ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

微笑みとともに ‐ ルーヴル美術館(45/終)

2016年02月08日 |  ∟フランスの美術館

 昨年の梅雨明けも間近の頃、兎にも角にも小編1000回を超えた。
 で、それを記念してと言えば聊か大袈裟だけれど、これまで何度もトライしては挫折したルーヴル美術館への<小さな旅>を思いついた、ものの、決められない悪癖で愚図ぐずと。

 漸(ようよ)う<出発>したのは “ 大暑 ” (7/21)過ぎ、しかも、いざ駆け足を始めたものの酷暑もあってふらふらと、道草に加えて寄り道に回り道、一年で一番寒い頃とされる “ 大寒 ” (1/21)近くになって漸くゴールも視野に。
 約半年間、何やかやの45回の旅も、過ぎてみればあっけなかったような気もしないでもない。

 さて、そのルーヴル美術館の小さな旅の掉尾は?

 幾ら絵に興味のない方でも芸術の都パリを訪ねられた折には、盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の傑作を、多くのギャラリーの頭越しにしても覗かれたことがあるのでは、と旅の初めに書いた。

 その絵画史上最も名の知られた肖像画、ここルーヴルでの正式名称は聊か長く「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」、通称「ラ・ジョコンド」。

 ドノン翼は “ 展示室6 ‐ 国家の間 ”、ガラス箱の中から<ミステリアス>な微笑みを投げかけているが、その前は彼女に魅入られた人で引きも切らず・・・。

 ルネッサンス・文芸復興の花開くフィレンツェの<サンタ・マリア・ノヴェッラ教会>で産声を上げ、終生、父なる画家と離れることなく、ともにフランスに渡ったとされるこの女性、改めて紹介することもないと思う。

 と、いうことで今号で芸術の都パリ、その美術の殿堂ルーヴルとひとまずお別れ。

 これまでのアクセスに感謝し、はて、ペトロ とカタリナ の小さな旅は何処へ・・・?乞うご期待!」 と、聊か陳腐な台詞で旅のメモ帳を旅行鞄に仕舞うとしますか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1091

 ※ 「駆け足ルーヴル(23) ‐ 続・ドラクロワ」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・ドラクロワ ‐ 駆け足ルーヴル(23)

2016年02月05日 |  ∟フランスの美術館

 ルーヴル美術館の ” 小さな旅 ” も、愈々最終章。
 盛期ルネッサンスの巨人ダ・ヴィンチ(1452-1519)でその幕を引く予定だったが、何処かに何かを忘れたような思いがあった。

 それで、小ブログを足早に遡ってみた。
 サン・シュルピス教会の礼拝堂に描かれたジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863/ロマン主義/フランス)の<フレスコ画>で始まったこの旅、そこで僅かに触れているものの、忘れ物が何なのか漸くにして判った。

 旅を締め括るのは、その彼の 「民衆を導く自由の女神 ‐ 1830年7月28日」 こそ相応しいと。

 主題は、1830年7月27日から29日に起こった、フランスでは “ 栄光の三日間 ” とも呼ばれる7月革命。

 第二王政復古の政府による憲法違反に反対した自由主義的な共和主義者がパリで蜂起。
 フランス・ブルボン朝の最後の王シャルル10世を失脚させ、その代わりにオルレアン公ルイ・フィリップを王位に即けた。

 この歴史的な出来事の証人であるドラクロワは、そこに現代的な主題を見出しキャンバス(259×325cm)に切り取った。

 だが公式HPには、“ 自由の象徴及び写実的で革新的な絵画上の革命である本作は、より古典的な概念で現実を称賛することに慣れきっていた批評家に撥ね付けられた ” とある。
 また、新王ルイ・フィリップは、彼が新しい体制の到来を待ち望み描いた本作を大衆の目から隠したという。

 それから30余年、ドラクロワが没する1863年にリュクサンブール美術館に、そして74年にルーヴルに移蔵、漸くにして日の目を見たという。
 同HPは、“ 18世紀の歴史画として、ピカソ(1881-1973/スペイン/キュビズム)の 「<ゲルニカ>」(マドリード/ソフィア王妃芸術センタ蔵)に先んじているこのロマン派的で革命的な高揚を表わしたイメージは、普遍的なものとなった ” と括っている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1090

  「駆け足ルーヴル(22) ‐ 続々・ダ・ヴィンチ」へは、<コチラ>からも入れま

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続々・ダ・ヴィンチ ‐ 駆け足ルーヴル(22)

2016年01月27日 |  ∟フランスの美術館

 盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア)。
 三回目の今回は、不朽の祭壇画ともされる 「岩窟の聖母」(左)、本編、再登場である。

 主題は、ヘロデ王がキリストの存在を恐れ、二歳以下の嬰児を虐殺するために放った兵士から逃れる<エジプト逃避>(マタイ2章13-16)の途上。
 本作、本来であれば依頼者であるミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の礼拝堂を飾る筈だったとか。

 が、完成時に依頼主との間で作品の構成や報酬を巡り揉め事があり、当時ミラノを治めていたフランス王ルイ12世が仲裁したことを機に彼が献上したとされる。 

 ダ・ヴィンチは、本作から十年後に再び 「岩窟の聖母」(右/ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)を描いているが、彼のミラノ時代の弟子デ・プレディス兄弟の手になるとする説もあるようだ。

 かつて両作品を<対比>しながらもう少し詳しく投稿したので繰り返しは避けるが、何よりも際立って異なるのはルーヴル版がほぼ完成していること。

 とまれ、ロンドンで対面してから三日も置かずパリで本作と対面したが、カタリナ は、ルーヴル版を 「きちんと彩色され明るくきれい」、ナショナル・ギャラリー版を 「大天使に彩色されていないが故の際立った美しさがある」と、評する。
 本作を前に 「どっちもどっち」と意味不明の感想を洩らず誰かに 「なにそれ?」と呆れていたっけ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1086

 ※ 「駆け足ルーヴル(21) ‐ 続・ダ・ヴィンチ」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・ダ・ヴィンチ ‐ 駆け足ルーヴル(21)

2016年01月22日 |  ∟フランスの美術館

 盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア)の二回目。
 完成していれば、彼の最高傑作のひとつとして数えられていたであろうとされる未完の大作 「聖アンナと聖母子」、小編、再々?登場である。

 本作の主題は、“ 謙譲の聖母子 ”。

 聖アンナが夫である<聖ヨアヒム>、もしくは聖ヨアキムとも。と二十年近く連れ添ってから<無原罪の御宿り>として得た娘、そして孫。
 その聖母マリアを膝に抱くという、殆ど例を見ない構図で描かれている。

 画家の生涯で二度目となったミラノ滞在中、当時のフランス国王ルイ12世のために制作されたとされている本作、制作途中でダ・ヴィンチはこの世を去り未完のままに。
 このため、聖母や聖アンナの着衣が彩色されていない。

 また、ダ・ヴィンチは、習作になる 「聖アンナと聖母子(画稿・習作)」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)、通称 「<ダ・ヴィンチ ‐ カルトン>」を描いているが、本作はそこから筆を進めたもの。

 余談だが、バロック期の無頼の奇才カラヴァッジョ(1573-1610/イタリア)は、この聖アンナを 「<パラフレニエーリの聖母>」(ボルゲーゼ美術館蔵)と題し、「<聖母の死>」(ルーヴル蔵)同様、徹底した写実性にもとづき現実的に描いているが、彼我の表現の違いに唖然とさせられたこともあった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1084

 ※ 「駆け足ルーヴル(20) ‐ ダ・ヴィンチ」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダ・ヴィンチ ‐ 駆け足ルーヴル(20)

2016年01月18日 |  ∟フランスの美術館

 グランド・ギャラリーへと戻ると、ある作品の前で多くの鑑賞者が滞っていた。
 彼らの足を止めさせたのは、盛期ルネッサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア)。

 その彼の最晩年の作品とされる 「洗礼者聖ヨハネ」が今回の作品。

 ダ・ヴィンチが手がけた絵画作品で、現存するのは僅か十五点程度とされているが、晩年に描いた幾つかの作品だけは生涯手元に置き、手を加えたとされている。

 手元に残したのは、何れもここルーヴルが所蔵する 「モナ・リザ」と 「聖アンナと聖母子」、そして本作の三点。

 その 「モナ・リザ」を思わせる洗礼者聖ヨハネの端正な顔立ちと微笑みは、ダ・ヴィンチが同性愛者だったという推測にもとづき、寵愛していた弟子をモデルにしたという説もあるようだ。

 そのためか青年ヨハネの表情がヴィヴィッド、生々しく、カタリナ は珍しくこのダ・ヴィンチに限って「好きになれない」と言うが、直感的に同質のイメージがあって頷かされる。

 ただ、本作をはじめ、処女作ともされる 「<受胎告知>」(ウフィッツイ蔵)の大天使ガブリエル、「<最後の晩餐>」(ミラノ/グラツィエ教会)の聖トマス、「<岩窟の聖母>」(ルーヴル蔵)の大天使ウリエルなど、彼の作品に多く見られる “ 手の表情 ”、就中(なかんずく)人差し指の仕草は、それぞれの作品に何らかの示唆を与えている。

 ここでは “ 天からの救世主キリストの到来を予告し、道を平らかにするよう悔悛を説くため ” と解釈されているとか。
 そう教えられれば、例によって頼りなくも 「そんなもんかなあ?」と思わないでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1082

 ※ 「駆け足ルーヴル(19) ‐ ルーヴル余話」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャンゼリゼ通り ‐ 道草ルーヴル(5)

2016年01月15日 |  ∟フランスの美術館

 雨上がりのパリを<凱旋門>から堪能したのが前回。
 その後、暮れなずむシャンゼリゼ大通りをぶらぶら歩きと洒落込んだ、「似合わない?」 「さもありなん!」。

 世界で一番美しいといわれるシャンゼリゼ通り、全長2Km、幅約100mの並木道は、ギリシャ・ローマ神話に由来し楽園を意味する “ エリーゼの野 ” からこの名前がつけられたとある。
 毎年7月14日の革命記念日、つまり “ パリ祭 ” は、ここを中心に行われるとも。   

      

 その大通りをそぞろ歩き、洒落た店を見つけては覗き、おもちゃ屋や文房具店を探しては眺めて楽しんだ。 
 途中、「疲れてしまい」地下鉄に乗ろうとしたが、さすが芸術の街というか粋なパリの街、地下鉄の標識が小さく見つからず閉口、カタリナ も 「呆れてしまう」と憮然としている。

 ところで、とある交差点で信号を待っている間、隣に何処か見覚えがある女性が同じように信号を待っていて、私たちの顔を見て同じように驚きながらも、白い歯を見せて会釈をしてくれる。
 なんと彼女、あの<モン・サン・ミッシェル>への遠足のガイドさん。

 観光名所や美術館などならいざ知らず、大都会パリのど真ん中で、「何時、何処で誰に出会うか」 「判らないものね」とふたり。

     

 そう言えば、マドリードのホテル・ウェリントンだったか、ダイニングルームで同じマンションのご夫妻とばったり、驚いたことがあったが、「旅の恥はかき捨て」なんてできないもンで、何時でも何処でも 「お行儀よくね!」と、お説教されたことも今は遠い日の想い出・・・。

 ところでルーヴル美術館、閉館時間が迫ってきたようだ・・・、そろそろ<グランド・ギャラリー>のあの巨匠のところに戻らなきゃ! 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1081

 ※ 「道草ルーヴル(4) ‐ 雨上がりの街」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続々・プッサン ‐ 寄り道ルーヴル(10)

2016年01月11日 |  ∟フランスの美術館

 フランス古典主義の巨匠にして宗教画や神話画、歴史画を得意としたニコラ・プッサン(1594-1665)。

 その彼の随一の傑作 「アルカディアの羊飼いたち」、別名 「我アルカディアにもあり」。

 古代ギリシアの理想郷アルカディアを舞台に、ラテン語で “ Et in Arcadia ego = 我アルカディアにもあり ” と、死が理想郷にも存在していることを意味、右端の人物がそれを表徴。する一文が刻まれる石碑へ集まった三人の羊飼いを描いている。

 フランスのレンヌ・ル・シャトー村の近くに、描かれたこの風景が実在することや、“ Et in Arcadia ego ” を並べ替えると “ I Tego Arcanadei = 立ち去れ、私は神の秘密を隠した ” と別の意味の文章になること。

 秘密結社シオン修道会がシャトー村の近くに在ったことなどから、同修道会が守る秘密 “ イエスとマグダラのマリアの間に生まれた子孫 ” の風説が古くからあったことも示唆しているとか、聊かミステリアスでもある。

 10年も前だったか、ベストセラーになり映画化もされた、ダン・ブラウン著の 「<ダ・ヴィンチ・コード>」。
 ルーヴルの<グランド・ギャラリー>からストーリーは展開、途中に<サン・シュルピス教会>の床に描かれた日時計・ローズラインを織り交ぜ乍ら、最後に解き明かされる謎のひとつがこの秘密だったっけ?

 ミステリアス序に、シュルピス教会のローズラインは虚構だけれど、フィレンツェの<大聖堂>には、夏至の日にクーポラ・円蓋に取り付けられた銅板の穴から射し込む陽光が、床に描かれた子午線をなぞり、やがて正午に床の円形とぴたっと重なる日時計みたくなのがあった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1079

 ※ 「寄り道ルーヴル(9) ‐ プッサン」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・プッサン ‐ 寄り道ルーブル(9)

2016年01月08日 |  ∟フランスの美術館

 フランス古典主義の巨匠にして宗教画や神話画、歴史画を得意としたニコラ・プッサン(1594-1665)。

 その彼の連作 「四季」の後編。
 主題は、旧約聖書の一場面を一日の移ろい、早朝、昼、午後、黄昏時に結び付け描いていることは前編で書いた。
 それは、春は誕生、夏は青年、秋は成熟、冬は晩年を、そして、また春、人生を擬(なぞら)えてもいる。

 「秋 ‐ カナンの葡萄、または約束の地」(左)は、葡萄を収穫する姿が、午後の終わりの陽光によって仄めかされている 。
 そして、明るい色彩を与える秋に対し暗い色調で描かれた 「冬 ‐ 大洪水」(右)では、黄昏の光の中、ノアの大洪水の光景を切り取っている。

   

 ところで、主題の<ノアの洪水>は改めて説明も要らないだろうが、“ 約束の地 ” とは、旧約聖書の出エジプト記が典拠。

 モーセは、神にヘブライ人を約束の地へ導くよう命じられ、エジプトを脱出する。
 神がイスラエルの民に与えると約束された肥沃な土地カナンを目前に、モーセは従者にカナンの様子を見に行かせる。
 その従者が持ち帰ったものが大きな蒲萄一房、その地が神が約束した “ 乳と蜜の流れる地 ” であることを証明したのである。

 話は前後するが、連作 「四季」は、彼プッサンの死の一年前に完成、遺作とされている。
 そこには詩情豊かで革新的、かつ複雑な彼の画業のあらゆる本質が込められているのだそうだ。 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1078

 ※ 「寄り道ルーヴル(8) ‐ プッサン」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プッサン ‐ 寄り道ルーヴル(8)

2016年01月06日 |  ∟フランスの美術館

 17世紀フランス古典主義の巨匠にして宗教画や神話画を得意とするニコラ・プッサン(1594-1665)。
 ここルーヴル美術館にも多くの作品が架るが、今回は四枚からなる連作 「四季」。

 主題は、旧約聖書の一場面を一日の移ろい、早朝、昼、午後、そして、黄昏時に結び付け描いている。

 まず、「春 - 地上の楽園」(左)は、自然の再生を早朝の風景の中に描かれたアダムとイヴの姿に結び付け、刈り入れの様子が描かれた 「夏 ‐ ルツとボアズ」(右)は、真上から照りつける太陽の下でルツとボアズの物語を紡いでいる。
 彼は、夏を明るい色彩で描いているのに対し、春はより暗い印象を与えている。

 ところで<アダムとイヴ>は説明も要らないだろうが、旧約聖書のルツ記から画想を得た 「ルツとボアズ」、少し長くなるがその粗筋を。

   

 エリクメルと妻ナオミは、飢饉に襲われたベツレヘムを逃れ、ヨルダン川の東モアブに移り住み、息子はモアブの女ルツを嫁にする。
 やがて、エリクメルも息子も亡くなったのでナオミは故郷に帰ることにし、ルツを実家に返そうとしたものの、ルツのたっての願いを聞き入れふたりで大麦の刈入れ時期であったベツレヘムへと帰る。

 イスラエルの律法に、落穂は貧しい人のために畑主が拾い集めてはいけないとあって、ルツはボアズの畑で落穂を拾わせて貰い乍ら姑ナオミの面倒を見た。
 畑主のボアズはルツのその姿を見て心を打たれ結婚、二人の子はオベドといい、その子がエッサイ、エッサイの子がイスラエルの王となる<ダビデ>である。 (この稿、続く)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1077

 ※ 「寄り道ルーヴル(7) ‐ アングル」へは、<コチラ>からも入れます。
   ルーヴルの小さな旅、越年してしまいました。引き続きアクセス頂ければ嬉しく思います。(

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トゥール ‐ 回り道ルーヴル(6)

2015年12月18日 |  ∟フランスの美術館

 このフランス人画家、再登場?とお思いの方もあると思う。
 先に登場したのは、<ジョルジュ・ド・ラ・トゥール>(1593-1652/バロック後期・古典主義)。
 こちらは18世紀に活躍した肖像画家モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール(1704-1788/ロココ美術)。

 独自のパステル表現を確立、上流階級の人々の肖像画を手がけ、確固たる地位と圧倒的な人気を得た彼の 「ポンパドゥール夫人の肖像(マダム・ド・ポンパドゥール)」が今回の作品。

 肖像画の主、パリ社交界の花ポンパドゥール侯爵夫人のサクセスストーリーは、かつてブーシェ(1703-1770/ロココ/フランス)の画題も同じ 「ポンパドゥール夫人の肖像」(アルテ・ピナコテーク蔵)で投稿したので避ける。

 少し補足をすれば、“ 青緑の色調に塗られ、金色で引き立てられた木工細工で飾られた一室に腰かけている侯爵夫人の豪華な衣裳が権勢を誇示する意図を示している ” のに対し、“ 宝石を付けず髪型も簡素にすることで肖像画の私的な性格を強調している ” と、公式HPは解説。

 さらに、テーブルの上に並ぶ、“ モンテスキューの 「法の精神」やヴォルテールの 「アンリアード」などの学術書 ” の典拠(ひけらかし)は、“ 夫人の芸術の庇護者としての計算と読むべきだ ” とも。

 とまれ、ルイ15世の公式の愛妾乍らも、ハプスブルク=ロートリンゲン朝のマリア・テレジアやロシア・ロマノフ朝のエリザヴェータに、一歩たりも引けを取らぬ女傑だったてことなンだろう。

 画家自身、“ 油彩に劣らないことを示す目的で本作を手がけた ” と、言い放ったらしきこのパステル画、拡大して<ブーシェ作品>と見比べるてみるのも一興かも。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1069

 ※ 「回り道ルーヴル(5) ‐ コロー」へは、<コチラ>からも入れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする