Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

高みから深淵を覗き込む

2006-03-13 | 文学・思想
様々な巡り合わせから、旨く行けば近々ダヴォースを訪ねたいと考えている。そうトーマス・マン「魔の山」の山である、毎年一月には国際経済フォーラムが開かれる山間の保養地である。グーグル・アース3Dを、今回初めて試す。特に面白いのは、高度差のある山岳などの地形である。ダヴォースのホテルに照準を合わせた。システムがインストールしてあれば、このリンク先からその地点に飛べる。何時頃の写真や映像かは分からないが、冬景色でないのが惜しまれる。

1929年の3月17日から4月6日までグランドホテル・ベルヴェデーアで開かれた高等専門学校セミナーは、二十世紀の哲学の分岐点と言われているそうだ。ハンブルクから「シンボル形態の哲学」で認識論から哲学的人類学へと拡がる新カント派エルンスト・カッシラー教授が、フライブルクからやって来た「存在と時間」で現象学から存在論的現象学へと進んだマルティン・ハイデッガー教授が会い見えた。

そこのテラスで一息入れる白黒写真は、門外漢の人間にとっても大変興味を引く。プラチナブロンドのカッシラーに語り続ける小身のハイデッガーを真ん中に、ディジョン大学のテラハー、パリのアンリ・リヒテンベルガー、ベルリンのフォン・ゴットル・オトリーリェンフェルド、フランクフルトのゴットリード・ザロモンが取り囲む。

この新聞記事によると、新発見であるハイデッガーがマールブルクに居る夫人に宛てた1923年12月19日付けの手紙が、この対面に至る経過を解明していると言う。その文面を読むとハンブルクでの講演でカッシラーらが臨席していた事を述べ、公私共に満足している様子が伝わる。フッサールからの手紙の受け取りを述べた後、これからカスパー・フリードリッヒやフィリップ・オットー・ルンゲの絵を見てから北ドイツ特有の ハ イ デ の風景見学を楽しみにしていると語っている。実際に宿泊した弟子のシュテルン(後年のギュンター・アンデレス)の家庭はカッシラーの友人であったと言う。

つまりこの新情報から、またカッシラーがハイデッガーの新著を隅々まで読んでいた事などを合わせて、トーマス・マイヤーはこの記事で次のように結論付けている。

「ハイデッガーが敵とするのは誰か?」とカッシラーがセミナーの開会の宣言したのには二重の意味があったとする。実際ハイデッガーは、そこで「ヘーゲルの理想主義で再校正されたカントとの対話」を講演で行い、そこで初めて新カント派のコーエンやカッシラーに狙いを定めた議論を行った。そして、未だ書かれざる存在の歴史に埋められた材料の蘇生への考慮や方法論とそして伝統解釈への問いかけを、「存在と時間」から更に推し進めたと言う。「解釈こそが、未知のものへと突き当たり、深淵を彷徨したカント哲学の終焉を導くべきで、その深淵を覗き込もうと思えば、その淵を共に歩まねばならず、そして高みへと至れば良い。これこそが解釈と言うもである。見かけ上の新機軸は、それは古いものである。」。この発言を上の開会宣言と結びつけて、 破 壊 的 急 進 性 の 歴 史 として取り入れる事は容易いとマイヤー氏は書く。

元々の相違点へと遡ると、ハイデッガーの言う「カントの批判は、西洋文明に於ける最初の形而上の基礎を築いたものであって、こうして初めて生きたアリストテレスやプラトンと会話を出来るようになった。」として、「形而上の問題は、有限の存在の問題でもある。」と説くと、哲学の歴史の永遠性を説くカッシラーと真っ向から相反すると言う。後年「世界の創世とその終焉」に取り組むエマニュエル・レヴィナスが、カッシラーの発想の貧困を嘆き、歴史学者のハンス・ブルーメンベルクはそれとは正反対に、二人の対決から「マルティン・ルターとウルリッヒ・ツヴィングリの聖体の議論」を思い出す。

さてこうして、この二人の学者が試みたのは、「不同意の同意」で協力関係と分断を合意する事であったようだ。満足な結果が得られた事は、ハイデッガーの著書「カントと形而上学の問題」にカッシラーへ宛てた献辞として、「我々のダボースでの日々の思い出に」と記されていてそれが証明されている。

また1932年にフライブルクで行ったカッシラーの講演「ジャン・ジャック・ルソーの問題」が二人の哲学者の最後の出会いであって、そこにはフッセール、ヨナス・コーン、ヴォルフガング・シャーデヴァルトとゲルハルト・リッターが臨席した。

書物の献呈では、ハイデッガーの師匠でフライブルクの指導・前任教授フッセールの名前が1941年の改訂版「存在と時間」から消されていると言うのも有名な逸話のようだ。ナチの政策によって、多くのユダヤ系学者はドイツを離れた。特にカッシラーにとってはユダヤの一神教を乗り越える事が重要であったと言うのだが、同じようにフッセールの取り巻き達、オスカー・ベッカー、ローマン・インガルテン、フリッツ・カウフマン、ルートヴィッヒ・ランドグレーべ、カール・レヴィットらの哲学者、オットー・グリュンドラー、ルドルフ・マイヤー、ニコラウス・ティール、マルティン・テューストの神学者、ルネッサンス研究家ルートヴィッヒ・フェルディナンド・クラウスや音楽学のハインリッヒ・ベッセーラー、経済学のハンス・プレーズラー、心理学のワルター・マルセイユなどの殆んどは、その出所が如何であろうとカトリズム若しくはそれへと転向しているようだ。しかしフッセール自身は、自らの結婚に際して、1887年にヴィーンでプロテスタントへと改宗している。



参照:
BLOG散歩の例語集 [ BLOG研究 ] / 2005-12-21
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シラーの歓喜に寄せて [ 文学・思想 ] / 2005-12-18
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コメント (6)
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