Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

菩提樹の強い影に潜む

2007-06-16 | 文学・思想
菩提樹が、門の前の水場の横に立っている。珍しい風景である。この風景で始まるのが、ヴィルヘルム・ミュラー作の「菩提樹」が含まれる「冬の旅」と称する連作詩集の一つである。それは、シューベルトの歌曲として最も有名な芸術歌曲であり、それ以上に最も有名なドイツの歌の一つかもしれない。

この詩の情景への疑問から、ネットで検索すると、この詩人が故郷のデッサウからヴォルムスへと何度も通ったことから、その途上で創作されたと知る。そして、この珍しい三点セットの配置からその途上にあり、滞在中にこの詩集の創作を始めたと言われる町バードゾーデン・アレンドルフの光景が紹介されている。

ドイツ文学愛好家やシューベルト愛好家にはなにも目新しいことではないかも知れないが、現実のこうした風景が現れたことに戸惑う向きもあるのではないかと思う。なぜならば、こうしたドイツロマンティックの世界こそが、象徴を見出す対象だからである。

そして、今の季節がら、何が「冬の旅」だと訝しく思った私のような読者も多いだろう。それは、また、その菩提樹の 陰 翳 豊 か な 木陰に微睡む一時の情景なのである。

トーマス・マンは、これを個人的にだれの琴線に触れるものとして味わえるとしている。「魔の山」の終りへと向う章「美しい響き」のなかで、永遠のサナトリウム逗留になにやら迫り来る時の経過を感じる日々に、主人公の若者が電蓄に耳を傾け、それに浸かる風景が語られる。

そこで演奏される様々な曲の演奏録音の中で、この曲がレコードコンサートの最後をいつも飾るのであった。他のフランスのグノーのオペラなどもこの仮想コンサートとして次なる章の霊媒会のもとで再び扱われるが、この「菩提樹」こそは主人公の青年が最後に第一次世界大戦の戦場の砲弾飛び交うぬかるみの中で口ずさむ曲なのである。

そして、ここで作家は予言者めいた口調で、この傷つき易い崩壊しそうな青年の精神の営みを語っている:

それを自問してみましょう。ある精神的な対象、つまり意味ある対象は、それ自身が一般的な心情の発露であり表現であることを示すからこそ、意味を持つのです。それは、その対象に大なり小なり申し分のない象徴 ― これに従って、それの意味の値を割り当てるのですが ― を見出した認識や感性の世界の表現でもあります。さらに、こうした対象への愛着そのものの意味でもあるのです。愛着とは、愛を護る対象を乗り越えて、その対象と彼方の普遍、あの世、― これをその対象が代理していて、その対象のなかに、意識下にせよ無意識下にせよもろとも愛着を抱かせる ― への関係性をはっきりと示すことです。

この作家の術を労した手の込んだ表現であるが、俗に言われる「死への憧れ」を、余すことなく表現している。そして、主人公が予感する、禁じられた愛の、背後に潜む世界とは何だったのか?との質問に回答を与える「死」は、美しい歌となり民族感情の深く神聖的なものから生み出されていると定義している。

まさに、こうしてドイツロマンティックの真髄の「値」に迫る表現こそが、そのパロディーに潜むこの大作の世界においても、愛着ともなっているのが素晴らしい。



参照:
冬の旅 (作雨作晴
冬の旅 菩提樹 (和留那須比のホームページ
セイヨウボダイジュ(西洋菩提樹)(植物園へようこそ! 群馬大)
影に潜む複製芸術のオーラ [ 文学・思想 ] / 2005-03-23
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3 コメント

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独自の和訳を・・・ (matsubara)
2007-06-16 09:18:37
菩提樹の記事、お待ちしていました。
深い意味があったのですね。1番と2番しか良く見ていませんでした。6番まで読むと徐々に分かりました。
そらさんも私もこの詩の和訳を期待しています。是非視野に入れて下さい。
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憧憬 (ohta)
2007-06-16 16:57:11
 大学に入ってドイツ語をというときに,第二外国語として必修科目であったのは当然の理由ながら,ドイツ語で書かれた教科書や論文を読むためだけでなく,私には Lieder を聴いてわかるようになりたいという衝動が多くを占めていました.学部 4 年間ドイツ語をやっている間の昭和 39 年に音楽之友社から,佐々木庸一訳編,ドイツリート名詩百選,300 円,というのが出て,それをいまも無くさず所持しています.昔の外国語副読本と同じように,本の末尾に Anmerkungen とあって,かなり詳細な単語や文法の説明が付いています.Du faendest ... は非現実仮定話法,Hier findst du ... の現実性と対称をなす,などとあります.このあたりを明確にして日本語に置き換え,なお詩として破綻が無いというのは,精神を受容しても,言語構造との一致が無いのでむずかしいでしょう.

 Goethezeitportal にある絵やエッチングの多くに違和感があり,なかには吹き出したものもあります.もともと,"冬の旅" の中で "Der Lindenbaum" はそれほど重きを置くべきものとは思っていませんが,今回それらを見て,これまでとはまた別の感興が得られました.その詩の中に女性が共存するという場面を見たことがなかったからです.

 死への憧憬がゲルマン全体に通底している民族感情に依るかどうかは私には判りません.単発かもしれませんが,かつて,また現在でもそれに近い日本人はいます.
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間延び、文化の翻訳、化石化 (pfaelzerwein)
2007-06-16 21:18:03
matsubaraさん、詩の可能性はシューベルトの創作で初めて存分に開花するとすると、歌曲に合った訳詞となります。しかしこれも、ドイツ語の歌詞ですら、現代からすると普通の人にはかなり間延びした表現です。

確か学校で習った民謡版訳も君が代のように間延びしていた覚えがありますが、こちらの方は翻訳に幾らか手を入れれる可能性はあるでしょう。



ohtaさん、マンは誰の録音を聞いていたのか知りませんが、その仮定法への頭声での盛り上がりに触れています。たしかに音形を対応させて終らせていますね。

上で述べたように、こうした表現に違和感が無かった時代があったのも事実でしょう。そしてここで気がつくのは、そうした「無邪気な感情」がビーダーマイヤー風の生活感覚と関連していることです。

地域性民族性では、理髪師やホフマンやアイーダやカルメンをこの章でマンが挙げているとすれば充分でしょうか。

文化の翻訳は、今挙げたように、特に島国はどうしても文化の吹き溜まりになり易い面と静的に固定されて化石化されてしまう事象は否めません。
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