ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

浪花の春 「杜朋伝授手習鑑」公演 ‐ 3月がゆく

2017年03月31日 | 日記

 舞台は払い下げられた浪花のさる土地、主演は自称教育者、共演の家老達と勘定方役人を巻き込んでの三つ巴、序幕から即興派と紋切派の口角泡を吹いての台詞回しに興味津々。

 さる止ん事無きお方の言葉を校是とする教育方針を掲げる教育者が、寺子屋を建てようとあの手この手を使って蠢(うごめ)く姿が繰り広げられる。

 店仕舞いの投げ売りもどきの土地の払い下げ、何故か勘定方が価格を内緒にしてい、瓦版屋がスッパ抜くところからこの芝居は始まる。

 そしてこの茶番劇には、名脇役が艶やかに花を添えるという伏線が仕組まれ、単純な筋立てを複雑なものに仕立てている。

 その筋書きは、寄付金集めの広告塔に自らなった有閑の奥方が、浪花のおっさん相手に繰り広げるドタバタに、連中が巻き込まれて大慌て。

 寄付金を 「貰った」だの 「記憶にないわ」だの、映画 「羅生門」をパクったみたく藪の中、奥方をしたい放題に甘やかしている殿さんが叫ぶ 「悪魔の証明」とやらをすべきは誰なのか、とミステリー仕立て。

 そこに登場するのが大阪城代、何ゆえか梯子を抱えて舞台をうろうろ、「外された」 「いや折角掛けてやったのに勝手に落っこちた」となすり合い、三百代言屋の伊達眼鏡の女房までが加わっていつ果てるともない嘘の付き合い、胡麻すり評論家から瓦版屋が喧々諤々、抱腹絶倒、客席を引き込んで倦まさない。

 近年稀にみる公演、春だけじゃ勿体ない夏にも、と思ったところで夢から醒めた弥生・三月でありました。
 それにしてもこの奥方殿、もうちっと凛とできぬもんかねえ、えっ、似た者夫婦、家庭円満なんだって?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1285

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フェルメール 「兵士と笑う女」

2017年03月29日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (8) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (21)

 17世紀オランダ絵画黄金期に最も傑出した画家のひとりヨハネス・フェルメール(1632-1675)。

 その彼の作品、当コレクションが三点所蔵、制作年順に 「兵士と笑う女」(1658年頃/51×46cm)から。

 ふたりの人物が描かれた本作、兵士の姿は大きく、そして影に溶け込んでいる。
 反して女は小さく、その顔は窓から差し込む光に照らされて白く耀き、その対照が際立っている。

 その光の効果に、女はまだあどけなさが残る少女のようにも見え、その不釣り合いさが影の中の兵士を不穏な者に見せてている。
 さらにそれは、本作を見る者も兵士の背後にいるかのように思わせ、聊か落ち着かない心持にさせる。

 それはこの風俗画を前にした者が、構図は全く異なるが彼の 「<娼婦 ‐ 取り持ち女>」(1656年/ドレスデン国立絵画館蔵)と印象が重なることに気付かされるからでもある。

 その原因は、打ち解けた様子で兵士を見つめる女の仕草にある。
 白いヴェール、右手のワイングラス、さりげなく掌を上向けたテーブルの左手などにそれが窺える。

 それらのことから 「娼婦 ‐ 取り持ち女」ほどあからさまではないが、女が兵士にお金を求める場面と取れなくもない。

 当時のオランダでは 「売春宿の絵」と判るようなものが流行ったのだという。
 それは通常、家庭の居間などにも掛けられるよう道徳的な配慮が加えられたのだそうだが、その意味で本作もまた、半開きの窓からの光に男を影に隠すことや背景に架る地図で、その要求に応えていると言える。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1284

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フラゴナール 「連作 ‐ 恋の成り行き」 の、その後

2017年03月27日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (7) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (20)

 ふた昔もみ昔も前、少女雑誌の表紙をめくると、こんな絵が載っていたように思うのだが、勿論、確信がある訳ではない。

 その絵の作者とは、小編、初登場、検索したがヒットしないので。の、フランス・ロココ美術の巨匠ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)。

 繰り返しになるが、“ 不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる独自の風俗的、寓意的主題に天武の才能が示されている ” 彼の 「連作 ‐ 恋の成り行き」(1771-72年)。

 第一と第二場面の 「逢い引き」と 「追跡」に続いて、第三の 「冠を受ける恋人」、そして、第四場面の 「付け文(恋と友情)」が今回の作品。

 ただ、第三と第四を入れ替えた方が、話の筋が通じるとする説を唱える研究者もいるらしい。

 それはとも角、後半も舞台は前半と同じく、どこかの城館の庭園を思わせる美しい樹々と花の園。
 それは、この連作を注文した最愛王ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人が、ルイ15世におねだりして建てさせたルーヴシエンヌの館の庭園だったかのかも知れない。

 で、「冠を受ける恋人(恋人の戴冠)」(上)が、第三の場面。

 秘かに逢ったリ鬼ごっこしたり、おませなのか無邪気なのか掴みどころのない娘が、若者との恋が成就したのか、成熟を意味するらしき花輪を被せようとしているところで、スケッチをする画家自身らしき男も。

 そして場面は 「付け文(恋と友情)」(下)へと移る。

 原題は 「Love Letters」、どうしてこんな副題が付いたのか判んないけれど、確かに第三と第四を入れ替えた方がしっくりするようにも。

 ところで 「連作 ‐ 恋の成り行き」、面白いのはこの絵の成り行きだ。

 なんと我儘デュ・バリー夫人、インテリアを装飾的・官能的なロココ様式から、古典芸術を規範とした荘重な新古典様式に改装しちまった。

 でもって、「あなたの絵、理知的で格調高いルーヴシエンヌの館にちっとも似合わないわ」とか何とか言っちゃって、制作間もない1773年にまとめて画家に返しちまったんだと。

 その彼、自棄か腹いせか知らないけれど、フランス革命勃発後に 「<棄てられて(物思い)>」(1790年/フリック・コレクション蔵)という第五の場面を描いたらしいんだけれど、それって、わかんなくもないよなあ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1283

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フラゴナール 「連作 ‐ 恋の成り行き」

2017年03月24日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (6) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (19)

 18世紀ロココ美術を代表するフランスの画家ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)。

 彼の作品、美術案内には、“ 不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる独自の風俗的、寓意的主題に天武の才能が示されている ” とある。

 その才を遺憾なく発揮した彼の四枚の作品、それも縦318cm、横216~244cmと矢鱈でかい。からなる 「連作 ‐ 恋の成り行き」(1771-72年)、その物語の前半 「逢い引き」と 「追跡」が今回の作品。

 このコレクション、“ 鉄鋼王フリック氏が財力に飽かせて集めたものでなく、高い鑑識眼が評価されている “ と旅の案内書 「地球の歩き方」にあるので優れた作品なのだろう、多分。

 本作、貧民階級層の出身乍らルイ15世の愛妾(公妾)となり、宮廷内で絶大な権力を得ていたデュ・バリー夫人の依頼によって、妾宅ルーヴシエンヌの館の装飾画として描かれたとか。

 これによく似た話、どこかで投稿したような、と検索したらあった。
 時も所も同じとなればお相手も同じのルイ15世、フラゴナールの師でもあるフランソワ・ブーシェ(1703-1770)描くところの 「<ポンパドゥール夫人の肖像>」(1756年/アルテ・ピナコテーク蔵)だつた。

 作品に戻れば、連作中で最初の場面、第一場面を表すとされるのが 「逢い引き」(上)。

 城館の庭園の若い女のもとへ梯子を上って逢いに来た青年、誰かに見つかりそうになって慌てて逃げようとしているのかも知れないが、そんな場面を描いている。

 第二の場面とされるのが 「追跡」(下)。

 英語はからきしだが、原題は 「The Pursuit」とあって、邦題 「追跡」も頷けなくもないが、「追いかけっこ」辺りがテキトーじゃないかと思う。

 これらの作品、ロココ様式独特の優美であり乍ら世俗的で軽薄な雰囲気に満ちている。

 最愛王とも呼ばれた女好きルイ15世の治世に、大きな影響を与えたポンパドゥール夫人(1721-1764)が東の筆頭なら、西のそれはデュ・バリー夫人(1743-1793)。
 その彼女のサロンを飾るに相応しい少女雑誌風、と言えば鑑識眼高きフリック氏にお叱りを受けるか?

 それはとも角として、黒雲と見紛うような大きな樹が各編に登場するのを 「はて?」と首を捻る誰かさんをほっといて、さっさと次の部屋に行っちまったカタリナ、慌てて追いかけたのは言うまでもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1282

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小さな暮らしのなかで

2017年03月22日 | 日記

 独り暮らしになって、しなくなったことのひとつが、家でお茶を飲むこと。
 正しくは少なくなったということだが、お茶に限らずコーヒ、紅茶など淹れて飲むことがめっきりと減った。

 外食が多い昼食は別にして、夕食時にはビールや日本酒を飲むことに加えて、米飯を殆ど食べないので別になくとも差し支えないこともある。

 以前、文明国の中で、水だけで食事をするのはアメリカ人だけ、と聞いたことがある。
 勿論、ジョークだろうけれど、いわばそれに似た非文明的?な暮らしをしている。

 二人の頃は、彼女 が淹れてくれる日本茶やコーヒ、たまに薄茶を点てて貰ったりもして、ゆったりとした時間を楽しんだものだったけれど・・・。

 そんな小さな日々にも季節は春を、茅屋のベランダの彼女の遺した幾つかの鉢にも届けてくれた。
 椿が多かったけれど、その殆どは逝った冬に枯らしてしまったが、残った数少ない 「春蘭」が可愛い花弁を覗かせた。

 花と言えば、連休も明けた雨の日(3/21)の東京、観測木の蕾が開いたとTVが賑やかだ。

  世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし (在原業平/古今集)

 妻子を捨てて出家、諸国行脚の<無責任男>の “ その如月(陰暦二月)の望月の頃 ” じゃないが、花の下でお茶ならぬお酒で、浮世の憂きこともひととき忘れ、長閑(のどか)に花を愛でることとしますか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1281

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ベラスケス 「フラガのフェリペ4世」

2017年03月20日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (5) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (18)

 17世紀スペインバロック期に最も活躍した画家となればディエゴ・ベラスケス(1599-1660 )。
 前回の<エル・グレコ>(1541-1614/マニエリスム)、そして<ゴヤ>(1746-1828/ロマン主義)とともに<スペイン三大巨匠>と呼ばれている。
 スペイン国王フェリペ4世(1605-1665)付の画家となり、以後、生涯の大半を宮廷画家として首都マドリードで過ごしたベラスケス。

 そのベラスケスの 「フラガのフェリペ4世」(1644年)が今回の作品。

 彼、座付き?画家として<世界三大集団肖像画>のひとつ、傑作 「ラス・メニーナス ‐ 女官たち」(1656-57年/プラド美術館蔵)など、フェリペ4世とその家族の肖像画を描きまくっている。

 ちなみに 「<女官たち>」、後の鏡の中に4世夫妻を描いている。
 話しがそれた序に、その傑作の主役、4世が溺愛した娘<皇女マルガリータ>の成長を追って何作も描いている。

 話しを戻す、性格は穏やかで国民に愛されたというフェリペ4世だが、政治家としては凡庸だったようだ。

 その反面、芸術的造詣は深く、彼やルーベンス(1577-1640)など多くの画家を保護、傑作を数多く描かせ、その優れた美術蒐集は後のプラド美術館の礎となったという。

 本作は、1640年カタルーニャで起きた収穫人戦争で同地のフラガに遠征したフェリペ4世、その4世に同行した画家に描かせたとされている。

 剣を吊るし軍旗のポールらしきものを握っているが、4世の表情は柔らかく、この戦争によって敵国フランスにカタルーニャ領の一部を割譲させられたのも理解(わから)なくもない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1280

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彼岸の入りの朝に

2017年03月17日 | 聖堂/教会/聖書

 術後遺症のこともあって、主日ミサ(日曜礼拝)に与ることに自信がない。
 その代わりに、参会者が少なく時間が短い金曜日のミサに与るようにしているのだが、それとてもなかなか叶わず、われ乍ら困ったもんである。

 ところで今日(3/17)は、“ 日本の信徒発見の聖母の祝日 ” のミサでもある。

 話しは飛ぶが、今から17年も前になるミレニアム・千年紀。
 カトリックでは巡礼を薦めていて、その年の春に仕事にひとつの区切りがつくこともあって、春浅き3月、カトリックと縁が深い、また、ふたりにとって初めての<長崎への小旅行>をした。

 その旅行では思いもかけず、国宝の大浦天主堂、普段は隣接の大浦教会でミサをしている。で、長崎大司教が司式する<信徒発見のミサ>、それもローソクの光の煌めく夜のミサに与ることになり、洗礼を受けたばかりのふたりに大きな感動を与えてくれた。

 信徒発見と言えば、年が明けてからアカデミー賞監督スコセッシの 「沈黙 ‐ サイレンス」が上映されている。

 未だ見ていないが、原作となった遠藤周作さんの 「沈黙」(文庫版/新潮社刊)は、洗礼を受ける前もその後も読んで大きな感銘を受けた。
 内容を追うことは避けるが、信仰とは、イエス・キリストとは、と考えさせられた本だった。

 鈍(なまく)らなうえ、意志弱き信者のペトロ、未だに揺らぐこと多き日々だが、弾圧厳しき時代に200年もの間ひたすらマリアに心を寄せ、パードレ・神父の出現を待った人たちがいたことに、あらためて思いを馳せた、そんな彼岸の入りの朝だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1279

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エル・グレコ 「聖ヒエロニムス」

2017年03月15日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (4) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (17

 ギリシャのクレタ島で生まれ、イタリアやスペインで活躍したマニエリスムの巨匠エル・グレコ(1541-1614 )の 「聖ヒエロニムス」が今回の作品。

 この<グレコ>も、この<聖人>も何度か投稿したので重複を避ける。
 が、付け加えれば、ローマ滞在時は、報酬などでの金銭トラブルが絶えず、生活ができないほど貧しい暮らしを強いられていた。

 しかしプライドは高く、当時神の如き存在とされていたミケランジェロ(1475-1564)の 「最後の審判」(ヴァチカン・システィーナ礼拝堂)のある部分の修正を依頼された折、“ すべて削り取り新しく描かせてくれるなら引き受ける ” と豪語、それがスペインに向かわせた原因のひとつになったともされている。

 その彼、作品の八割強が聖人画を含む宗教画とされている。

 そのひとり聖ヒエロニムス、ダ・ヴィンチ(1452-1519)の 「<聖ヒエロニムス>」(ヴァチカン絵画館蔵)やカラヴァッジョ(1573-1610)の 「執筆する聖ヒエロニムス」(ボルゲーゼ美術館蔵)など多くの画家は、聖人ともにアトリビュートの髑髏やライオンを描いている。

 ちなみにライオンとは、中世イタリアの年代記作者ウォラギネ(1230-1298)の 「<黄金伝説>」の、“ 聖ヒエロニムスが弟子の修道士に聖書を説いているとライオンが現れ、その傷ついた足を聖人が治してやった ” という逸話によるとか。

 グレコは、傑作「<聖衣剥奪>」(トレド大聖堂/アルテ・ピナコテーク蔵)などに用いた色使いの着衣の聖人のみを、さも頑固で気難しい神学者として、<マニエリスム様式>の大家らしく縦長?に描いている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1278

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レンブラント 「自画像」

2017年03月13日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (3) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (16)

 マンハッタンのアッパー・イースト・サイド、セントラル・パークの向かいにフリック・コレクションがある。

 ここに<自画像の画家>ともされるレンブラント・ファン・レイン(1606-1669/オランダ絵画黄金期)の1650年代における傑作のひとつ 「自画像」(1658年)が架る。

 本作が描かれたのは、彼が破産の申請をし、財産のすべてを競売によって処分した頃と重なる。

 それゆえか、借財の労苦、金銭の束縛から解き放たれ、精神的な自由を得たある種の余裕が感じられる。

 レンブラントは自身の自画像において、傑作 「<聖パウロに扮した自画像>」(1661年/アムステルダム国立美術館蔵)や 「<ゼウクシスとしての自画像>」(1665-69年頃/ヴァルラフ=リヒャルツ美術館蔵)など、歴史上の人物や聖人、哲学者などに扮している。

 本作においても、そのことが研究者によって考察されているとか。
 が、そのことは別にして、彼が身にまとう豪華な衣装は、今まさに彼の手許から離れていこうとしている物で、それは、過去との決別の意思の表れであった、ともされている。

 レンブラントの表情に感傷は見られない。
 真一文字に結んだ唇、力強く見つめる視線、波乱の生涯に聊かの悔いもないと決めた男の矜持、潔くも格たる自己凝視だけがそこにある。

 午後の静かな館内でこの絵に見入るカタリナ を想い浮かべ、<最愛の妻サスキア>を失った彼には、もう何も失うものがなかったのか ・・・、あらためてそんなことを思う。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1277

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こんな日には ・・・

2017年03月11日 | 映画/TV/音楽

 空は晴れているのに吹く風が冷たい日、そんな日の夜、
 なにもかも詰まらなく、なにもかもする気にならず、高橋真梨子さんの 「フレンズ」(詞:高橋真梨子/曲:鈴木キサブロー)を、キーボドを叩くでもなくぼんやりと聞いていましたら、耳に残るフレーズがありました

 それは、
     ♪重いまぶた 開けた 親指立てながら 横たわる 姿 疲れたのか 夢に ・・・
       空白の 歳月を飛び越えて とにかく今 長い時間(とき)を君に 聞いてほしい

 上手いもんだなあ、と感心しました
 それでと言っちゃなんですが、彼女の動画(You Tube)を拝借しましたので、よかったらお仕舞の方のその触(さわ)り、勝手にそう思っているだけです。だけでも、聞いて下さい

 この日、大震災、そして、人災とも言える原発事故から六年、いまだ故郷への帰還が叶わぬ人がいます
 そんな方から見れば何と気楽なことを・・・と、嗤われるでしょうが、われながら嫌になる僻み根性、こんな夜は早く寝るに限ります・・・  あしたは教会に行きます、多分
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1276

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