアターコクーン1階A列下手

2020-09-20 20:44:01 | 観劇/コンサート

 

 

[作]レジナルド・ローズ 

[翻訳]徐賀世子 [演出]リンゼイ・ポズナー

[出演]ベンガル / 堀文明 / 山崎一 / 石丸幹二 / 少路勇介 / 梶原善 / 永山絢斗 / 堤真一 / 青山達三 / 吉見一豊 / 三上市朗 / 溝端淳平 / 阿岐之将一

あらすじ

蒸し暑い夏の午後、一人の少年が父親殺しの罪で裁判にかけられる。
無作為に選ばれた十二人の陪審員たちが、有罪か無罪かの重大な評決をしなければならず、しかも全員一致の評決でないと判決はくだらない。
法廷に提出された証拠や証言は被告である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。
予備投票が行われる。
有罪11票、無罪1票。
ただ一人無罪票を投じた陪審員8番が発言する。
「もし、我々が間違えていたら…」
陪審員室の空気は一変し、男たちの討論は次第に白熱したものになっていく…


7ヶ月ぶりの生舞台観劇。東京の新型コロナ感染者数は一向に落ち着く気配がなく、チケットどれだけ払い戻したか数える気にもなりませんが、この作品でこの俳優の顔ぶれでは命かけてでも行きたくなってしまうじゃありませんか

。。。と、いうわけで二枚重ねのSHARPのマスクに服に抗菌スプレーをかけまくり、抗菌手袋をしっかりつけ、渋谷へ。

渋谷に着くと、道行く人の誰もがマスクをしている以外は以前と全く変わらない様子。ただ、密を避けてか長年お世話になった東急本店までのシャトルバスはなくなっていました

この作品にはとても思い入れがあり、中井貴一さんが陪審員8号を演じた2009年の蜷川演出の舞台が今でもはっきりと甦ります。今回はしっかりと予習をして臨もうと、1957年のヘンリー・フォンダ主演の映画も3回観ました。偶然か、三谷幸喜氏のパロディ(オマージュ?)舞台「12人の優しい日本人」の舞台版と映画版もテレビで流れたので、9月はこの作品のことで頭がいっぱいヘンリー・フォンダの陪審員8号、ぶれない男っぷりに惚れました 三谷さんの「12人の優しい日本人」、オリジナルをみてからだと何倍も面白いです

さて、今回の「十二人の怒れる男」

今回も、舞台はコクーンの客席ど真ん中にステージが置かれ、客席が四方を取り巻く形。役者たちは2時間、演技でトイレに何度か行く他は正真正銘出ずっぱりです。

あらすじにあるように、DV父を殺したとされる少年をめぐる審理が執り行われるのですが、当初は12人のうち11人までが有罪とし、堤さん演じる陪審員8号だけが有罪の判決に「合理的な疑い」を持ち、話し合いを持つべきだと主張します。最初は様々な理由を持って「無駄だ」と突っぱねていた他の陪審員たちも、かなり激しいやり取りの中で、少しずつじわじわと「有罪」への疑問を深めていきます。老人である9号(青山達三)は、8号のたった一人で多数の意見に立ち向かう姿勢に感じ、また次第に老人特有の感情をもって、少年の犯罪を目撃したという階下の老人の嘘や思い違いを指摘します。スラムの奴らはろくでもない、みんな犯罪者だといった偏見を持つ男、気弱で人の意見に流される男、なんでもいいから早く終わればいいと思っている男、息子との確執を抱え、被告の少年を自分の境遇と重ねてしまう男。。人種差別や階級格差、こじれた家族関係。。様々な事情を抱える12人の男たちが、「偏見で真実を見る目を曇らせてはいけない」ということに気づいてゆく。この経過がものすごくスリリングなのです。最後まで頑なに「有罪」を主張していた3号(山崎一)が感情を暴発させる時、「そうではない」という確信をもって静かに見つめる11人の刺さるような視線。ものすごい緊張感でした

2時間、聞こえるのは水をつぐ音、手を洗う音とトイレを流す音(笑)のほかは、すべて役者の言葉言葉言葉言葉言葉。まったく眠気を誘わない緊張感ほんとにすごい!

今回の発見は、発言の目立つ3号や8号だけでなく、映画などではほとんど目立たなかった、東欧移民の11号(三上市朗 )の静かな佇まいに秘めた真っすぐな言葉でした。アメリカという自由な国における「民主主義の素晴らしさ」を痛感しているのは、そうではない状況を経験しているからなのでしょう。人の意見に流されてころころと判断を変える優柔不断な態度や、偏見を持って威圧的な態度で事を進めようとすることに対し「きちんと考えましょう。無罪に入れるなら、無罪だと確信してからにしてください。面倒くさいからではなく」という言葉に胸を突かれました。

偏見を持たず、まっすぐな曇りのない目で物事を見る。他からの威圧な態度や時間的な制約に流されない。人の意見にきちんと耳を傾け、自分に過ちがあると気づいた時には素直に認める。

様々なことを考えさせられる2時間でした。この舞台、客席に平行にテーブルが置かれ、短辺にひとりづつ、長辺に10人が向かいあって座っているので、背を向けて座っている役者さんは表情があまり見えません。なので、もう一度、向こう側から見てみたいという激しい欲求にかられます今回はいわゆる裏側席で、2号から6号の堀文明 / 山崎一 / 石丸幹二 / 少路勇介 / 梶原善 さんの表情はよ~く見えたのですけど、8号から11号の堤真一 / 青山達三 / 吉見一豊 / 三上市朗 / 溝端淳平さんは横顔か後ろ姿メイン7号永山絢斗さんと1号ベンガルさんが短辺に座っています。

ですので、来週もう一回、反対側からばっちり表情もらってきます

劇場のコロナ対策で言えば、入場時の体温計測やアルコール消毒はもとよりスタッフは全員がフェイスシールド着用。座席は前後左右空席になるようセットされ、2階は最前列のみの使用でした。退場もアナウンスがあるまで自席で待機。役者近くのベンチシートの一部は観客もフェイスシールド着用です。休憩なしなので、トイレは直前がおすすめですね。ロビーのソファも少ないうえにソーシャルディスタンス仕様でほとんど座れません。物販はプログラムのみで売店もクロークもありません。9月なので油断してましたが、結構寒いです。

都心に出るのは本当に久しぶりなので、こんなの食べちゃいました。考えてみれば外食も7か月ぶりの臆病な私なのでした

帰りの電車の中で、藤木孝さんと斎藤洋介さんの訃報を受けました。藤木さんは昨年K・テンペストの舞台で軽やかなお姿を拝見しました。斎藤洋介さんは蜷川演出のこの舞台「十二人の怒れる男」にご出演であの陪審員11号でした。何かの縁を感じます。お二人のご冥福をお祈りいたします。

 

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鳥/デュ・モーリア短編集

2020-09-05 15:32:41 | 私の本棚

先日、ふと聴いたラジオで、作家の小川洋子さんがこの作品の話をしていました。小川洋子さんは小鳥にまつわる作品も書いていますね。

なぜそこにひっかかったかというと、いつも買い物に行くスーパーの周りの電線に夜になるとヒッチコックの「鳥」を思わせるほどのムクドリの大群が押し寄せて、えらいことになっているからなのです。そりゃあもう、ものすごい大群が大合唱なんていうもんじゃなく、道路には真っ白になるほどのフンが。。。太い幹線道路が交差する、しかも駅前で人も多いのに。

どうも、近県で同じような問題があり、鷹を使って追い払ったらしく、ここへ流れてきたのではという噂

・・・で、デュ・モーリアの「鳥」ですが、小川先生の「ヒッチコック作品より怖い」という言葉が気になって早速読んでみました。

こ・・・こわい

半島の突端で、渡り鳥について思いをめぐらせていた傷痍軍人、ナット。ある夜、彼の寝室の窓をコツコツと叩く音がして。。。。風のうねり、ガタガタと揺れる屋根板。「理由のない不安」の中で開いた窓から、いきなり侵入。「何かが手をかすめ、関節を突き、皮膚を裂いた。続いてはばたく翼が見えた。。。」ここここわい家屋に浸入した鳥たちと格闘した後に残るおびただしい羽根や死骸の山も。。考えただけでも恐ろしい。。「麒麟がくる」で、斎藤道三を怒らせた土岐頼芸の鷹が皆殺しにされた場面を思い浮かべてしまいました あれもこわかった~

この出来事をきっかけのようにして、「鳥」が、彼らの生活を、そして町中を。もしかすると国中を恐怖に陥れていくのですが、とにかく何が原因でとか、最終的にどう解決したとかいう記述がなく、じわじわと様々な鳥たちが人間たちを追い詰め、攻撃し、殺戮してくのです。ラジオさえも聞こえなくなり、「どうもあちことで同じことがおきているらしい」と。。

いま本能に従い、機械のように着々と人類を滅ぼしつつある彼らの小さな脳のなか、あの鋭く突いてくるくちばし、射るような目の奥には、何百万年分の記憶が蓄積されているのだろうか?

ふと、この新型コロナ禍のことを思いました

この、いいしれない不安に追い詰められていく感じ どこかで。。そう、デュ・モーリアはあの「レベッカ」の原作者でもありました。舞台のどこにもでてこないレベッカの幻がじわじわと人々を追い詰めるあの感じ。こわいよ~

「鳥」は、56ページの短編で、他にも7作の短編が収められています。9月に入ったとはいえ まだまだ暑いし、じっくり読んでみたいと思います。

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