9月××日 黄昏迫る午後遅く (快晴) 「アドリア海の真珠」
サン・マルコ寺院の鐘楼の前に建つのが、ヴェネツィア共和国の総督邸兼政庁だったドゥカーレ宮殿。
話はそれるが、稀代の女たらしジョバンニ・ヤコポ・カサノヴァ。
彼は、宗教裁判所で有罪を宣告され投獄されるのだが、そのカサノヴァもここを渡ったという嘆きの橋。
裁判所でもあったドゥカーレ宮で判決を受けた囚人が、運河に架かる橋を渡って牢獄へ入ったためにこの名がついたのだと言う。
♪ 感動を与えてくれた景色に心は残れども鐘楼を降りました
♪ 運河の奥に架かる橋が「嘆きの橋」です
その嘆きの橋からサン・ザッカリーア教会に向かった。
教会の起源は、ベネディクト派の修道院と聖ザカリアに捧げた教会ができた9世紀にまで溯る。
15世紀末のマウロ・コドゥッシの改修によって、ヴェネツィアン・ルネッサンス様式の特徴的なファサードを持つ現在の姿になったと言う。
♪ ファサードの中央には聖ザカリアの像がありました
♪ この鄙びた教会、小さな美術館のようです
♪ ルネッサンス発祥の地イタリア、あるところにはあるものです
左側の第二祭壇にはヴェネツィア派の始祖であるヤコポ・ベッリーニ(1400-1471)の庶子で、ヴェネツィア派を確立した巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニ(1433-1515/初期ルネサンス)の「玉座の聖母と聖人たち」が。
ヴェネツィア派といえば、色彩の錬金術師ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576/盛期ルネサンス)に代表される装飾的で華麗な色彩を駆使することで知られているが、そのひとりで父親が染物師(Tintore)だったことからこう呼ばれるようになったティントレット(1518-1595 /盛期ルネサンス)の「洗礼者ヨハネの誕生」もある。
♪ ベッリーニの「玉座の聖母と聖人たち」
♪ 左端は聖ペトロその隣がアレクサンドリアの聖カタリナです
♪ ティントレットの「洗礼者ヨハネの誕生」、右端が父聖ザカリアです
♪ 寝台に母聖エリザベト、後輪の女性がナザレから従姉のエリザベトを訪ねた聖マリアです
教会と別れ、黄昏迫るヴェネツィアの町を散策。
マエストロの手になるヴェネツィアン・グラスやヴェネツィアン刺繍などの素晴らしい民芸品がウインドを飾っている。
その後、口を真っ黒にしながらヴェネツィア名物イカスミのスパゲッティをすっきりと冷えた白ワインで楽しみホテルに帰館、ヴェネツィア観光を終えた。
♪ 大運河、カナル・グランデに架かるリアルト橋です
♪ ゴンドラ遊覧、なかなか楽しいものではありました
♪ アドリア海の真珠と呼ばれるに相応しい景色でした
六回にわたってお届けした “ ふたりだけのヴェネツィア日記 ”、如何でしたか?
この陽気な国イタリアへは五回、延べ40日ほどいたが、この町は何故か縁薄くたった半日だけ。
それだけに、ルネサンス期ヴェネツィア派の宝庫アカデミア美術館やサン・ロッコ同信会館など見逃したところが多く、何か忘れ物をしたような思いがある。
忘れ物と言えば、迂闊にもホテルに眼鏡を忘れてしまったこともあって、素晴しい景色とともに印象が強く残っているのかも知れない。(終)
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.718
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