ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

土砂降り ‐ 6月がゆく

2016年06月29日 | 季節/暦

 梅雨の真っ只中、降らなくちゃ困るんだけれど、降り様が途方もない。
 わが町でも、夏至(6/21)も二日ばかり過ぎた日の未明、バケツを逆さにしたような雨音で眠りを破られた。

 その雨、過日(6/22)の天声人語氏も “ 自然の無情さに、怒りをおぼえる。地震の被害を受けて2カ月余りの熊本を、豪雨がおそった ” と嘆く。

 同紙の社会面では、“ 河川も氾濫し、地震で甚大な被害が出た同県益城(ましき)町、宇土市では広い範囲で冠水、同県甲佐町では国内で過去4番目に多い1時間雨量150ミリを観測した ” と伝えている。

 えっ、小一時間で大人の踝がすっぽり隠れるほど?と呆れて仕舞う。
 こんな猛烈な雨のニュースを聞くと、ひょっとして旧約聖書の創世記、40日40夜降り続いたノアの方舟の再来とも。

 現在(いま)に戻ってこの六月、異常気象もさり乍ら神をも畏れぬ所業も。
 テロともされるフロリダの銃乱射事件、釧路のSCでの女性だけを襲った卑劣漢、何も判らぬままに命を絶たれた人はたまったものではない。

 たまったもンじゃないと言えば、立つ知事後を濁し放し、口をつぐんだまま賞与に退職金を持ってく彼、住民税を払わされる都民も唖然、呆然だろう。

 その住民税をはじめ固定資産税に自動車税、健康保険から介護保険、納付通知の束を郵便受けに置いていく<水無月・六月>、ちんまり暮らす独居老人にはもう土砂降り、折から参院選、投票日を忘れなさんな!

 花の色から 「源平蔓(かずら)」、驕る与党は久しからず、ただ夏の夜の夢の如し・・・、謙虚でなくっちゃね?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1151

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続・レンブラント ‐ 美術史美術館(14)

2016年06月27日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(32

 スポットライトを用いたような光による明暗対比から、光と影の魔術師とも称されたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)。
 その二回目は、ここに架る彼の作品の中では 何と言ってもこれ」と推す 「読書をするティトゥス」。

 レンブラントは、愛妻サスキアの忘れ形見、金髪で洗練され、そして聡明だった息子ティトゥスを溺愛するものの若くして失う。

 彼は、ティトゥスの肖像画を多く遺しているが、何れの作品にも息子に対する愛と慈しみが溢れている。

 しかし、ティトゥス15、6歳頃の姿が描かれたという本作、“ 本来の意味の肖像画というよりも 「読書する青年」といった題の方が相応しい ” とされているようだ。

 光と影の魔術師らしく光の扱いが絶妙の本作、黒のベレー帽を被り肘掛け椅子に深々と腰かけ読書する青年、その後ろから斜めに差し込む光は金色の巻き毛を柔らかく浮かび上がらせ、その影が反射光で僅かに照らされた額に落ちる。

 レンブラントが全てを失っていく晩年(1658年)に描かれた本作、青年の顔、本を持つ手、レース飾りの袖口を暗部から際立たせた表現に、画家と青年(息子)との絆がより一層色濃く滲み出ているように思えた。

 1984年の秋、京都市美術館のウィーン美術史美術館展で初めて出会ったという本作、01年ウィーンで再見したときは殆ど<時間>がなく、あらためて本作を前に 「・・・」無言で佇むカタリナ だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1150

 ※ 「美術史美術館(13)‐ 続・カラヴァッジョ」へは、<コチラ>からも入れます。

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老いの一徹

2016年06月24日 | 日記

 一月ほど前にもなるだろうか、<ラジオ放送>を楽しんでいると書いた。
 そのNHKネットラジオ らじる★らじる、午前中は 「すっぴん!」、“ これが結構面白くて、聴き乍ら過ごしている ” とも。

 過日(6/13)の 「すっぴん!」、リスナーから便りを募るコーナのテーマは “ もう若くないんだなぁ・・・ ” と思うときだったが、その日のパーソナリティー氏、“ 階段を二階分上がるだけで息切れするとき ” と、ちっとも面白くないことを喋ってた。

 が、リスナーから届く便りには 「あるある!」と頷かされるものがあって笑った。

 憶えている範囲だが、“ 母親と主語のない会話をするとき ” とか “ 水を飲んでもむせるとき ” とか “ 不用意に見た鏡に映った自分を見たとき ” にはニヤリとさせられた。

 なかでも、“ 納豆に付いている醤油と辛子の小袋が開けられないとき ” には妙に納得させられた。

 聴き乍ら、そのテーマ “ もう若くないんだなぁ・・・ ” と同じような感慨に “ 老いたなぁ・・・ ” があるなあとぼんやり考えた。

 が、つらつら思うに、つらつら思うほどのことじゃないが、前者は50歳を迎え謂わば未だ人生に余裕がある世代、後者は65歳を越え聊かの鬱屈を擁く世代、似たもの同士乍ら両者の間には大きな違いがあると。

 その老いのこと、朝日(6/19)が、“ 麻生財務相が小樽市での講演で 「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人がこないだテレビに出てた。オイいつまで生きてるつもりだよと思いながら見てました」と語った ” と報じていた。

 別に「長生きしたくて生きてるんじゃ・・・」と思いつつも、表現は穏当を欠くが借金まみれの財政を預かる責任者として言わんとすることは理解(わから)なくもない。

 ただ、家族旅行やら日々の掛かりまで公金や税逃れ、NYタイムスが “ too sekoi.  あまりにもせこいと ” と報じたらしきマスゾエさんがかつて属した政治の界の人には言われたくないやとも思う。

 とまれ、老いたなあ組みも、その予備軍たるもう若くないんだ組みも、近くある選挙では老いの一徹と疎まれようとも、意地を見せたいよねえ!

 「<インパチェンス>」だと思ったら 「サンパチェンス」(上)と 「ロココ」(下)、似た者同士じゃなく姉妹なんだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1149

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続・カラヴァッジョ ‐ 美術史美術館(13)

2016年06月22日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(31)

 バロック絵画最大の巨匠にして無頼の画家カラヴァッジョ(1573-1610 /イタリア)。
 ドイツ・ルネサンス期に活躍した<クラナハ>(1472-1553)まではいかないが、彼もまた同じモチーフで多くの作品を描いている。

 その彼の  「ゴリアテの首を持つダヴィデ」(左)が今回の作品。

 主題は、旧約聖書・サムエル記(上/17章)を典拠とする “ ダヴィデとゴリアテの戦い ”。
 ベツレヘムの<ルツとボアズ>の孫のエッサイ、そのエッサイの八人の息子の末子で士師サムエルより香油を塗られた<青年ダヴィデ>、敵対していたペリシテ軍の屈強な闘士ゴリアテの額を投石によって打ち、俯けに倒れたゴリアテの首を刎ねる場面。

    

 彼は、これをモチーフに本作の他に 「ダヴィデとゴリアテ」(中/プラド美術館蔵)、「ゴリアテの首を持つダヴィデ」(右/ボルゲーゼ美術館蔵)と、知る範囲では二作を描いている。

 ところで、カラヴァッジョの絶筆が何れの作品であったかは判っていないのだそうだ。
 が、ボルゲーゼ美術館収蔵版は彼が没した1610年頃に描かれた可能性が高く、作品が有する陰鬱な雰囲気は凄惨な場面性とも相俟って、彼の最晩年の陰鬱な思想に叶うものともされているようだ。

 加えて青年のさも嫌そうな表情は、切り取られた首に自分の顔を写すことによって、青年に自らの稚児を写したものなのだとか。

 この趣向は、盛期ルネサンスの巨人ミケランジェロ(1475-1564)が 「<最後の晩餐>」(システィーナ礼拝堂)で、聖バルトロメオの<剥がれた皮膚>に自分の苦悩に満ちた容貌を重ね合わせたことを想起させ、最晩年のカラヴァッジョが絶望に近い状況にあったことを窺わせるのだともされている。

     

 嬉しいことに、その彼の 「荊の冠を被ったキリスト」(左)も架かっていた。

 主題の “ 荊冠を被ったキリスト ” をモチーフにする作品、これも知る範囲のことだが 「<キリストの笞打ち>」(中左/カポティモンティ美術館蔵&中右/ルーアン美術館蔵)、「この人を見よ」(右/ジェノヴァ美術館蔵)の四作を描いている。

 ちなみに本作、真贋論争が長い間続いていたらしいが、展示されているということは決着がついたのだろう。
 で、カラヴァッジョのフアンのカタリナ、「嬉しい!」と喜んだのだが、貸出中でがっかりしたり、予期せぬ作品に出会えたり、それもまた一期一会というものなのかも知れない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1148

 ※ 「美術史美術館(12) ‐ カラヴァッジョ」へは、<コチラ>からも入れます。

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糖質ダイエット?

2016年06月20日 | 日記

 父親は食事にあれこれを言わない人だった。
 それに比べて酔狂、あいつ との暮らしのなかで随分と不平不満を、また、口にせずとも顔に出した。
 そんな態度に腹を据えかねたのか、時に 「子供じゃあるまいし、好きなものばかりなんてならないでしょ!」と叱られたりも。

 独り暮らしになって、あいつの気持ちも判るようにも、親父の境地になってきたようにも、と勝手に合点していた。
 が、考えてみりゃ自分が食べたい物を拵えてんだから、味付けに失敗した不味いものも含め 「文句のもって行き場もないよなあ」とも。

 四年ほども前になるが、脚本家の三谷幸喜さんの朝日夕刊の連載エッセイ<ありふれた生活>を借りたことが。
 そこで彼は、<炭水化物ダイエット>なるものをやって劇的な効果をあげた、ことを書いていた。

 彼の言う炭水化物を全く摂らない食事ほど過激じゃないのだろうが、過日(6/7)の夕方、マスゾエさん一色の番組に聊かうんざり、リモコンを弄っていたらNHKのニュース シブ5時で、某病院の糖尿病センターの医師を交え “ 疑問解消!糖質制限 効果は&どう食べる? ” というのをやっていて 「あれっ!」と思った。

 糖質制限って聞いたことがあるような気もするが、酔狂の知識たるや糖質ってなんだ?の低レベル。
 HPを引くと糖質とは、“ 炭水化物から食物繊維を取り除いたもの ”、つまり、“ 水分やアルコール、脂質、タンパク質、食物繊維、ミネラルに分類されないもの全て ” とあった。

 で、糖質は体の主要なエネルギー源、糖質を完全に止めるのは体に返って悪いが、控えることによってダイエットに効果があるのだとか。

 番組では、例えば糖質を正しく制限すれば肉など幾ら、確か800gと言っていた。喰っても構わないのだ、という風なことも言ってい、目から鱗を沢山落とした。

 斯く言う酔狂、開腹手術に乗じて?メタボを解消をして貰ったのを機に、控え気味の肉とともに米飯は小さな茶碗に八分ほど、嵩にして80~120gとかなり自制。
 六月からは一日二食のうちの夕食に限ってだが、その米飯に麺類も加えて原則止んペに糖質ダイエットやってンの?」かって、まさかそんなこと、えっ、やってんのこれって?

 少し時季ずれだけれど、花屋さんで 「リーガスベゴニア」が薔薇みたくな花をつけていた。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1147

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カラヴァッジョ ‐ 美術史美術館(12)

2016年06月17日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(30

 徹底した写実性と劇的な明暗対比や感情表現で、多くの画家に大きな影響を与えたとされるバロック期最大の巨匠にして無頼の画家カラヴァッジョ(1573-1610)から美術史美術館の後半を始める。

 余談だが本名はミケランジェロ・メリージ、35歳の時に喧嘩で相手を殺し、ローマからナポリに逃れた彼に似合わぬ名前だ。

 余談序に小編、ローマにバロックの奇才<カラヴァッジョとベルニーニ>を訪ねる旅、その<ナポリ>まで足を延ばしたが、現在、<悔悛するマグダラのマリア>で中断、何時か再開したいと思っている。

 その彼がモデナ公の注文に応じ、ナポリで着手したとされる 「ロザリオの聖母」(上)が今回の作品。

 本作、<マントヴァ公>に献上された後、彼と同時代のフランドルの画家ルーベンス(1577-1640)たちが購入、<シエナの聖カタリナ>などを輩出したドミニコ修道会のアントウェルペンの聖堂に奉納されたのだとか。

 主題は、清貧をモットーとするドミニコ修道会を創設した聖ドミニコが最初に行ったとされる<ロザリオ>を用いる祈り、“ ロザリオ信仰 ” を普及するためだったとされている。

 画面は、天の女王たる聖母が右側のロザリオを手にする聖ドミニコに指示を与え、左側には修道会の聖人である殉教者ペトルス、その隣には修道会で最も有名な神学者聖トマス・アクイナスが配されている。

 そして、彼の作品の特徴のひとつである<赤のカーテン>が、この情景の儀礼性を高めている。

 ところで、この絵を見て少し首を傾げる向きもあるのでは。
 画面の手前部分(下/部分)、跪いて手を差し伸べる信者たちは、なぜ聖母子じゃなく聖ドミニコ、あるいは、彼らの方をみている襟飾りのついた黒服の奉納者に腕を伸ばしているのだろうかと。

 カラヴァッジョは、聖母と聖人たちが手前の信者らには “ 隠されている ” ことを示唆。
 それが取りも直さず本作を前にした者に “ 恰も修道士とともに聖母子に祈りを捧げている ” かのような印象を与えることを意図、したのだとすれば面白い。

 印象と言えば、ナポリの<ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア聖堂>の正面祭壇に架かる 「<慈悲の七つのおこない>」(下)の直後に描かれたとされる本作、イメージが重なる雰囲気があって聊か紛らわしいのも面白いと言えば面白い。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1146

 ※ 「美術史美術館(10)‐ ケーキとビール」へは、<コチラ>からも入れます。

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ケーキとビール - 美術史美術館(11)

2016年06月15日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(29)

 美術史美術館の旅、ルーベンス(1577-1640/フランドル/バロック)でその前半を終えたふたり。

 少し疲れたので、二階中央の吹き抜けの辺り、大理石で設えられた重厚な一角、かってハプスブルク家御用達のケーキ店、カフェ・ゲルストナーに腰を下ろしました。
 時間が少し早いのでランチの準備はできていないようです。

 ※ カタリナの独り言  〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 前回、時間がなくて利用できなかったゲルストナー、日本の手の込んだ美味しいケーキを食べていると、案内書で薦めるほどに食べたいとも
 それでも折角だからラズベリーのケーキを注文、それなりの味というのが率直な感想、コーヒとミルクが半々のメランジュなる飲物、これは美味しい
 ところで誰かは相も変わらず 「ビール」だ 

 ※ 序にペトロも独り言
 「また?の声に臆することなくとコップを傾けた
 歩き疲れた体にきりりと冷えたビールがさぞかし喉を潤おして・・・と、思いきや冷えてへんがな! ()

 案内書やインターネットにご大層に宣伝するほどには大したカフェでもないね、が共通の感想でしたが、値段だけは、それは立派なものでした。

 それでも、歩き続けた体に新しい気力を蘇らせてくれ、「さあ、出かけましょう!」と相変わらず美術館では元気な誰かでありました。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1145

 PS : goo のシステム・メンテナンスのため、昨日(6/14)のほぼ一日、アクセスが制限されていました。
     それを言い分けにする訳ではありませんが、今号は<埋め草記事>みたくになりました。

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続々・ルーベンス ‐ 美術史美術館(10)

2016年06月13日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(28)

 同時代の画家<ヴァン・ダイク>(1599-1641)や<ヤン・ブリューゲル>(1568-1625)らとともに精力的に制作したことで知られているピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640/フランドル/バロック)。

 彼が手がけた総作品数は約1200点とか。

 作品の多くは彼の工房もしくは他作家との共作とされ、17世紀初頭に今でいうビジネスモデルを作り上げたという点で、画家であると同時に野心旺盛な商人だったのだろう。

 そのルーベンスの 「自画像」(上)が今回の作品。

 彼が自画像として遺したのは、最初の妻イザベラとの結婚を記念して描いた 「<ルーベンスとイザベラ・ブラント>」(アルテ・ピナコテーク蔵)など素描を含め僅か数点とか、膨大とも言える作品数の割には少ない。

 本作、没する前年に、大きな帽子と黒服に身を包み、手袋をはめ剣を携えた騎士の威厳ある姿として描いたとされている。

 が、その表情から窺えるものは、“ 公的な肖像画としてよりも、年老い、痛風に悩まされる自己の内面を深く見つめ描写したかのような、ある種の憂鬱さを含む鋭い眼光をもって描かれている ” と美術書は解説する。

 そして、“ このような内省的な表現を感じさせる表現は彼の作品としては稀である ” と続けていた。

 そう言われれば、同時代のレンブラント(1606-1669)と通底する、例えば 「<自画像 ‐ 職人の装い>」と同じ印象を本作から受けるのも自然なのかも知れない。

 その彼が二番目の妻エレーヌ・フールマンを描いた 「毛皮をまとうエレーヌ・フールマン」(下)も架かっていた。

 小編再登場の本作、イザベラを失い失意に暮れる彼が、新たに出会った友人<シュザンヌ・フールマン>の妹のエレーヌ・フールマンの入浴直後の姿、あるいは、アトリエで即興的に描いたとされている。

 しかし現在では、イタリアでヴェネツィア派から豊かな色彩表現を学んだルーベンスが、ルネッサンス期の巨匠ティツィアーノ(1488-1576 )の 「<毛皮のコートをまとう婦人>」(ウィーン美術史美術館蔵)を典拠とした、美の女神ヴィーナスをエレーヌをモデルに描いたのでは、とする説もあるようだ。

 ちなみに、本作の売却を禁止したとされるルーベンス。
 死後、エレーヌに遺贈するよう書き遺したことからも、美しく何よりも若々しい妻を迎えたことが余程嬉しかったのだろう・・・と、羨ましくも勝手に推測するのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1144

 ※ 「美術史美術館(9) ‐  続・ルーベンス」へは、<コチラ>からも入れます。

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知らぬが花?

2016年06月10日 | 日記

 朝日新聞に 「ひととき」という、女性に限定した投稿欄がある。
 あいつも も二度採用されたことがあり、その後、採用者を会員にした 「ひととき会」という親睦会に参加していたようだ。

 過日(5/31)にその 「ひととき(大阪版)」に掲載された “ 夫との関係は続く ” という広島市在住の64歳の投稿に、「あれっ!そうなンだ」という読後感を持った。

 読まれた方もあると思うが、“ 朝方、夫と旅行している夢をみた。夜、休む前に舅、夫、姑の遺影に挨拶をするようになって、どのくらい経っただろうか ” と話は始まる。

 なになにと読み進むと、“ 夫とは結婚当初から性格が合わなくて、12年前に死別するまで26年間、一度も楽しいことなんかなかったと思うほどだった ” と核心へ。

 思うほど、と断ってはいるものの 「へえ~っ、まさか26年間一度も?と素朴に驚く。

 三人のお母さんらしいけれど、楽しいことばかりじゃないが三十年近くも夫婦やってりゃ嬉しいことのひとつやふたつはあっただろう思うのだが。

 数年が経って、“ 私も意固地だったと反省。夫に心からごめんなさいねと言えるようになると、今まで一度も見たことのない笑顔の夫が夢に、思わずどしたん!?と言ってしまったほどびっくりした ” のだとか。

 彼女は、“ 昨夜(ゆうべ)の挨拶の後もごめんねと謝り、夢の中の夫は明るく活き活きしていて何の気疲れも覚えずとても楽しく、起床してからもホッコリしている ” と。

 そして、“ 死別でおしまいじゃないんだ、人間関係は。私が生きている限り変化して続くんだ。そう感じている ” というものだった。

 お仕舞じゃないというのは、その立場になった身として判らないでもないが、結婚当初からというのは聊か解せぬ。

 彼女の投稿は別にして、赤の他人が縁あって憎からず思いひとつ屋根で暮らし始めるのが夫婦。
 と、まあここまで書いて、重ねる歳月のなかで気持ちを変えさせる何かは有り得ること、言わぬが花、知らぬが仏もまた夫婦のカタチかな?と思ったりもした。

 五百円玉ほどの 「ジニア」、和名 「百日草」にあやかって、末永く睦まじく・・・ね、まだ間に合う方は。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1143

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続・ルーベンス ‐ 美術史美術館(9)

2016年06月08日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(27)

 17世紀初めアントワープを統治していたハプスブルク家アルブレヒト7世に宮廷画家として仕えたピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)の二回目。

 まずは、その彼の寓意画 「四大陸」(上)から。

 主題は、四大陸とその地を代表する河川を一対の河神と女神で表現したのだとか。

 少し絵解きをすれば、画面左手、舵を手にする河神と女神はヨーロッパとドナウ、黒人の女神と麦の穂の冠の河神はアフリカとナイル。

 そして、その隣に配される唐辛子の冠を付けた河神と女神は秘境の地アメリカとアマゾン、虎を従えた河神と女神はアジアとガンジスを意味しているンだって。

 彼がこの寓意画を描いた当時はオセアニアは未発見。
 で、四大陸を河神と女神に託し表されても 「それが何なの?」と思わないでもない。

 同様に説明して貰わなければお手上げの 「ヴィーナスの饗宴」(下)も架る。

 美術書によれば本作、“ 三世紀の書物イマギネスの中のニンフ・妖精が建設したヴィーナス像の周りで林檎を取りながら戯れるキューピッドを典拠 ” としているとか。

 イタリアでヴェネツィア派から色彩表現を学び、巨匠ティツィアーノ(1488-1576/ルネッサンス)の 「<ヴィーナスへの捧げもの>」(プラド美術館蔵)を模写したというルーベンス。

 それに、古代ローマで毎年4月1日に行われた女たちによる祭事 「ウェヌス(ヴィーナス)・ウェルティコルディア(心を変えるウェヌス)祭」の描写を加えたのだそうだ。

 夥しいキューピッドとともに祭で登場する人妻、花嫁、娼婦がそれぞれ描かれた本作。

 それは、中央のヴィーナス像を清める女性と像の前で香を焚く女性であり、像に最も近寄り鏡を捧げようとする女性である。
 そして、右端では処女性を示す人形を捧げに訪れた女性が描かれてい、拡大して貰えばそれが何なのか、えっ、説明されても珍紛漢紛だって、さもありなん!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1142

 ※ 「美術史美術館(8) ‐  ルーベンス」へは、<コチラ>からも入れます。

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