pippiのおもちゃ箱

舞台大好き、落語大好き、映画大好き、小説大好き、猫大好き!なpippiのつれづれ日記です。

心の傷

2022-06-02 22:20:28 | 私の本棚

今は漫画といえば猫マンガしか読まない私ですが、子供のころは少女漫画が大好きでした。りぼん、少女コミック、マーガレットに少女フレンド。。まだあるのかなあ。。

一年ほど前、何かの記事で漫画家の萩尾望都さんと竹宮恵子さんの確執について語られた「一度きりの大泉の話」という本が話題になり、興味がわきましたが、わけありっぽいこのタイトルで、なんとなく図書館で借りればいいかな。。と予約。その時の待機人数が3桁で驚いたものの、そのままキャンセルもせずに忘れていました。そんな5月末、「予約資料がご用意できました」という図書館からのメール。なんと一年待ったわけです。

で、「一度きりの大泉の話」。

まあ人というのは 信頼し、ひとかけらの敵意もたない相手から、いきなり鋭い牙を剥かれることがあるんですね。萩尾さんの場合も然り。思ってもいないことを勘ぐられ、疑われ、もう近づくなと言われ、何がなんだかわからない状況に心も体もズタズタになった過去。そして、耳を塞ぎ目を閉じ、そのことを封印して生きて来たのに、思わぬきっかけから周囲に仲直りしろ、和解の場を設けろとうるさく言われ、古傷に塩を塗られるような事態に陥ったそうです。

もうたくさん。悲鳴のようなものが行間から読み取れます。二度と思い出したくないその絶縁の理由を「一度だけ話すから、もうそっとしておいてよ」という言葉が聞こえてくるようです。

大人の嫉妬と焦燥はこわい。何十年たっても癒えない傷を作ってしまうんですねもうそっとしてあげてください。萩尾さんに心安らかな日々が訪れますように。

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「終わりよければ すべてよし」 ちくま文庫シェイクスピア全集33/松岡和子訳で予習

2021-05-16 18:12:19 | 私の本棚

緊急事態宣言の嵐の中、なんとか開幕の運びとなった さいたま芸術劇場「終わりよければ すべてよし」15日夜には吉田剛太郎さん、中嶋朋子さん、藤原竜也さん、河合祥一郎先生のそろい踏みでシェイクスピアを語る番組もあり、いよいよ!という期待がふくらみます。

ただ一度の観劇で、しっかり堪能しなくては!

…ってことで、松岡和子先生訳の戯曲を予習しました。

番組の中で使われた路上インタビューでも「使われてる言葉が多くて難しくて」という意見が多くありました。確かに溢れるほどの言葉言葉言葉。。特にヘレンの台詞は膨大で、石原さとみさん頑張れ!って感じです。でも、読み進むともう面白くて一気に読んでしまいました。

なんで自分を否定するような相手をそこまで追っかけるの?とか、何、この男ムカつく。。とか、ほんとにこの終わりですべてよしなの?と思うところは数あれど、中嶋朋子さんが言ってたようにひとつひとつの意味にこだわらないでジェットコースターに乗るように楽しんじゃえばいいんじゃないかな、と思いました

名優たちの言葉のシャワー、存分に浴びる日を指折り数えて待ってます

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くまちゃん/角田光代

2021-03-15 22:15:10 | 私の本棚

角田光代さんの源氏物語を読みたくて図書館に探しに行きました。

人気作品なので当然棚にはなく予約となったのですが、ふとこの本に呼ばれた感じがして手に取りました。

タイトルの「くまちゃん」は、お花見に紛れ込んで飲み食いしていた くまちゃん模様のTシャツを着た男の子との恋と別れ。収録された7つの短編は、オムニバスの形をとり、どれもほろ苦い ふられ話ばかり

でも、振られた側の辛い話ばかりではなく、振った側の真実や次なる恋、別れ、再びの出会いなども丁寧に描かれていて、久しぶりのイッキ読みしました。

あこがれまくっていた人と運良く恋人同士になっても、生活を共にするうちに、自分を失くしているような気持ちを持ってしまったり、価値観の違いに愕然としたり。

「恋」に焦がれ、浮かれているうちには見えなかったいろいろなことが目の前に迫ってくる。熱情だけではやっていけないことに少しずつ少しずつ、確実に気づいていく。そして、だんだん振り回されている自分を俯瞰できるようになって愕然とするおー 懐かしいやらうらやましいやら気の毒やら。

もっとたくさん恋愛してから結婚すりゃよかったと思ったり、これで上々だと思ったり、今となっては流れ行く日々を喧嘩しながら泳いでゆくだけの毎日ですが、時々こうして胸キュンな話にのめり込むのも楽しいものです

角田光代、おそるべし。次は源氏物語読破に挑戦したいです。超長編だから、やっぱり買っておこうかな。

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鳥/デュ・モーリア短編集

2020-09-05 15:32:41 | 私の本棚

先日、ふと聴いたラジオで、作家の小川洋子さんがこの作品の話をしていました。小川洋子さんは小鳥にまつわる作品も書いていますね。

なぜそこにひっかかったかというと、いつも買い物に行くスーパーの周りの電線に夜になるとヒッチコックの「鳥」を思わせるほどのムクドリの大群が押し寄せて、えらいことになっているからなのです。そりゃあもう、ものすごい大群が大合唱なんていうもんじゃなく、道路には真っ白になるほどのフンが。。。太い幹線道路が交差する、しかも駅前で人も多いのに。

どうも、近県で同じような問題があり、鷹を使って追い払ったらしく、ここへ流れてきたのではという噂

・・・で、デュ・モーリアの「鳥」ですが、小川先生の「ヒッチコック作品より怖い」という言葉が気になって早速読んでみました。

こ・・・こわい

半島の突端で、渡り鳥について思いをめぐらせていた傷痍軍人、ナット。ある夜、彼の寝室の窓をコツコツと叩く音がして。。。。風のうねり、ガタガタと揺れる屋根板。「理由のない不安」の中で開いた窓から、いきなり侵入。「何かが手をかすめ、関節を突き、皮膚を裂いた。続いてはばたく翼が見えた。。。」ここここわい家屋に浸入した鳥たちと格闘した後に残るおびただしい羽根や死骸の山も。。考えただけでも恐ろしい。。「麒麟がくる」で、斎藤道三を怒らせた土岐頼芸の鷹が皆殺しにされた場面を思い浮かべてしまいました あれもこわかった~

この出来事をきっかけのようにして、「鳥」が、彼らの生活を、そして町中を。もしかすると国中を恐怖に陥れていくのですが、とにかく何が原因でとか、最終的にどう解決したとかいう記述がなく、じわじわと様々な鳥たちが人間たちを追い詰め、攻撃し、殺戮してくのです。ラジオさえも聞こえなくなり、「どうもあちことで同じことがおきているらしい」と。。

いま本能に従い、機械のように着々と人類を滅ぼしつつある彼らの小さな脳のなか、あの鋭く突いてくるくちばし、射るような目の奥には、何百万年分の記憶が蓄積されているのだろうか?

ふと、この新型コロナ禍のことを思いました

この、いいしれない不安に追い詰められていく感じ どこかで。。そう、デュ・モーリアはあの「レベッカ」の原作者でもありました。舞台のどこにもでてこないレベッカの幻がじわじわと人々を追い詰めるあの感じ。こわいよ~

「鳥」は、56ページの短編で、他にも7作の短編が収められています。9月に入ったとはいえ まだまだ暑いし、じっくり読んでみたいと思います。

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「泥と雪」@十二人の手紙/井上ひさし著

2020-07-11 19:43:51 | 私の本棚

先日の松尾スズキさんの「アクリル演劇祭」のラストを飾った大竹しのぶ・中村勘九郎朗読「泥と雪」を読んでみたくなり、書店に走りました。

これは「十二人の手紙」という手紙・届出書・手記などの形式で綴られた井上ひさし氏の短編集に収められた作品のひとつでした。出生届・事故報告書・出産届・供述書・死亡届などだけでひとりの女性の人生を綴った作品もあり、すごい!と思わされました。

さて、「泥と雪」は、一組の夫婦の離婚をめぐる物語。かいつまんでいえば学生時代にはあふれるほどのラブレターをもらうような色白美人だった女性が、建築業界というどちらかといえば泥臭い世界の男性と結婚したものの、夫が愛人と子供を作ったことを契機に離婚を迫られるが意地を張って応じない。愛人と夫が一計を案じ、今は存在しない過去の同級生をかたって高価なブランド品やラブレターを送り続けて妻を恋に落とし、離婚の決意をさせるというお話。

これ、単純に考えればなに?そういうオチ?妻、だまされちゃってこれからどうすんの?

となるところですが、私はこの妻もまた離婚のきっかけを探していて、このバカな夫の計画に乗ってやったのではないかと思いました。夫からの愛もなく、ましてや愛人宅には自分が持てなかった子供までいる。そんなみじめな状況で追い出されるなんて死んでも嫌。プライドが許さない。夫や愛人が画策していることなど百も承知で、自分を幸せの高みに置いて離婚し、つまらない意地から縛られているこの状況から解放されたいと思ったんじゃないかと。そうでなければ40過ぎた女性が、同級生とはいえ学生時代の記憶もなく、大人になってから直接会ったこともないような男性に恋をして東北だの海外だのまで追いかけたりしないって。そう解釈すると、なぜこの朗読に大竹しのぶを持ってきたのか、すごく合点がいくのでした。すべてお見通しなのよ。という表情、見逃しませんでした

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彼の彼女と私の538日/川上麻衣子

2020-06-24 20:37:59 | 私の本棚

なにげなく「徹子の部屋」をみていたら、女優の川上麻衣子さんがご出演。この方をはじめてテレビでみたのは石黒賢さんと二谷友里恵さんが出ていたテニスのドラマ「青が散る」だったような。(トシがばればれ)

たしかスウェーデンで生まれたというぽっちゃりしたお嬢さんでしたが、もう50代なんですね。和服のよく似合う女性になっていました。

「猫がお好きなんですってね」という徹子さんのひとことにピキーンと反応してじっくり拝見していたら、

麻衣子さんは、40代の頃におつきあいしていた恋人の猫を預かり、別れてしまった後も、自分にはなかなか懐かないその猫、グリちゃんを他の2匹の猫とともにお世話を続け、最期を看取ったとのことでした。

「猫はわが道を生きて命を使い切り、飼い主にそっと別れを告げるように挨拶をして逝くんです。その潔さには学ぶべきものが多いです。」という言葉にうたれました もうお別れという時に、よろよろしながら飼い主のひざにのってあいさつをする子もいると。そういえば、腕の中で飼い猫や飼い犬を看取ったという話、私のまわりでもありました。。。。なんという律儀さ、けなげさ

麻衣子さんがグリちゃんを預かったのは、本当の飼い主だった恋人のご両親が海外旅行をする間のお世話というのが発端だったそうですが、グリちゃんは、麻衣子さんがジェラシーを感じるほど恋人さんが大好きで、麻衣子さんには敵意むき出しでシャーシャー言っていたそうです。でも、そんなグリちゃんとほどよい距離をとりながら、次第に心を寄せる過程がほんとに素敵。初めてグリちゃんが麻衣子さんのおひざに乗ってきてくれた喜びも。ほんとにこちらもうれしくなってしまいました。

やがて麻衣子さんと恋人さんに別れの日が来ても、グリちゃんはずっと麻衣子さんのそばにいました。おそらくはもう、恋人さんちの猫から、麻衣子さんの猫になっちゃってたんですね。人間の都合より猫の都合に合わせたことは正解なんだろな。そして突然のグリちゃんの不調。麻衣子さんは15歳というグリちゃんの年齢を考えてこのまま静かに逝かせてあげたい、恋人さんは手術をして、もっと生かしてやりたいと真向から違う意見をもちます。最期のとき、グリちゃんは麻衣子さんに「頼んだよ」というオーラを発したそうです。「頼んだよ」とは、「最期は恋人さんに会いたい」というグリちゃんの心の叫びだったんじゃないかと麻衣子さんは書いています。そして、グリちゃんは駆けつけた恋人さんに撫でてもらいながら旅立ったそうです。グリちゃんの心も、麻衣子さんの気持ちも、本当に切ない。

この作品は、お預かりしたグリちゃんをお骨で返さなければならなかったお詫びとして、本来の飼い主であった恋人さんのお母様に送った日誌がもとになっているそうです。麻衣子さんの律儀な姿勢もまた頭がさがります。

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ことり/小川洋子

2019-06-03 22:05:45 | 私の本棚

親や他人とは会話ができないけれど、小鳥のさえずりはよく理解する兄、
そして彼の言葉をただ一人世の中でわかるのは弟だけ。
世の片隅で、小鳥たちの声だけに耳を澄ます兄弟のつつしみ深い一生が、やさしくせつない会心作。

先日文化村地下のブックショップナディッフモダンに立ち寄った際、ことりのオブジェの傍にこの本が置いてあり、思わず手に取りました。この時購入したのはこの本と、串田孫一氏の「文房具56話」このお店大好き。細長い空間に素敵な本や雑貨が配置され、いつまでもながめてしまいます。

と、話はそれましたが、これは「取り繕えない人たちの話」と解説にあるように、世の中の流れとはまったく違う生き方をした「小鳥の小父さん」の、なんとも不思議なお話でした。

小父さんは、ごく一般的な家庭に生まれたものの、両親の相次ぐ死によって両親の生前から既に人の言葉を失っていた兄を支えて生きるようになります。その兄も失い、たったひとりになった時、小父さんに寄り添ったのは傷ついた一羽の小さなメジロでした。

この小さな友人と小父さんの距離感が素晴らしいんです。小父さんは、この小さなメジロの存在をただの「小鳥」として見ていないし、小鳥もまた小父さんを「人間」として感じていないように思いました。ふたりの関係はまるで親友のようです。小父さんとメジロが互いに鳴き声を磨きあう場面は、本当にとても美しく、とても静かで親密さに満ち溢れていました。相手に何かを求めることなく、ただ傍にいるだけで心地よく、どこまでも安心できる。それでいて決してべたべたとしていない。

私も、小鳥の声に耳を傾けてみたくなりました。

そういえば、この方↓は毎朝、小鳥たちとおしゃべりしてます 何を話しているんだろう

 

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坂の途中の家/角田光代

2019-05-05 20:11:25 | 私の本棚

~あの殺人犯は 私かもしれない~

というコピーと、赤ちゃんを抱っこした柴崎コウさんの瞳にひきこまれ、WOWWOWの連続ドラマW「坂の途中の家」第1回を観ました。

裁判員の通知を受け取り、補充裁判員となった子育て中の専業主婦の里沙子が、わが子を虐待死させた女性の裁判に参加する中で、この女性の人生と自分の現在を重ね合わせていくというあらすじ。

いや、引き込まれました。まじめに、一生懸命に家事も子育てもする専業主婦。家の中は綺麗に整頓され、子どもには優しく接する母でもある里沙子。でも、わずがな期間でも裁判員として日中の時間を裁判所に通わなければならなくなり、普段とは全く違う様々をこなさなければならない中で、次第にいろいろなことに気づいていく様がリアルでした。

心配なんだろうけど「自分の能力を超えたことなんか断ればいいじゃん」と軽く言い、ストレスからビールの量を増やせば「アル中じゃないの?」と真顔で言い放つ夫。

子どもを預かってくれるのはありがたいけど、子育てにいちいち口を出す姑。その姑と結託してるらしい夫。

大変なとこは全部里沙子が引き受けているのにえらそうな夫。子どもの成長を比較され、自分の子が遅れているんじゃないかと焦る自分。

いろんなことが同じように被告の女性を追いつめたんじゃないかと考えます。

特に、ぐずって何をしても言うことをきかないわが子をちょっと懲らしめようとした現場を、偶然通りかかった夫に見咎められ、「信じられない!いつもそんなことやってるの!?虐待じゃないか!」と罵倒される場面はつらかったです。「いつもじゃないの。ちょっと懲らしめようとしただけ。見えるとこにちょっと隠れておどかそうとしただけ」と言えば「パチンコ屋で子どもを連れ去られた親も、きっと同じように思ったんだろうな」と。そしてそれを実家にばらす夫。サイテー そんなことがあったことを責められるのではなく、かえって心配するようなことをあっちの実家から言われるなんて、逃げ場ないじゃないですか。

・・・・・そんな第1話を見てしまったので、もうこの先どうなるのか気になって気になって翌朝本屋に走り、またもや一気読み 今回は504ページ。結構なボリュームでした。

でももうもう、本当にリアルです。優しく、妻と娘のために頑張って働いてくれる夫は、実は自分でも意識しているかどうかわからないながら、自分と妻にしかわからない方法でおだやかに、じわじわと妻を馬鹿にし、おとしめ、能無し呼ばわりし、「お前は馬鹿なんだから、俺がいなくちゃ生きていけないんだから、俺の母親みたいに立派な子育てなんかできっこないんだから。。言うこときいてりゃいいんだから」的な言葉で追い詰めるんんです。

私、これって自分が能力ない男の常套手段だと思っちゃうんですよ。素直に専業主婦やっちゃってる妻をおとしめることで優越感に浸る馬鹿夫。しかも自分でそのことに気づいてないからなおたち悪いです。もう、ぶっとばしてやりたい

子どもを殺してしまった被告女性も、一見派手好きでネグレクトっぽいという証言があったり、実は実家ともうまくいっていなくて孤立していたとか、夫がこともあろうに元カノに子育て下手な妻について相談してたとか、姑がしょっちゅう来ては子育てについてガミガミ言ってたとか、子育てに悩む母にしか実感を持てないような悩みを抱えていたということが証言の中から浮かび上がってきます。そうなるともう、彼女としては感情移入しまくりになるわけですね。

初めての子育てって、本当にわからないことだらけで、不安で不安でしかたないものなんですよ。私も忘れもしない長女の一ヶ月検診の夜に一晩中夜泣きれて。自分も泣きたくなりましたから。何したって泣き止んでくれないんだから。考えてみれば長女にしたって、生まれた病院を退院後、初めて一ヶ月検診で外出したんだから、新生児ながら興奮したに違いないのに。まったくよく泣く子だったな

でも、夫もうるさいとは言わなかったし、ご近所の方から「赤ちゃんの声がうるさいなんて、誰も思わないわよ」と言ってもらえたことで本当に安心できたのを、今でも感謝しています。「今は本当に大変で泣きたい時もあるだろうし、人に迷惑かけるかもしれないけど、それはほんの一時のことだからね。」という言葉もありがたくて涙が出ました。

我が家はがっつり共働きにつき、仕事中は保育園にお任せすることができたのもラッキーでした。朝夕は戦争だったけれど。それでも仕事続けて良かったと思います。子どもたちもなんとかちゃんと成長したし。

この作品の主人公も被告女性も、きっとすごくまじめに向き合おうとするタイプだったんだと思います。あ、だから子殺しを許すわけにはいかないけれど。大変さをわかる。自分のこととして小さな失敗を責めない。大丈夫、自信もっていいよ、と誰かが背中を押してくれたら、そんなことにはならなかったのでしょうね、きっと。

ドラマの方は、小説よりもちょっと盛って、他の裁判員さんや裁判官さんのエピソードも加わっているようです。

里沙子役の柴崎コウさんも好演ですが、被告役の水野美紀さんのすっぴん、呆然自失の中にも、証人席に投げる視線の鋭さが胸を突きます。小説は読了しましたが、このドラマは最後までガン見します

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長いお別れ/中島京子

2019-04-22 22:40:39 | 私の本棚

最近、BSで昔の名作ドラマが流れていて しばらく向田邦子さんのお正月ドラマが続いていましたが、今は山田太一氏の「早春スケッチブック」です。まだ50代くらいの山崎努さんと岩下志麻さん、若い若い鶴見辰吾さんや河原崎長一郎さん、中学生くらいの二階堂千寿ちゃんなどがご出演の、心を揺さぶられるドラマです。

このドラマの山崎努さんがものすごく印象的なせいなのか、先日久しぶりに本屋さんの棚から本に呼ばれた(時々あるんです。)感じがして振り向くと、「長いお別れ」というタイトルとともに、「早春~」よりもずっとおじいちゃんになった山崎さんが微笑む家族の間でちょっとしかめっつらで佇んでいました。そして、2019年5月映画公開!の文字も。

ああ、映画の原作本かあ。。と、一度は通り過ぎましたが、タイトルに惹かれて購入。お正月にクロスワードパズルの懸賞で当たった図書カードあったし。

著者を確かめないで本を買うことはあまりないのですが、これはあの「小さいおうち」を書いた中島京子さんの本だと気づいたのは帰宅してからでした

内容は、退職校長で図書館長なども歴任した老人にじわじわと認知症の兆候が出始め、家族を巻き込んでやがて。。。という、今となってはどこの家庭にも起こりうる物語です。

仕事にかまけて婚期を逃している娘、海外に住んでいる娘、自分の老いや不調よりも夫の介護に必死になる妻、みんないっぱいいっぱいでも、やっぱりお父さんのために頑張らなければと、様々な工夫を重ねる様が温かいです。

目的地にたどりつけなくなったり、入れ歯を何度もなくしたり、少しずつ、少しずつ遠くなっていく記憶、語彙を失い、言葉が構成できなくなり、意味不明の言葉を紡ぐ老人。

でも、口から出る言葉は意味不明でも、きっと何かちゃんと、言葉にならなくても何かを言おうとしているんですよね。

私の義母も重度の認知症ですが、昔は華道のお師匠さんでしたので、お花を持って行くと目を輝かせて花瓶に生けようとします。そして、何を言っているかはわからないけど、いろんなお話を昔のようにちょっとオーバーアクション気味に私に話してくれます。春には伊豆スカイラインの緑が幾重にも重なってそれはそれは綺麗なこと、晴れた日には初島や大島までが光った海の向こうにくっきりと見えること。きっと何度も私に話してくれた美しい風景や、亡くなった義父と出かけたたくさんの旅の話をしているんだろうなあ。。などと思い、相槌を打ちながら、ほかの人にはきっと???な会話を楽しみます。

この作品にも、恋が実らず落ち込む娘に「そう、くりまるなよ。」と慰める父がいます。「でも、くりまるよ」と思わず返す娘。そんな言葉はないとわかっていても、会話として成り立っちゃうんですよね。すごくわかる。

そんなリアルな表現も、作者の中島さんの実体験から来ていると知って、なるほど~と頷くことがいっぱいでした。骨折して入院した父の退院後をどうするかで悩む娘たちにも本当に共感します。そして久々の一気読み

映画も観にいこうかな。

映画バージョンのカバーを外したら、オリジナルの「おじいちゃんが椅子に座っている」イラストが出てきましたまなざしが老人の心の孤独を物語る、井筒啓之さんの素敵な絵です。

 

 

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黒書院の六兵衛/浅田次郎

2018-09-07 20:50:03 | 私の本棚

二百六十年の政にまもられてきた世がなしくずしに変わる時。開城前夜の江戸城に官軍の先遣隊長として送り込まれた尾張徳川家の徒組頭が見たのは、宿直部屋に居座る御書院番士だった。司令塔の西郷隆盛は、腕ずく力ずくで引きずり出してはならぬという。外は上野の彰義隊と官軍、欧米列強の軍勢が睨み合い、一触即発の危機。悶着など起こそうものなら、江戸は戦になる。この謎の旗本、いったい何者なのか―。


wowwowのドラマ「黒書院の六兵衛」に吉川晃司さんが出ているのをなんとな~く見始め、そのあまりのかっこよさにすっかりはまってしまい、オンデマンドで一話から見直してしまいました。

徳川の時代が終わり、人々の価値観が180度変わってしまった激動の時代に、武士の矜持をきっちりと保ち、黙して語らず、自らの役割を果たして潔く去る謎の武士。。。。

いないよ、こんな人!。。な、的矢六兵衛。惚れました!

と、いうわけで図書館に走って借りてきました上下巻。かなりボリュームもあり、活字も小さく、そろそろ怪しくなった気力も視力も全開で、久々の一気読み

いや~面白かったです!御家人株や旗本株が高値で売買されてたとか、最後の将軍徳川慶喜が大政奉還したあとに徳川宗家を継がされたのがわずか6歳の徳川家達だったとか、勝海舟が金上侍だったとか、いろいろと知らなかったことも山ほど。いや、面白かった!

黙して語らず、ただ座して動かない六兵衛が、周囲を振り回し、人々の心を動かしながらじりじりと江戸城の中心部分まで進んで行くのも興味深かったです。ある意味すごろくのよう。

そして、「あがり」に到達し、ある意味ラスボス()に出会ったあとの潔さに泣けました

wowwowのドラマもほぼ原作に忠実で、先にドラマを見ていたせいもあってか、六兵衛のイメージが吉川さんにぴったりだなあとあらためて思ったのでした。新しい時代と対峙し、全てを受け入れて去る場面の美しさは、今までのどの大河ドラマにも勝っていると感じました。この先、吉川さんを大河の主役にさせなくてどうする!とまで思った私です。信長やったけどちょっとだったしな。もったいない。

結局六兵衛の正体は誰だったのか、どこから来てどこへ行くのか、ドラマでも小説でも明かされることはありませんでしたが、そんなことはどうでも良くなってしまう浅田マジックにまんまとはまってしまった私でした。

久々に「読んだ!」という満足感。読書の秋だもんね

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おもかげ/浅田次郎

2018-02-24 16:23:36 | 私の本棚

商社マンとして定年を迎えた竹脇正一は、送別会の帰りに地下鉄の車内で倒れ、集中治療室に運びこまれた。
今や社長となった同期の嘆き、妻や娘婿の心配、幼なじみらの思いをよそに、竹脇の意識は戻らない。
一方で、竹脇本人はベッドに横たわる自分の体を横目に、奇妙な体験を重ねていた。
やがて、自らの過去を彷徨う竹脇の目に映ったものは――。


書評を読んで、久しぶりに浅田次郎ワールドに浸ってみたくなりました。ラジオの朗読、浅田次郎ライブラリーがなつかしい

私の高校時代の恩師も、竹脇氏と同じように定年直後に亡くなりました。結婚式に招待した時には、「どうしても外せない会議があるので、本当に申し訳ない」と、丁寧なお電話をいただきました。思えば先生の声を聞いたのは、あの日が最後でした。

そんな思いもあり、引き込まれながら読みました。

親の顔も本当の自分の名前も知らない悲惨な生い立ちながら、努力して勉強し、一流の商社マンとなって退職の日を迎えたサラリーマンである竹脇氏。

「大学を出てサラリーマンになって結婚をして家を建てて子供を育てたい」その夢が叶ったら、いつ死んでもいい。

この言葉が、何故だか印象に残りました。「普通」であるということのなんと大変なことか。そして、「普通」であることが前提の生活の、なんと贅沢なことか。

集中治療室に臥しながら、竹脇氏の魂は様々に旅します。レストランや、入り江、川の流れる町・・そこで出会う様々な年代の女性。

その女性が誰であるのかは、最後にあきらかになるわけですが、そうか、そうだったの・・・と胸がいっぱいになりました。

長い人生のうちに起こる様々な出来事。うれしかったこともつらかったことも、みんな見ていた存在。人は最後にはその懐へ戻っていくのか。

最後に待ち受けるのは許しなのでしょうか。竹脇氏が最後にどうなったのかは、読者の解釈に委ねられていますが、私は還って来られた方に一票。

この本の表紙と裏表紙が一枚の象徴的な絵になっていることには、読み終わってから気づきました。素晴らしい「メトロに乗って」という作品もそうでしたが、浅田次郎氏は地下鉄に思い入れがあるんですね、きっと。

人は最期にそれまでの出来事を走馬灯のように思い出すという話もありますが、どうなんでしょうね。先日、高校時代からの友人LINEで、次の日が試験なのに何もやってなくて大泣きした夢をいまだに見る話で盛り上がったばかりですが、いい事も悪い事も出てくるんでしょうね、きっと。

 

私の父は、家族みんなに名前を呼ばれながら逝きました。父は高齢すぎて戻って来られなかったけれど、みんなの声は聞こえていたのかな。と、ふとその日を思い出しました。

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おらおらでひとりいぐも/若竹千佐子

2018-01-28 14:09:03 | 私の本棚

最近は手軽な短編ばかり読んでいましたが、ひさびさにはまった一冊を一気読みしました。

寒くて体が縮こまっているせいか、自転車で滑るのが怖くて徒歩が多くなったせいか、肩こりMAXになり、マッサージに行きました。そこで流れていたのが何かを受賞した作家さんのインタビュー。おっとりとしたいかにも主婦っぽい話し方なれど、「人は家族がいても、わいわいと賑やかにしていても、それは紛らわされているだけで本当は孤独なもの。自分の中にいる何人もの自分を見つけ、対話して友達になることが必要」といった内容が妙に心にひっかかり、radikoで番組情報を調べてそれが「おらおらでひとりいぐも」で芥川賞を受けた岩手出身の若竹千佐子さんとわかりました。

先日も天声人語にとりあげられていたものの、書き写した時には「永訣の朝」を連想した程度だったのですが、やはり作者の肉声って強いですね。もうそうなったらスイッチ入っちゃって、すぐに書店に走りました。

アマゾンでは出荷待ちになっていたその本は、あっさりレジ横に「銀河鉄道の父」とともに積んでありました。

いきなりの東北弁。夫には先立たれ、子どもも独立し、74歳、ひとり暮らしの桃子さんが、自分の中のたくさんの自分と対話し、自分の人生というものを振り返りつつ孤独を前向きにとらえていく、わかりやすいかといえばそうでもない、かなり観念的と感じられる部分が多い作品ではありますが、私にはものすごいツボな部分がたくさんありました。

過去の若竹さんのインタビューなどを見ると、作家自身、27歳で結婚して50代半ばで夫と死別しています。27年間は娘の時代、次の27年間は妻としての時代、そしてあとの27年間はひとりの時代と、くくっています。娘の時代は親の支配の下、妻の時代は夫の副班長(この表現ウケた)あるいは応援団。今は全てから解放された自分自身の時代だと。作品の中でも最愛の夫は心筋梗塞であっという間に逝ってしまいますが、誤解を招きかねない表現であるけれど、夫は私に自由な生き方をさせるために解放してくれたのではないかとさえ感じることがある。という話が妙に胸に落ちました。

それでも、作品中の桃子さんは孤独に押しつぶされそうになると病院へ行き、誰彼かまわず話しかける。それもわかる。そういうおばあさんはいつも待合室で見かけます。「かわいいお子さんですね、いくつ?」とかね。

現実部分と心の中のたくさんの自分との対話で構成されていますが、現実の(自分との対話だって現実ですけれど)部分では娘の「老い」にぎくりとしたり、息子を騙るオレオレ詐欺に遭ってお金をとられたり、また娘に借金を頼まれて断った際に「どうせお母さんはお兄ちゃんのほうがかわいい」と捨て台詞を吐かれたり、かなりリアルで、特に娘が桃子さんに「買い物して行ってあげようか?どうせもう〇〇ないでしょ?」といったさりげない会話に、おお!うちとおんなじと、まるで私と母のことか?!(借金は頼まないけど)と思える部分が多くてこわいほどでした。いつも元気印なのに、ちょっとどこかが痛くなると不安でいっぱいになるのもおんなじ。

自分の中のたくさんの自分と対話する。桃子さんの場合は出身地の岩手県、遠野の言葉で。

作家の夫は脳梗塞が直接の死因となっているけれど、それが原因の自動車事故で亡くなったそうです。50代半ばで、2人の子どもを抱えた専業主婦。どんなにか大きな不安に押しつぶされそうになったことか想像もつきませんが、きちんと自分の心と向き合い、どう生きるべきかを整理し、こうして「老い」の前向きな強さを表現できるのはものすごいことだと思いました。そして、それを語りながらも「なんだかえらそうなこといっちゃいますけど」「なんていったらいいかうまく言えなくてごめんなさい」と笑ったり、柔らかさや謙虚さを忘れていないお人柄にもすっかり魅了されました。

ひとり暮らしを続けている私の母は、「今が一番幸せだと思う。年取って、自分がこんなに幸せな気持ちで暮らせるのは本当にありがたいこと。」と、最近よく言います。日中はデイサービスにでかけたり、ご近所が寄ってくれたり、私も家族もできる限りの手助けや見守りをしているつもりだけれど、ひとりの夜はやっぱり寂しいだろうなと申し訳ない気持ちでいる私にとっては救いの言葉ではあります。桃子さんのように誰に気を使うこともなく自由を楽しんでいるのだと思いたいです。

自分を励ますのは自分。工藤直子さんの「のはらうた」にある詩を思い出しました。


おまじない         
             みみずみつお


こわいとき となえる
おまじないがある
じぶんにむかって
こういうんだ

「おい、ぼくよ
ぼくがいるから
だいじょうぶ
ぼくがいるから
だいじょうぶ」

すると
ぼくがふたりいるみたいで
げんきになる

 

 

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猫と五つ目の季節/山田稔明

2016-06-27 22:29:09 | 私の本棚

とても失礼ながら、ミュージシャンとしての山田稔明さんは知りませんでした。ただ、書店でこの本の表紙を見たとたん、ぐっと引き寄せられるものが在り思わず手に取りました。

猫ブームのせいか、猫にまつわる小説やエッセイは山のようにでていますが、ただ泣かせるのを目的にしているようなものもあれば、この作者は本当に猫を飼った経験があるのかしら?と疑問に思う作品もありました。そういうのは読んでいて腹立たしくなります。

今まで一番おすすめだった猫テーマの作品は角田光代さんの「今日も一日きみをみてた」でしたが、この「猫と五つ目の季節」は勝るとも劣らない本だと思いました。

猫と暮らす人生と猫と暮らさない人生。

猫と暮らす人生を選んでいる者として、山田さんの優しい視線には、頷くことばかりでした。

猫エイズキャリアという重い十字架を背負った三毛猫のポチちゃん(♀)が十三年もの間、幸せに生き抜くことができたのも、作者の深い愛によるものなのに違いありません。絶対的な愛と信頼。あるがままを受け入れる心。そして別れまでのあれこれ。

老猫とともに、やがて来てしまう「その日」が、できるだけ遠くになるように必死で戦う姿。リアルにかかる金銭的負担、折れそうな心、    

 

そしてその日を迎えた深い喪失感。

 

もう、一気読みしながらも「この話終わらないで欲しい」と何度思ったことでしょう。猫が獣医さんに行くことのストレスを考えて自宅で点滴するエピソード、火葬場で愛猫の骨をひとつひとつ拾い、「骨までが可愛い」と、思える愛。淡々とした文章の行間に愛おしさがぎっしりと詰まっていました。

私の猫が我が家にやってきたときから、かわいくてかわいくて、まだ生まれて2~3か月だというのにこの子が死んでしまったら世界は灰色になってしまうと思いこんだものです。来月には11歳の誕生日を迎えようとしている今でさえ、その気持ちは変わりません。ずっと一緒にいてね、ちゃめ

 

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妊娠カレンダー/小川洋子

2016-06-12 20:34:35 | 私の本棚

久しぶりに本棚の整理。ず~っと前に買ったまま長いこと積読状態だった小川洋子さんの「妊娠カレンダー」を一気読みしました。

この本は芥川賞受賞の表題作と、「ドミトリイ」「夕暮れの給食室と雨のプール」の三作を収録。

「妊娠カレンダー」は、超神経質な姉の妊娠から出産までを、妹の目線で追っていますが、このお姉ちゃまの神経質っぷりと、胎児への全然主観的じゃない感がなんだか不気味なほど。

ただ、つわりの時に変なものがやたら食べたくなったり出産日が近づくにつれ「痛いのかなあ。。」という恐怖が大きくなっていったのは同じかな。

姉の出産に寄り添う妹が、染色体異常を引き出すかもしれない果物のジャムを作っては姉に食べさせるという表現もちょっとシュールすぎで、この作品の良さがあまりわかりませんでした。

「ドミトリイ」というのは学生寮のこと。かつて自分のいた学生寮にいとこを紹介した女性が遭遇する、入居者失踪の謎。

管理人室の天井のしみが次第に大きくなり、ぽたりぽたりと粘りのある液体が。。。というのも怖い。。。入寮した従弟に一度も会えないというのも、異形の管理人さんも怖い。。。

妊娠カレンダーもこのドミトリイも、結末がはっきりと書かれていないところも想像が膨らんで背筋が寒くなりました。

一番良かったのは「夕暮れの給食室と雨のプール」。

どうも宗教の勧誘くさい身なりの良い父子と、結婚を間近に控える女性の話です。我が家にもそれっぽい勧誘の方がよくインターフォンを押しますが、たいがい「ご奉仕にまいりました」と仰います。お断わりしますけど。この作品では、「あなたは難儀に苦しんでいらっしゃいませんか?」と問いかけられます。気づけばこの父子は聖書もパンフレットも持っていません。最後まで宗教の勧誘ということは語られませんが、後日、女性はこの父子が学校の給食室を眺めている場面に出会い、思わず声をかけます。何故給食室をみているのか。。その問いに答える中で、父らしき男性は、自分が小学校の時に持ったプールと給食に関するトラウマについて語りだします。今は衛生管理が厳しくなっていますが、道路工事に使うようなシャベルでシチューをかき回しているとか、ゴム長靴を履いてポテトを潰してサラダを作っているといったショッキングな場面をみてしまったとか。。。トラウマになりますよね、そりゃあ。。。プールについても、泳げなかった彼の水への恐怖のはかり知れない大きさがずっと心の澱として残っていると。

「つまり、僕自身の問題なんです。誰でも一度は、集団の中に自分をうまく溶け込ませるための、ある種の通過儀礼を経験すると思うけど、僕はたまたまそれに手間どってしまった。(中略)そして、夕暮れの給食室を見ると必ず、あの頃の胸の痛みを思い出すのです。」

という言葉がずんと響きました。私にも、あったかもしれない。そういうこと。この父は、「ふとしたきっかけで乗り越えた」と発言していますが、結局親となった今でも、その「難儀」をず~っとひきずって生きているのだと思いました。

この後、父子は担当地区がかわることになり、女性と再び会うことはなかったようです。

自分自身の問題。乗り越えてないこと、まだまだあります。このトシになってもなお。

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ないた赤鬼~青鬼の消息は。。。

2015-11-19 23:21:08 | 私の本棚

昨夜、BSで「私の青鬼」という山形発のドラマが放映されました。

私は番宣をチラ見しただけで誤解して、浜田廣介氏の「泣いた赤鬼」続編が放映されるのかと早合点して友人にLINEしまくってしまいましたが、実際は「青鬼のその後」の物語の出版をめぐる女性編集者の再生物語といった趣でした。

まあ、それはそれでいいんですけれども、女子生徒のいじめの構造やトラウマなど、ちょっと「表参道高校合唱部」のエピソードとかぶるなあ。。。などと、やや拍子抜けでした。

それにしても、青鬼の消息って、やはりみんな気になってるんですね。節分の時期になると思いだすコアな鬼の物語ながら、自分を悪者にしてまで親友の望みを叶え、その望みを永遠にするために自分は姿を隠す。そんな青鬼くんの消息。

どこでどのような人生を送ったのか、幸せだったのか、知りたい。

山のような要望がありながら浜田廣介氏が続編を書かなかったのは、「あとは読者の想像力に委ねる」ということだったようですから、作家の思惑は見事に当たったというところなのでしょう。

青鬼がその後どういう道をたどったのか。。。

私は、なんとなく、この「鬼」たちは異国の人だったんじゃないかなあと思ったりします。日本に着いて、日本の風土が好きになり、村人たちとも仲良くなりたい。でも風貌も体格も文化も、もしかしたら言葉も違ったかもしれないよそ者をなかなか受け入れられないのはちょっとわかるかな。

青鬼くんが外国の人だったとしたら、村人たちと馴染んだ赤鬼くんの幸せを祈りつつ、またこの日本で根付いていくことを祈りつつ、帰国して母国で家族を作り、自分の人生を歩んだと思いたいです。

ドラマでは、「青鬼その後」を絵本にして出版するというところで終わって、一般公募で入選した作品の内容は語られませんでした。挿絵が青鬼・赤鬼そのものから、「赤鬼・青鬼、それぞれの鬼のお面をつけた人間」に差し替えられたところがこのドラマの核心にもなっていますが、私のとは違うなあ。

読者ひとりひとりのイメージの世界を大事に。。と、いうことなのかなあと思い、それはそれで成功しているんだなと感じました。

 

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