Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

負け組の時代2022年

2022-03-20 | 
承前)NHK国際局がアレクシェービッチにインタヴューをしている。今回のロシア侵攻に関して訊いている。3月20日には再演二日目「ボリス」公演前にシュトッツガルトの劇場で座談会に参加する。

彼女の「セカンドハンドの時代」からの六つのエピソードの話しはどれもこれも壮絶な内容で、語り継がれ死によって断絶するものばかりである。だからここでも当然の事乍ら「アウシュヴィッツ後に詩を書くことは野蛮」が成立する。よって余計にその音楽でしか表現がなされない音楽的な解決方法が重要となる。

家族を生き埋めにされたユダヤ人パルチザンや全てを失いオデッサの街での路上生活の親子、オセチアから追われ死へと向かう女性、難民として逃れたモスクワでの奴隷のような仕事、解放されるや否や裏切り者の嫁となる女性、14歳で自殺した息子の母親、最後の母親はロシアから出ていたのだが2020年2月作者も連絡が取れなくなると語っていた。その話しがボリスゴドノフの死の後に歌われる。

「ディゾルダーテン」を参考にしているという作曲家はこれは一つのカタリシスとしている。そして、この3月5日に再演された。勿論侵攻は誰も予想はしていなかった、しかし当然予感はあったのだった。

既に言及したように、トラウマを破局を踏まえてそれを社会心理とする一方、確率論的に科学的な未来予想も可能となる。同ノーベル文学賞作家はチェルノブイリ禍をもドキュメンタリ―材料としている様であるが、まさしく今回のプーティンによる核による恫喝は、次に核爆弾が投下されるのはウクライナか日本でしかないことを思わせる。当然心理的な落としやすいというのもあるのだが、その通りにフクシマ禍へと三度目の被曝となっているのはそのトラウマのなせる歴史以外の何ものでもない。

そのような観点からすると後半部冒頭に於ける不幸な娘とボリスゴドノフの情景も全く異なった調べが流れる。今回の再演初日にはそのような視点よりも明らかにネヴスキー作の「セコハンの時代」の音楽の精妙さと明晰さに瞠目されたが、作家本人を迎えての二回目公演では、また今のウクライナでの戦況や内外でのロシアの状況を見るにつけまた異なった印象を与えるかもしれない。音楽劇場公演はそうした環境と聴衆の心理状態からのフィードバックで為される活きものであるからだ。

それは、こうして生中継のオンデマンドを観て、下調べをして、実際に体験してみて、またこうして細かく調べていくと明らかにこちらの意識が変わっていく。このプロジェクトがモスクワで上演されるようなことがあればその時は社会が変わっているともいえる。社会がそこに反映されることになる。
#OpertrotzCorona: BORIS | Staatsoper Stuttgart

#OpertrotzCorona: BORIS (English subtitles) | Staatsoper Stuttgart ー 英語字幕版


再演時にはどこの劇場も公演前にガイダンスをする。シュトッツガルトのそれは初めてで途中からであったが、これだけ複雑な内容でありながら、最終的には情動的な価値をも強調していたので、決して悪くはなかった。劇場の質の高さにも繋がる。2020年の初演は、ミュンヘンの「死の街」と同じシーズンであったが、それの方は既にブルーレイ化されて残っているが、いずれ忘れ去られる。しかしこちらは今回の再演を含めて数百年後にも語られるに違いない。(終わり)



参照:
“団結しなければ、せん滅させられる” ノーベル賞作家の訴え、スベトラーナ・アレクシェービッチ、3月18日、NHK,World News
あとから仄々思うもの 2022-03-18 | 歴史・時事
ソヴィエトからの流れ 2022-02-28 | 音
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