ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

RECOVERY ‐ 4月がゆく

2010年04月30日 | 季節/暦

 春先、パソコン(PC)の動きが悪くなった。
 システムの復元を実行したものの改善しない。

 気が長い?ペトロも到頭沸騰、片端からアプリケーションソフト(アプリ)をアンインストール(削除)。

 Photo削除が過ぎたのか、今度は、“ ××ソフトが見当たりません。前は××にありました。” なんてメッセージが、PCを立ち上げる度に現れ鬱陶しい。

 あれこれ悩んでいたら、プロバイザーのOCN、“ ×月××日以降、表示速度が極端に遅くなるなどの事象(中略)断続的に発生 ” のお詫び。
 なんだ、「阿呆くさ、そっちにも原因があったんかいな!

 で、「よし、出直そう」と踏ん切りをつけた。
 避けて通れないのが、これまで不精して手付かずのデータの整理、この際、不要なものをどんどんゴミ箱へ。

 撮りためた写真と動画、旅行記、ブログや作りかけのHPの資料、音楽、住所録など、大切なデータをカテゴリー毎にファイリング。
 Photo_6それらを外付けハードディスク(HD)にバックアップ、ここまでに足掛け二日を費やした。

 カタリナは、以前にPCがクラッシュ。
 データを失ったことが二回あって、それに懲りて頑としてPCにデータを残さない。
 それに、昨秋から専用のノートPCを使っている。

 さて、準備万端整ったところで、工場出荷状態に戻すための カバリーソフトをインストール。

 すっぴん?のPC、パフォーマンスのよさ、フットワークの軽さ、頗る気持ちが良い。
 ウィルスバスター最新版などの基本アプリのみ再インストール、HDからは当面必要なデータだけを戻した。

 Photo_7随分と昔、春秋の天気のいい日に一家を挙げて、畳を上げて天日に干し、床下などには防虫剤も散布。
 その大掃除を終えてひと風呂浴び、清々するようなもんや、と一人悦に入る。

 人生もリカバリー出来たらなんて、蟲のいいこと考えないでもない。が、出来たらできたで詰まらないか?

 時の為政者の言葉と同じように、猫の目のように天気が変わった卯月・4月もいくようで。

 ご家族お揃いで、楽しい連休をお過ごし下さい。

 市役所の南の小さな公園、花が咲き揃ってきました。

  リカバリーをした場合、PCに保存しているデータが失われますので、ご注意下さい。

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地理学者

2010年04月28日 |  ∟ドイツの美術館

 フランクフルトのシュテーデル美術館、2階と3階が展示室。
 その2階の最初の部屋で目に入ったのは、初期ルネサンス・フィレンツェ派の画家ボッティチェリ。
 思わせぶりなその題は、「理想の女性像」だが、この絵については別の機会に。

 本題のフェPhotoルメールに戻る。
 先にこの部屋に入ったカタリナ、中央階段の上の円形の展示室の入口辺りで「この部屋」と手招く。
 この展示室に架かっていたのが「地理学者」(写真上)。

 この絵の前年頃に描いたとされる「天文学者」(ルーブル美術館蔵/写真下)との対画、または連作とされている。
 ふたつの絵には、珍しく男性がひとりで、同じような書斎らしき場所で、同じような服を着て、つまり、同一人物であることを窺わせながら、ほぼ、同じサイズの画布に描かれている。

 そして、絵の中で大きな位置を占める地球儀が対のものらしいこと。
 また、書棚などの配置、机の布、壁の額など、絵の構成も同じであるなど共通点が多い。

 それらのことから「天文学者」と「地理学者」、このふたつの絵は、同じ場所に並べて架ける絵として、制作当時から作者の意図があったとされている。

 Photo_3「地理学者」は、「天文学者」に比べ、窓から射し込む光が明るく、人物自身やコンパス、机上や床にある図面から木製の箱や椅子にまで陽があたり、空間的な処理がより伸びやかに広がる構成になっていることが分かる。

 ※ カタリナの独り言
 フェルメールの「地理学者」、やっと出合えたという感じ
 この旅では、彼の「絵画芸術」(ウィーン美術史美術館蔵)と「真珠の首飾り」(ベルリン絵画館蔵)を見ることができなかったものの、この作品や、「取り持ち女」と「窓辺で手紙を読む女」(何れもドレスデン美術館蔵)、そして、「紳士とワインを飲む女」(ベルリン絵画館蔵)
に出会うことが叶った (

 <フェルメール展>から、十数回にわたって綴ってきた、“ フェルメールを訪ねての旅 ”、シュテーデル美術館の「地理学者」でひとまずお別れする。
 また何時か、彼との出会いを綴りたい。

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シュテーデル美術館

2010年04月27日 |  ∟ドイツの美術館

 待望久しいシュテーデル美術館。
 案内書にシュテーデル美術研究所と表記しているものあるが、どちらが正式な名称なのかは知らない。

 この四日ほど前、待降節に入ったばかりのベルリン。
 時折氷雨が降るドイツ北部の陰鬱な雰囲気を 「寒いねえ」と言いながらもそれなりに楽しむ余裕があった。

 Photo_9が、ベルリンからハンブルクへの車中、横殴りの雪がみるみるうちに銀世界に変えるのを眺め 「なんやこれ」と呆れた。

 その日を境に、ドイツ全土が猛烈な寒波に覆われてしまった。
 雪まみれになった<カッセル>から、列車で着いたこの日のフランクフルト、身を切るように寒い。

  ※ カタリナの独り言 
 くたびれ果て今にも倒れそうな、駅前だけが取り柄となったホテル・モノポール、チェックインを済ませ旅装を解く
 癇癪持ちのペトロ、「一人前に料金を取りながら、この建てつけの悪さはなんだ」と機嫌が悪い
 でも、「ミニバー無料だって」と教えるとすぐに笑顔、単純なんだから
 寒波は幾分か和らいだようだけれど、それでも雪がちらほらと舞う寒い日だった
 しっかりと防寒対策をして街に出た (

 Photo_8ホテル(写真上)から南に下るとマイン川畔。
 川に沿って歩くと歩道専用橋が架かり、凍結防止の塩が蒔かれた橋の上、マイン川から冷たい風が吹きつける。

 美術館の広告が掲げられた橋の向こう、その美術館がある。

 ホルバイン橋(写真下)を渡ればムゼーウムスウーファー、美術館通りと呼ばれ16もの博物館や美術館が並ぶ。
 シュテーデル美術館もその一部を構成している。

 扉を開けると外の寒さが嘘のように暖かい。
 エントランス付近、この寒い日に何処から来たのと思うほど人で溢れ返っていた。
 日曜日であることに加え、皆ここで一様に防寒具を脱いでクロークに預けるため、ということもあるようだ。 (続く)

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フランクフルト

2010年04月26日 | ドイツ/オーストリア

 ブリュッセルに着く筈の列車、ストで途中停車。
 その顛末、長々と書いたが、その間ぶさたにしたフェルメールのことに戻る。<上野美術館>から始めたフェルメールの旅、この辺でひとまず終える。

 ところで、ドイツにはフランクフルトという町がふたつある、マイン川畔のフランクフルトという意のフランクフルト・アム・マイン。

 Photoそして、今もポーランドとの間でしこりを残すオーデル・ナイセ国境線、その、オーデル川畔のフランクフルトという意の、フランクフルト・アン・デア・オーデル。

 ここで書くのは、欧州有数の金融の街アム・マインの方。
 ここにはドイツ最大の空港があり、関空から直行便も飛ぶが、大聖堂やゲーテの家やレーマ広場の他にさして見る所もなく、観光だけなら半日もあれば足る。

 かつて<フラ・コート>の稿でも書いたが、飛行機を乗り継ぐことはあっても宿泊することは殆どなかった。

 それでもひと昔ほど前、美しいドイツの ‘Xmas市(上/レーマ広場)を楽しもうと、この街から出るバスでミュンヘンまで二日かけて移動したが、その折にはマイン川畔のホテルに泊まった。

 Photo_5また、二年前にも、ドイツルネサンス期の画家デューラーを訪ねた折、帰国前に行きたい所があってこの街で一泊した。

 その二年前の凍るような寒い日に訪ねた先が、シュテーデル 美術館である(下)である。

 ※ カタリナの独り言
 訪ねたいと思いながら何時も素通り、悔しい思いをしてきた、シュテーデル美術館、ドイツもこれで最後になるかも知れないので、何年か振りに一泊することにしたのだが、これでようやく念願が叶う。 (

 19世紀の初め、金融業で財を成したヨハン・シュテーデルが、市民のために蒐集したコレクション、土地、家財ひっくるめ遺贈したのが始まりとされ、ルネッサンスから象徴主義までの作品を幅広く収蔵する。

 1937年のナチスによる退廃芸術狩りによって、ゴッホなどの多くの絵が持ち出される悲劇をこの美術館も体験したこと、この旅で初めて知った。機会があれば、小編でその傑作を取り上げたいと思っている。

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ラーメン屋さんの工夫 ‐ 散歩道

2010年04月23日 | 散歩道/山歩き

 わが町のラーメン屋さんの話。
 カタリナ が稽古の日のお昼時、たまにラーメンが食べたくなって、この店の暖簾をくぐる。

 ふた月ほども前のこと、カウンターの前に座ると、以前のテレビと並んで新しいテレビが。
 ラーメンがくるまで手持ち無沙汰でその画面を見ていたら、「あれっ?」、どうも、店の前が写ってるように見える。

 Photo立派な口髭を蓄えた店主、この店主声が頗る大きく怒鳴られているように聞こえる。に、「店の前のライブ?」と聞くと、黙してにやりと笑う。

 当方暫し黙考、「あっ、路上駐車?」に、わが意を得たりとまたにやり
 なるほど、店内に、“ 店前の道路 TV中継中 ” の張り紙がある。「店の表にも貼ってんの?」と訊くと、日頃の大声に似合わぬ小声で、「うん。でも、違反じゃないよねっ!」と同意を求める風。

 これまでに何度か、お客さんが駐車違反の反則切符を切られたらしく、気づいて店を飛び出した時には既に、と憮然としている。
 で、このシステム?の登場となったようだ。
 気持ち判らないでもない、が、少し拙いんじゃないのとも。

 Photo_2そんな気持ちを見透かしたように、「ショッピングセンタに駐車場あるんだけど、そこへわざわざ車置いてまで、ねっ!」と続けた。

 阪神国道の大阪行きに面するこの店、「そうか、フリのドライーバー客をね」その狙いに合点がゆく。

 最近、駐車場を備えた終夜営業の牛丼やカレーなどの店が近くに何軒か開店、色々と工夫が要るんだろうなあ・・・。
 「毎度おおきに!」、何時もの破れ鐘のような大声に送られ店外へ、振り返れば庇に二台のカメラ、国道に向いてあった。

 先日の散歩、店の前を通ったら、カメラはあったが例の張り紙が見当たらない。
 では、ここでクイズ、外の張り紙を外した理由は次のどれでしょう?

 1.その筋から指導された 2.PRが行き渡ったので自主的に外した 3.この前の強い風ではがれた

 正解は、まだ聞いていない。

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小川洋子さんの本(その後)

2010年04月21日 | 本/図書館/言葉

 トラック走に例えるなら、第四コーナーの手前辺り?
 
身辺の雑多な物を整理しなければならない時期でもあり、特別に事情がない限り、本も含め新たに物を持たないと決めた。
 新たに増やそうとすると、「それに見合うものを捨てて!」と、連れ合いは言う。

Photo Photo_2  加えて、文庫本を含めて新本の値段が高く、一読すれば顧みることのない本、買うまでのこともないと決めた。
 それで、職を離れたのを機に図書館に繁く足を向けるようになった。
 また、意外にも面白いということ、<
痕跡本>(09/05/07)で書いた。

 丁度その頃、小川洋子さんの新作、「猫を抱いて像と泳ぐ」が出版された。
 小川さんの作品は、その4年ほど前の「博士の愛した数式
」以来のこと。
 作品
の奇抜さに加え登場する人々が面白くって、小川ワールドにすっかりと嵌ってしまったことも、<小川洋子さんの本>(09/05/20)で書いた。

 それから暫く、小川さんの作品になかなか出会えなかったのだが、先日、返却された本棚に、彼女の名前の単行本が三冊並んでいるのを見付けた。
 で、遠近両用の眼鏡を押し上げ、背表紙に目を近づけて思わず、「おっ!」と声を漏らしてしまった。

Photo_3Photo_3  どれも未読で、すぐさま借りたのは言うまでもない。
 借りたのは、「
凍りついた香り」「貴婦人Aの蘇生」、そして、短編集「夜明けの縁をさ迷う人々」の三冊。
 
久し振りに、あの小川ワールドを堪能した。

 ところで、この稿を書くため、ブログを始めた頃の記事にアクセスしたら、当時のブログ、字数が少なく、当人が言うのも何だが実にすっきりとしている。
 
で、この稿もこの辺りで置く。

 狭いベランダで、カタリナ が大切に育てる幾鉢かの花。
 その中の
山芍薬、可憐な蕾をひとつつけたこと、「<信じる者‐言葉>」(10/04/12)で紹介したが、翌日、真っ白な花弁を開いた。
 健気にも、その後の寒暖の激しさに辛抱、散らずに頑張っていたのを喜んでいた。

 今週の朝日俳壇  雨三日風三日耐へ花満つる  (奈良市・古賀しぐれ氏/稲畑汀子選)が心に残った。

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やっと着いた ‐ スト顛末記(終)

2010年04月19日 | ベネルクス

 KL1731便のシートベルト着用サインが消えた。
 これで、狂騒の一日から解放されると喜んだのだが、まだ続こうとは?

  頭の先からから爪先まで機体と同じコバルトブルー、目が青く染まりそうな制服に身を包んだ客室乗務員が配るパンを、もそもそと齧るうちに、40分ほどのフライトあっけなく終わった。

 1こんな短い距離を移動するのに、日がな一日を費やしたのかと思うと、客を顧みないストに改めて腹が立つ。

 黄昏のザベンテム空港、ごった返していた
 かなり歩かされて荷物を受取り、エスカレータを何度か乗り継ぎバス乗り場に向かった。乗り場に一台のバス、DELIJNのマーク(写真中)がある。
 少しそれるが、このバス、後日ブルージュなどでお世話になるのだが、それはまた別の話し。

 話は戻って、カタリナ が中央駅行きのバスを尋ねると、女性ドライバー、「ここで28番のバスを待て」とのこと。

 2他の路線のバスは出入りするものの、目指すバスは幾ら待っても来そうにない。

 タクシーにするか?と思いはじめた頃、日本人5名ほどがバス乗り場にやってきて、そのひとりが「市内への電車も動いていないようだ」と話しかけてきた。

 カタリナ、「バスもストなの? もう嫌、タクシーにする」と言う。
 話しかけてきた男性に、「一緒にどうですか?」と誘うと、彼に否も応もなく「喜んで」となった。
 ところが、考えることは皆同じ、タクシー乗場(写真下)も長蛇の列、小1時間近くも待って、ようやく乗ることができた。

 ザベンテ3ム空港から中央駅前のホテル・メリディアンまで30分ほど。
 相乗りの彼、先にメリディアンで降りここまでのタクシー代を払う私達に、「おおきに」と、南駅近くのホリディ・インへと行った。
  ホテルの真ん前がブリュッセル中央駅、中央の入口、腹立たしくも鎧戸で固く閉ざされている。

 この日は、王立美術館にブリューゲル(大)などのフランドル派の作品を訪ねる予定だった。
 が、移動に明け暮れた一日となってしまった。
 ただ、旅の貴重な教訓を得たこと、そして何よりも、人の心、情に出会えた一日だった
 それにしても、疲れたよう!

 あたかも今、アイスランドの火山噴火でヨーロッパの空路、ストとは比較にもならぬてんやわんやの騒ぎ、その労苦如何ばかりかと痛く同情する。
 5回にわたってのスト顛末記長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

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プラチナ・チケット ‐ スト顛末記(4)

2010年04月16日 | ベネルクス

 スキポール空港駅は地階にある。

 スロープを経て地上階に上ると、そこはセントラル・プラザ。
 
3日前、この国に着いた時通った所を、日にちも空けず再び通ることになろうとは、その時は勿論、思いもしなかった。

 11KLMオフィス、早い話が切符売り場。
 ストのためか何時ものことか判らないが、チケットを求める黒山の人。

 日本人のツアコン、客から預かった大切な旅券で、お腹の辺りが異様に膨らんでいる。(写真上)
 女性係員が整理番号の発行に大童、順番が来るまで相当時間がかかりそう。

 カタリナをスーツケースに座らせひたすら待つ。

 小1時間も経った頃、KLMからかベルギー国鉄からか判らないがパンが配られた。
 固いパンにチーズと野菜を挟んだ何時ものサンドイッチ。
 カタリナは少し食べてギブアップ。

 2さらに1時間ほど、ようやく順番が来た。
 カウンターに20?から10?果ては5?まで、取り混ぜて40枚ほどのユーロを並べ、やっとブリュッセル・ザベンテム空港への、まさにプラチナ・チケット(写真中)をゲット
 それにしても、JCBカードの役立たずめ!

 切符を手に、早速、搭乗手続き。
 エコノミークラスの長い列を尻目にスムーズだったが、手荷物検査はフランクフルトよりもさらに厳しい。(写真下)

 そういえば、この国は独・仏と違って、英国と共にイラクに軍を派遣していたことを思い出した。

 3搭乗時間になっても係員は来ない、大幅に遅れているようだ。
 またもや、小1時間も待たされようやく搭乗開始。

 ゲートからバスで運ばれ100人乗りほどの小さな飛行機に着いた時、機影は長く伸び薄暮が迫っていた。

 カタリナが小さな窓の向こう、滑走路の手前で何機もが離陸の順番を待って並んでいる異様な景色を指差す。
 機内で、またまた長い間待たされた。

 この空港だけに6時間ほども居て、気分はもう最悪、一遍にこの国オランダ嫌いになりそう
 
うんざりするものの、糊のきいたシーツがかかったベッドに横になるまでは、ただ我慢するしかない。

 苦境は、まだ続くのである。えっ、まだ続くの? はい、すいません。

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どうしたものか ‐ スト顛末記(3)

2010年04月14日 | ベネルクス

 オランダ国鉄運行しているものの、ベルギー国鉄がスト。  
 国境の駅、ローゼンタール
で列車は止まる、というところまでが前回。

 次の停車駅、ロッテルダムで下車。
 カタリナが、案内所の女性に、フランスの国際特急のタリスも「動いていないの?」と聞いてみたが、「ツモロー!」とにべもない。

 1困り果てている旅人に親切に応接する気は毛頭ないとみえる。
 あなた方がストをした訳じゃないが、坊主憎けりゃ袈裟までも、この気持ちよく分る。

 ロッテルダムの駅前広場で、途方に暮れるとは、「こういうことなんや」と、ぼんやり考え込んでしまった。
 案内書は、旅程に沿って必要なページしか持っていないことが裏目に出て、この街で動こうにも動けない。
 スキポールから空路でブリュッセルへ入るか、ハーグで延泊する程度のことしか思い浮かばない。

 余談だが、昨秋(09年)のロッテルダム。
 駅舎は大改装の真っ只中(写真上)、街の中に運河が流れ、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の
辺り、静かな佇まいだった。(写真中)

 1_2話は戻って、取りあえずハーグ戻ることにして、ホームで電車を待った。
 向かいのブリュッセル方面へのホーム、乗客の姿がほとんどない。(写真下)

 ソフィテルでカタリナが事情を伝えた。
 カウンター嬢がことを理解してくれるまで、優に15分はかかったと思う。

 しかし、この後彼女達は、搭乗券を購入するため近くの旅行社まで案内してくれるなど、頗る親切に接してくれた。

 その旅行社、500ユーロ近いビジネスクラスしか取れないと言う。
 この3年ほど前に、ミユンヘンからフィレンツェまでルフトハンザ便を利用した時もそうだったが、片道の正規運賃は呆れるほど高い。                                                                                      

 500ユーロ、当時のレPhoto_4ートで約9万円、1時間足らずのフライトに幾らなんでも手が出ない。
 諦めてソフィテルに戻ると、親切なカウンター嬢、今度は、直接オランダ航空に電話予約をしてくれた。「400ユーロ近く要るが手配できる」と言う。
 ただし、JCBカードは駄目と言う。KLM航空にしてこの有様、いざの時に使えぬカードに呆れる。

 訪れたことは勿論、普段、話題にすることもないだろう東洋の島国の客に、彼女達は本当に親切だった。

 朝別れたベルボーイが、今度は荷物をキャリーに載せてホームまで運んでくれた。
 握手をして別れたが、情けは人のためならず、あらためて身
に沁みた。
 それにしても、どこまで続くぬかるみぞ、ペトロとカタリナ、疲れたのか口数が少ない。(もう少し続く)

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信じる者 ‐ 言葉

2010年04月12日 | 聖堂/教会/聖書

 他のブロガーのことは知らない。
 が、ブログを続けるには、苦しい時の神頼みならぬ、シリーズ物頼みも要るようで、「シリーズ・散歩道」もそのひとつ。

 怠け者の自己弁護ではないが、決して手を抜こうということではない。
 鬼子ということもない訳じゃなく、この新シリーズ「言葉」、以外にも孝子?になったりして・・・。

 Photo前置きが長くなったが、その新シリーズ、初回の今日(復活節第2主日/4・11)の言葉は、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20・25‐29)。

 キリストがふたりの泥棒とともに磔刑され、三日後に復活、弟子の前に現れたその場にトマスはいなかった。

 他の弟子達が「主を見た」と言っても、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と。

 それから八日後、イエスがトマスを前に言う。
 「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」、そして、その後に続くのが今日の言葉。

 Photo_11キリストの十二使徒のひとり、この聖トマスが好きだという人、結構多いようだ。

 斯く言うカタリナ、「私も、見て触れて、その上でもまだ信じないかも。もし男だったら霊名をトマスにした」と言って憚らぬ様。
 余談だが、これをもってしてペトロの苦労が窺い知れようというもの。

 多くの画家がこの場面を作品に残したが、中でも有名なのがカラヴァッジョの「トマスの不信」(写真上)だ。

 トマスのフアン?のカタリナ、この絵見たさに、シーズンオフも知らずに雨の中、のこのことベルリンからポツダム・サンスーシ宮殿(写真中・上)まで行ったことは、<えっ、入らないの?>に書いた。

 話は変るが、ペトロが教会で先唱の奉仕をしていた頃の主任司祭がベズロン神父様。
 フランス人らしく頗る頑固な方だったが、長いミサを嫌って努めて短くしようとされていたのは好感が持てた。
 ただ、彼の説教は長かったけれど。

 Photo_4ベズロン神父様に比べると、優に倍は超える長いミサが終わっての帰途、カタリナは茶会で不在。

 昼時に少し早いが、外食文化?を変えた回転寿司のカウンターで、独りぽつねんとしていたら、見知らぬ上品な婦人に「よかったらこれ使って下さい」と声をかけられた。

  訝しがるペトロに「皆さん使っておられますよ」と言葉を重ねられ、手許を見ると新聞の切り抜き、この店の割引券だった。
 静かな語りかけに有り難く頂戴したが、女性の気を惹くほどの雰囲気を持ち合わせた初老でもないことは自覚、よほど黄昏て侘びしく見えたのだと思い、少し恥かしくなった。

 雨の今朝、狭いベランダの片隅で、山芍薬が白い小さな蕾をつけたとカタリナが嬉しそう。
 
スト顛末記の続きがまだのうえに、新シリーズを始める?それに、随分と長くなった、ご容赦。

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