ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

止めときゃいいのに・・・の、続き ‐ 5月がゆく

2017年05月31日 | 季節/暦

 春に限らず、季節感は年々薄くなるようだ。
 それでも散歩の折など、新緑の葉陰を吹き抜ける風が、この季節にしては厳しい日差しに心地よい。

 一年でも爽やかな時季だが、ここ数年は屈託している、ことが多い。
 過ぎたことを想い彼此(あれこれ)といじけているだけだけれど、「いい加減に卒業しなさい!」と、当の本人の叱咤する声が聞こえてこないでもない。

 十日ばかり前のNHKのドラマ 「ツバキ文具店」でのこと。
 妻を見送った初老の男に、“ 夫婦、どちらかが先に逝く時は、相手が元気で長生きするように、自分の命を託して逝くんだ。残された者は笑い乍ら生きていく責任がある ” と語らせ、妙に説得させられた。

 ところで一週前(5/26)、<フローリング工事>で部屋を空っぽにした、ものの別に差し障りもないのでそのまま放ったらかしにしていた。

 流石に、朝が来る度に今日こそ片付けなくてはと思うのだが生来の怠け者、いっかな腰が上がらない。

 それでも、がらんとした部屋が何とも寒々しく、彼女 のベッドだけでもと戻した。
 が、主のいないベッドが部屋にぽつんとあるのも、それはそれでなんとも遣り切れない。

 で、何時かはやらなきゃと一念発起、それほど大層なことじゃないが、何とか五月中に元に戻し終えた。
 序に、不要の物、遺した物も捨てりゃいいのだが、小心翼々たる僕(やつがれ)、そこまで踏み切れない自分が情けなくももどかしくもある。

 そんなこんなで、およそ爽やからしき様相も残さず、皐月・五月はゆく。  (真夏を思わせる夙川堤で)
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1320

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レンブラント(4) 「ベルセフォネの略奪」

2017年05月29日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ ‐ ベルリン/ゲマルデ・ギャラリー編 (16) ‐ 中欧美術館絵画名作選 (68)

 当然のこと乍ら、巨匠レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)と雖も、最初は無名だった。
 その彼を見出し、後援したのが、オランダ総督オラニエ公の秘書官コンスタンティン・ホイヘンスだったことは知られている。

 その彼の進言を受け、ギリシャ神話に画材を得て描いたのが 「ベルセフォネの略奪」(1632年)。

 全知全能神にして女好きゼウスと豊穣神デーメーテールの間に生まれたベルセフォネ、野原で妖精らと花を摘んでいると美しい水仙が咲いているのを見つけた。

 彼女が花を摘もうと妖精らから離れた瞬間、大地が裂け、予てから彼女の美しさに心奪われていたハーデースが現れ、冥府に連れ去られてしまう。

 その場面、青空に黒雲が湧きたつ大地の裂け目で、黒い馬に引かせた獅子飾りの車に乗ったハーデース、必死に抗うベルセフォネ、裾を掴み引き留める妖精らを劇的に切り取っている。

 面白いのはこれから、長くなるので大幅に端折ると、事件を知った母デーメーテール、夫のゼウスに相談するも、「冥府の王ハーデースは真面目な奴や、お似合いやないか」と取り合って貰えず激怒、姿を隠しちまったので大地は実をもたらさなくなってしまった。

 妻を持て余したゼウス、娘を解放するようハーデースに伝えた。
 応じてベルセフォネを解放したハーデース、別れ際に柘榴の実を差し出したところ、彼の優しさも感じ始めていたベルセフォネ、お腹が空いていたことも手伝って、12粒のうちの4粒(6粒とも)を食べちまった。

 が、冥界の食物を口にした者は、冥界に属するという神々の取り決めがあった。
 で、食べた柘榴の数だけ冥府で暮らす事になり、一年のうちの三月(半年とも)を冥府で過ごすことに。

 子離れができていない豊饒神の母、娘が地上の時には大いに喜び豊かな実りをもたらしたが、冥界の時には旋毛(つむじ)を曲げて隠れちまって・・・、春と冬(秋と夏)の季節の始まりなンだとか、ホンマかいな?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1319

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それにつけても、ポテチに負けちゃいまして ・・・

2017年05月27日 | 日記

 1968年というから50年も前、明治製菓が日本初のスナック菓子 「カール」を販売したのは。

 勾玉みたく、くるんとカールした形から名付けられたンだそうだが、今秋以降は関西以西のみの販売になるんだとか。
 原因は、ライバル、ポテトチップスなどに負けて、売り上げが、全盛期の3分の1ほどに低迷したのだそうだ、とまあ朝日紙にあった。

 このお菓子のCM、口の周りに伸びたお百姓さん髭、そんな髭があるのか知らないが、そのカールおじさんと子供や動物たちのアニメと演歌の大御所三橋美智也さんの歌という、ちょっと異色のコラボが面白く、Googleで検索したら何件かの動画にあたった。

 

 いろんなバージョンがあるのに少し驚いた、が、半世紀も売ってりゃ変わらない方が可笑しいというもの。
 このCM、カールおじさんたちが繰り広げるドタバタを、“ それにつけてもおやつはカール ” で括るキャッチコピーが秀逸。

 埋め草みたくな今号、コピーの原型? 嘯(うそぶ)く悪代官の決め台詞 「それにつけてもお主も悪じゃのう」を持ち出して、無理矢理に落ちをつけることもないが、この主とやら今にしたら誰が相応しい?

 嘯くのが傲慢なあの御仁だとすれば、金庫番にして報道官の何某かな? 皆さんそれぞれご自由にどうぞ!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1318

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止めときゃいいのに ・・・

2017年05月26日 | 日記

 花の後、若葉の頃もあらばこそ、一気に夏日、そして真夏日、順応性に欠ける老いぼれは気息奄々。

 ところで、予てから気になっていたカーペット敷きの部屋のフローリングを頼んだのが一月前。
 多くもない家具だが動かさなくてはならない上に、下見の工務店のお兄さん、「クローゼットの中も空にしといて下さい」なんて命令するもンだから 「そこはいいです」とも言えず。

 注文が立て込んでいるのか、一月も待たされてるうちにこんなに暑くなるとは、思いもしなかった。
 なんせお尻に火がついても動かない性質(たち)、涼しい時に少しずつでも移しときゃいいのに先延ばし。

 さらに面倒にも、行きがありゃ帰りがある、止めときゃよかったと臍を噛み乍らもなんとか部屋を空けた。

 ものの、終わったのに元に戻すのが億劫、それでなくとも狭いわが家であるけれど、空っぽの部屋に誰が文句を言うじゃなしと放ったらかし、何のためにやったんだか。

 工事が終わった頃に降り始めた雨、ベランダから遠く甲子園方面にナイター照明が煌々としていたが、伝統の一戦とやら、最近、貧打の地元チーム、主催権あるんやから止めときゃいいのに案の定の負け戦。

 そう言えば、左肩痛めた新横綱も、止めときゃいいのに無理して出場、貴乃花の二の舞、引退にならなきゃいいけど。

 翌日(5/26)は朝からの雨にほっと一息、昼下がりに止んだ雨にマンションの庭の薔薇も洗われ・・・、そうそう大昔、こんな歌が流行ったよなあ。

   雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花  「雨の二人」 (詞:宮川哲夫/曲:利根一郎)

 詩心はないけれど、こんな<恋に憧れた時>もあったなあ・・・、老いぼれにも。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1317

   

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今頃、韓流ドラマ事情に、へぇ~、そうなんだ!

2017年05月24日 | 映画/TV/音楽

 へぇ~、そうなんだ! と思うことがある、往々にして詰まらないことが多いけれど。

 某日、NHKの 「ごごママ」をグリシャムの 「汚染訴訟」(新潮文庫刊)を片手に乍ら視してたら、笑顔の可愛い娘さんがたどたどしい日本語を交え語っていたが、「オクニョ」という韓国ドラマの宣伝に来日したよう。

 その彼女曰く、徹夜続きの過酷な撮影現場で、脚本が当日になって渡されることもしばしば、覚えるのが大変だったという主旨のことを話してい、そうなんだと少し驚いた、往々にしての口だけれど。

 さらに、世評によって筋書きを変更したり、放送回数を増やしたりすると続け、なんだそりゃと呆れた。

 一昔半ほども前、韓流ドラマがご婦人方を中心に人気を得たようだが、あいつ がTVを殆ど視ないこともあって無縁だった。

 ただ、高視聴率に興を引かれ、NHKが放送する清酒みたくな題の 「大長今・チャングムの誓い」(写真はどこかのHPから拝借しました。)を、暫く視たことはある。

 が、日本や米国のそれが十数回で終わるのと違って延々と続くのに辟易、途中で止めたが、その理由(わけ)を今頃になって知った。

 ドラマ制作のウラ話から、聊か大袈裟だが、ポピリュズムというか、この国の政治の一端が垣間見えたように思った。

 翻ってわが国民は、傲慢首相に尻軽夫人、答弁出来ない主管大臣、忖度だらけの議員と官僚らが大好きらしく、政権に辛口の朝日紙の世論調査にしての高支持率に、へぇ~、そうなんだ!と驚いたり呆れたり。

 かと言って、驚いてばかりはいられない、共謀罪の強行採決は勿論、大学を建てたいお友達への肩入れを、こうもあからさまに見せられ、説明を求める野党に居丈高に証拠示せとは恐れ入る。
 次の選挙、待ってろよ! 喩え、蟷螂の斧たろうとも・・・だ。 
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1316

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レンブラント (3) 「舅を脅すサムソン」

2017年05月22日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ ‐ ベルリン/ゲマルデ・ギャラリー編 (15) ‐ 中欧美術館絵画名作選 (67)

 レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、旧約聖書 「サムソンの物語」をテーマに何点か描いてい、その 「舅を脅すサムソン」(1635年)が今回の作品。

 主題は聊か難解、で、話しを理解(わかり)やすくするために少し長くなるが、旧約聖書・土師記13~15章 「サムソン」を追ってみたい。

 イスラエルの人々の行いが悪く、神は彼らを40年間ペリシテ人に渡された (13章1)。

 この頃、ダンの氏族マノアの不妊の妻に神の使いが現れ、「身籠って男児を産む、その子は胎内にいる時から神に捧げられているので、その子の頭に剃刀を当ててはならない、彼はペリシテ人からイスラエルを解き放つ救いの先駆者になろう」と告げた (13章2-5)。

 ティムナでペリシテ人の娘に惹かれたサムソン、<祝宴>を催し30人のペリシテ人の客に、「当てたら衣30着をやる、解けない時は30着を差し出せ」と謎をかけた (14章1-13)。

 解けない彼らはサムソンの妻に、「夫を言いくるめて答えを聞きだせ」と迫り、妻は夫にしつこくせがんだので明かしてしまい、妻は同族の者に教えたのでサムソンは怒りに燃えて父の家に帰った (14章15-20)。

 暫くしてサムソンは妻を訪ねたが、妻の父は 「貴方が娘を嫌ったと思い貴方の友に嫁がせた」と言い、サムソンは 「今度、私がペリシテ人に害を加えても私には罪がない」と、ペリシテ人が刈り入れた麦、麦畑、葡萄畑、オリーブの木に至るまで燃やした (15章1-5)。

 そのサムソンが訪ねる場面を描いた本作、サスキアと恋に落ち、34年に資産家の妻の親族の反対を乗り越え<結婚>したレンブラント。
 穿った見方をすれば、当時の親族に対する鬱屈した感情がこの逸話を借りて描かせた、と、窓の前で拳を上げる画家そっくりな男から、そんな風に解釈したのだが、はて?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1315

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どうにもいけない

2017年05月20日 | 日記

 愚かにも月曜からの隔日に加え土曜も投稿、なんて思ったもののどうにもいけない。

 何度か利用したことがあるが、“ 一年前の記事をお届けします ” や、利用したことはまだないが “ お題に参加してみましょう! ” とか、goo 事務局があれやこれやと救いの手?を差し伸べてくれる。

 こんな仕掛けが用意されてるのはお困りの方も少なからず・・・、で、「だよなあ!」と変なとこで安心も。
 毎日更新される方からすれば笑止だろうが、結構、真剣に 「面白いことはないかな?」と考えたりもした。

 が、半径半里の徘徊老人の日常など、殊更、面白いこと、珍しいことが転がっている筈もない。
 てなことで、ここ暫く巨匠の名画を借りて紙面を繕っている、「その方がいいじゃない!」の声は別にして。

 そんな折、要らざることにも洗濯機が話題を提供してくれた、それこそどうにもいけなくなったようだ。

 今、NHKの朝のドラマで桑田佳祐さんの歌に乗って流れるタイトルバックが面白いと、以前、朝日紙のTV担当記者が書いていた。

 そこに出てるやつほど古くはないが、二十年以上も頑張ってくれていたのに、この春先からドラムが塩梅よく回転しなくなったみたく、ぎぃぎぃ~と骨が軋むような音を立て乍ら洗う姿?が痛々しい。

 古くから女やもめには花が咲くけど<男やもめ>にはなんとやら・・・と、揶揄される。
 ピカピカの暮しをしている、と胸張れるじゃないけれど、それなりに<小ぎれい>に、の自負はある。

 仕舞い仕度もあって物は買うまいと決めているが、掃除機とともに方便(たつき)の要が壊れたとなればどうにもいけない、僕(やつがれ)と一緒におさらば、「それまで頑張ってくれ!」との思いは届きそうにもない。

 そんな老人の日々、今日も、日はまた昇る、が、詰まらんブログに使うなと文豪の舌打ちが聞こえてきそう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1314

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レンブラント(2) 「デリラに裏切られたサムソン」

2017年05月19日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ ‐ ベルリン/ゲマルデ・ギャラリー編 (14) ‐ 中欧美術館絵画名作選 (66)

 オランダ絵画黄金期を代表する画家レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、1631年、満を持してライデンからアムステルダムに移住する。

 そこで瞬く間に恋に落ちた<サスキア>と34年に結婚式を挙げ、幸福に満ちた生活を得た彼。
 この32年からの10年間は、レンブラントにとっての黄金時代とされてい、この頃を境に、“ サムソンとデリラの物語 ” (旧約聖書/土師記)に関心を持つようになったともされている。

 その彼が、栄光のキャリアの幕開け期に描いたとされる 「デリラに裏切られたサムソン」(1629-30年)が今回の作品。

 本作の主題は、小編 「<サムソンの結婚>」(1638年/ドレスデン国立美術館蔵)で投稿したが、改めて簡記すれば、ペリシテ人に奪われたイスラエルを救った無双の勇士サムソンが、ペリシテ人の娼婦デリラと恋仲となり、怪力の源が頭髪であることを教えてしまったことから髪を切られ、ペリシテ人に捕まってしまう場面。

 酔いつぶれたサムソンを抱き頭髪を指差すデリラ、鋏を持って駆けつけるペリシテ人、壁の陰で機を窺うペリシテ兵、登場人物を切り詰めた構図で、これから起こるであろう緊迫の場面を予測させている。

 レンブラントは、髪の毛を切られペリシテ人に目をえぐられるサムソンの苦しみ、その残忍な場面から逃れようとしながらもサムソンに心を残すデリラの迷いを描いたとされている。

 後年レンブラントは、その残忍な場面 「<ペリシテ人に目を潰されるサムソン>」(1636年)を描いてい、ドレスデン、ベルリン、ハンブルクと回った旅の帰途、<フランクフルト>に<シュテーデル美術館>を訪ね、今まさに目をえぐられるサムソン、髪と鋏を手に逃げるデリラの迫真の場面に息を呑んだことを憶えている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1313

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レンブラント 「長老たちに脅かされるスザンナ」

2017年05月17日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ ‐ ベルリン/ゲマルデ・ギャラリー編 (13) ‐ 中欧美術館絵画名作選 (65)

 ゲマルデ・ギャラリー、入口の円形ホールに続き柱が並ぶ大フロアがあって、それを展示室が囲んでいると初回に書いた。
 その大フロアの突き当りに八角形の第Ⅹ展示室、通称 「レンブラントの部屋」に、彼の工房作品も含め十点ほどが並び圧倒される。

 17世紀のオランダ絵画黄金期に活躍した光と影の魔術師レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)。

 今回の作品は、その彼の宗教画 「長老たちに脅かされるスザンナ」(1647年/76×91cm)、小編、<再登場>である。

 主題は、旧約聖書のダニエル書補遺からで、裕福なユダヤ人ヨヤキムの妻スザンナの水浴をふたりの長老が覗き見をする場面、重複を避けてその後日を短く書く。

 予てから下心があった男ふたり、水浴び姿に色呆けの紐がほどけ、関係を迫ったものの拒まれると、庭の樹の下で姦通していた、死罪を与えよ、と告発したというから性質が悪い。

 告発に疑いを持ったダニエルが、別々に件の樹の種類を尋ねるとしどろもどろになって、ひとりは乳香樹、もうひとりは柏の木と異なる場所を答えたので嘘が露見したというからお粗末。
 預言者ダニエルはBC6世紀の人とされているが、昔も今も助平男はいるものと呆れるやら感心するやら。

 とはいえ、甘美で官能的な姿態、脱ぎ捨てられた赤い衣服と靴、覗き見した挙句に不埒な考えに捉われたおっさんの気持ち分からなくも・・・と、書けば顰蹙を買う? それもレンブラントの力量なせる技なンだけど。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1312

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ホルバイン 「商人ゲオルク・キーゼ」

2017年05月15日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ ‐ ベルリン/ゲマルデ・ギャラリー編 (12) ‐ 中欧美術館絵画名作選 (64)

 昨日(5/14)は母の日、Mother‘s  Day、日こそ違え世界中で母への感謝を捧げる日がある。

 小編も、この日のことは何度か投稿、最近では13年の初夏、盛期ルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチ(1452-1519 )の 「<カーネーションの聖母子>」(アルテ・ピナコテーク蔵)を借りて綴っている。

 慈愛に満ちた聖母は手に赤いカーネーションを握っているが、磔刑されたイエスにマリアが流した涙がこの花になったという伝説があったとか。

 その花をモチーフにドイツ・ルネサンスの画家ハンス・ホルバイン(子)(1497-1543)が、少し変わった組み合わせの肖像画 「商人ゲオルク・キーゼ」(1532年)を描いている。

 ホルバインは二度にわたって渡英、ロンドンに駐・滞在するドイツ商人などの肖像画を描くほか、<ヘンリー8世>の宮廷画家としても活躍したとされている。

 ロンドン商館に駐留していたゲオルクが、滞英中の彼に委嘱したとされる本作、傑作 「<大使たち>」と同様にゲオルクの周りには、職業の貿易を示すアトリビュートなど様々な物が描かれている。

 その中でひと際目につくのが、テーブルのカーネーション、が、なぜ、ホルバインはこの花を肖像画に添えたのだろうか?

 ヨーロッパでは花嫁の幸せを願うおまじない、サムシングフォーなるものがあるのだとか。
 そのひとつ、サムシングブルーの青いガータベルトじゃないが、当時、新婦はカーネーションを身につけると幸せになるとされ、花婿はそれを探し出さなくてはいけないという風習があったのだそうだ。

 そのカーネーション、三年後にポーランドのダンツィヒで、クリスティン・クリューゲルと結婚したゲオルクの結納を象徴したとされている。
 とまれ、妻であり母であり、時に厳しい師でもあった在りし日のカタリナ に改めて想いを馳せた日だった。
 peter & Catherine’s Travel. Tour No.1311

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