春に限らず、季節感は年々薄くなるようだ。
それでも散歩の折など、新緑の葉陰を吹き抜ける風が、この季節にしては厳しい日差しに心地よい。
一年でも爽やかな時季だが、ここ数年は屈託している、ことが多い。
過ぎたことを想い彼此(あれこれ)といじけているだけだけれど、「いい加減に卒業しなさい!」と、当の本人の叱咤する声が聞こえてこないでもない。
十日ばかり前のNHKのドラマ 「ツバキ文具店」でのこと。
妻を見送った初老の男に、“ 夫婦、どちらかが先に逝く時は、相手が元気で長生きするように、自分の命を託して逝くんだ。残された者は笑い乍ら生きていく責任がある ” と語らせ、妙に説得させられた。
ところで一週前(5/26)、<フローリング工事>で部屋を空っぽにした、ものの別に差し障りもないのでそのまま放ったらかしにしていた。
流石に、朝が来る度に今日こそ片付けなくてはと思うのだが生来の怠け者、いっかな腰が上がらない。
それでも、がらんとした部屋が何とも寒々しく、彼女 のベッドだけでもと戻した。
が、主のいないベッドが部屋にぽつんとあるのも、それはそれでなんとも遣り切れない。
で、何時かはやらなきゃと一念発起、それほど大層なことじゃないが、何とか五月中に元に戻し終えた。
序に、不要の物、遺した物も捨てりゃいいのだが、小心翼々たる僕(やつがれ)、そこまで踏み切れない自分が情けなくももどかしくもある。
そんなこんなで、およそ爽やからしき様相も残さず、皐月・五月はゆく。 (真夏を思わせる夙川堤で)
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1320