ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

半端じゃない ‐ 8月がゆく

2011年08月31日 | 季節/暦

 携帯電話を片手に早朝の、 “ のらくら歩き ”、もう一方の手にはデジカメ。
 幾ら品良く?歩いていても、朝早くに写真を撮る不審な輩、「この助平じじい」と、あらぬ誤解を受けることがないようにしているが・・・。

 で、“ 今朝の一枚 ” として撮った “ 夏の花 ”、例によって新聞拾い読みで葉月・8月を振り返りながら、ありふれた花が多いがそれぞれに可愛く、添えてみた。

 A2_2A1_2広島・長崎の原爆忌に続いて終戦記念日、祈りに包まれた暑い日が続いた。
 その広島の平和記念式典、例年と違って、核兵器の廃絶に加えてエネルギー政策のあり方について早急に対策を講じるよう平和宣言に織り込まれた。

 暑いといえば炎天の甲子園、延長につぐ延長、土壇場の逆転満塁ホームランなどなど、野球は九回ツーアウトからという、使い古された言葉を思い出す試合が続いた。

 節電と円高にあけたのもこの月だった。
 A4A31ドル75円なんて半端じゃない。一体誰がこんな借金だらけの国の通貨を買ってるンだろうね?

 お粗末な政治の世界、刑事被告人小沢某に揉手で擦り寄るお馬鹿な候補が紙面を賑わしたが、野田さんを選んだところに僅かながらも救いがある?
 半端じゃなく民主党が嫌いらしい産経新聞に、「菅さんの方がマシと言われないよう」と薄ら笑いされる始末。

 幾つかの一斗缶に詰められた殺人事件、猟奇的な事件と固唾をのんで注目したら、薬品会社に勤務していた一見平凡な男の犯行で、人間の業の深さと残虐性を見せ付けられた。

 A6_2_2A5_27歳の子を殺した鬼畜、世間のあらゆる厄災から命を賭して守るべき親が我欲のため吾が子を手に。これまた半端じゃない所業に青ざめる。

 幼い子供と年老いた人が犠牲になった天竜川の事故。
 エンジンがない船には救命ジャケットは任意だなんて半端なこと、迂闊にも知らなかったなあ。

 小心者ゆえ番組で生意気に振舞う島田紳助。
 暴力団とのずぶずぶの黒い交際、開き直って居座ればいいのに! えっ、そんなワルにもなれん半端な奴やて?
 一方でマエストロ小澤、松本で国内本格復帰、オペラ全曲を指揮したという明るい話題もあった。

 墓参の途中、中国道で遭遇したゲリラ豪雨、その降り方たるや半端じゃなく、まるで浅瀬を走る水陸両用車。

 “ 夏の花 ”、左から右へ、「アルストロメリア」「ダリア」「キャッツテール」「猫のひげ」「ハイビスカス」「百日草」。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.372

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続・ノヴェッラ教会 ‐ フィレンツェ

2011年08月29日 | イタリア

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会中央祭壇の壁面。
 ここには、若き日の<ミケランジェロ>が師事した画家、ドメニコ・ギルランダイオが 「聖母マリア伝」を描いている。
 ちなみに彼は、ダ・ヴィンチが参考にしたという 「最後の晩餐」を、<サン・マルコ修道院>に描いている。

 Photoこの 「聖母マリア伝」(写真上)の主題はマリアの母、聖アンナの物語である。

〈 ある日、アンナの夫ヨアキムが、エルサレムの神殿へ供物
〈 を捧げに行くと、子供がないことを理由に祭司長からなじら
〈 れ、神殿からも追い払われてしまいます(写真上)

〈 ヨアキムは、失意のうちに荒野に退き、もう家に帰ることも
〈 できないと思い定め、羊飼いたちと暮らしていたのですが、
〈 ある日そこに天使が現れ、妻アンナの妊娠と生まれた子がイエスの母となることを告げられるのです

〈 そしPhoto_2て、そのしるしとしてヨアキムは、エルサレムの金門へ
〈 呼び出されるのですが、やはり、天使に金門に呼ばれたア
〈 ンナと出会います

〈 ふたりは喜びに満ちて抱擁しますが(写真中)、その瞬間、
〈 アンナは子供、即ち、聖母マリアを宿すのです

 この作品では、聖アンナの汚れなき受胎の瞬間、そして、出産後の場面が描かれている。

 また、ギルランダイオは、ノヴェッラ教会の礼拝堂に 「洗礼者ヨハネ伝」(写真下)も描いていて、彼がこの作品を描いている頃、ミケランジェロが弟子入りしたとされている。

  一説によれば、Photo_3この聖母マリア伝の一場面、聖母被昇天のディテール、群像の中に描かれた後ろ向きの人など、ミケランジェロが描いたのではないかとも言われていて面白い。

 ギルランダイオが外出している間に、この教会内で仕事をしている人達のスケッチをミケランジェロが描いていて、その余りの巧みさに驚いたというエピソードも残る。

 この時ミケランジェロ、僅か14歳だったとか。

 余談だが、ミケランジェロの永遠のライバル、<ダ・ヴィンチ>。
 ここサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で三年間暮らし、傑作 「モナリザ」を描き始めたとされているが、何とも因縁めいて面白い。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.371

 ※ 「ノヴェッラ教会 ‐ フィレンツェ」へは、<コチラ>からも入れます。

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ノヴェッラ教会 ‐ フィレンツェ

2011年08月26日 | イタリア

 旅中の遠足<ピサ>からフィレンツェに戻った遅い午後のこと。
 ホテルの部屋のバルコニーから、西に傾く日を背に影絵のように浮かぶサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(写真上)を眺めた。

 カタリナ に、「覗いてみようか?と誘うと、「その後、リッカルディ宮へも行こうよ」となった。

 Photoドミニコ派のこの教会、訪ねるのはこの日で三回目。
 最初に訪れた99年は、大聖年を前にしての工事であえなく門前払い。

 翌大聖年、教会の巡礼で、グループから離れ教会付属の薬房でコロンを求めた道すがら訪ねた折には、入堂はできたものの堂内いたるところ工事中、「聖三位一体」などの祭壇画はパネル化のためか殆どがシートで覆われていて悔しい思いをさせられた。

 三度目の正直と訪れた02年、聖堂正面の扉は固く閉じられている。
 またもやと思いきや、右手の中庭に通じる門が開いてい、その糸杉の中庭の中ほどに新たに入り口が設けられていた。

  Photo_2この教会、隣接する付属博物館と同様に有料になっていたが、その代わりに、かつてのあの喧騒は何処へ?と驚くばかりの静けさ。

 ちなみに、この教会の修道院に、三部作 「<サン・ロマーノの戦い>」を描いたパオロ・ウッチェッロなどが、「創世記」をテーマに描いた<緑の回廊>あることは書いた。

 初期ルネサンス、フィレンツェ派を代表する画家<マサッチョ>の 「聖三位一体」(写真中)は、主祭壇に向かって左手の中ほどにあった。

 本作は、カトリックの根本的教義である、“ 父なる神、神の子イエス、そして聖霊の三位は本質において同一とする三位一体 ” を主題とし、初期ルネサンスを代表するに相応しい絵として広く認められている。

 Photo_2絵には、聖母マリア、洗礼者ヨハネ、寄進者のドメニコ・レンツィ夫妻も描かれ、祭壇画下部の層・プレデッラ(写真下)には、石棺に横たわる骸骨の全身像が細密に描かれている。

 だまし絵的に三次元の空間処理がされ、遠近法を最初に駆使した作品とされる 「聖三位一体」。

 美術書などと違って納まるべきところにあるフレスコ画は、四年越しにようやく対面が叶ったこともあって、実に素晴らしいものだった。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.370

 ※ 「続・ノヴェッラ教会 ‐ フィレンツェ」へは、<コチラ>からも入れます。

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順番

2011年08月24日 | 日記

 ものには順番、順序、手順というものがある。
 もの心が付く頃から成長する節々でそれを学び、そして、守らなければならない社会規範のひとつでもある。

 今や死語になった感もあるが、“ 長幼の序 ” なるものがある。
 古く、孟子が説いた人間関係上の五つの徳目である、父子の親、君臣の義、夫婦の別、朋友の信とともに五輪のひとつで、基本的な徳目である仁・義・礼・智・信の五常とともに、道徳の基本とされたものらしい。

 が、そんな小難しいものを改めて持ち出さ2ずとも、例えて分かり易い話が、電車などの乗り物は降りる人が先。
 シルバー(高齢者のための)シートは、その名もプライオリティ-(優先順)シートと名を変えた。

 子供も点数で順番を付けられ、やれ塾だ、やれ家庭教師だと、小学生の頃から忙しくて気の毒になる。

 翻ってわがR君、自然豊かな K市で、平泳ぎ、背泳ぎ、クロールと順々にマスター、「今、バタフライの練習中なんだ!」と、電話口の向こうでそんなことはどこ吹く風、「まあいいさ」鳶が鷹を望んでもね?

 今回のテーマ “ 順番 ” には、鶏が先か卵が先かなどと古典的なものから、猫飯と嫌う向きもあろうが、汁に飯を入れるのは邪道で、飯に汁を掛けるのが正道という、それこそ噴飯するものまである?

 ところで、のらくら歩きが<まさか?>の結果をもPhotoたらしつつあると書いたが、<ぽっこりお腹>にその効果は見えない。

 カタリナ、新聞で見知っていたらしく、「痩せる順番があるらしいのね」と言い、「お腹は最後まで残るンだって!」と続ける。

 どうも、痩せる順番は太る順番の逆で、腹、脚、胸、腕の順についた脂肪は腕から落ち、最後にようやく腹と言うことらしい。
 一旦、脂肪の貯蔵庫と化した臍周り、在庫一掃とはなかなか参らぬよう。

 逆順と言えば、最も辛く、そして、悲しいのは逆縁と聞く。
 今日は、子供の守護仏とされる<地蔵菩薩の縁日>(写真上)、大震災で逝ったいたいけない命、賽の河原で迷うことのないように。

 昨23日から、二十四節気のひとつ “ 処暑 ”。 
 萩の花(写真下)がほころび始め、朝夕は心地よい涼風が吹く頃とされる。熱かった高校野球とともに夏も往くか?
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.369

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茶かぶき之式(後)

2011年08月22日 | 宗幸雑記

 千家中興の祖とされる裏千家八代一燈と表千家七代如心斎。
 その弟兄が、新たな修練の場、稽古の方法として制定したのが七事式。                                      

Photo 花月、且座(しゃざ)、廻り炭、廻り花、茶かぶき、一二三(いちにさん)、員茶(かずちゃ)の七つの式法で構成されている。                                                                                 

 そのひとつ “ 茶かぶき之式 ”、平たく言えば、喫んだお茶の名前を当てっこするということは書いた。

 甘い、辛い、苦い、酸っぱい、鹹(しおから)いの五味を、視覚、嗅覚、味覚などの五感を働かせて感じ取るのは思いのほか難しく、学びの場に遊び心が採り入れてあって面白い。

 その仕組みだが、五つの棗に三種類の違う茶師の抹茶を用意する(写真上)。
 二種類は “ 試み茶 ” として茶師・茶名が明らかにされているが、一種類は “ ” と称して茶師・茶名は伏せられている。
 まず、“ 試み茶 ” を二服、改めて “ 試み茶 ” と “ ” の三種類を本茶として順不同で頂く。

Photo_6  一服喫むと “ 試み茶 ” で喫んだ二種のどちらかと、喫んでいない “ ” の茶か判断し、茶師名を書いた紙を、「一」と書かれた厚紙で出来た大きな折箱、折据に入れる。
 二服目も同じ、「二」と書かれた折据に入れる。
 三服目は、残った茶ということになる。

 席中に控えていた執筆役が、客の名前の下に茶師名を記入する(写真下)。
 点茶役が、棗の蓋裏に書かれた茶師名を見せると、執筆者は客の茶師名と照らし、合っていれば印を入れる。
 三服とも正解の人に「全」と記入、この記録した紙を頂ける。                                                   

 某月某日、チーム奈良の仲間、「二服目は自信が」「○○だと思ったんだけどなあ」などと、その “ 茶かぶき ” を、姦しくも楽しく学んだ。(
 Peter & Catherine ’s Travel Tour No.368

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茶かぶき之式(前)

2011年08月19日 | 宗幸雑記

 茶道の学びに七事式がある。

 裏千家八代一燈が兄の表千家七代如心斎と、禅宗の精神を基礎とし茶道の本来の道の確立と修行のために作られたもので、花月、且座(しゃざ)、廻り炭、廻り花、茶かぶき、一二三(いちにさん)、員茶(かずちゃ)の七つの式法で構成されている。

Photo  七は、宇宙万象の根源の意味を持ち、七事は、国を治める政治の要諦を教えているそうだ。

 七事式も夫々の式に学ぶべき茶道の基本が盛り込まれていて、基本は5人一組でするのだが、5人以上で人数が決まっていない式法もある。

 折据と呼ぶ厚紙で出来た折箱に、「花」(亭主・点茶)、「月」(正客・喫者)「1、2、3」(客)の札を入れて、引いた札で役目が次々変わる動きが特徴だが、“ 茶かぶき之式 ” のみ趣を異にする。

 円卓(まるじょく)の上、三種類の茶が入った棗が五つあって、紅絹(もみ)袱紗が掛けられている(写真上)。
 平たく言えば、その三種類のお茶の名前の当てっこをする、微妙な味覚の違いを利き分ける修練なのである。  

Photo_5 “ 茶かぶき ” の始めは、南北朝時代の闘茶とされ、栂尾の茶を本茶、それ以外の産を非茶として喫み比べ、物品を賭け遊興に耽ったとされている。

 闘茶会の豪華さで太平記に登場する近江の佐々木道譽。
 当時、派手に見栄を張り遠慮なく振舞う様をバサラと呼んだというが、そのバサラ大名として名を馳せた道譽、沢山の沈香、九十九髪茄子茶入、京極茄子茶入、茶壷類も所持していたという。

 人の目を引く衣装、異様な身なりをすることを傾く(かぶく)者というが、歌舞伎踊り、歌舞伎の始まりともされ、人目を引くはでな服装や振る舞いをする意の伊達者(だてしゃ)として、今も言葉は残る。

 「爆(はぜ)蘭」(写真下)、はじけて開くのでこんな名前がついたとか? 他にも、午後遅くに咲くので、「3時草」とも「5時草」とも。
 また、花弁が一杯開くので、「花火草」とも「銀河草」とも呼ばれるらしい。
 その花弁、米粒ほどの大きさゆえピントが甘いのはお許しあれ。「えっ、何時もの事」だって。(
 Peter & Catherine ’s Travel Tour No.367

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盆略点前(後)

2011年08月17日 | 宗幸雑記

 手軽に楽しめる “ 盆略点前 ”、少し専門的になる。

 お盆は円形で天、即ち陽を表し、方形は地、即ち陰でそれを服紗で表す。
 この頃は、服紗を腰に付けて点前を始めるが、お茶を習い始めた半世紀?以上も前の頃、服紗はお盆の上に掛けていた。これは、天円地方という、天地中和を示す。

P1110085_3 お盆の中は中和となるように棗が天で、仕組んだ茶碗は地となり、必ず上下に並べる(写真上)。

 扱うとき棗は右手で上から持つ。右手は陰で棗は陽、これで中和となる。
 茶碗は陰で左手は陽だから、左手に茶碗を下から持つことで中和となる。
 陰と陰、陽と陽では反発、ぶつかる。要するに合わない。
 簡単に言えば、左手と左手、右手と右手では、手は合わさらないということ。

 茶道では道具の置き場所や、扱い方に陰陽中和の精神が生きている。
 陰、陽そのもの自体は万物を発生する力は無く、陰陽が交感することで物事の変化が生じるとする3500年以前に中国の古代哲学が教えているが、茶道の世界にも息づいている。

P1110212_4  茶道は日本独特の文化だが、根底の思想に中国の哲学の影響があり仏教の理念がある。
 使用する茶道具は中国、韓国、東南アジアの伝来物も多く、広く大きな交感の中から生まれた文化だ。

 陰陽の世界は、ちょっと占いっぽい感じもあるけれど、森羅万象すべからく天と地、上と下、左と右、裏と表、相対的なものは数え切れないですよね。

 長い年月の間に茶道の点前は洗練され、現代の私たちは先人の知恵のエッセンスを学んでいる。
 少し長くなったが、知れば知るほど、「茶道って面白い」と思いません?

 以前生けた花を乾燥させてリース(写真下)にしたが、これも円相に通ずると思っている。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.366

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盆略点前(前)

2011年08月15日 | 宗幸雑記

 何時も支えて下さる高槻の Na さんから、「優れものですよ」と電気ポットを頂いた。

 このポット、それこそあっという間にお湯が沸き、そして、湯を注いでも抹茶が茶碗の中で飛び散らないと伺ったが、使ってみて「なるほど」と納得。

P1110087P1110085 話はそれるが、実はこの品、ペトロ のため、以前から欲しいと思っていたのだが、それすら「面倒や、いらない!という辛気くさがり屋?ゆえ、稽古の日には保温がきくステンレスボトルにお茶を準備していた。
 その彼が、「待たずに済む」と使い出したほど沸くのが早い。

 話は本題に戻して、主婦にとって何かとあわただしい朝の家事、ひと段落したところで、「抹茶を頂く」と言われる方が結構多い。
 ただ、立ったまま茶筅を振り、そのまま頂いたりして、とてもじゃないが他人様には見せられない「お行儀の悪さ」と、苦笑しながらも楽しんでおられる。

 茶道は、挨拶の仕方、襖の開け閉め、歩き方から始まり、点前で使う道具の扱い方を学ぶ割稽古から始まる。
 その割り稽古で学んだ個々の道具の扱いを、点前の流れで習う “ 盆略点前 ” を学ぶ。

P1110108_2  その点前、お盆の中に抹茶を入れた棗と、茶碗に茶筅、茶巾を入れ、茶杓を伏せて架け組んで置く。
 お盆の向こうには鉄瓶を載せた瓶掛、湯を捨てる建水は身体の左横に置いて準備は整う。

 このように簡単で、鉄瓶の代わりに薬缶でも電気ポットでも出来る、手軽で楽しい点前である。
 改まって正座しなくてはなどと考えなくとも好いし、おもてなしに「一服どうぞ」とテーブルに出せる気軽な点前だ。

 しかし、実のところなかなかどうして、陰陽、中和、五行の循環、茶道の根底に流れる思想・原理にもとづいた点前なのである。
 天地和合のお盆の中(写真上左)から、 乾坤(天と地、陰と陽)六子を生ず(写真上右) になる、実に、意味深い点前でもあるのだ。

 しばしば稽古場に花を生けて下さる Na さん、この日は、秋の七草、藤袴(写真下)をお持ち下さった。多謝(
 Peter & Catherine ’s Travel Tour No.365

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食わず嫌い ‐ ピサ(5)

2011年08月12日 | イタリア

 真価や面白みをよく理解しないで、ただ初めから嫌うことを、 “ 食わず嫌い ” と言うらしい。

 海運国家ピサの栄光を今に伝える、<奇跡の広場>、<食わず何とか>の不明を恥じる思い。
 心ここに残れども、季節外れの好天に恵まれたことに感謝して帰り道についた。

 サンタ・マリアという名のバス停(写真上右)、その前のタバッキでチケットを買い、中央駅行きのバスを待った。

 2_51_6近くで井戸端会議に余念のないおばさん達に、「この人ら何処の人やろ?と、ジロジロと見られて閉口。
 観光地ピサ、訪れる日本人は多いのだろうが、路線バスに乗る初老の夫婦は珍しい?

 小半時近くも待っただろうか、ようやくバスが来た。
 ところが、アルノ川に架かるメッツォ橋を渡ったところで急停車、動かなくなってしまった。
 そのうち後続のバスが後ろに停まり、両方のバスを行ったり来たりする小さなハプニングを楽しみ?ながら駅に着いた。

 余談だが、日陰のバス停はやはり寒く、駅でトイレを探したが見つからない。
 英語表記と思い込んでしまったのが迂闊といえば迂闊、うろうろと探した挙句、「Bagno」の小さいプレートを見つけ、「そうや、ここはイタリアなんや」と気づくお粗末君。

 そのバーニョ、092_2入り口でおばさんがお皿を前にして座っていたらしく、扉の向こうから「小銭ある?」の声が。
 つい先日、ザルツブルグ駅でも「こんなことがあったやないか」とボヤキながらポケットを探った。

 少しお腹が空いたので、ホテル・ジョリー・マメーのレストランを覗いたが、客が一人もいない。客の姿が見えない店、やはり入るのが躊躇われる。

 で、駅構内のマクドで若者に混じってハンバーガーに齧りついたが、このアメリカの食文化や恐るべし、<ベルリンの壁>が崩壊して数年、東欧の古色蒼然とした街中に、この店の看板だけが矢鱈目についたことを覚えている。

 かつて、<ナポリ>でピッツァを立ち食いしたことがあるが、旅先でマクドは初めて。
 空腹が、「一番のご馳走やね」はけだし至言と実感。
 そんな、あれやこれやを心のアルバムに刻み、素晴らしい天気に恵まれたピサの街と別れた。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.364

  ※ 「威風堂々 ‐ ピサ(4)」へは、<コチラ>からも入れます。

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威風堂々 ‐ ピサ(4)

2011年08月10日 | イタリア

 大聖堂の建設は、11世紀の中頃に始まり12世紀初頭に完成したという。
 ロマネスク様式の典型、十字に交差する建物の中央に円蓋を乗せる大伽藍(写真上)、広場からその全貌が見渡せることもあって威風堂々、まさに、地中海の覇者・ピサの栄光を今に偲ばす。

 Photo_4ほんの数日前、<雪にまみれた>ドイツ中・南部の街と比べ、地中海の陽光を一杯に受け、「今、待降節やろ?」「忘れてしまうほど明るさ、随分と違う。

 大聖堂は、身廊の両側に2本ずつの側廊を持つ五廊式。
 イスラムの支配下にあったシチリア奪還の先駆けとして、パレルモ沖の海戦でイスラムを撃破、その戦利品である無数の巨大な円柱が内陣(写真中)に並び、その上部にはイスラム様式のアーチが架かる。

 主祭壇の「主キリストの磔刑像」、それを取り囲む上部にはモザイク画「玉座のキリスト」。

 Photo_3アドリア海に面したヴェネツィアやラヴェンナと同じように、東方ビザンチン文化の影響が強く窺え、ピサが西地中海の覇権を握り、東方貿易の利権を享受していたことを証してもいる。

 この「玉座の――」の右端には<リッピ>の、「聖ヨハネ」が、高い格天井には青と黄金のパネルが嵌められている。

 イエスの生涯を描かれたゴチック様式の説教壇はジョヴァンニ・ピサーノ作、ガリレオが「振り子の等時性」を発見するきっかけとされたランプも、「ほんと?」「多分」、ある。

 大聖堂の正面向かいには、サン・ジョヴァンニ洗礼堂(写真下)。ほぼ円形の洗礼堂の高さは、これまた斜塔と同じ55mらしい。

  Photo_5この洗礼堂、一層目はロマネスク様式、二層目以上はゴシック様式で、ふたつの様式が融合した、ピサ・ロマネスク様式とも呼ばれるらしく、実に美しいフォルム。

 建物の周りを取り囲む荊の装飾に成人像が並び、頂点には洗礼者聖ヨハネが蒼天に屹立する姿が望めた。

 その北側に建つ幾何学的な直線を持つ矩形の建物は、かつて、ピサに住んだ貴族の墓所・カンポサント。

 洗礼堂の背後、今もその一部が遺こる旧市街を囲んだ古代ローマ時代の城壁。
 それに沿って、これら四つの白大理石の建物が深い緑の芝の上に調和をもって並ぶ様は、<奇跡の広場>と呼ぶに相応しく思え、その威容は、この街のかつての栄光の歴史を今も誇っているかのようだった。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.363

 ※ 「奇跡の広場 ‐ ピサ(3)」へは、<コチラ>からも入れます。

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